春愁
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チューリップ大きく開き別の花 橋本美代子
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まぎれもなくチューリップです。 なばなの里のチューリップ。
今から5年前にはこんなふうに撮っていたんだ。
兎に角、前ボケ後ろボケが面白くて・・・というのが思い出される。
今年はどんな風に撮るの?
さてさて、3月号も角川俳句の入選ならず。
どうした!? 私。
俳句人生始まって以来の低迷状態。
やがてそれは私をいとも簡単に春愁へと導くのでした^^;
そこで、春愁という句をネットで調べていたら、あれ?と思うようなことがあった。
それは、句そのものよりもその作者の名前に目が点になった。
私の句会のメンバーさんと同じ名前である。
まさかとは思いつつ、そのお名前で検索してみるとヒットしたです。
ここまではネットの世界ではよくあることですね。
それが何と、やはり同一人物だと確信したのだった。
それは、救急車の前で微笑んでいる写真。
救急車を寄付して、受け取った側の病院関係者とのツーショットと思われる。
北九州地方にお住いの方。
因みに出身は滋賀県で、生家はかつての近江豪商。
お医者様に嫁がれたようだ。今はご子息に譲られたようだ。
それも句に書いていらした。
なので、救急車の寄付は納得のゆくこと。
この頃は、認知症を患っていらっしゃるご主人のことを毎日のように書いていらしゃる。
「宮家」の「どなたか」の「何らかのイベント」に参加されたこともおありのようで、
それも句にされていた。
確か、「花子」さま関連だったと記憶。
その時の和服の後ろ姿の写真をブログにUPされていたことがある。
俳句すなわち「私小説」・「自分史」ですからね。
時代や背景や毎日の暮らしぶりが自ずと明らかになってくる。
因みに車はベンツに乗っていらっしゃる。
「ベンツから降りて薄を切った」という句を書いて、
「それは変だ・・・」と言うどなたかの句評を目にしたことがあった。
そしたら「私はいつも車の中に鋏を積み込んでいますから」などと反論なさった。
「ベンツ」と書くのもその人の個性で私は好感が持てる。
それにしても、プロの俳人さんの句が並んでいる中にあって、
どうして私たちの句会のメンバーさんの名前がそこにあるのかな。
また新たな疑問が湧いてきたのだった。
全くの同性同名なのかな。
春愁やアロマオイルの小さき瓶 〇〇規子
これがその句である。
という、話。
ネット情報、恐るべし。
春愁から抜け出したい私。
おはようございます。
ベンツ、救急車を寄贈!
どこの話だと思いながら読みました。
お金持ちはどこにでもいるのだなと?
貧乏人には関係ないかとも思います。(笑)
毎年、しゅんしゅうになってしまいます。
お花見に世間が浮かれている時、何故か鬱状態になるのはどうしてでしょう?
木の芽時は特に苦手です。
私も今月号は投句したのですが、ボツでした。
このところ出したり出さなかったり・・12月からは休んでいます。
自分の選句が悪かっただけですよ。
別の句なら・・ということだと思います。
私は、悔しいことに今の暮らしではどうにも句が作れません。
春愁・・思い出があります。
昔、主宰との句会に出ていた頃のこと。
春愁、一度は作りたいですよね。
ということで出したのですが当然ボツ。
主宰のひと言は「あなたには一番似合わない季語よ」
トホホ・・です。以後、春愁の句は作ったことなかったのですが・・
作りました、10年後くらいのリベンジです。
春愁と書き春愁を引き寄する KUMI
主宰の特選をいただきました。私の唯一の春愁の句です。
本当に落ち込んでいる時は使えない季語ですね。
アロマオイル、で良いなら、身の周りに色々ありますねえ。
春愁や書いては消して五七五 駄句
今日は朝寝してしまいました。
昨夜は眠れなくなってしまったからですね^^;
これも春愁の症状だと思います。
私の持っている角川の「合本・俳句歳時記・第三版」には、
季語「春愁」についてこのように書かれています。
「春のそこはかとない哀愁、ものをいう気分をいう。春は人の心が華やかに浮き立つが、反面ふっと悲しみに襲われることがある」
まさに、その通りですね。
