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2014年9月8日運命の決勝 歴史はどう味方するか(錦織、がんばれ!)更新9/9

2014-09-09 | Weblog

更新 9/9日

【AFP=時事】テニス、全米オープンは8日、米ニューヨーク市のUSTA・ビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターで男子シングルス決勝が行われ、大会第14シードのマリン・チリッチ(クロアチア)は6-3、6-3、6-3で第10シードの錦織圭を退け、四大大会(グランドスラム)初優勝を飾った。 25歳のチリッチは、2001年のウィンブルドン選手権王者で、現在自身のコーチを務めるゴラン・イワニセビッチ氏以来となる、クロアチア出身のグランドスラム覇者になったと同時に、アジア勢男子初のグランドスラム制覇を目指していた錦織の夢を絶った。

ドーピング違反で昨年大会に出場することができなかったチリッチにとって、このタイトルは感慨深いものになったことだろう。

チリッチはまた、世界ランク17位で2002年大会を制したピート・サンプラス氏以来となる、下位シードでの全米オープン覇者となった。

それでも、チリッチは優勝に見合うだけのプレーをみせている。錦織が迎えた9度のブレークチャンスのうち8度をしのいだチリッチは、17本のサービスエースと38本のウイナーで錦織を圧倒した。これには、ミロス・ラオニック(カナダ)、スタニスラス・ワウリンカ(スイス)、そして世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破った錦織もたじたじの様子だった。

錦織と同様にグランドスラムで初の決勝進出を果たしたチリッチは、「ここ数年は厳しい練習をしてきたし、昨年からは一層の努力をしてきた。チームが僕に特別なものをもたらしてくれたんだと思う。とりわけゴランがね」と語った。

「本当に一生懸命やってきたけど、コーチが僕に教えてくれた一番のことは、テニスをプレーすることの喜びと、いつも楽しむことだ。ここで自分のテニスを楽しんだし、人生最高のプレーができた」

チリッチは、ジョコビッチやロジャー・フェデラー(スイス)、故障により欠場した昨年覇者のラファエル・ナダル(スペイン)といった選手でさえも、負ける可能性があるのだと指摘した。

「頑張っていれば、それは報われるということを証明できたと思う」

■錦織、チリッチへの完敗を認める

錦織は、チリッチに完敗したと語っている。

「マリンは今日、本当に良いプレーをしていた。僕は自分のテニスができなかった。厳しい負けですが、初めて決勝に進出できて幸せです」

「でも、次回は必ずトロフィーを手にする。楽しい2週間でした」

ジョコビッチ、フェデラー、ナダルの3選手がグランドスラムの決勝進出を逃すのは2005年の全豪オープンテニス以来で、ツイッターもないような時代だった。

8日の決勝は、178センチで68キロの錦織と、198センチで82キロのチリッチという、対照的なスタイルの選手同士の対戦でもあった。

高温多湿のコンディションが選手を苦しめた2週間の大会で、最も過ごしやすい天候の日に行われた決勝で、チリッチは序盤から積極的なプレーでブレークを奪い、33分で第1セットを先取した。第1セットだけで11本のウイナーを決めたチリッチに対し、錦織はわずか2本を記録するにとどまった。

ラオニックとワウリンカに勝利した試合でも、第1セットを落としていた錦織は、ここから巻き返しを図るかに見えた。

しかし、厳しい角度から打ち込んでくるチリッチのショットに苦しめられた錦織は、第2セットでも3度ブレークを許し、これを奪われてしまう。

後がない錦織だが、第3セットでもチリッチにリードを許し、3度のブレークチャンスをすべて逃す。迎えたマッチポイントでダブルフォールトを犯したチリッチだが、最後はバックハンドで1時間54分の試合に決着をつけた。AFPBB News

 

 

 

 

 

 



当時の男子プロテニス界。まったくタイプの異なる二人の選手がメディアを沸かせていた。なかでも二人が好勝負を繰り広げた1996年の全豪決勝はこの6日の錦織対ジョコビッチ戦そのものだった。

