たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

本陣山からイモリ山。そして子ノ権現、吉田山経由の遠回りで御嶽神社の紅葉祭りを見に行く。

2017年11月22日 | 奥武蔵の山
◎2017年11月15日(水)

西吾野駅(7:48)……森坂峠(8:14)……本陣山(8:27~8:34)……イモリ山(9:04~9:11)……鉄塔(9:27)……子ノ権現(10:18~10:51)……吉田山分岐(11:11)……小床峠(11:53)……吉田山(12:19~12:43)……御嶽神社(13:00)……吾野駅(13:47)

 先日、伊豆ヶ岳からの帰路で西武鉄道、飯能市等々主催の『おんたけさん東郷公園もみじまつり(11月15日~30日)』のポスターを目にし、行きたくなっていた。12日に行かれた方のブログを見ると、すでに色づいているらしい。
 だが、こういう公園の紅葉狩りだけに行くのもどうか。周辺に歩けそうな山がないかと調べると、イモリ山、吉田山というのがあった。いずれも、HIDEJIさんのブログ(吉田山はこれ)で記憶のある山だ。昭文社マップでは破線ルートになっている。この辺を周回して最後に東郷公園でモミジを楽しむという手が使えそうだ。
 正丸駅に500円駐車場があることを先日知ったが、どこに車を置こうが、周回には西吾野駅と吾野駅の間は電車利用になる。だったら、芦ヶ久保の道の駅を利用すれば駐車代は無料だし、電車代が多少かかってもその方が割安だ。先ずは芦ヶ久保の道の駅に向かう。自宅から正味1時間40分だ。
 芦ヶ久保駅7時34分発の飯能行の電車に乗る。通勤電車に乗るのは久しぶり。この辺では珍しい4人掛けの座席は半分程度の乗車率だが車内は静まりかえっている。今日は登山靴にして正解だった。バスならともかく、長靴や地下タビでは異質な存在になる。先日もそうだったが、電車に乗る前提でのスパイク地下タビ履きはどうもためらわれる。気が小さいせいか。

(吾野駅から車道に下る。あれが本陣山のようだ)


 西吾野駅で降りたのは自分だけ。眺めると、本陣山らしき山が目の前に見えている。今日は午前中は雲が多いようで、すっきりするのは午後からの予報だ。秩父市内では霧が立ち込め、一時はどうなるかと心配したが、横瀬に入ると、ガスは消えた。明け方まで雨が降っていたようで、路面は濡れている。
 車道を歩いて行くと、反対側からゴミ出しの帰りらしいオバサンがやって来た。「おはようございます」と声をかけると、「気をつけて行ってらっしゃい」と言われる。こんな風景はいいねぇ。「子ノ権現約90分 高山不動尊約90分」の標識を目にする。この辺の地理感覚はまるきしない。ともに名称だけは知っている。地図を広げて確認する。なるほどそういう位置関係か。どうせ晴れるのが昼からなら、子ノ権現まで足を延ばそうか。例の金草履もいずれ見たいなと思っていたし。

(車道から右に入ると、橋の先にゲートが見えている)


(これでも下はアスファルトになっている)


(写真ではかすかだが、中央の樹の下にプレートがあり、これを見て右上に登って行く)


 車道から外れ、橋を渡ると目の前には閉ざされたゲート。脇をすり抜ける。かつて林道だったのか、アスファルトが敷かれている。今は使われている気配はない。雨に濡れたツルツルのアスファルトは滑る。
 すぐに終点になって作業道。とはいっても、周囲は草ぼうぼうで、林道が狭くなってしまったのか、アスファルトの痕跡は残っている。この脇から押し寄せる草の露でズボンと靴はすぐに水を吸ってしまった。
 明らかに作業道になった道を行くと、植林に入り込んだ。やはり、この辺の山も例外なく植林帯歩きは避けられないようだ。地図を見ても針葉樹マークだらけだし、山での紅葉は期待していない。

(森坂峠。右が本陣山で、左はイモリ山。直進下りは伊豆ヶ岳方面となる)


