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[原発事故] 憎き前会長勝俣恒久、残された妻子 東電提訴へ(更新5/31)

2013-05-31 | Weblog

更新


5/31

更新記事:1億2600万円求め東電提訴 相馬の酪農家遺族「原発事故で夫自殺」

東京電力福島第一原発事故で将来を悲観して自殺した相馬市の酪農家菅野重清さん=当時(54)=の妻バネッサ・アボルドさん(35)と小学生の息子2人は30日、東電に約1億2600万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
 
菅野さんは乳牛約40頭を飼育していたが、事故後、原乳が出荷停止になった。フィリピン国籍のバネッサさんが子どもたちと一時帰国していた平成23年6月10日、牧場の小屋で自殺。壁に「原発さえなければ」「仕事をする気力をなくしました」と書き残していた。
 
バネッサさん側は、家族が離散し、酪農家として営農の可能性が失われるという深刻な悩みの末にうつ病を発症したと主張。「原発事故と自殺との因果関係がある」としている。
 
提訴後、東京・霞が関の司法記者クラブで会見したバネッサさんは「原発がなければ夫は生きていた。子どものために東電と闘う」と涙ながらに話した。
 
代理人を務める保田行雄弁護士(東京)によると、原発事故が原因とみられる自殺者の遺族が東電を提訴するのは3例目で、避難区域外では初めてという。
 
東電は「多くの皆さまにご迷惑をお掛けし、あらためておわびしたい。訴訟についてはコメントを差し控えるが、事情を伺った上で真摯(しんし)に対応したい」としている。FUKUSHIMA
 

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「原発さえなければ」。そう書き残し、東京電力福島第一原発事故の3カ月後に福島県相馬市の酪農家の男性が自ら命を絶った。「事故で平穏な生活を奪われた」と、妻と息子2人が3月、東電に対して損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。夫への思い、東電への怒り。妻が取材に語った。

菅野重清さん(当時54)が自分の酪農場の堆肥(たいひ)小屋で首をつり、亡くなったのは2011年6月。小屋は原発事故の2カ月ほど前、堆肥販売を拡大しようと、借金をし500万円以上かけて建てたばかりだった。

小屋の壁には今も、重清さんがチョークで書いたメッセージが残っている。「仕事をする気力をなくしました」「ごめんなさい」「なにもできない父親でした」――。

妻のバネッサさん(34)が壁を見つめ、涙を流しながらつぶやいた。「10年以上一緒に暮らしたお父さん、会いたいよ。お父さんは悪くないのに、何でごめんなさいなの」

バネッサさんは00年、母国のフィリピンで重清さんとお見合いして結婚し、相馬市に来た。約40頭の乳牛を育て、つくった堆肥を売る生活。重清さんは寡黙だが、家族との暮らしをいつも一番に考えてくれた。休日には長男(8)、次男(7)と4人で買い物に出かけたり、山で山菜を採ったりした。バネッサさんにはそんな日常が幸せだった。

原発事故で全てが暗転した。放射能の影響で牛乳は1カ月、出荷停止に。堆肥も売れず、収入は途絶えた。借金返済のめどが立たない。重清さんは「どうすればいいのか」と繰り返すようになった。

バネッサさんはフィリピン政府に促され、11年4月中旬から息子2人を連れて一時的に帰国した。重清さんも酪農を捨てて移住することを考え、4月下旬からフィリピンで1週間過ごした。だが、仕事が見つからずに日本に戻った。

夫婦は週に2、3回、電話で話をした。「飯、食ったか」「元気か」。たわいのないやりとりで互いの様子を確認し合った。

6月10日の早朝も電話があった。早い時間の電話に驚いたが、夫の声はいつもと変わらなかった。「バネちゃん、ちゃんと子どもの面倒見てね。(日本に)帰ってこなくていいんだ。子どもを大事にして」

翌日の午前、重清さんは遺体で見つかった。「なんで、どうして」。友人からのメールで夫の死を知ったバネッサさんは、放心状態のまま子どもと日本に戻り、葬儀を済ませた。

放射能が怖くて、自宅から約20キロ離れた福島県伊達市の借家に引っ越した。病気がちの子どもの世話があり、働けない。夫の生命保険で約800万円の借金を返し、残りを取り崩して暮らしている。

昨年11月、事故後の福島の現状を追う映画を撮影していた四ノ宮浩監督と出会った。東電への不満をため込みながら、どうしてよいか分からなかったバネッサさんは、自分の思いを初めて他人に伝えた。「東電を訴えたい」。その一言で訴訟の準備が始まった。「お父さんがいてくれたらなと、思う。生活も苦しい。子どものために闘いたい」