二人とはマイケル・ターペイ・チャン(Michael Te-Pei Chang)とボリス・ベッカー(Boris Becker)の両プロテニス選手だ。台湾系米国人チャンは、身長175cmの小柄だが、ベースライン・プレーヤーと称され、両手打ちのバックハンド・ストロークでどんな球でも粘り強く拾いまくるフットワークを持ち味とした。一方のドィツ人ベッカーは190cmの大柄で、オープンスタンスから大砲の爆撃音と呼ばれた強烈なサーブをはなつビッグサーバーだった。

そして両氏は現役引退後、チャン(2003年全米オープンを最後に31歳で現役引退)は錦織のコーチに、ベッカーはジョコビッチのコーチに、それぞれ就任している。ちなみに、チャンは1996年の全豪決勝でベッカーに敗れており、今回の対ジョコビッチ戦で教え子錦織の勝利を介してベッカーへのリベンジをはたしたことになる。

決勝は米NY東部時間8日(日本時間9日)。錦織の対戦相手は過去5勝2敗でリードしているチリッチ(身長198cm、時速200キロ以上の高速サーバ)、ともに初出場だ。錦織、がんばれ!管理人

<全米テニス>夢の頂点へあと1勝 錦織、渡米11年

慣れ親しんだ米国で歴史史を刻んだ。6日に行われたテニスの全米オープン男子シングルス準決勝。錦織圭選手(24)=日清食品=が世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ選手(27)=セルビア=に勝利して、日本勢として初の決勝に進んだ。試合直後、センターコートで行われた勝利者インタビューで錦織選手は「何が起きているのか分からない」と、よどみない英語で答えていた。

松江市出身の錦織選手は5歳でテニスを始め、13歳で米国に留学した。非凡な才能にソニーグループで要職を務めた盛田正明・日本テニス協会名誉会長が私財を投じて創設したジュニア選手留学制度「盛田ファンド」から声がかかったのだ。留学先は女子のマリア・シャラポワ選手(ロシア)らを輩出した米フロリダ州の名門アカデミーだった。テニスが大好きだった錦織選手に迷いはなかった。

厳しさは想像を超えていた。朝から練習が始まり、勉強を挟んで午後5時までみっちり繰り返される。英語も分からない。盛田ファンドの援助を継続するにはランキングなどノルマが課せられ、1年ごとに見直しがある。「テニスで生き抜く」。錦織選手は歯を食いしばって打ち込んだ。18歳のとき、同州で行われた国際大会でツアー初優勝を飾り、プロの第一歩を踏み出した。

小学校の卒業文集に「夢は世界チャンピオンになることです」とつづった錦織選手。コートでは厳しい表情を見せる24歳の素顔は、はにかみ屋だ。心は少年時代のまま大きく成長を遂げた日本のエースが夢の実現まで、あと一歩のところまでたどり着いた。毎日9/7

マイケル・チャンと錦織圭「まだやることがある」 [全米テニス]

マイケル・チャンは、何が選手にグランドスラムタイトルを取らせるのかを知っている人物だ。コーチとしての今の彼は、錦織圭(日清食品)を全米オープンの決勝に導いた。

チャンはコートサイドでこの2週間、その存在感を示してきていた。この土曜日に錦織が第1シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)を6-4 1-6 7-6(4) 6-3で破り、日本人男子としては初となる決勝進出を決めたが、そのときもまた、彼は錦織の選手席に陣取っていた。

大事な場面でのチャンは、ジャンプするように立ち上がって拳を突き上げ、時には大きな声で声援を送っていた。

「彼らが来てくれて、本当に大きな力になっている。疲れるとかイライラするとかはなくなってきた」と錦織は言う。「彼が選手席から僕を助けてくれるんだ」と錦織は続けている。

1980年代から90年代、チャンとともにツアーを賑わせたのがステファン・エドバーグだ。今の彼はロジャー・フェデラー(スイス)のコーチを務めている。エドバーグは、チャンが錦織の試合中には1ポイントごとに熱くなっていることに気づいていた。

「昨日、ステファンが私に話してきたよ。"君がコートの上に立っているわけでもないのに、まるで君がプレーしているみたいだ"とね」とチャンは言う。彼が17歳だった1989年全仏では最年少での優勝を果たしている。

「でも興奮するなというほうが難しいよ。圭を見ていて情熱を感じないというのは難しいね」とチャンは続ける。

チャンが被る黒いベースボールキャップにはピザ屋の広告が書かれている(彼の兄が経営する店)。「彼は非常に確立された個性を持っている。とてつもなくハードな練習を積めているし、自分のテニスに対する集中力もある。だからこそ彼は素晴らしい結果を残せているというわけさ」。

