makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

花吹雪撮れずして花終りけり

2021-04-04 | 日記

♪♪・・・

 

久しぶりにフォトチャンネルを作ってみました。

3、4日前にゴミを捨てに行って見つけて。これはアケビの花だと思いますね。正解でしょうか^^?  ^^;     

アケビの花

さて、花(桜)もあっと言う間に散ろうとしています。今年は早かった。なかなかこれはいいね、というのは平地では撮れていません。本来は山桜が好きなんです。やはり山間の里で育ったからでしょうね。山桜は葉と花が同時に観られる花です。

思い出したのがイヌナシの花が咲いている池の畔です。ここはナイスタイミングでしたが、こんんなもので^^; これは赤い葉の山桜です。

そんな思いが叶ったかのような嬉しいことがありました^^♪ それはまた後にゆっくり書きたいと目論んでいます^^♪

で、花吹雪を撮り残しているし、インスタに使うべく花吹雪の写真がない、ということで昨日も出かけていたのですが思うようなシチュエーションの出会えず終い。時々道路の上を転がってゆく花びらはあるのですが、それさえもタイミングをはずすし、それではねぇ~・・ってことで諦めた。シャッター速度も決めて構図もイメージして行ったのだけど。

どうして、そこまで花吹雪に拘るかと言うと、以前にも載せた記憶があるけど、俳句とのコラボに使いたかったから。仕方がないので、2018年のものを使ってインスタUP。写真もキャプションも素敵なマドンナさんが、早、コメントくださってありがとうございました^^♪

句意については以前に書いたので省きますが、俳句は気持ちは前に出さずに、季語や物に托す、それが俳句です、と指導されてきましたので「季語頼みの句」ということです。

ということで、カメラ徘徊して帰ってて、夕方からは観劇に行ってきました。久しぶりの観劇でした。いや~久しぶりに感激しました、観劇だけに^^v

 



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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-04-04 12:41:17
>俳句は気持ちは前に出さずに、季語や物に托す、それが俳句 

これが難しいんですよね。
短い語数で伝えねばと思うと、ズバッと言いたくなりますね、
季語とは俳句をやっていらっしゃる方の間に通じる意味合いがあるんですよね。

その意味合いや雰囲気を察するには、有名な俳句に触れたり、句会のような所で身につける・・・ことが必要なのかな?とりあえず毎日楽しみながら試みていますが。。。うまくなるのは難しいです。
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座布団1枚! (fukurou)
2021-04-04 18:14:45
mako様
こんばんは。
笑点風に座布団1枚です!
何を観て来たかも、次回のブログですか?(笑)
最近の写真はインスタ用の写真を撮るために走り回っている?
そんなことないですよね!(笑)
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☆ たぶん、sakeさんね^^ (mako)
2021-04-05 00:49:42
こんばんは。

>短い語数で伝えねばと思うと、ズバッと言いたくなりますね。

ほんとにそうなんです。ズバッと言えて上手い冨合に着地出来たと思ったら、「それは川柳」ですと言われたそうです。
これ、実は、私の俳句のきっかけを作ってくれた先輩が先生によく言われたことなんですよ。
先輩は四日市から名古屋まで川柳教室に通っていたそうです。
主に時事川柳みたいだったそうです。
その癖が抜けないまま俳句に入っていったものだから
「これは川柳です」と先生が。
要するに、立派なことを書くのは俳句ではないのですね。
季語こそ使っているものの、想いをズバッと書いたら「川柳」で、「詩を壊してしまう」のだそうです。
これは、私も書かれました。
俳句をやるからには、季語の意味を熟考して、例えば季語に5文字を使ったら12文字で物語を書くということになる訳です。
俳句には二つの型があって、「一物仕立ての句」と、「取り合わせの句」。
今回の「花吹雪」の句について言えば、「取り合わせの句」になりますね。
「花吹雪」と、「母には晩年がない」と言うのはなんら関係ない話で成り立っています。
花吹雪・母に晩年なかりけり
花吹雪という季語に対して、母に晩年がない、ということはなんら関係ない物語から成り立っている句なんです。
これを取り合わせの句と言います。
プレバトでもよく「発想を飛ばす」ということで佳句になっている句を見かけます。
発想をうんと飛ばしているものの、季語の持つ意味もちゃんと相まっている句は上手いなぁと思います。
インスタにUPしてあるのは、句意も少し書きましたが。
でも、この花吹雪を「とんでもない季語を斡旋したとしたら、どうなるでしょうか?
花吹雪=「花の命は儚い」=母の一生も儚いものだった。
そんな兼ね合いがあります。付かず離れずの季語を斡旋することで1句の形を成し遂げている訳ですね。
いっそ、あーだこーだと色々書きたいところですが敢えて、何も言わない、「それが俳句なのです」
・・ということで、俳句の先輩が川柳に長けていたので調整するのは難しいことだったと思います。
ですが、もともと文章能力に長けている人なのでコツをつかんで、謙遜になって、訓練の成果で俳句の方でも角川に入選していました。同じ句会でいたから記憶にあります。
私の場合は、川柳っぽいとはちょっと違っていて、・・何て言うのかな、「饒舌」過ぎるかな、そんなことも書かれました。
17文字で書いてるのに、これが饒舌?
何よ!
そんな感じで負けず嫌いの性格が功をそうして。
それでも、謙遜に先生の指導を受けいれたこともあって入選したら、先生の指導の意味が判りました^^;
それが毎日訓練するものですから上達も早かったですね。
仕事から帰って、7:00までの投句に、ご飯を作りながら色々考えたものです。
それは私の身の守りでもあった訳です。
余分なことをくしゃくしゃ、どうにもならないことをくしゃくしゃと考えないで済んできたのです。
俳句に感謝、自分史を書くことができて感謝。

いじめられっ子が登校できなくなって、俳句と出会って、認められたことに寄って、いじめっ子が謝罪にきたというエピソードもあるそうです。
表現はその人にあったやり方でよいと思いますね。
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☆ fukurouさん (mako)
2021-04-05 01:03:15
こんばんは。

あはは~座布団ありがとうございます^^!
そう、観劇の内容は次回にでも。
ちょうど今夜そのパンフレットが手に入りましたからね。
それをUPしながら書く予定です。
インスタ用の写真は、今回の句の為に撮りたかったものですが、
よくよく考えると、これで良かったと思います^^v
桜もひと段落したので暫くは間をいれようかなと、
でも、紅シジミも活発に飛び回っていますからね。もっと草花が増えてくれば毎日でも出かけたい^^♪
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