これと言っての大した原因はないのに、どこか物憂げになるっていうことでしょうか。
また、身体的にも季節の変わり目は変化が現れるのだそうで、
これは医学的にも証明されているとか。
ですから「精神的な病」とまではいかないまでも、心身ともに変化のある季節とでも言うのでしょうね。
久保田万太郎もこんな句を残しています。
「玉川をみにゆくことも春うれひ」
多摩川じゃないの?って一瞬思ったので調べてみると、玉川大学もあるし、秋田の玉川温泉もあるようです。
ま、そんなことはどうでも良いことですが^^;
ということで、他愛もないことで物思いにふける心の状態のことを言うのですね。
目に見えない生活状態のことを言うので、
何か具体的に物をださないと句としては成り立たない、ということで、
私はケトルの笛吹きの音をかいて投句しておきました^^;
あと1句も出来てストックしてあります。
春愁は、気にするほどのことでもないんですね^^v
はい、KUMIさんのお名前も発見することができないのでした。
今は、作句どころではないのかもしれませんね。
が、しかし、
春愁と書き春愁を引き寄する KUMI
という御句のことはブログにも書いていらしたので鮮明に憶えていますよ♪
いいなぁ~こういう発想が出来るなんて。
私はこういう発想の句が実は大好きなのです。
私の先生の句風とは違いますから投句したことはないのですが。多分、酷評^^;
KUMIさんには春愁が似合わない?
的確な主催のお言葉ですね^^v
で、私も昨夜は2句ばかり作ってみました。
ほんと、アロマオイルで良いなら、と思い付きです。
「夫婦茶碗」と「ケトルの笛吹き」で^^;
佳句にはならない気がしています^^;
KUMIさん、お疲れが出ませんようにと願っています。
私はご主人さまの声だけは存じていますから^^v
お見舞い申し上げます。
どうか励ましてお世話をして差し上げてくださいね。
春愁や句友の愁ひそこはかと 駄句makoでした^^;
選考、第三者の感性から選ばれるもの、
自分が良いと思っていても…ということは多々ありますね。
僕は写真を始めてからは、随分と自分の殻にこもっていました。
写真展や、コンテストに出すというようなことは、ここ数年の事です。
スランプかなと思うことも多々あります。
そんなときは低迷だとは思わず、好きなことを楽しまれるという姿勢で良いのではないでしょうか。
makoさんの場合は実力がおありなのですから、結果はまた現われ始めると思いますよ。
今年も春が早くやってきそうですね。
僕にも春の愁いがやってくることでしょう。
いつも励ましのお言葉ありがとうございます。
写真と俳句の共通点を私なりに考えてみました。
そのどちらも「ハッ」とする「発見」があること。
例えどんなに技術的なものが備わっているとしても、
はっと出来るポエムがそこにないと心に入ってこないですね。
それが証明されたのがke-nさんからいただいた年賀状でした。
極寒の樹氷のお写真の中の左上に何かしらの光が入っていました。
その光には光だけの暖かさだけではない何かを感じたのですね。
そのあたりをブログで確か書かせていただいたと記憶しています。
そしたら、その光が「ブロッケン現象」だと回答してくださっていましたね。
貴重なお写真だと後に気がつく、知識は皆無の私です^^;
ですが、暖かさを感じたのはそのお写真に「ポエム」があったからこそだと。
そこには構図、光の取り入れ具合など全ての条件が整っていたとしても、
ポエム化できるかどうかは撮られた人の感性以外何物でもないと私は感じています。
例えば、図鑑の写真だって技術的に整ったものであるし、その被写体の全体がどんなものであるかは明白に知らせてくれます。
ですが、偉そうに言うのですが、そこに、
「ポエム」を感じられないのです^^;
図鑑は図鑑として立派なものですから図鑑的撮り方を否定しているものではありませんので念の為にですね。
勿論、ke-nさんは私の言うことは理解しいていただけるものと思っていますが^^;
俳句も五七五の中に、「ハッ!」とする「発見」があるのなら1句を成し得るのだと信じています。
それは写真との共通点だとも^^v
春愁。
深刻なものではないことは確かですね。
時期がくれば自然に解消されていきますものね。
私は花粉症と相まって、春愁に突入です^^;