新聞記事:東電、受刑者も原発賠償/福島刑務所80人/1人8万円全員なら1億3600万円 (7/4付産経新聞)
(引用はじめ)
東京電力福島第1原発事故を受け、福島刑務所(福島市)の受刑者80人余りが東電に住民賠償を請求し、一律8万円の賠償を受けていることが3日、法務関係者への取材で分かった。一部の受刑者が東電から書類を取り寄せ請求。賠償金が支払われたため、所内で口コミで広がったという。
専門家の間では、受刑者に正式に周知されていないため公平性に問題があるとの声がある一方、賠償金の一部は税金が充てられることから「住民と受刑者を同列に扱うことはおかしい」といった異論も出ている。
住民賠償は政府が指定した警戒区域、計画的避難区域などを除く福島県内23市町村の全住民が対象。自主避難したかどうかを問わず、8万円が支払われる。
福島刑務所によると、昨年3月11日の震災当時、女性用の支所も含め計約1700人が収監されていた。
東電は「受刑者も精神的苦痛、被曝(ひばく)の恐怖にさらされたという意味では住民と同じ」として、当時の受刑者全員が賠償対象になると考えていたが、受刑者への周知は見送られた。案内文を送付する場合は刑務所から受刑者の名前などの情報を得る必要があり、プライバシー保護の観点から問題があるとされたためだ。
しかし、一部受刑者が所内で閲覧可能な新聞やテレビで賠償の情報を知り、東電から書類を郵送で取り寄せ、賠償を請求。現金8万円が支払われると、口コミで広がり、80人超の受刑者が次々と請求したという。
福島刑務所は「今後も請求する受刑者が増える可能性は十分ある」としており、全受刑者が請求した場合、賠償額は約1億3600万円に上るとみられる。
NPO法人監獄人権センター副代表の海渡雄一弁護士は「賠償を受ける権利は全受刑者にある。東電と刑務所は、受刑者に賠償請求の方法を伝えるべきではないか」と指摘する。
これに対し、元最高検検事の奥村丈二中央大法科大学院教授(刑事法)は「介護や仕事、学校の都合で避難せずやむを得ずとどまった住民と、移動の自由のない受刑者を同列に扱い、同額の賠償をすることに違和感を覚える」と話した。
(引用おわり)
:明暦3年(1657年)、江戸市街地の大半を焼失した大火事が記録されている。死者数は10万人以上に達したとされ、戦禍や関東大震災の大火を除けば日本史上最大のものだった。
この「明暦の大火」の際、小伝馬町の牢屋敷奉行であった石出帯刀(江戸幕府牢屋奉行長官の世襲役職名)の吉深は、迫りくる火煙で焼死が免れない立場にある罪人達を哀れみ、大火から逃げおおせた暁には必ず戻ってくるように申し伝えた上で、罪人達を一時的に解き放つ「切り放ち」を独断で実行した。
罪人達は涙を流して吉深に感謝し、結果的には約束通り全員が戻ってきたという。吉深は罪人達を大変に義理深い者達であると評価し、老中に死罪も含めた罪一等を減ずるように上申して、実際に減刑が行われた。
以後、この緊急時の「切り放ち」が制度化され、明治期に制定された旧監獄法を経て、現行の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(刑事収容施設法)にまで引き継がれている。
また実際に、関東大震災や太平洋戦争末期の空襲の折に刑務所の受刑者を「切り放ち」した記録が残されている。
:どうだろうか、受刑者を憎まず、彼らが犯した罪を憎んでみては。昨今の日本人にはそれだけの心の余裕がないのかもしれない。ここでも政治が影響している。
結局、政治が悪いと人々の気持ちにも余裕がなくなり荒んでいく。そして荒んだ気持ちが、社会の弱者のいじめにつながっていく。大人がはじめれば子供もまねる。だから、社会の弱者は国の政治を映し出す鏡だ。
:平等の精神とは、何も重さを丁度になるように量って分け与えることではない。余裕があるものが、余裕のないものに分け与える精神だ。
米国東部マサチューセッツ州には代表的な私立の総合大学が四校ある。ボストン市には、実学を教育理念とするボストン大学(BU)と全米で最初に産学協同の教育プログラムを実践してきたノースイースタン大学(NU)。
