たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

足利・小俣のカタクリ群生地から小友沢の頭分岐までグダグダ歩き

2012年04月08日 | 近所の栃木県の山
◎2012年4月7日(土)

<叶花集会所(6:45)……城山(7:15)……ヤシオ山(7:55)……姥穴山(8:25~8:40)……白葉峠(9:15)高萩山(9:35~9:45)……小友沢の頭分岐(10:45~10:55)……尾根分岐(11:10)……カシマ神社(11:35)……駐車地(12:10)>

 雪のあるうちに日光の山でも歩くつもりでいたが、今日は風が強くて冷たいらしい。予定を変更して、いつものように里山に行くことにした。急なことゆえ、コースを考えるのも億劫で、手っ取り早く、ハイトス氏コースの後追いでもやるか、となった。一週間前に歩かれた、カタクリ群生地から姥穴山コースが良さそうだ。目玉はカタクリとツツジ、そして火産神社碑か。2年前に、このコースは歩いているが、石碑まで足を延ばしてはいない。期待して出かけた。

(かろうじて見つけたカタクリ)


 集会場には車が1台。支度をしていると、もう1台。その方は石尊山の方に向かって行った。すぐに、犬と散歩をしているオッサンと出会う。念のため、カタクリ群生地の場所を聞いたら、「今年は遅い。まだ咲いていないよ」と言われた。数日前にNHKで見た、カタクリ満開はここではなかったのか。足利というから、この辺とばかりに思っていた。まっ、しょうがない。カタクリ群生地に到着。しおれて、くたびれた感じのカタクリが数本、花を出していた。それだけ。上にも下にもない。一週間前、元気なうちにハイトス氏に写真を撮られたというわけか。道に沿って、そのまま上がって行くと、右・姥穴山、左・城山の標識があった。この標識には記憶がある。先ずは城山に行くか。歩いて行くと、今度は宝珠坊橋への分岐。以前来た際には、ここに上がったが、取り付きが分からず、難儀して、ようやく来た。今回はこの分岐を素通り。

(わなわな状態で着いた城山)


 さて、最初の分岐辺りから、身体に異変が生じていた。そのうち治まるだろうと楽観していたが、ますますひどくなる気配。普通、ガス抜きをしてごまかしたり、その場しのぎをしたりするものだが、今回は、それをするとやばくなりそうな感じ。仕方ない。自然の中に戻すか。ザックを置き、ロールを出そうとしたが、ない。慌てた。中味をすべて出した。やはりない。日光から足利に行き先を転じた際、荷物の入れ替えに不備があった。どうしよう。我慢という言葉しか浮かばず、ここまで来たからには、取り急ぎ城山に向かう。山頂直下のロープあたりがきつく感じた。本当にどうしようか。下るか。顔は青くなっていたかもしれない。幸い、冷や汗ものの緊急事態ではないが、このまま先を歩くには自信なし。そそくさと城山を立ち去り、もと来た道を下る。未練がましく、またザックをあさる。ラッキー。背ポケットにテッシュがあった。駅前で配っているローン屋のテッシュ。いくら、人が来ないからといってその場でというわけにもいかず、脇に下って平地を探した。ほっとした。後でGPS軌跡を見たら、しっかりと、脇道逃れが記録されていた。これからは、紙の忘れには二重のチェックだな。

(カタクリ群生地分岐に戻る)

(右ヤシオ山、左姥穴山)

(ヤシオ山のツツジ1)

(その2)


 とんだトラブルだった。気持ちを立て直し、今度はヤシオ山に向かう。左方向に姥穴山が見えてくる。桐生の町もよく見える。今のところ風を感じない。こんなに天気がいいのでは、日光が良かったかなと悔いるが、ここもまた、だれも歩いている気配がなく、春先の静かな山を楽しめる感じだ。ヤシオ山では、ツツジも終わりかけだったが、5~6本のツツジが咲いていた。ウグイスが鳴き、もう春だなと一人ご満悦。石尊山が正面に見える。人気の山だから、今日あたりは、結構、人も入っているだろう。ちょっと休んで先に行く。石碑見物の課題がもう一つ残っている。

(姥穴山への登り)

(姥穴山山頂)


 赤城山が見えた。上はまだ雪だ。風がありそう。雲が巻いている。少し下って白葉峠の分岐。姥穴山に向かう。前に来た時も感じたが、この登りはきつい。ロープも張り巡らされている。息があがる。水筒の落とし物が木に結わえてある。こんな物を落としたら、普通、気づくのにと思うが。落ち葉と乾燥した土に滑りながら山頂に到着。石祠と石像。この石像は、ハイトス氏レポートによると、「御嶽座王大権現石像」とのことだが、横から見ていると、二宮金次郎が何か悩んでいるような印象を受ける。今回も同じだ。ここの山頂は細長く、山頂はここらしいが、西の「372m」に行ってみる。展望は悪く、桐生市基準点が置かれていた。