 「本陣山 森坂峠 イモリ山」の標識が置かれている。最初は大岩がゴロゴロしたりしているが歩行に差支えはなく、すぐに上に峠らしき地形が見え、あっけなく森坂峠に到着した。標識がいくつか置かれ、右に本陣山、左がイモリ山方面だ。手書き標識には、峠を突き抜けて伊豆ヶ岳に向かうルートは「バリルート」と付記されているが、地図を見ると、南側の林道コースではなく、「バラガ平尾根(東尾根)」のことを言っているのだろう。HIDEJIさんの記録を改めて拝見すると、確かにやっかいな尾根のようだ。

(こんなところを登って)


(本陣山山頂)


 先ずは右手の本陣山。道は払った枝が多く歩きづらいが、尾根伝いだし明瞭だ。ちょっと視界が広がったところに、これは、UHFだか地デジの共同アンテナがあり、脇の黄色の塩ビポールにはNHKとある。その先にも、今度はBSアンテナとUHFアンテナが建っていた。よほど電波の受けが良くない地域なのだろう。それともただの遺物だろうか。
 こんもりしたピークに「本陣山442メートル」の標識だけが置かれている。周囲は植林で視界はない。一服する。今日は冬型歩きの格好で来たから、これだけの歩きでも汗をかいた。気温そのものは低いので、じっとしていると寒くなる。ここの本陣山、名前と場所からして北条氏がらみの陣でも張られていたのか。周囲にそれらしき跡形はない。これは後半の話だが、吉田山の北側にも、昭文社マップには「城址」と記されている。そことの関係もあるだろう。城攻めの本陣だったとか。
 ここの山名標識の脇には「SHCI 61・11・24」とある。昭和61年か1961年かは不明だが、勝手にSHCは埼玉ハイキングクラブとして「I」とは何の略だろうなんてどうでもいいことを考えていた。

(森坂峠との区間で、ここともう一つのアンテナ場所だけは展望がある。方角としては東側の展望)


(結局はこんなところを歩くことになる)


 下って森坂峠に戻り、イモリ山方面に向かう。破線路ならではの細い踏み跡は明瞭だ。言わずもがなで、植林帯の歩きはずっと続いていく。たまに見かける何だかよく知らない葉っぱは薄い黄色で、これからの色づきとなるのだろう。

(下から歩いて来て左曲がりの踏み跡が破線ルート。右手に木の塊りが見えるが、そこを越えて直進した)


(見えづらいが、正面は岩峰になっていて、踏み跡は直下まで続いている)


 さて、これからが本日のハイライト(笑)か。ここは尾根通しの歩きだが、踏み跡は進行方向左に尾根から外れてトラバース調になっている。それでいて正面にも踏み跡は続いているが、木の枝を数本かき集めて横たえてある。ここを直進するなとでも言いたげな感じだ。しかし、踏み跡があるので入り込んでみる。
 いつしか踏み跡は薄くなり、正面に40mほどの岩峰が立ちふさがっていた。大方はここで戻るのだろう。だから踏み跡も濃くなる。じっと見ていると、かすかな踏み跡は途中まであるし、上は樹を頼りに登れなくもない。あとで思うと、この岩峰そのものがイモリ山ということになる。コースに合わせて歩いていれば、ただのしょっぱいピークにしか感じなかったろう。

(ひとまずの休憩スポットで。これでもかなりの傾斜だ)


(こんなところをよじ登ったり)


(ようやく安心できるところに着く)


 そう簡単にはいかなかった。地面はフカフカで、やせた樹も腐っているのが多く、つかむとあっさりと根元から抜ける。不安定なところに足を置くとズルっとくる。改めて記すまでもなく急斜面だ。ここまで来れば安心だと思ってもまだ上が続いている。この繰り返しが3回はあった。まったく気が休まらぬままに岩峰ピーク(岩峰とはいっても岩がむき出しになっているわけではない)に着いた時には、心臓バクバク、ノドはカラカラになった。今日のコース、こんなところはないだろうと、水も500mlしか用意していなかったが1/3ほどここで消費した。

