磨呂の写真館 (辰野邦次)

自然の風景と動物・野鳥の日記です

一向一揆太鼓

2013年01月09日 06時05分01秒 | 日本の風景

一向一揆太鼓 平成25年1月1日元日撮影 nikonD4

一向一揆太鼓の由来 加賀の中世史は、一向一揆の歴史と言われています。室町時代後期当地の守護職富樫氏の圧政に苦しむ農民達は、越前と加賀の国境吉崎の地に居を構える蓮如上人とその一向宗教に救いを求めました。それを由とせぬ富樫政親は、二千の軍勢を以て一向宗教や農民達を弾圧せんと兵をあげました。それに対し農民達は手に鍬・鎌・竹槍等を持ち「鬼面人を脅かす」の故事に倣い、太鼓を打ち鳴らしながら二千の軍勢に立ち向かったと云われています。この時の太鼓の音こそ、以後百年にも及ぶ農民戦争、加賀一向一揆の幕開けでした。

 

 

 

 

 

北陸に戦艦三笠

今から105年前、当時世界最大最強と言われたロシアのバルチック艦隊を対馬沖で撃破し、無名の小国日本を世界に知らしめた東郷平八郎大将が座乗し、率いた戦艦三笠である。
 この三笠の活躍は日本の植民地化を阻止すると共に、文明化を急ぐ日本人には大きな自信と元気を与えたという。
史実に基づき忠実に再現された戦艦三笠は、全長80メートル、高さ50メートルと巨大なスケール。費やした費用は約7億円とも8億円とも言われる。

 

 

尼御前 名称の由来 尼御前の名称は、SAに隣接する「尼御前岬」から。「尼御前」は源義経の従女として義経一行の奥州行きに同行していたが、難所として知られていた安宅関超えに際して「女の私がいては足手まといになる」と身を案じてこの岬から身を投げたという伝説が残っている。

冬の荒れる日本海

 

 

 

 

加賀の田園風景に白鳥が1000羽が飛来しているらしいです

 

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