バネッサさんと息子2人は3月に起こす訴訟で、約1億1千万円の損害賠償を求める予定だ。原発事故の影響で酪農が続けられなくなり、生活が破壊されて自殺に追い込まれた、と主張していく。

東電広報部は取材に「多くの皆様にご迷惑とご心配をおかけしていることについて心からおわび申し上げます。提訴については承知していません」と回答した。(ASAHI)

■重清さんが堆肥小屋の壁に書き残したことば

 原発さえなければ

 姉ちゃんには大変おせわになりました

 長い間おせわになりました

 2011 6/10 PM1:30

 大工さんに保険で金を支払って下さい

 ごめんなさい

 原発さえなければと思ます

 残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい

 先立つ不幸を

 仕事をする気力をなくしました

 バネ (息子2人の名前)

 ごめんなさい

 なにもできない父親でした

 仏様の両親にももうしわけごさいません

小屋の壁に菅野重清さんが残したメッセージとバネッサさん=福島県相馬市、金子淳撮影(一部画像を処理しています)
 
小屋の壁に菅野重清さんが残したメッセージとバネッサさん
 
 

関連


2013/1/24 

:東電・勝俣前会長らから事情聴取 検察当局 原発事故当時の認識など説明求める

東京電力福島第1原発事故をめぐり、東電幹部らが業務上過失致死傷などの罪で告訴・告発された問題で、検察当局が勝俣恒久前会長(72)や清水正孝元社長(68)ら東電旧経営陣から任意で事情を聴いたことが24日、関係者の話で分かった。原発事故が起きる可能性を予見していたかなど当時の認識について説明を求めたとみられる。

関係者によると、聴取されたのは、勝俣、清水両氏のほか、武藤栄・前副社長(62)ら当時の東電幹部。

検察当局は昨年8月以降、各地の地検に出されていた同罪などでの告訴・告発を相次いで受理。その後、東京と福島の両地検に案件を集約させたうえで、関係者ら約100人をリストアップし、本格聴取に乗り出す方針を決めていた。

検察当局は、既に東電が設置した事故調査委員会の担当社員らを聴取。検事らが防護服を着用して福島第1原発に入り、内部構造や破損状態などを確認している。SANKEI 


 

参考


原発自殺賠償:福島の農家と初の和解 東電、因果関係認め

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東京電力福島第1原発事故後の2011年3月24日に福島県須賀川市大桑原の農業の男性(当時64歳)が自殺し、男性の遺族が「自殺は原発事故が原因だった」として、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に交渉を求め、同センターの仲介で東電と和解したことが分かった。弁護団によると、原発事故による自殺に関する和解は初めてで、自殺者の遺族が訴えている民事訴訟の行方にも影響を与えるとみられる。

東電は因果関係を認めて賠償金の支払いを受諾し、5月末までに和解した。和解金は非公開。

政府は原発事故後の11年3月23日付の福島県知事あて文書で、福島県産のキャベツなどを「当分の間、出荷を差し控えるよう」指示。弁護団によると、男性は出荷を目前に控えており、この通知の翌日に自殺した。

弁護団は遺族から依頼を受けて東電と直接交渉を行ったが、因果関係を認めなかったため、12年6月に原発ADRに申し立てた。

口頭審理で、遺族は鑑定意見書を提示し、キャベツの出荷ができなくなり、男性が自殺する前に原発事故に対する絶望感を口にしていたことなどを訴え、それが和解につながったとみられる。東電広報部は「個別の申し立て内容については回答を差し控える」とコメントしている。

農業を通じて約20年間の付き合いがある知人によると、男性は何代にもわたって続く農家を継ぎ、キャベツをはじめコメやキュウリなどの無農薬栽培にこだわっていた。亡くなる約1週間前に会った際、男性の様子について「普段と変わらない様子だった。原発事故のことはあまり口にしなかったが、ショックを受けていたのではないか」と話した。現在は妻と次男が農業を継いでいるという。

原発事故後の自殺者を巡っては、福島県川俣町山木屋の女性(当時58歳)が避難生活で仕事や住居を奪われたストレスで自殺に追い込まれたとして昨年5月、遺族が9120万円の賠償を求めて福島地裁に提訴。また、同県相馬市の酪農家の男性(当時54歳)が原発事故で牛乳が出荷停止になったり、乳牛を殺処分するなどした後に自殺した。遺族は今年5月に1億2600万円を求める訴えを東京地裁に起こしている MAINICHI

 


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