(ところが、まだこんな岩場があって)


(イモリ山の異色ルートはきつかった)


 ひとまず安心してペタリと座りこんだが、尾根の続きにはまだ岩があった。これは4mほどのものだが、まさか、先は切れ落ちてはいないだろうな。ここをまた戻るとなると、いよいよロープを出すしかない。不安になった。
 岩を登ると、そこにはイモリ山の山名板があった。ほっとした。休憩しながら、この山、そう簡単に来られる山ではないなと思いながら地図を見ると、破線路はしっかりと岩峰を湾曲していて、東側の412m標高点手前で戻っている。地図をしっかり見ていなかっただけのこと。後で知ったが、迂回路上には石祠やらがあったらしい。惜しいことをした。迂回始点の枝の積み重ねはバリケードだったか。この先もそういうところがいくつかあったが、これで凝り、踏み越えることはしなかった。

 ハイライトはこれで終わり。後は地味尾根の地味歩きがずっと続き、いつものように時たまルートを間違えたりする程度のものだった。
 イモリ山からの展望はさほどに良くはないが、立木越しに北から西にかけての山並みは見える。どれが何山なのか自分にはわからない。山頂周辺には紅葉がちらほらあるが、この感じではやはりまだまだだ。
 イモリ山を下って鞍部らしきところに出ると、「イモリ山→」の標識があった。これが破線ルートのコースで、岩峰を登るわけではないと改めて認識する。
 尾根伝いに、下り登りを繰り返す。作業道としていいのか登山道としていいのか判断に迷うが、尾根伝いの踏み跡は明瞭だ。そのうちに、安曇幹線のポールが出てきた。確かに地図にはそろそろ送電線に出会うことになっている。

(送電線が撤去された鉄塔)


(イモリ山)


(奥の中央右寄りが伊豆ヶ岳だろう)


 右手に迫ったピークらしきのが見えてくるが、子ノ権現ではないだろう。ほどなく行くと、鉄塔が見えてきた。電線のない鉄のモンスターが置き去りにされている。やはり、この辺の安曇幹線は撤去されたのだろう。
 鉄塔の周辺は伐採されていて、周囲の風景はさっぱりしている。そろそろ雲も薄くなりかけ、青い空も見え360度の展望だ。周囲は植林帯ながらも、ここだけは、これからの紅葉が楽しみなスポットかもしれない。

(峠ノ前。左の樹に石が隠れているが、これが十二丁石だったかも。この時点では気づいていない。左右に通じている明瞭な道は小床口参道コース。ここを右に行く)


 鉄塔から下っていくと、明瞭な道にぶつかった。地図を見る。この道は吾野の小床橋から子ノ権現に通じている実線道のようだ。『奥武蔵登山詳細図』によれば、小床口参道コースとなっていて、この合流したところは「峠ノ前」というスポットになっている。「峠」とはどこを指すのか。先の柿ノ木峠にしては距離がある。この『詳細図』だが、新聞紙大の二回りも大きく、持ち運びには不便なので、周辺部だけコピーして持ってきていたが、コピーが薄く、等高線も読めず、ほとんど役に立たなかった。ちなみに、ここで標識の類はまったく見かけなかった。

(天寺十一丁の道標。「天寺」とは?)


 参道コースに入ると、もう踏み跡を追うといったレベルではなくなり、林間のしっかりした道になった。くねくねしながら標高を稼ぐ道だ。歩いていると、左手に出来損ないといった感じの穴のあいた石碑が置かれているのが見えた。字が彫られていて「天寺十一丁」? マップを見ると、手前の峠ノ前に「天寺十二丁目石」とあり、この先に「八丁目」というのがある。十二丁目石にはまったく気づかなかったが、どうやら小床口参道コースは古道で、ほぼ100mおきに丁石が置かれているのだろう。これを知ったのは帰ってからのことで、そんな知識があれば、他の丁石を探しながら、退屈な歩きも楽しめたろうにと思うとちょっと残念だ。

(柿ノ木峠)


