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ノーベル文学賞

2012-10-12 | Weblog
*2012ノーベル文学賞

「莫言氏受賞 中国国内では「喜びの声」」

中国国内は11日、中国人作家の莫言(ばく・げん)氏が中国初のノーベル文学賞受賞者になり、喜びの声にわいた。

 中国メディアはこの日、フランスの新聞社の報道を引用する形で、受賞予想で文学賞の候補者として莫言氏と村上春樹氏の2人が挙がっていると報道するなど「日中対決」になっていることに高い関心を示した。

 中国メディアが莫言氏の受賞を速報すると、中国版ツイッター「微博」では「中国にはノーベル賞を受賞する資格はまだないと思っていた。私たちの文化文明が国際社会に認められたことを証明するものだ」など歓迎する書き込みが相次いだ。

 一方で、服役中の民主活動家・劉暁波氏の平和賞受賞(10年)をめぐり「中国への内政干渉とノーベル委員会に抗議していたのに……、皮肉だ」という声も。欧米中心の「世界」に反発しつつも認められる喜びを抱く中国人の複雑な心境をうかがわせた。

 莫言氏は66年に文化大革命が始まると学校をやめて実家で農業を手伝い、76年に人民解放軍に入隊。軍務の傍ら小説や戯曲を書いた。97年に軍籍を離れ、創作に専念。幻想的なタッチから「百年の孤独」などで知られ、82年に文学賞を受賞したコロンビアのガルシア・マルケス氏になぞらえ「中国のガルシア・マルケス」とも呼ばれる。

 ◇「創造が仕事だ」昨年来日時に語る…莫言氏

 莫言さんは11年7月、最新作の日本語版「蛙鳴(あめい)」(中央公論新社)の刊行に合わせて来日した。東京や神戸で講演会を開き、メディア各社の取材に応じた。毎日新聞のインタビューには、終始おだやかな表情で応じた。

 「新しい本を書く度に前の作品を乗り越えたいと思う」「小説家の仕事は忘れられない人物を創造することだ」

 日本の文学については、川端康成の「伊豆の踊子」と「雪国」を挙げ、「感情の描写がこまやかだ」と魅力を語った。

 東日本大震災による東京電力福島第1原発の事故にも触れ、「中国は大量に(原発を)つくっているが、日本の人々の苦悩は全人類への教訓だ。人類は自らの欲望を満足させるために自分で困難の種をまいている」と述べた。
(毎日新聞)



*「魔術的リアリズムの作家、莫言氏 中国社会の矛盾あぶり出す」*

中国籍で初めてノーベル文学賞に決まった莫言氏(57)の作品は、チャン・イーモウ監督が映画化した「赤い高梁」をはじめ多くが邦訳され、日本の読者にも親しみが深い。当局の検閲をくぐり抜けるためにフォークナー(米)やガルシア・マルケス(コロンビア)らから受け継いだ魔術的リアリズムの手法を使い、社会主義下の残酷な現実に切り込む作風は内外で高く評価されてきた。

 中国山東省の農家に生まれ、文化大革命のあおりで小学校を中退。「作家は社会のあらゆる出来事に注目しないといけない」。苛烈な歴史の中で貧困や差別に苦しんだ原体験が、タブーを恐れない批評的な視点がはぐくまれた。人民解放軍に入隊したのは「軍に入れば毎日ギョーザを食べられる」という噂を聞いたから。少年時代から草地に寝転がり空想を巡らし、青年期からそれを文字にし始めた。たんに「革命小説」をまねをしていた莫言氏を大きく変えたのは、実は軍の芸術学院で読んだ日本の文学作品だった。川端康成の「雪国」に秋田犬が出てくる場面には、小説が本来持つ「自由」に目覚めさせられたという。

 「物資がとぼしい時代に生きてきたが、喜びもたくさんあった」。そう述懐する莫言氏が、強く悔いているのが、軍在籍当時に自らの昇進のために身ごもった妻に中絶を強いたこと。その悔恨は「神の手」とあがめられた産科医の転落を重層的な構成で描いた最新作「蛙鳴」だった。
(産経新聞)


追加:

2011ノーベル文学賞、2011年10月7日

「スウェーデンの詩人が受賞」
 
 日本時間6日夜、今年のノーベル文学賞が発表され、スウェーデンの詩人、トーマス・トランストロンメル氏(80)が受賞した。ロイター通信によると、トランストロンメル氏は90年に倒れ、話すのが不自由になったが、その後も旺盛に作品を生み出した。
 初めての地元出身者の受賞に、現地メディアからは歓声が上がった。
 期待の声が高かった作家・村上春樹氏の受賞はかなわなかった。


追加:
「莫言さんノーベル賞に寄せて」、佛教大名誉教授吉田富夫
 2012年10月16日


90キロはありそうな巨体なのに、莫言(モーイエン)さんは、中音の澄んだ小さな声で話す。こちらから話しかけないと黙ったままでいる、寡黙な人だ。酒はむかしはかなり飲んだが、いまはほとんど口にしない。

 そんな彼のどこからあの横溢(おういつ)する自在な想像力が生まれてくるのか、不思議である。

 ただ、文字を書くのはものすごく速い。代表作の一つ『豊乳肥臀(ほうにゅうひでん)』は中国語で50万字におよぶが、それをたったの3カ月で書き上げたという。1996年のことで、当時はむろん手書きである。

 抗日戦争から国共内戦を経て毛沢東期、さらに改革開放へと、半世紀にわたる農民一家の数奇な生きざまを描いた作品に惹(ひ)かれて翻訳したのが99年。その前の年には莫言さんの生まれ故郷で、小説の舞台になっている山東省高密をも訪ねた。驚いたことに、そこはただ果てしない平原で、作品に出てくる大湿原も断崖絶壁も大河も一面のコーリャン畑も、まったくありはしない。瞞(だま)された。すべては、作者の想像力の産物だったのだ。

 『豊乳肥臀』の日本語訳出版の機会に日本に呼んだのが彼の初来日となった。そのとき自宅に泊めたのが縁で、それ以後、京都ではそれがつづいている。朝、家内の炊いたヒジキ煮やじゃこ山椒(さんしょう)をメシに混ぜて、黙々とかっ込むのが好きだ。別れるときは謝謝(シエシエ)と言ってにこっとするだけで、お上手ひとつ言わないが、それだけでしばらくこっちの心が温(ぬ)くなる、と家内が言う。

 出世作『赤い高粱(こうりゃん)』以後、『豊乳肥臀』以外に、『酒国』、『白檀(びゃくだん)の刑』、『四十一炮(ぽう)』、『転生夢現』などの長編をはじめ、すべての作品が20世紀の中国現代史を描いているが、それらがほとんど日本語訳されているというのも現代中国作家では稀有(けう)のことだ。構成も語り口も一作ごとにころっと変える手際は見事だが、奇想天外なストーリー展開や現実と異次元世界を自在にあやつる奔放な想像力の基盤にあるのは、じつは「西遊記」や「水滸伝」などの伝統小説や、貧しい農民の子として育った幼い頃に馴染(なじ)んだ民間の語りや演芸だと、ぼくは密(ひそ)かに思っている。その意味で、莫言さんは正真正銘の中国土着の作家だ。

 長男ではなかったため、当時の風潮もあり、小学校を中退。兄の教科書を読みふけるなどして、小説の楽しみを知った。工員を経て、つてを頼って人民解放軍に入り、芸術を学ぶ内部組織で創作を覚えた。

 いまひとつ、莫言さんの小説には、どこかにかならず〈絶対の弱者〉がいる。それが中心人物であることもある。それらはしばしば、生まれついての障害に関わるのだが、その視点があるかぎり、どんなに荒唐無稽に見える作品も、中国の現実を鋭くえぐるものとなる。

 55年生まれの莫言さんは、20歳年上のぼくを大叔(ダアシュ)、叔父さんと呼ぶ。はじめ、ぼくがメールで莫言先生と呼びかけたら、今後先生をつけたら絶交だと返してきた。そんな人である。
    ◇
 よしだ・とみお 1935年生まれ。莫言さんの「豊乳肥臀」など長編5作を翻訳、10年以上の親交がある。




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