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まっかちゃんのブログ

シニアが社会を変えよう! 生涯学習、生涯現役、生涯元気
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たおやかで一筋な道

2012-12-17 00:05:00 | 文化・文学・アート
14日、立命館大阪キャンパスで、立命館プロムナードセミナー「木津川 計/優しさとしての大阪文化」第5回「たおやかで一筋な道-森南海子と岡部伊都子のこころ-」を受講しました。内容は以下の通りです。

1、社会化された大阪の女像-”大阪のおばちゃん”の原型
 文芸の中やテレビの中の大阪の女性のイメージが良くなく、それが大阪の女のイメージとなっている。
1)文芸の中の女
 ①小田作之助『夫婦善哉』の蝶子は知恵も才覚もあるが、インテリジェンスがない。
 ②山崎豊子『花のれん』は吉本興業創始者の吉本せいがモデル。直木賞受賞の時に「船場商人のど根性を描きたかった」と述べた。これが大阪の”ど根性”の始まり。
 ③菊田一夫『がめつい奴』のお鹿ばあさんはがめついことで評判。舞台や映画、テレビによって「がめつい」が全国に知られた。
2)テレビの中の女
 ①役者・タレント-浪花千栄子は賢い女性、大屋政子はド派手で有名、和田アキ子は芸能界の女帝、上沼恵美子は西の女帝と呼ばれ奔放な物言い。
 ②歌手-天童よしみ「道頓堀人情」、中村美津子「河内おとこ節」にはど根性の坂田三吉が出てくる。

2、岡部伊都子-日常の機微から大きなものへ
 「おむすびの味」で認められ、日常生活のなかの伝統美をこまやかな感性でとらえた作品で人気を得た。戦争や差別にするどい視線を向けた著作もある。
1)『おむすびの味』と女人歳時記『暮しのこころ』
2)美なるものへの憧れ-『観光バスのいかない・・・・』から出発
3)『あこがれの原初』と差別への開眼
4)沖縄-鎮魂と反戦への祈り

3、森南実子-流行に背を向け、小さきものへ
 リフォームのデザイナーとなり手縫いやリフォームを推奨し、手縫いの伝統をたずねて全国各地を歩く。身障者のためのデザインや点字の洋裁手引き書なども手がける。『千人針』の著作がある。
1)「リフォーム」の編み出しと「もたいない」の先駆け
2)少数派への視座と千人針への痛恨
3)沖縄-再生と平和への願い

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理想主義と人間愛

2012-10-29 00:15:13 | 文化・文学・アート
26日、立命館大阪キャンパスで、立命館プロムナードセミナー「木津川 計/優しさとしての大阪文化」第4回「理想主義と人間愛-手塚治虫と山田洋次の世界-」を受講しました。内容は以下の通りです。

1、文化の主人公―その国民的人気のベースは何か
 文化の各ジャンルで国民的な支持を得たのは、平和主義、優しさ、そして気配りである。
1)漫才-秋田実の笑いの平和主義
 「低俗で卑猥」といわれた万才を否定、「無邪気」な内容に改革した。「生活の日常性」を素材に笑いの現代化を図った。「家中だれもが安心して笑える笑い」、即ち、笑いの平和主義を確立した。
2)喜劇―慰めと励ましの喜劇王・藤山寛美
 松竹新喜劇は市井にあって平凡、喝采は浴びず、認められることもなく愚直に生きる、そんな人たちに支えられていた。松竹新喜劇は残酷な笑いを決して生み出さなかった。いつも弱者の立場に立った芝居づくりを貫いた。
3)漫画―全世代に支持された「サザエさん」
 国民的人気漫画になぜ「サザエさん」がなったのか。
 ①荒唐無稽を描かず、平凡な市民の生活の日常を一貫して描いた。②一家をまとめる家長はいず、それぞれが相手に気配りの気づかいを働かせつつ幸せな家庭を営んでいる。③活発で賢明な女性像を擁護した。④暴力を排し、セックスを描かず、奇怪なものへの関心を示さなかった。読者は「家中だれもが安心して笑える笑い」を楽しんだ。
4)歌―「20世紀の日本人を感動させた歌」(NHK調べ)
 上位10曲はテーマが願望や恋愛、追悼や旅立ちで占められていて、歌詞はほとんどが平穏や希望や思慕、愛情や純真といった内容が歌われている。
 ①川の流れのように(美空ひばり)、②いい日旅たち(山口百恵)、③神田川(かぐや姫)、④高校三年生(舟木一夫)、⑤アジアの純真(パフィー)、⑥いとしのエリー(サザンオールスターズ)、⑦荒城の月、⑧秋桜(山口百恵)、⑨赤とんぼ、⑩LOVELOVE LOVE(ドリームズ・カム・トゥルー)
5)アニメ―「こころ優しいラララ科学の子」の「鉄腕アトム」
 21世紀をロボットと共存する世紀と予測した手塚治虫は、人間がロボットを支配しての共存であり、決してロボットに支配される世紀ではない。として「ロボット法」の枠内でアトムを活躍させ、人間の尊厳を守り抜こうとした。
6)映画―大阪人の原型としての寅さんの人情
 「男はつらいよ」はなぜ国民的映画になったか
 ①失われた家族の思い出と人情、②失われた自然の慰めと”殺風景”のい否定、③自由人への憧れ―高度管理社会からの自由、④失恋を約束された寅さんの慕情、⑤主題歌「奮闘努力の甲斐もなく」