(大江女護神碑)

(火産神社碑)

(武尊大何とか碑)


 東のピークに戻り、バリケードを越えて南の尾根を下る。この先に火産神社碑があるようだ。しばらく下ると、丸いつるんとした石碑が見えた。あれだろうか。桐生の町を見下ろしている。正面にまわると、「大江女護神」とあった。結構あるんだね。先に行くと、あった。「火産神社碑」。ハイトス氏は、倒れていたこれを直したの?すごい力持ちだね。さて、この下はもうゴルフ場が覗いている。この尾根伝いに、石碑も続いているのであろう。下にも、まだあるのだろうが、確かめようがない。3課題も済み、戻る。ここからトラバースしながら戻ってもいいが、滑りそうで、地道に戻った方が無難だろう。それが幸いしたのか、今度は「武尊大祉●」?と刻された石碑に出会った。いずれも明治の頃のもののようだ。

(白葉峠に向かう)

(赤城山)

(目を凝らして浅間山)

(振り返って姥穴山)

(白葉峠の石祠)


 ロープにつかまりながら下った。爪先が痛くなっている。今日は、布靴にしたのだが、久しぶりに履いたせいか、どうもすっきりとこない。白葉峠の分岐に到着。以前は、ここから白葉峠に抜け、後は車道を歩いた。このまま戻るのもなんだし、白葉峠に向かう。正面に仙人ヶ岳が見えてくる。そして、左奥には浅間山。この尾根になってから、風が強くなってきた。これは赤城下ろしだろう。寒い。一旦、脱いでいたフリースを着込む。最後まで、もう脱ぐことはなかった。振り向くと姥穴山。左下を伐採の作業道らしきのが通っている。白葉峠の先、西斜面もまた伐採地になっている。白葉峠に到着。車は1台も見あたらない。傍らに石祠が3基。年代は安政のようだ。

(高萩山山頂)


 まだ時間も早いし、しばらく、県境を歩いてみようか。せめて、2月に仙人ヶ岳から南下した小友沢の頭(647.4m三角点)の分岐まで行ければいい。今日のところ、その先に用事はない。ここから先は歩いたことがない。擁壁に垂れたロープを使って、尾根に取り付く。西側が伐採地になっているため、眺望はすこぶる良いが、見える山も限られている。袈裟丸や日光の山は見えない。作業道と交叉しながら、ヤブ気味の尾根を登る。高萩山に到着。山名板が2枚。新しい山名板の裏を見ると、「すかいさん」と記されていた。「すかいさんが行く上州の山」のオーナーではなかろうか。ネット記事をよく拝見するが、この方もタフな方で、一日4山歩きも珍しくない。さて、この先、県境とはいえ、不安につき、コンパスをセットして歩き出す。

(この辺りは道もしっかりしていて歩きやすい。カモシカが横切って行った)


 一旦下ると、しっかりした道になっている、と思ったが、これは作業道に入り込んでいるだけのことで、作業道は西に行ってしまい、あとは、歩く人も少ないような踏み跡がずっと続いている。突然、前をカモシカが横切った。横顔がヒゲジイサンのような感じだったから、シカではなかろう。鳴神山で見かけたことはあったが、この辺にもいるんだ。群馬側は植林帯になってきたが、栃木側は相変わらず雑木で、その先は上からの伐採地になっている。そのため、石尊山下の里の家並みがちらちら見える。こんなことでも気分が違う。うっそうとした植林帯が続けば、どうやって下りるんだと不安にかられるものだ。

(石尊山の北側山ヒダ)


 399mピークが近づくと、忠実に尾根伝いに行くのが難しくなる。瞬間的にヤブが濃くなる。いやだなぁと思って、群馬側の植林を覗くと、踏み跡があった。正面の東西に稜線が見えてくる。あそこに上がるのか。きつそうな感じ。伐採地から幅広の作業道が県境まで上がり、先に下っている。石尊山も、北の方から眺めると、印象も違ってくる。石尊山の北側は、地形図で見ると、尾根がヒダヒダになっている。現物を眺めると、確かにそうだ。いずれからでも、危険なく登れそうな感じはする。

(右は栃木側伐採地。県境は正面に続き、右に曲がって行く)

(伐採作業道がここまで上がってきている)

(小友沢の頭への分岐。本日の終点)


