makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

金ぴかの置時計

2018年05月20日 | 日記

今日の一枚

         横顔美人   ♪

今週末には定期検診。

ところが合併でもって一か所の病院に三か所の病院が統合されることになった。

この五月からのこと。

今回はその一回目の検診である。そうなると、今までみたいな調子ではなくなる。

先ず、駐車料も有料化。手続きをすれば無料化になるらしいけど。

益々時間が必要。あっちこっちと、広い病院をウロウロしなくてはいけない予想。

その手順を書いた説明書までいただいている。

シュミレーションしておこう^^;

そして、もしかしたら、仕事、ちょっと遅れるかもしれないと頼んでおいてある。

 

さて、合併となった一つに市民病院がある。

近くに住んでいる知人がこう言った。

廃墟と化した病院は夜になると、不気味。

出るものも出るらしい・・^^;  とか。

私の出産や実父や養父もお世話になった病院である。

時を同じくして、実父と養父が同じ病棟の同じ階の部屋に入院していたこともあった。

二人の父を同時に見舞うことは当たりまえであった。

ま、色々、複雑な思いが交錯したことが思い出される。

先ず、一番に養父を見舞うようにした。

実父に関しては、ついでのように見舞った、振舞った、そんな記憶がある。

どちらの父にも私の気持ちは見透かされていたに違いない。

 

さて、実父のことについて。

実父の方が早くに退院したのだった。

ある時、実家に行くと、見慣れない立派な置時計が置いてあった。

どうしたのか尋ねると、病院の院長から貰ったのだと言う。

へぇ?なんで?

 

ある時、気晴らしに屋上に上がって行くと、とんでもない場面に遭遇したとか。

今にも飛び降りそうな男性を見つけて父は引きずり下ろしたらしい。

揉み合いになって、どちらも体力の落ちた病人であった^^;

父の説得によって思いとどまった患者さん。

そのことは内密でもって院長先生の耳に入ったとか。

父がどんな言葉でもって慰めたのか知らないこと。言わないし。

 

で、随分、後になって、知ったこと。

父も同じことをしようとしたことがあったと聞かされた。

そこに行商にきた魚屋さんに見つけられて説得されたとか。

その魚屋さんは、母の為にカニを用意してくれた魚屋さんでもある。

間もなく母は逝った。

絶望の淵に立たされた父の衝動的な行動を見つけた魚屋さん。

「残された子供たちはどうする!!」と叱られたとか。

学校から帰った私が戸を開けたとたんに目にしていたら、

今の私はなかったことだったとも。

 

そんな父の説得を受けた患者さん。どんな言葉だったかはおよそ見当はつく。

でも、父自身にもそんな過去があったとはまだその時は知る由もないことだった。

その金ぴかの置時計を見ながら「さすが父ちゃん」と誇らしくさえ思ったことだった。

 

父にそんな過去があったのを知ったのは、

父の命を救った魚屋さんが他界された時だった。

「俺はアレに助けられたことがあった・・・」ぽつりとそう言った。

それから一連のことを聞かされた。

父も弱い一人の人間だったのだ。

父と魚屋さんは友達関係だったけど、その魚屋さんの娘さんと私は同級生。

そんなことは全くもって知らない私たちも偶然に友達関係になっていた。

高校時代の話である。不思議な縁を感じる。

 

病院の統合化による移転の話から、遠い遠い昔話を思い出したのだった。

病院は多くの命を助ける場所だけど命の終末を迎える場所でもある。

色々なドラマが今日も起こっている場所。

そこに通院する身の私だけど、全ての人々に支えられて今がある。

心して通うことにしている、これからも^^v