2、なぜ優しさとしての大阪文化なのか
 大阪の歪められたイメージを一日も早く払拭したい。大阪のイメージを良くするために心優しい文化を!
1)歪められた大阪像
 がめつい、ど根性、どケチ、ど派手、吉本・タコ焼き・タイガース、大阪のおばちゃん
2)社会化した大阪人観
 ①ど根性型-坂田三吉、東洋の魔女 ②破廉恥型―大日本どケチ教教祖・吉本晴彦、猥褻知事・横山ノック ③権力型への脚光―島田紳助、橋下徹
3)「ど根性文学」群の片隅にあった「帝塚山派文学」
4)原型の大阪像―「人情」と「含羞」
 太宰治は文化とは「はにかみ」(=含羞)であると言った。
5)生粋の大阪人・手塚治虫と大阪出身の山田洋次 

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上方落語のあれこれ

2012-06-25 14:58:34 | 文化・文学・アート
22日追手門学院大阪城スクエアで、「大阪文化の深読み講座」の第3回「上方落語のあれこれ」を受講しました。講師は、天満天神繁昌亭支配人の恩田雅和さんです。内容は以下の通りです。

上方落語の発祥 およそ300年前
大阪落語の祖である米沢彦八が大阪生國魂神社境内で辻噺を行い、京都落語の祖である露の五郎兵衛が京都北野天満宮で辻噺を行ったのが上方落語の発祥。
現在、250人の落語家がおり、内20人が上方落語協会に所属していない。

定席の発祥 およそ200年前
初代桂文治が坐摩神社境内に小屋を建て、そこで連日落語を演じるようになったのが定席の始まり。

上方唯一の定席・繁昌亭 天満という土地
59年ぶりに上方落語の定席が復活した。明治時代天満には8軒の寄席があり、「天満八軒」と呼ばれていた。桂三枝会長は吉本興業の影響のない梅田、なんばでなく天満を選んだ。しかし、天満八軒の内の1軒を吉本せいさんが買っていた。
大阪天満宮が土地を提供し、建物は寄附(2億4千万円)で建てた。繁昌亭の天井には寄付した人の名前を記述したちょうちんが約6000個。

東京の定席の現状
鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場と国立演芸場の5軒。

江戸落語と上方落語の違い
見台・膝隠し・小拍子の3点セットの小道具とはめものは上方落語特有。上方落語の発生が大道芸であったから小道具が必要。江戸落語は座敷芸であったので小道具は不要であった。お茶子も上方落語のみ。真打制度は東京落語。噺の7~8割は上方落語が江戸へ流れた。

昼席と夜席
昼席は出演者の名前のみでネタを掲載しない。客層・客質を見ながら本題(マクラ-本題-サゲ)を決める。色物を入れる。夜席は独演会中心。土、日に朝席。
休館日は9月の第1土・日(生國魂神社で開催している上方落語ファン感謝デー「彦八まつり」の日)。 

歌舞伎、能・狂言、相撲
いずれも花道がある。花道は別世界(夢と現実)をつなぐ。落語に花道(空間)はなく、時間的(玄関へ入って夢の世界へ、玄関を出て現実へ)。

お見送り(繁昌亭のみ)
昼席で出演者が玄関前に並んで客を見送る(三枝会長のアイデア)。客の感想が聞け、恩田支配人の情報源とのこと。

「時そば」と「時うどん」
東京落語の「時そば」は1人で食べる。上方落語の「時うどん」は2人で食べる。

講義の後、恩田雅和さんと高島幸次さん(大阪大学CSCD招聘教授、追手門学院大阪城スクエア企画アドバイザー)の対談がありました。

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”帝塚山派”の文学②

2012-06-24 14:00:42 | 文化・文学・アート
22日立命館大阪キャンパスで、立命館プロムナードセミナー「木津川 計/優しさとしての大阪文化」第2回「”帝塚山派”文学②‐藤沢桓夫、杉山平一、以倉紘平の文学-」を受講しました。内容は以下の通りです。