 峠のようなところに出た。「柿ノ木峠」のようだが、峠を示す標識はなく、「子ノ権現 西吾野駅」の標識があるだけ。ここに八丁目石があるはずだが、気づいていない。『詳細図』には、北から南川口参道が合流することになっている。確かにそちら方向に踏み跡がある。そして、地図上の同参道には「十三丁」「拾四町」の記載がある。つまり、古道の参道コースがあちこちにあるということだ。さりとて、後日、改めて古道歩きを楽しんでみたいといった思いにかられるようなところでもない。

(こんなしっかりした参道を歩く)


 小床口参道を進んでいくと、左の樹に結わえられた「吉田山 吾野駅→」のプレートが目に入った。先は尾根状になっている。子ノ権現からの帰りはここを下ることになる。通り過ぎないようにしっかりと周囲の風景を頭に入れておく。
 次第に急になり、すでに尾根伝いからトラバース道になって久しい。尾根は右手の高いところになった。道筋に合わせて歩いているつもりだったが、いつしか、道は消えた。自然消滅といった感じ。どこかで間違えたのか。この辺は植林の作業道も交差している。

(やがて、いきなりこうなって)


(うどん屋からの道を使って車道に出る)


(車道を歩いてもいいが、お地蔵さんの脇に道があって、そこから登る)


 ここは適当に歩ける斜面を行くしかないかと、かすかな踏み跡のあるところを登り上げて行くと、右上に車が走っているのが見えた。車道だ。あれに出さえすれば問題なく子ノ権現には行けるだろうが、帰路でしっかりと戻れるのか心配になってきた。ふと、左下にしっかりした道が見えた。何だ、あれが正解だったのかとその時は思ったが、道に出て地図で確認すると、この道は「うどん名物 浅見茶屋」なる方から登って来る道で、まったくの方向違いコース。いずれにせよ、この道を上に向かえば済むだけのこと。
 車道に出て、少し行き、地蔵脇の道を登っていくと子ノ権現のエリアに出た。

(赤い鳥居。手前には土産屋。一軒だけ営業中。たいしたものを扱っているわけでもなく、記憶にあるのは銀杏とキーホルダーだけ)


(山門。その先の左右仁王像が見えている。とってつけたような安っぽい仁王像だった)


 すぐ左に「阿字山 打木村治文学碑入口」とある。この阿字山は後で寄ることにするが、『詳細図』には、この山名は「阿宇山」とある。いずれが正解なのか。一帯は「子ノ山」というらしいが。
 「子の権現」の解説板を読む。正確には「天龍寺」とのこと。寺なのに足腰の神様というのが解せないが、神仏習合なのだろう。「子」としたのは、子の年、月、日、刻に生まれた聖(権現様)を祀ってあるかららしい。館林にも子の権現神社があるが、ここも同じ系列なのか、足腰の神様としている。ここで、ややこしく足腰が出てくるのは、権現様が開山の際に、鬼に火を放たれ、腰下を痛めたので、火災を除き、腰下を病んだ者が祈れば加護されようといった主旨からのようだ。

(天龍寺本堂。扁額には「子聖大権現」とあった)


(ワラジ。金ピカ)


(奥に行く)


(鐘撞堂)


(ここに集めたのだろう)


(釈迦堂)


(ここの紅葉はこんなもの)


(スカイツリーは見えず)


(ワラジの隣にこんなゲタもあった)


(阿字山の石仏)


 参道をぶらぶらしながら上に向かう。本堂の境内に例のワラジがあった。なるほどこれか。重さ2トンの鉄製らしい。さして感慨もないが、見ただけでも価値はある。
 さらに上の奥の院に行けばスカイツリーも見えるようだが、あいにくの薄雲で遠望は効かない。むしろ、鐘撞堂の裏手にある石仏やら石碑が気に入った。今日は平日で、見かけたハイカーは2人ほど、車で来た観光客も5~6人ほどでゆっくりできる。
 阿字山に寄ってオニギリを食べて休憩。ここに打木村治文学碑がある。自分は知らない作家だ。東松山の出身らしい。さてと下山にする。

