『馬の瞳を見つめて』渡辺はるみ(桜桃書房)
生産牧場に嫁いだ著者による、馬の現実問題の話。
非常にリアルに率直に、現実が語られています。
また、この著者の現実への立ち向かい方が、壮絶です。
競走馬が引退して再就職できなかったら。
再就職できても後にそこを(怪我や年齢や不適合で)引退しなければならなくなったら。
「食べて供養」で、食肉になるのが良いのか。
しかし、それまで人に愛されて飼われていたものがある日突然、場に送られることを思うと、違和感を覚えます。(これは、「家畜なのかペットなのか」という問題なのだと思います)
では、「不要になったし飼えないし」という理由で、寿命を無視して安楽死か。
これはひどく「人間のエゴ」を感じます。
ならどうするか。
理想を言えば、「全ての馬が天寿を全うするまで、飼う」。
・・・しかし、そんな経済的余裕も、土地的な余裕も、この地球上には無いだろうと簡単に想像がつきます。
私には、答えが出ません。
出ないまま、私は今週も競馬を観ます。
少しでも「理想」に近づければ、と思って、引退馬の里親としてエサ代を出してみたりもしてますが、それでもまだ「何か納得できない、答えの出ないカンジ」は残ったままです。
でも、こうして「答えが出ない」と言っていられるのは、私がただのファンでしかないから。
無責任に「こまったね~なんとかなればイイノニネ~」と言っていられるのは、人生の大半を競馬とは無関係に過ごすからです。
競走馬に係る仕事の人は、おそらく、それぞれになんらかの「答え」を出して、現実と折り合ってるのだろうと思います。
しかし、それらの「答え」は通常、一般人の目には触れません。
わざわざ掘り返すものでもないし、辛い・後ろめたい気持ちが含まれてる場合もあるからだろうと、推測できます。
前置きが長くなりましたが、この本のレビューです。
そんな、競走馬の「その後」について、「生産牧場従事者であるこの著者の出した答え」が書かれている本です。
しかも、分かり易く・率直な意見を。著者本人も自分の行為を、時には「矛盾している」「我がままで迷惑をかけている」等と自覚しながら、自分の育てた「命」の行く末に対して、壮絶なまでに真正面から向かい合っている様子が書かれています。
「かわいい我が子が、劣悪な環境で肥育(食肉用に太らせる)されてある日突然血のニオイのする(馬が自分の死を感じる環境である)場へ連れて行かれたらさぞかし怖い思いをするだろうと思うと胸がつぶれそう。そんな思いをさせるぐらいなら。」と、自らのもとで幸せな日々を送らせてから、死の瞬間が分からないようにまず麻酔薬で眠らせて「最後の薬」を使う。(一般的には、麻酔薬は使われず、馬は苦しんで窒息死するのだそうです。)
この本の始めのほうには、著者がどんなに動物好きかが伝わってくるエピソードが語られています。
馬と写っている著者の写真からも、どれだけ馬を愛している人なのかが伝わってきます。
こんなに動物・馬を愛してる人が、他人に任せず自分でどの馬を殺すかの決心をし、重い遺体を苦労して埋葬している姿は壮絶で、見事だと思いました。
業者に任せて生きてるうちに引き渡して、見えないフリをして心のバランスを保つことだってできるだろうに、この著者は、真正面から「現実」を受け止めていました。
それが、自分の「責任」であると。
馬の寿命を待たずに安楽死させる方法は、賛否両論があるとは思います。
「食べて供養」も、ある意味では、正解なのかもしれません。
どうするのがイチバンか、なかなか答えは出ないでしょう。
ただ、現場にいる人としては悠長に悩んでいる問題ではなく、経済的側面と人道的側面との折り合いをつける何らかの「答え」が早急に必要な問題であり、その答えの具体例を、こんなにも正直にダイレクトに、うすっぺらな理想論ではない現実の話として、私達一般人に紹介してくれているこの本は、とても貴重で有益なものだと思えました。
競走馬の「その後」に興味をお持ちでしたら、一読の価値アリ!な一冊です。
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