「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」の映画監督フランシス・コッポラさんの試練についての心に残るお話です。
――フランシス・コッポラは、マーロン・ブランドを起用した「ゴッドファーザー」から始まって、その当時、今から何十年も前ですが、600億円ぐらいの収益を得ました。普通だったら、600億円もあれば、監督としてそれなりの人生を安楽にやっていけるはずです。
私がお会いしたのは、ちょうど「地獄の黙示録」をつくり終えたときでした。あの作品はマーロン・ブランドがすっかり太ってしまって、人身事故もあった。撮影が予定よりもずっと長くかかって、費用がどんどんかさんでいく。フランシス・コッポラは自宅も別荘もすべて抵当に入れて、すばらしいスタジオも持っていたのですが、それも抵当に入れて、おカネを借りて撮影したわけです。
アメリカのヒューストンは石油が出る町で、大富豪の子どもたちと、非常に貧しいこどもたちという格差のある社会でした。そこの女子高校生が『アウトサイダー』という小説を書いてコッポラのところに持っていって、これを映画化してくださいと言った。コッポラはそれを読んで感動して、シナリオを書いて、それを撮っていたときですから、ヒューストンまで行きました。
コッポラは資産を全部抵当に入れた中でつくっていたので、ヒューストンの学校の夏休みの校舎を撮影場所にして、黒板を使いながら撮影していました。あのとき、彼はいろんな若者を起用しています。トム・クルーズなど、あのとき起用した俳優たちが後でスターになっていっているのです。(略)
私がタクシーに乗ったとき、タクシーの運転手が、「きのうまでコッポラさんはタクシーを50台使っていたんです。でも、きょうから25台になりました」という話でした。撮影現場に着いたら、「ゴッドファーザー」でアカデミー賞を取った撮影スタッフが一緒にやっていました。
コッポラさんとの対談をその現場ですごく不安定な高い椅子に座って、向き合ってやったのですが、「コッポラさんにとって最も感動的な瞬間は何でしょうか」と聞きましたとき、「それは何といっても、壁にぶち当たったときです」と言うのです。試練を受けてにっちもさっちもいかない。壁にぶち当たる。ここからどうしようかと思う。壁にぶち当たらないような人生だったら意味がないとおっしゃったのです。
その日にコッポラさんは、自宅を競売で手放された。スタジオも競売にかけられて失った。持っているもの全部失ったときなのです。しかも、きのまではタクシー50台使っていた人が、25台になった。現金もほとんどなくなってきていたからでしょう。そういう中でコッポラさんは、試練にぶち当たって、そこからはい上がろうというときこそ人間の真価が出てくる。過去のあらゆる知識、体験を思い出し、今もっているビジョンを生かして、その壁を何とかはい上がろうと努力する。それにかけて、本当に汗水流して頑張ってそこをはい上がったとき、自分が1次元高い世界に上がったような感覚になると言われました。――
ちなみに、ここに出てくる「私」は中丸薫さんです。
(出典:ヒカルランド刊『さあ、宇宙人の声を聞きなさい』)
以上
――フランシス・コッポラは、マーロン・ブランドを起用した「ゴッドファーザー」から始まって、その当時、今から何十年も前ですが、600億円ぐらいの収益を得ました。普通だったら、600億円もあれば、監督としてそれなりの人生を安楽にやっていけるはずです。
私がお会いしたのは、ちょうど「地獄の黙示録」をつくり終えたときでした。あの作品はマーロン・ブランドがすっかり太ってしまって、人身事故もあった。撮影が予定よりもずっと長くかかって、費用がどんどんかさんでいく。フランシス・コッポラは自宅も別荘もすべて抵当に入れて、すばらしいスタジオも持っていたのですが、それも抵当に入れて、おカネを借りて撮影したわけです。
アメリカのヒューストンは石油が出る町で、大富豪の子どもたちと、非常に貧しいこどもたちという格差のある社会でした。そこの女子高校生が『アウトサイダー』という小説を書いてコッポラのところに持っていって、これを映画化してくださいと言った。コッポラはそれを読んで感動して、シナリオを書いて、それを撮っていたときですから、ヒューストンまで行きました。
コッポラは資産を全部抵当に入れた中でつくっていたので、ヒューストンの学校の夏休みの校舎を撮影場所にして、黒板を使いながら撮影していました。あのとき、彼はいろんな若者を起用しています。トム・クルーズなど、あのとき起用した俳優たちが後でスターになっていっているのです。(略)
私がタクシーに乗ったとき、タクシーの運転手が、「きのうまでコッポラさんはタクシーを50台使っていたんです。でも、きょうから25台になりました」という話でした。撮影現場に着いたら、「ゴッドファーザー」でアカデミー賞を取った撮影スタッフが一緒にやっていました。
コッポラさんとの対談をその現場ですごく不安定な高い椅子に座って、向き合ってやったのですが、「コッポラさんにとって最も感動的な瞬間は何でしょうか」と聞きましたとき、「それは何といっても、壁にぶち当たったときです」と言うのです。試練を受けてにっちもさっちもいかない。壁にぶち当たる。ここからどうしようかと思う。壁にぶち当たらないような人生だったら意味がないとおっしゃったのです。
その日にコッポラさんは、自宅を競売で手放された。スタジオも競売にかけられて失った。持っているもの全部失ったときなのです。しかも、きのまではタクシー50台使っていた人が、25台になった。現金もほとんどなくなってきていたからでしょう。そういう中でコッポラさんは、試練にぶち当たって、そこからはい上がろうというときこそ人間の真価が出てくる。過去のあらゆる知識、体験を思い出し、今もっているビジョンを生かして、その壁を何とかはい上がろうと努力する。それにかけて、本当に汗水流して頑張ってそこをはい上がったとき、自分が1次元高い世界に上がったような感覚になると言われました。――
ちなみに、ここに出てくる「私」は中丸薫さんです。
(出典:ヒカルランド刊『さあ、宇宙人の声を聞きなさい』)
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