 そろそろ、南西から上がってくる破線と合流のはずだがと思っていたが、それらしき踏み跡がないままに通過。帰路でもう一度確認したが、見つけられなかった。やがて、一登りして、本日の上がり・小友沢の頭分岐に到着。案内板が2つある。来た方向には「白葉峠」。そして、「一色展望台」。一色山というのは別にあるようだが、今度、行ってみないといけないな。しばらく休む。風が強く、冷たい。一服して、チョコレートをかじった。さて、下りはどうしようか。適当な尾根を下ることにするが、破線と399mの間にある屈曲部から下る尾根が緩そうだ。うまく行ければ神社に着くはず。これを下るとするか。下山開始。

(ここから尾根を下る)

(倒木が多い)

(尾根の末端上にはこんなのがあった。神社の奥社か)

(そして洞窟)


 その屈曲部にはテープが2本巻かれていた。この尾根を利用する人がいるのかなと思っていたが、先にテープはなかった。おそらく、間違って下りないように巻いたテープであったろう。確かに緩やかな尾根だったが、倒木が多くて、直進で行けない。左手・東側は急斜面の伐採地になっている。この尾根、先に行くと広くなっている部分もあるが、コンパスを見ながら、右寄りに下った。民家の屋根もどんどん近くなっていく。植林に入り、抜けると、木製の粗末な感じの小さな社殿が現れた。傍らに、石祠の残骸があり、組み立てようと試みたが、この石祠は特注品のようで、どうも不格好になる。逆さになっていたというのもおかしなことだから、立てかけて元に戻した。その先、斜面には大きめな洞穴があった。何に使ったのだろう。自然に出来たとは思えない。さて、このまま行くと、人家の庭先に出そうな感じ。これはまずいとヤブを迂回すると、真下に神社の屋根が見えた。降り立つ。

(カシマ神社)


 神社から、小さな悲鳴があがった。上のヤブの中から人が下りて来たから、びっくりしたのだろう。熊でも出たのかと思ったとしても不思議ではないし、こっちも、まさかだれかいるとは思ってもいない。神社にはオバチャンがいた。神社の草刈りをされていた。話を聞くと、明日は祭礼があり、扉も開けて通気しているのだそうだ。この神社の名前はカシマ(鹿嶋?)神社で、由緒ある神社だそうだが、どれくらいの由緒かは教えていただけなかった。こちらもいろいろと問われた。ここに至る経緯もさることながら、神社の石祠を写真に収めていると、そんなのが好きなのかと聞かれ、まぁそうですねと答えると、だったら、そこのヤブに、お地蔵さんがゴロゴロ転がっているよとのこと。失礼ながら、女性はあっけらかんでいいものだ。この場は、相手の正体が分かったからこれでお終いだ。男性だったら、執拗にいろいろとうさんくさそうに聞かれただろう。

(うち捨てられた石仏)

(その1)

(その2)

(これもお仲間だろう)


 オバチャンから伺ったヤブはどこなのか、周囲はすべてヤブ。指先に従って行ってはみたが、どうも分からない。しばらくうろついた。上を見ると、大きな石が転がっていた。あれかなと思って、ツルにつかまって、滑りながら斜面を上がると、お地蔵さんというよりも、石仏が2つ、横倒しに転がっていた。千手観音と観音様。オバチャンのお話では、近くの方は、これを知っているけど、みんなそのままにしているよとのこと。よく見ると、台座はそのままに、横に倒れたままになっている。しかし、斜面のため、固定はなかなか難しい。ましてヤブの中だ。さらに、部外者が余計なことをしていいものやらとも思ってしまう。観音像は享保年間、千手観音は延寶八年と刻されている。かなり古いんじゃないの。家に帰って調べたら、千手観音様は1680年じゃないの。周囲には、この石仏以外に、由緒ありそうな石が転がっていて、庚申塔まで横倒しの状態だった。「バチ当たり」という言葉を思い出した。この神社には、学校風の建物で「足利市ふるさと学習・資料館」が隣接していた。何とも、複雑というか、情けない話ではないか。捨てたままでよければ、いただいて帰りたいところだが、こんなものを玄関脇に鎮座させたら、石屋さんの広告みたいでおかしなことになるだろうな。

(里の景色。失礼ながら、実にのどかだ)

(里の景色。あと数日かな)

(カタクリ群生地は中央の車のあるところから右に入る)

(集会所に到着)


 少々不快な気分になりながら、車道を歩く。付近の風景を楽しみながら、いくらか気分は収まった。小振りながらも、道路沿いの桜が咲き始めている。のどかな風景が続く。こんな雰囲気が好きだ。石尊山に向かう神社の駐車場は満車になっている。そして、カタクリ群生地に向かう道には、何人か歩いている。ジイチャンが立ちションしている。みんな、がっかりで帰って来るのだろうな。駐車場に到着。7台ほどの車があった。半分はカタクリ目当てだろうか。

(本日の軌跡)

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した」(承認番号 平23情使、 第832号)

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8 コメント

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ヤシオ山 (みー猫)
2012-04-08 18:36:15
こんばんわ。
石祠の年代に、少し関心が出てきたところなので放置された石仏はなんとも残念な話です。地元の方がレポに気づいていただき、一刻も早い復旧を行っていただけることを願います。ヤシオ後追いは、少し早いかと思いとどまり、高戸山へ向かったのですがニアミスの可能性が非常に高かったと今回、ルート図を見させていただきまして思った次第です。今後、ハイトスさんが気を引くような山行をしていただけると遭遇(?)の可能性が高まるような気がしてなりません(笑)
みー猫さん (たそがれオヤジ)
2012-04-08 19:58:13
早速ありがとうございます。
確かに、あの石仏は何ともふがいない話です。江戸期の後半の石祠や石仏は安蘇の山塊でもよく見かけますが、前半の石仏というのは、まさに掘り出し物ですよ。完全な形でしたしね。せめて、ヤブを刈って、鎮座させればいいのになぁと思いました。残念です。
ハイトス氏の山歩きは、自分には気が引くところだらけの宝の山ですよ。候補リストの在庫もたまる一方です。
いずれ遭遇の機会もあるでしょうが、みー猫さんが熊に遭遇する確率の方が高いのではないでしょうか。
Unknown (ぶなじろう)
2012-04-08 20:43:34
今晩は。
仙人ヶ岳に一度行っただけなのですが、何となく様子が判るような気がしてきましたよ。
それにしても、石祠・石仏の多い地域ですね。箱物の整備より、そういったモノの調査・記録・保存の充実を願いたいものです。そちらでは、地元登山者の方々が先行しているように見えます。
石尊山のヒダヒダは、ターゲットになるのかな?限りないフィールドですねぇ~。
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2012-04-08 22:00:27
確かに、安蘇山塊の山には石祠やら石碑、石仏が多いですね。こんなとこに?と思うような山にもありますから。日光が近くにあるといった地理的な条件があるのか、昔から信仰心の厚い方が多いのか、それは分かりかねますがね。
地元の方にとっては、見慣れたものなのでしょうか。県道から10m程度しか離れていないんですよ。不思議だなあ。
石尊山のヒダヒダですが、どこからもコースになりうるとは思っても、ネットで調べると、これらの一つでも登って石尊山やら深高山に行った記録は見あたりませんでした。意外に、行けないのかもしれませんよ。試してはみたいですが。
姥穴山の石像石碑 (ハイトス)
2012-04-08 23:50:53
てっきり今週は天気が良いので残雪の山を攻略に行かれたものと思っておりましたよ。
姥穴山の頂上には御嶽三座神の一つである座王大権現がおわしますが、残りの三笠山大神、八海山大神も山腹の途中に有るのですが、現在は台座だけ、台座と胴体だけと言う悲惨な状態です。廃仏毀釈の影響でしょうかね。
三笠山大神の石碑は健在ですが。
うち捨てられた石仏群は初めて聞きました。

また石尊山のヒダヒダは前から興味を持っていますよ。
たしか気ままさんがかなり前にヒダの一つを登られたので自分もヒダを登って下ってみようと思ったことがあります。
しかしただそれだけだとあまりにもさみしいのでボツになっておりましたが。
ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2012-04-09 05:35:16
おはようございます。
さすがハイトスさんです。石尊山への目のつけどころが違いますね。しかし、あそこのヒダの一つなり二つを歩いた方がいらっしゃるんですか。後で確認してみましょう。
姥穴山には、そんなに石塔や碑があったのですか。信仰の山なのですね。改めて感じますが、古の桐生の人々の信仰心は、かなり強かったと見受けられますね。あちこちにありますから。
帰りがけに見かけた石仏ですが、機会がありましたらご覧になってください。カシマ神社の門前右手のヤブの中です。道を挟んで、下には民家があります。
早速ですね,カタクリはだめでしたか (ノラ)
2012-04-10 22:16:27
たそがれさん こんばんは。早速ですね。城山から高萩山の先,小友沢の頭までご苦労様です。打ち捨てられた石仏群はすごいですね。一度見てみたい。
カタクリは1週間でだめになってしまうようで。残念ですね。姥穴山の鞍部でもいくつつぼみを見たのですが。それと白葉峠と県道の合流点にあるお墓の周りが凄かったのです。日曜日は東京で花見してました。
ノラさん (たそがれオヤジ)
2012-04-11 05:44:43
おはようございます。
カタクリ群生地の開花は、素人判断では来週あたりではないかと。つぼみらしきのも見つけられませんでしたし。
うだうだと歩き回りましたが、ツツジもカタクリもこれだけでした。県道出会いはそんなに凄いのですか。そんな気配は感じませんでしたよ。全体的に遅いのでしょうか。
あの石仏、ご覧いただく価値はありますよ。機会がありましたらぜひ。

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