(吉田山分岐)


 しっかりした踏み跡があるとばかりに思って浅見茶屋方面に下りかけたが、分岐などはなく、結局、元に戻って来る時に歩いた薄い踏み跡をたどって小床口参道コースに入った。つまりは、これが正規のルートだったらしい。首を傾げるばかりだ。尾根に向かって車道に出るような踏み跡もあったから、あれだったのだろうか。
 吉田山方面分岐に出た。ここからは尾根伝いだ。明瞭な道は踏み跡になった。古いテープが見受けられる。このテープが曲者で、作業用のピンクテープも途中から加わり、吉田山までの間に尾根の分岐では間違って方向違いに入り込むことが2回ほどあった。ここを歩く時は12500分の1ほどに拡大した地形図が必要だろう。20000分の1にしたのが甘かった。

(465m標高点ピーク)


(ここからもうどん屋に行けるようだ。5分で行けるなら、おにぎり持たずに食べてから復帰も可能だろう)


 465m標高点通過。何もない植林の中の小ピーク。ただの通過点といったところだ。赤テープが樹に巻かれている。もう踏み跡は鮮明ではないが、基本は尾根伝いに行けるし、尾根分岐にしても、ピンクテープに惑わされずに行けば間違えることもないだろう。
 半端な感じなところに標識が3枚あった。地図を見ると、こんなところに破線は他に通っていない。分岐破線はもう少し先だ。右に伝う踏み跡は朝見茶屋5分となっている。反対側は小床峠。『詳細図』を見ると、茶屋方面に実線が入り込んでいるが、実線らしき道ではない。

(左下に林道)


(小床峠。引き続きがあの階段となる。階段は続いていない)


 右に木の積み重ねのガードを見ながら踏み跡伝いに尾根を行くと、左下に林道が見えてきた。いずれはあの林道に合流するらしい。ここでミスをした。どこかにしっかりした分岐があったらしいが、それを見逃し、そのまま尾根伝いに行き林道に出た。林道を少し行くと、右に丸太階段付きの道が下ってきていた。本来なら、ここに出るはずだったわけだ。ここが小床峠。

(吉田山山頂。奥武蔵エリアの典型的な冴えないピーク)


(左右に堀切跡か?)


(これが「城址」だろう。この岩々が砦に使われていたのかもしれない)


 林道をまたぎ、吉田山方面の木の階段を登る。相変わらずの林間道のアップダウンを30分歩いて吉田山に到着した。ここもまた冴えない感じの山だ。山名板と標識があるだけの見通しの悪いピーク。それ以外にも樹には「吉田山」と削られ、他にも「通行止●●(急坂)」とあったが、これではどこが通行止めになっているのかわからない。ここにじっとしていても仕方もないので、北側にある城址に行ってみる。
 ゆるやかに下っていくと、かすかに堀切のようなものが部分的に残っている。その先は岩がゴロゴロした一帯。こんなところに城があったのか。看板も何もない。城というよりも砦でもあったのか。グルリと回り、下から上を改めて眺めて見る。どうも城跡には見えない。吉田山に戻る。

(キズだらけの山が右手に見えた。しかし、緑の世界はまだ夏の風景だ)


(御岳山山頂かと思う)


 後は東郷公園のもみじ祭り会場に下るだけ。「秩父御嶽神社→」、「吾野→」の標識が出てくる。植林の合間にちょっとばかり南面が開けたところから向かい側の山が見えるが、武甲山のようにあれもまた石灰採掘場なのか、赤茶けた山肌の縦横に工事用道路が通っている。何という山だろう。この辺の紅葉はまだ淡い。
 尾根を下っていくと、ロープが出てくる。このロープは下に荒れた林道が見えるから、そこに入らないようにというガードかもしれない。ロープが消えると、ここもまた陰気な感じの小ピークに出た。2本の樹に「諏訪八幡神社飯能氏子一同」などと記されている。標識には休暇村への分岐表示。山名板はないが、おそらくここが御岳山のピークなのではないか。

