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エッセイコンテスト 高校生部門最優秀賞「永遠にゼロ」(百田尚樹作品に危惧)

2014-11-23 | Weblog
日本福祉大が主催し文部科学省などが後援者となり、毎年、高校生を対象にしたエッセイコンテスが開かれている。
 
テーマは「わたしと福祉」。今年の第12回コンテスでは、全国227高等学校から9387通の応募があり、うち第四分野”社会のなかの「どうして?」”においては、盈進高等学校二年の女子高生の作品「永遠にゼロ」が最優秀賞に輝いた。
 
書評にはこうある。”小説『永遠の0』を読んで感じた作者の疑問。。。。「現在はもはや戦後ではなく、すでに『戦前』ではないだろうか」という言葉が高校生から出てきたことに驚き強いインパクトを与えています”と。
 
つまり、この高校生は右翼の百田尚樹の作品がもてはやされる今の日本の社会風潮こそが、すでに軍国主義的な戦前の日本にむっかっているしるしだと感じ取っているのである。まさにあっぱれな高校生である。
 
(引用はじめ)
多くが「感動した」と言う。私はすっきりしない。本のタイトルは『永遠の0』。

「急降下の直前、三人の搭乗員は私に向かって笑顔で敬礼しました」「彼らの笑顔はすがすがしいものでした。死にいく人間の顔とは思えませんでした」(『永遠の0』/百田尚樹/講談社文庫/2009年/85頁)。
 
私は瞬間的にその後のことを想像した。極限の恐怖ってどんな感覚なのだろう。遺体は無残で、海をさまよったのではないか。敵艦にも死者がいただろうに。家族や生き残った仲間はその死をどんな思いで受け止め、どのような葛藤のなかで生活してきたのか・・・だが、この本にはわずかな記述しかない。

特攻隊員の遺書を三○編ほど読んだ。圧倒的に両親や家族に心を寄せている。「お父さん、お母さん、大変お世話になりました。もう思い残すことはありません」(『知覧特別攻撃隊』/村永薫編/ジャプランブックス/1989年/52頁)。胸がつまり、涙があふれた。ただ、本当にそうなのだろうかと、悩んだ。
 
「そんな時代だった」のである。でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う。
『永遠の0』。「ゼロ」は、「絶対的」という意味であろうと、私は理解する。すなわち、大日本帝国が誇った零戦の「ゼロ」に音を重ね、米軍戦艦に「十死零生」(絶対に死ぬという意味)で体当たりした特攻隊の方々の(絶対的な)無償の愛をテーマにしたのだと思う。
 
本はよく売れ、映画もヒットした。私はその状況と、ヘイトスピーチなどの排外的社会現象や集団的自衛権をめぐる政治は無関係ではないと思う。現代社会は戦後六九年にして、凄惨な死を忘れ、単純で美しいものにあこがれているのかもしれない。であるなら、現在はもはや戦後ではなく、すでに「戦前」ではないだろうか。
 
太平洋戦争におけるアジア各国への加害も含め、亡くなった尊い命の犠牲の上に、私たちは平和憲法を手にし、現在の日常が成り立っている。
「戦争を永久に放棄する」。私はこの永遠の誓いに勇気づけられ、誇りを感じる。しかし今、私たちがこれを放棄するなら、あの尊い命の犠牲は「永遠にゼロ」となろう。
(引用おわり)
 
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