1、再びなぜ「帝塚山派」を措定するのか
1)都市格の高い大阪のために-宮本憲一氏の論考『世界』2012年7月号
 「下司の街」からの脱皮を考え、都市政策の目標を、都市格のある街と言ってきた。
 1992年11月、大西正文大阪ガス社長は大阪商工会議所会頭就任に際して「都市格の向上」を会議所の基本方針とした。しかし、その後の財界はこの方針を具体化できなかった。
 大阪府は黒田了一知事の時代に全国で初めて文化政策を府政の主要施策の一つにした。しかし、バブル崩壊後の景気政策の失敗で自治体財政が窮乏してくるとこの動きが制約された。
 木津川さんも、「大阪の発展のためには文化の振興以外にない」と警告した。しかし、橋下市長は府政と同様に学術・文化事業をコスト・カットの目玉にしている。このままでは「都市格」は死語にされてしまい、大阪は「下司の街」から脱却できないかもしれない。

2)人格と都市格-”がめつい都市”から”含羞都市”へ
 人格を形成するにゆたかな教養が用件であるのと同様に、都市格を高める要件はゆたかな文化の他ならない。
3)「都市格」を否定する流れ
 府市統合本部の特別顧問、上山信一慶応大学教授、「今時、計画経済みたいなビジョンを語っても仕方ない。『大大阪』や『都市格』も死語にすべきだ」。

2、帝塚山派の文学①-前回の続き
1)阪田寛夫「音楽入門」「土の器」「足踏みオルガン」「ロミオの父」「童謡出てこい」「わが小林一三-清く正しく美しく-」
2)長沖一「上方笑芸見聞録」

3、帝塚山派の文学②
1)藤沢桓夫「新雪」「大阪五人娘」「大阪自叙伝」
2)杉山平一「橋の上」「傾斜」「私の大阪地理」「マッチ」「夜学生」「窓」「ミラボー橋」
以倉紘平は次回。
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大阪の宗教空間

2012-05-14 14:38:57 | 文化・文学・アート
11日追手門学院大阪城スクエアで、「大阪文化の深読み講座」第2回「大阪の宗教空間」を受講しました。講師は、大阪城天守閣研究主幹 北川央さんです。内容は以下の通りです。

1、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)坐摩神社(いかすりじんじゃ)
・生國魂神社と坐摩神社は伊勢神宮成立以前のわが国の国家神。生國魂神社は「大八洲(おおやしま)の(みたま)」すなわちわが国の土の霊魂を祀り、坐摩神社は「大宮地(おほみやどころ)(みたま)」、すなわち大王(天皇)の宮殿が営まれる土地の守護霊を祀る。両神社の祭神は、「宮中神卅六座(きゅうちゅうのかみさんじゅうろくざ)」に数えられ、宮中においても、「生島の巫(いくしまのかんなぎ)」「坐摩の巫(いかすりのかんなぎ)」と呼ばれる専門の巫女が」いて奉仕した。
生國魂神社は、大化の改新(645)で孝徳天皇が遷都した難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)の近傍に鎮座し、室町時代後期には現在の大阪城地にあった大坂(石山)本願寺に近接して鎮座した。
・羽柴(豊臣)秀吉による大坂築城、それにともなう城下町建設、また大坂城の拡張工事などによって、生國魂神社も坐摩神社も遷座。
・坐摩神社の社地は同神社の「行宮」となり、江戸時代の大坂城本丸には生國魂神社の神木とされる「生玉の松」があった。

2、四天王寺とその周辺
・四天王寺は聖徳太子により創建された。南大門・中門・五重塔・金堂・講堂が南北に一直線に並ぶ伽藍で、配置は四天王寺式伽藍配置と呼ばれる。本尊は救世観音。
・多くの子院と周辺には七宮が鎮座。
・太子信仰の聖地。
・浄土信仰の聖地。

3、熊野神社と渡辺別所
・渡辺津を起点とする熊野街道。
・上町台地には、窪津(渡辺)王子、坂口王子、郡戸王子、上野王子、安倍王子が鎮座。
・渡辺津にあった渡辺浄土堂は、重源が諸国に設けた七別所の一つである渡辺別所の中心施設。⇒渡辺津から四天王寺周辺に至る上町台地一帯が浄土信仰の聖地になった。

4、浄土真宗の本拠
・明応5年(1946)本願寺八世蓮如が現在の大阪城地に大坂(石山)御坊を建立。この大坂御坊はやがて本願寺本山となり、大坂は本願寺王国の首都に。
・大坂本願寺は10年にわたる織田信長との戦争の結果、大坂を退去。紀州鷺森、泉州貝塚を経て、天正14年(1586)にはいちど大坂
・天満に戻ってくるが、文禄元年(1592)京都・七条堀川(現、西本願寺)に移転。江戸時代には、船場の西本願寺津村別院(北御堂)、東本願寺難波別院(南御堂)が浄土真宗の拠点。

5、寺町
・羽柴(豊臣)秀吉の大坂築城にともなう城下町建設で成立。わが国初の「寺町」。
・圧倒的多数を占める浄土宗寺院。一方で、浄土真宗寺院が一ケ寺もないのが大きな特徴。
・都市巡礼の場。
・さまざまな庶民信仰の場。
・七墓巡り。
講義の後、北川央さんと高島幸次さん(大阪大学CSCD招聘教授、追手門学院大阪城スクエア企画アドバイザー)の対談がありました。

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