(御嶽神社)


(神社のモミジはまだまだ)


 すぐに神社の屋根のようなものが真下に見えた。正面に出ると、秩父御嶽神社。参拝する観光客の姿がちらほら。早速、モミジが目に入った。6分の紅葉といった感じか。上がこれでは下はどうだろう。やはりまだ早かったかなぁ。もみじ祭りを見るために岩峰に登ったりして遠回りしたのに。まして、午後になっているのにカラっとした陽が出てくると思っていたら、どうもどんよりしている。ここからもスカイツリーが見えるとあるが、近くの山が見えるだけで青空すら見えない。

(こんな神社がごちゃごちゃとある)


(階段)


(色づきが悪くなった)


 神社の境内を上から下に周囲のモミジを見ながら下る。下からの階段は368段もあるらしいが、わざわざ階段を下らずともに、迂回して歩ける道がついている。階段は急だし、特別な意思でもなければ使うこともないだろう。よくは知らないが、御嶽神社を含めた下までを総称して東郷公園としているらしい。東郷とは、言わずと知れた軍神の東郷平八郎のことだ。
 迂回路の途中、途中にいろんな神を祀った神社がある。記したところで、自分も無知だし適当なことも記せないから省略。一旦、紅葉は6分から3分になったりした。見るまでもないなと、小さな神社回りをしながら下ると6分に戻ってきた。これならまだ楽しめもする。黄色はないが、やや薄いモミジが自分好みだ。

(いくらか復活した)


(陽があたっていれば、もっときれいに見えるはず)


 東郷神社まで下ると8分になった。標高は関係ないのか。もしくは、8分とは自分の推測で、実際は5分程度のものだったかもしれない。いずれにしても赤くなったモミジで周囲がにぎやかになった。

(東郷像を背中から)


(まずまずのモミジを見て)


(下に出で東郷像を仰ぐ)


(盛りの時は本当にきれいだろうな。像が良い置物にもなっている)


 半端ながらもきれいなモミジをバックにした東郷像をながめる。この銅像、なんでこんなところに建立されたのか。解説板を見ると、そもそもこの秩父御嶽神社の歴史は浅く、創建が明治28年のようで、あちこちに神社を置きながら東郷神社も構えたといった形のようだ。由緒ある神社というわけではない。御嶽信仰の熱心な信者が自費で建てた神社のようだ。創健者は、その後の時代的なヒーローになった東郷元帥に心酔したのだろう。

(不思議に鮮やかなのがあったりして。一応は満足だ)


(無料にてありがとうございました)


 東郷神社を下ると、赤に黄色がまじってきた。自分にはこれが今季の紅葉の見納めだろう。結局は里の里の紅葉楽しみになってしまったなと思いながらも、一応は満足しながら鳥居まで下る。そこには入山料として「二十才以上は必ず100円以上いれてください」と記された石の投函穴があった。逆から来たから入れることはしなかった。

(進入禁止にはなっている)


(里の方がきれいなみたい)


(吾野駅)


 吾野駅まで距離は意外とあった。鳥居脇の道を行くと、すぐに「スズメバチがいるので通行禁止」とあった。車道に戻って歩く気はない。スズメバチは無視してそのまま行った。ハチの気配はなかった。この時期だからだろう。
 吾野駅までの間に、西武秩父駅行の下り電車が走って行ったから、しばらく電車はないかなと思っていたら、やはり、吾野駅に着くと、14時10分まで20分の待ち時間。先日と違って売店もなく、外のベンチで自販機の温かい茶を飲み、タバコを2、3本ふかして待った。

(先日よりも車がかなり多かった)


 がらがらの電車に乗って芦ヶ久保駅に戻る。歩き始めからイモリ山までは汗もかいたが、あとはずっと寒い状態が続いていた。震えながら車に戻り、すぐにエンジンをかけて暖まるまで帰り支度をゆっくりとやった。
 目当ての東郷公園のモミジ祭りはまだ一週間先の気配だったが、きれいなモミジを見られただけでも満足か。だが、本陣山、イモリ山、そして吉田山の歩きは、地味尾根好きの自分にも、正直のところ、自ら誤りルートとなった岩峰を除けばあまり面白みのない歩きコースだった。せいぜい子ノ権現を楽しんだくらいのものだ。植林の中の歩きがほとんどだったし。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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イモリ山 (HIDEJI)
2017-11-23 17:50:53
たそがれさん、こんはんば。
奥武蔵の地味尾根歩きお疲れ様です。
相変わらずの植林続きですが、記事を拝見していると、懐かしさと同時に、何だか落ち着いた気分にもなります(^^;)
イモリ山に関して、私も正面に続く尾根が気になりましたが、上に見える岩場に怯え左に巻いてしまいましたので、しょっぱいピークでした(笑)
しかし、たそがれさんが歩かれた直登ルートは興味深いですね。あの辺りも歩き足りないところもありますので、機会を作って歩いてみたいと思いますが、いつになるやらです。
東郷神社の紅葉は少し早かったようですが、それでも色鮮やかですね。羨ましい限りです。おそらく今週末はかなり混雑することになろうかと思いますが、個人的には今季は紅葉を楽しめませんでした。先週の日曜日には、西上州でたそがれさんの後追いをしてきましたが、紅葉はさっぱりでした。
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HIDEJIさん (たそがれオヤジ)
2017-11-23 22:45:35
HIDEJIさん、こんばんは。
西上州、早速というかようやく行かれましたか。チラッと拝見いたしました。
今、飲んだ後なので、明日、冷静な頭でじっくりと拝見いたします。紅葉はさっぱりということは、もう終わっていたということでしょうかね。
さて、今回のイモリ山、吉田山ですが、もうHIDEJIさんの後追いのようなもので、ただ繋げて歩いただけのことですよ。
イモリ山の破線ルートを目指し、HIDEJIさんのように途中であやふやな歩きをされても、やはりしょっぱかったでしょう。ここは石祠を我慢してでも直登ルートでしょうね。少なからず、険しいイモリ山は体験できますね。
歩き足りないとのことですが、森坂峠からバラガ平尾根を歩かれているのに、まだまだとは解せませんねぇ。こちらは、植林尾根はもう結構といったところで、せいぜいヒマつぶしに古道ルートで丁石巡りをしたい程度のものなのですが。
東郷公園の紅葉はやはり週末でしょう。私が見たポスターでは、東郷像の左右ともに真っ赤でしたが、私が見たのは左側のモミジだけで、右はこれからだとすると、やはり今日あたりからかと思いますよ。
私も、今年の紅葉は、ぶなじろうさんあたりと違って正直のところ不作なんですよ。一昨日に行った茨城の奥久慈もなんだかなぁといったところでしたしね。ただ、HIDEJIさんは丹沢で鍋焼ウドンに接したりしているから、まぁトントンといったところじゃないですか(笑)。
話は変わりますが、これも秩父ですが、HIDEJIさんが歩かれた一部区間を含めて別ルートでと考案しているのですが、あくまでも地図の上では歩けそうだといったところで、どんなものなのか。年内にはと思っております。行く場所はここでは控えておきますけどね。
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Unknown (瀑泉)
2017-11-25 00:29:55
今季の紅葉の見納めだろうとしながら,この後,奥久慈に行かれるとは。
やはり,神社や公園の紅葉では,いくら綺麗でも満足されなかったようですネ。
とはいえ,山より,公園の紅葉の方が,色の配置なども考えて管理されていますしネ。綺麗というのは良くある話で,この前も記事にはしませんでしたが,根本山の帰りに,個人の庭の紅葉が,あまりに見事だったんで,写真を撮らせていただきましたヨ。
まぁ,こと山の紅葉に関しては,今年はまぁまぁだと思ってましたしネ。鹿岳の紅葉で見切りをつけて,後は惰性で眺める程度になってますヨ。
イモリ山でのノドカラとの表現,久々に見た気がいたしますが,良いですネェ~。自分なんて,最近は程遠い歩きばかりだから。
まぁ,ノドカラになろうと思えば,いくらでもなれる場所はあるんだけど,あと一歩が踏み出せないで,困ってますヨ。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2017-11-25 08:14:39
瀑泉さん、こんにちは。
早速ですが、ご心配なく。私、中武生山から烏帽子岩、明山、亀ヶ淵と周回して武生神社に戻りましたよ。遅ればせながら後で記事はアップしますが、烏帽子岩までの区間、私にはルートミスだらけで難路でしたよ(笑)。
今回の歩き、自分には、結局はこういう公園の紅葉しかもう縁がないんだろうなと思って行ったのですが、主旨としては、ふみふみぃさんが冬桜を見るためにわざわざ遠路を周回したようなものです。私の場合はあっさりコースでの迂回でしたけどね。
今日は用事があって出かけられませんが、明日とて、ヒマなら太平山のモミジ祭りに出向こうかなと思ったりしていますから。
今年の紅葉へのこだわりは、見事なヤシオツツジを見ていなかったからの反動ですね。いずれにしても、自分には今年は両方ともにダメでしたけどね。
ノドカラは久しぶりに危ういところを登ったからでしょう。たまにはああいうところもいいですが、正直のところ、標高差、時間ともにたいしたものではなく、どこかで最近やっていれば平然としていたと思いますよ。
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Unknown (ふみふみぃ)
2017-11-26 18:32:48
私も先週やりましたがたそがれさんも公園行きの地味尾根歩きをされてましたか(笑)。
地形図の植生通りで山の紅葉は楽しめないんですね。きつかったとのことですがイモリ山の岩峰、今回のルートで歩かないと地味すぎて面白みがなさそうで。
子の権現はいよいよハンターが怖くなったら飯能アルプスと合わせて行くつもりでしたがこちらから良く手もありましたか。伊豆ヶ岳方面へと周回している人もいるんでしょうね。子の権現自体は言ってはなんですがどうも安っぽい感じがしますが。あちこちに案内と裏道があるらしきうどん屋が気になりますね。この辺り行く際は立ち寄って見たくもなります。
東郷公園の紅葉は去年同じ時期に行こうとしたら大雪でやられてみること叶わなかったので参考になりました。標高と色づきが関係ないのはモミジの種類が違うんですかね。山の中でも時たまそういうのがありますが。
中武生山の歩きも気になっているので記事を楽しみにしてます。私は今年奥久慈に結局行かなかったので。

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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2017-11-27 10:55:40
ふみふみぃさん、こんにちは。
ここのところ何かと日々がごちゃごちゃしていて、ブログ記事もまた後手になっている始末なのですよ。中武生山に関してはつい熱を入れ過ぎてしまい、ようやくアップできそうですが、紅葉目あてなら、もうピークを迎えているでしょう。ブログでは半端な紅葉になっていますが。
イモリ山、吉田山周回は正直のところおもしろくないですね。むしろ、石碑探し目当てなんかを目的にして歩けば少しは楽しいでしょうが、そんな情報は知らなかったし、元々地味すぎるかなと思って子ノ権現を加えたわけです。子ノ権現そのものも、また改めて行く気は起きないでしょうけど。ゾウリを見るだけが目的でもいたし。
あの岩峰登りがなかったら、本当に地味な歩きに徹していたでしょうが、岩峰で少しはアクセントが付いたような気がします。東郷公園のもみじ祭りを見たくて遠回りしただけのことですが、エリア的にはやはり超地味なところです。植林の中での歩きですから致し方ないでしょう。
伊豆ヶ岳に行くようでしたら、そのバラガ平尾根とやらを歩いてみてくださいよ。伊豆ヶ岳もその程度のマニアックなコースしかないようです。意外に正丸尾根コースを歩くハイカーは少ないようです。ここもまた地味尾根だからでしょうかね。
うどん屋はネットでも有名なようですね。HIDEJIさんがわざわざ食べに行ったくらいですから、おいしいと思いますよ。私はうどんよりもソバの方ですから、積極的にはなれませんでしたけどね。
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