錦織の代理人であるオリバー・バン リンドック氏は、チャンとのコンビ結成のアイデアを最初に聞いたのは昨年の全米オープンのときだったと振り返る。

その2ヵ月後、錦織は日本で行われたチャリティーイベントで初めてチャンと出会い、12月には一緒に仕事をスタートさせたのだという。

海外遠征時のチャンは基本的にはパートタイムのコーチとしての就任だった。錦織にはフルタイムのコーチとして、この4年コンビを組んでいるダンテ・ボッティーニがいる。この3人とのコンビネーションで錦織は昨年5月に9位に入り、日本人男子初のトップ10入りを果たしたのだ。

ボッティーニはチャンについて「彼の選手としてのすべての経験は、私たちみんなにとってすごくいい形で働いてきていると思う」と話し、「僕たちはお互いをいい感じで補完しあっていると思う」と続けている。

錦織はチャンについて「厳しい」コーチだと表現する。しかし、同時に彼が精神面での重要性を教えてくれるのだとも話している。

チャンはいくつかの部分で、彼らが似た部分を持っているのだと話している。それは対戦相手たちが、自分たちよりも大きいことで有利になっているということもその一部だ。チャンは175cmで、錦織はそれよりほんの3cmほどしか大きくない。

「圭と私が少し似たスタイルになっているのは、そういう部分によるものだろうと思う」とチャンは言う。「だから彼に対してのアドバイスもより簡単なんだ。大きくてビッグサービスを持っている相手に対してどうするか、というのが中心になるからね」。

コートを離れても共通点は見出せる。チャンはニュージャージー生まれの台湾移民の子どもとして育った。「文化的な違いはある。でも、同じぐらい似た部分もあるんだ。同じアジアだからね」とチャンは言う。「似た部分があるからよりコミュケートしやすいんだよ」。

チリッチと錦織の決勝は、どちらが勝っても初のグランドスラム優勝だ。
 
ジョコビッチに勝ったあと、24歳の錦織に決勝に向けてどんなアドバイスをするのかと聞かれたチャンは、「また何も話していない」と答えつつ、「彼が勝つ度に言っているのは、まだ僕らにはやることがある、ということだよ」と続けている。AP (テニスデイリー)9/7

 

Nishikori takes down Raonic, ties for history’s latest match finish

They say history doesn’t repeat itself. Just don’t tell Milos Raonic or Kei Nishikori that.

In a match that pitted Raonic’s power against Nishikori’s agility, it was the tenth-seeded Nishikori who prevailed in what was tied for the latest finish to a match in U.S. Open history.

Digging out of a two-sets-to-one hole, Nishikori advanced to his first U.S. Open quarterfinal by outlasting the fifth-seeded Raonic, 4-6, 7-6(4), 6-7(6), 7-5, 6-4 in a match that lasted four hours and 19 minutes and ended at 2:26 a.m.

“It’s going to bring confidence for sure for the next round,” Nishikori said. “I tried to fight every point and when I [had] to play well, I did — I took some chances and broke his serve.”

It was the second consecutive year that Raonic lost a five-setter in the fourth round at the U.S. Open, after Richard Gasquet bested him last Labor Day. Raonic led that match by two sets to one as well.

“I wish I could have been more efficient in many aspects, like my serve and other things. I was losing my serve way too many times,” said Raonic, who was broken five times and gave Nishikori 19 break points. “I kept fighting and that’s all I can ask. [I] fought through that third set, and then he just got a little bit over me. I was just playing to stay alive.”

The match became the third U.S. Open match to end at 2:26 a.m. The other matches took place two years ago, in a third-round match between John Isner and Philipp Kohlschreiber, and in 1993, in a second-round match between Mats Wilander and Mikael Pernfors.

Nishikori, who hit 53 winners compared to only 41 unforced errors, advanced to his second Grand Slam quarterfinal and first since the 2012 Australian Open.

Next up for Nishikori on Wednesday is Stanislas Wawrinka, who defeated Tommy Robredo in four sets earlier Monday. Wawrinka leads the head-to-head 2-0, with one of those matches coming on hard courts.


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