チャールズ川を隔てたボストンの対岸ケンブリッジ市には、ニューヨーク州のラッセル工科大学に次いで最古のマサチューセッツ工科大学(MIT)と宣教師の育成校として創立され神学部(divinity school)を中心に発展してきたハーバード大学(HU)。二校はともに、実利より研究教育を重視している。
これら四校は南北に走るバス通り、マサチューセッツ・アベニューで結ばれているばかりか、それぞれが社会に対する使命を分担させながら相互に交流している。
そのうち、ボストン大学では「受刑者のための教育プログラム(Prison Education Program)」をもうけている。
1971年に7代目学長に就任したシルバーは、教職員や学生からの抗議ストライキを起こされたり、反対する理事会を押し切ってバイオテック会社を立ち上げるなど、何かと問題を起こす人物だったが、受刑者のための教育プログラムの推進には熱心だった。
これまでに342人の受刑者が、ボストン大学から名誉ある学士号や修士号を授与されている。
そればかりではない。ハーバー大学はこのプログラムの受講を正規の履修単位に認め、社会学部の学生が受刑者と一緒に刑務所内に設けられた教室で学んでいる。これこそが人間味がある平等の精神だ。
昨年の大震災と原発事故。日本中が疲れきっている状態のなかで、驚くほどの無神経さとバカさ加減で、連日、国会で余興を演じている与野党。その間壁をぬって解体業に走る小沢と島の不動産仲介業をはじめた石原。こういった連中には平等の精神など無用のようだ。
参考:
✩朝日新聞掲載記事「広い海へ出てみよう」
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
✩毎日新聞掲載記事「刑務所の株式会社化を提案」
http://mainichi.jp/select/news/20120626k0000m040042000c.html
✩英文記事「Boston University Prison Education Program(ボストン大学/受刑者教育プログラム)」
http://prisonstudiesproject.org/2011/08/boston-university-prison-education-program/
(引用はじめ)
東京電力福島第1原発事故を受け、福島刑務所(福島市)の受刑者80人余りが東電に住民賠償を請求し、一律8万円の賠償を受けていることが3日、法務関係者への取材で分かった。一部の受刑者が東電から書類を取り寄せ請求。賠償金が支払われたため、所内で口コミで広がったという。
専門家の間では、受刑者に正式に周知されていないため公平性に問題があるとの声がある一方、賠償金の一部は税金が充てられることから「住民と受刑者を同列に扱うことはおかしい」といった異論も出ている。
住民賠償は政府が指定した警戒区域、計画的避難区域などを除く福島県内23市町村の全住民が対象。自主避難したかどうかを問わず、8万円が支払われる。
福島刑務所によると、昨年3月11日の震災当時、女性用の支所も含め計約1700人が収監されていた。
東電は「受刑者も精神的苦痛、被曝(ひばく)の恐怖にさらされたという意味では住民と同じ」として、当時の受刑者全員が賠償対象になると考えていたが、受刑者への周知は見送られた。案内文を送付する場合は刑務所から受刑者の名前などの情報を得る必要があり、プライバシー保護の観点から問題があるとされたためだ。
しかし、一部受刑者が所内で閲覧可能な新聞やテレビで賠償の情報を知り、東電から書類を郵送で取り寄せ、賠償を請求。現金8万円が支払われると、口コミで広がり、80人超の受刑者が次々と請求したという。
福島刑務所は「今後も請求する受刑者が増える可能性は十分ある」としており、全受刑者が請求した場合、賠償額は約1億3600万円に上るとみられる。
NPO法人監獄人権センター副代表の海渡雄一弁護士は「賠償を受ける権利は全受刑者にある。東電と刑務所は、受刑者に賠償請求の方法を伝えるべきではないか」と指摘する。
これに対し、元最高検検事の奥村丈二中央大法科大学院教授(刑事法)は「介護や仕事、学校の都合で避難せずやむを得ずとどまった住民と、移動の自由のない受刑者を同列に扱い、同額の賠償をすることに違和感を覚える」と話した。
(引用おわり)
