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まっかちゃんのブログ

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<大阪城天守閣>はなぜ再建されたのか

2011-10-29 23:42:44 | 社会・経済
28日、立命館大阪キャンパスで、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/大阪学講座」4回目の「<大阪城天守閣>はなぜ再建されたのか-陸軍の制圧から大阪城址を奪回した関一(せきはじめ)―」を受講しました。内容は以下の通りです。

大坂城は、大坂冬の陣・夏の陣、鳥羽伏見の戦いで二度焼失した。その跡地へ、明治新政府は大阪鎮台を置く(1871年)。1888年に大阪鎮台は第四師団司令部になった。かっての城内へ市民は立入れなかった。

1928年(昭和3)7月、関一は御大典記念事業として大阪城再建議案を市会に提案した。再建事業の内容は、工費約70万円で大阪城跡地に大阪城公園を設け、鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣を築造し、公園道跡を設け、工費80万円で鉄筋コンクリート造の第四師団司令部庁舎を移転改築するものであった。

議案は同年7月議会で可決された。事業費150万円、そのすべてを関は「広く一般市民の篤志に待つ」といった。一銭の負担も大阪市はしない。各区役所に設置された推進委員会に前例のない規模の寄付申込者が相次ぎ、半年足らずの間に法人・個人を合わせて78250余件の寄附申込がなされ、目標の150万円に達した。

天守閣復興で一番問題になったのは、大阪城内が明治以降軍用地として使用され、特に本丸はその中心部であったこと。しかし、御大典記念事業という錦の御旗があり、軍部も応じざるを得なかった。陸軍と関との間のやり取り(なぜ陸軍から市民の手に取り戻したのか)を関は語っていない。

市長としての関は、市営公園や公営住宅の整備、御堂筋の拡福、地下鉄の建設(現大阪市営地下鉄御堂筋線)、大阪城天守閣の再建、大阪商科大学(現大阪市立大学)の開設など都市政策を実行した。関は大阪の近代化を推進した名市長で、大大阪を実現した。

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大阪の地域特性とその課題

2011-10-21 19:02:37 | 社会・経済
17日、立命館大阪キャンパスで、立命館プロムナードセミナー「大阪・京都文化講座『大阪・京都の風土と景観』」の第1回を受講しました。「大阪の地域特性とその課題」と題して、大阪大学文学研究科・人文地理学教室教授の堤研二さんが講義しました。概要は以下の通りです。

1、統計データで見る大阪の地域特性
 1)人口関係データについて 2)その他の社会データについて 3)地域課題について

2、千里ニュータウンの地域問題
 1)一部の人による別名「千里オールドタウン」 2)人口の減少と高齢化→局地的には過疎地域と同じような現象が見られる 3)ソーシャル・キャピタルを利用した生活の活性化方策→ローカル・ナレッジ 4)住民組織による様々な取り組み

3、過疎地域から学ぶこと
 1)就労、医療、教育、生きがい 2)地域調べ、地域再認識、いまある財産は何か? 3)ソーシャル・キャピタルとしての社会紐帯 4)地域社会の役割、行政の役割

4、残された課題
 1)地域の実態を知るために:統計、実態調査、分析、検証 2)現在~近未来の問題:高齢化、人口現象、経済不況のほか、社会の分断・縮小など

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<地盤沈下>はなぜ大阪で進行したのか

2011-08-14 00:35:49 | 社会・経済
5日、立命館大阪キャンパスで、「木津川 計/大阪学講座」の第3回「<地盤沈下>はなぜ大阪で進行したのか-”大大阪”と戦後経済がもたらせた”沈む大阪”」を受講しました。

講義の内容は以下の通りです。
昭和25年ジェーン台風が襲来し、満潮時高潮と重なり西大阪は大水害に見舞われた。昭和30年代から40年代には「川を埋めよ」の高まりで川が埋めたてられ道路が作られた。大阪は沈下して河川が氾濫するようになった。

住民は自分たちの町が沈んでいるのではないかと不安になった。地盤沈下の原因について複数の説が発表された。
①柔らかい土質が原因(昭和5年時点)
②今村明恒博士の「地塊運動説」
③「地盤沈下について」の岡部三郎博士説
④和達清夫博士の「地下水使用過多説」

和達理論は地下水の使用を制限すれば止まるとしていたが、当時は地下水を多く使う工場の活動を阻害することは不可能であった。しかし、戦争の終わり頃から終戦後にかけて、諸工場がほとんど休止となり、地下水の使用量がずっと減ったことによって証明された。

戦後、経済発展にともない再び地盤沈下が始まった。それは、「地下水使用規制条例」の成果より地盤沈下は鈍化あるいは停止同様の状態になった。

もう一つの地盤沈下、経済の地盤沈下が止まらない。東京―大阪二眼レフ構造論が、今や東京への一極集中となった。大阪をまた再び浮上させるためには、含羞の都市へ。バイオ関連、環境関連、IT関連へ集中すること。
詳細は[こちら]をご覧ください。

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生活と移動を考える

2011-06-30 17:18:09 | 社会・経済
29日、大阪市立大学文化交流センターで、「都市大阪のこれから」の第3回「生活と移動を考える」を受講しました。講師は大阪市立大学大学院都市系専攻教授の日野泰雄さんです。
生活に欠かせない移動。何をどう使えば良いのか、協働の取り組みについて講義がありました。

講義の内容は以下の通りです。
1、大阪の交通を振り返る
2、交通状況の変化と問題
3、交通の新たな展開
4、協働で実現する大きな力
5、上手な移動のヒント

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<漫才>はなぜ大阪発の国民演芸に育ったのか

2011-06-27 23:49:25 | 社会・経済
24日、立命館大坂オフィス主催の「木津川 計/大阪学講座」の第2回「<漫才>はなぜ大阪発の国民演芸に育ったのか-帰郷したプロレタリア作家・秋田実の転換-」を受講しました。

大阪では、昔から「しゃれ」や「ことば遊び」が盛んでした。昭和の初めに、エンタツ・アチャコが登場し、漫才のスタイルを一変させました。ワカナ・一郎も活躍しました。漫才は大阪ローカルから国民演芸になりました。

昭和とともに文化水準が上がり、ラジオ時代が始まり、漫才作家が求められました。吉本興業文芸部には秋田実を中心にインテリが集まりました。秋田実の漫才は、「家中誰もが安心して笑える笑い」でした。「笑いの平和主義」です。

新しい漫才の成立と発展に大きな力となったのが秋田実、長沖一などの作者です。彼らはかって学生運動の闘士であり、反体制運動に参加し、挫折を経験していました。
詳細は[こちら]からご覧ください。

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