:明暦3年(1657年)、江戸市街地の大半を焼失した大火事が記録されている。死者数は10万人以上に達したとされ、戦禍や関東大震災の大火を除けば日本史上最大のものだった。
この「明暦の大火」の際、小伝馬町の牢屋敷奉行であった石出帯刀(江戸幕府牢屋奉行長官の世襲役職名)の吉深は、迫りくる火煙で焼死が免れない立場にある罪人達を哀れみ、大火から逃げおおせた暁には必ず戻ってくるように申し伝えた上で、罪人達を一時的に解き放つ「切り放ち」を独断で実行した。
罪人達は涙を流して吉深に感謝し、結果的には約束通り全員が戻ってきたという。吉深は罪人達を大変に義理深い者達であると評価し、老中に死罪も含めた罪一等を減ずるように上申して、実際に減刑が行われた。
以後、この緊急時の「切り放ち」が制度化され、明治期に制定された旧監獄法を経て、現行の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(刑事収容施設法)にまで引き継がれている。
また実際に、関東大震災や太平洋戦争末期の空襲の折に刑務所の受刑者を「切り放ち」した記録が残されている。
:どうだろうか、受刑者を憎まず、彼らが犯した罪を憎んでみては。昨今の日本人にはそれだけの心の余裕がないのかもしれない。ここでも政治が影響している。
結局、政治が悪いと人々の気持ちにも余裕がなくなり荒んでいく。そして荒んだ気持ちが、社会の弱者のいじめにつながっていく。大人がはじめれば子供もまねる。だから、社会の弱者は国の政治を映し出す鏡だ。
:平等の精神とは、何も重さを丁度になるように量って分け与えることではない。余裕があるものが、余裕のないものに分け与える精神だ。
米国東部マサチューセッツ州には代表的な私立の総合大学が四校ある。ボストン市には、実学を教育理念とするボストン大学(BU)と全米で最初に産学協同の教育プログラムを実践してきたノースイースタン大学(NU)。
チャールズ川を隔てたボストンの対岸ケンブリッジ市には、ニューヨーク州のラッセル工科大学に次いで最古のマサチューセッツ工科大学(MIT)と宣教師の育成校として創立され神学部(divinity school)を中心に発展してきたハーバード大学(HU)。二校はともに、実利より研究教育を重視している。
これら四校は南北に走るバス通り、マサチューセッツ・アベニューで結ばれているばかりか、それぞれが社会に対する使命を分担させながら相互に交流している。
そのうち、ボストン大学では「受刑者のための教育プログラム(Prison Education Program)」をもうけている。
1971年に7代目学長に就任したシルバーは、教職員や学生からの抗議ストライキを起こされたり、反対する理事会を押し切ってバイオテック会社を立ち上げるなど、何かと問題を起こす人物だったが、受刑者のための教育プログラムの推進には熱心だった。
これまでに342人の受刑者が、ボストン大学から名誉ある学士号や修士号を授与されている。
そればかりではない。ハーバー大学はこのプログラムの受講を正規の履修単位に認め、社会学部の学生が受刑者と一緒に刑務所内に設けられた教室で学んでいる。これこそが人間味がある平等の精神だ。
昨年の大震災と原発事故。日本中が疲れきっている状態のなかで、驚くほどの無神経さとバカさ加減で、連日、国会で余興を演じている与野党。その間壁をぬって解体業に走る小沢と島の不動産仲介業をはじめた石原。こういった連中には平等の精神など無用のようだ。
参考:
✩朝日新聞掲載記事「広い海へ出てみよう」
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
✩毎日新聞掲載記事「刑務所の株式会社化を提案」
http://mainichi.jp/select/news/20120626k0000m040042000c.html
✩英文記事「Boston University Prison Education Program(ボストン大学/受刑者教育プログラム)」
http://prisonstudiesproject.org/2011/08/boston-university-prison-education-program/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます