たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

桐生の茶臼山。きっかけは<中島飛行機地下工場>だった。

2019年03月07日 | 地元の散歩
◎2019年3月3日(日)

東毛青少年自然の家(8:40)……(三本松コース)……茶臼山……(石尊コース)……石切場……自然の家(10:35)

 たかが2時間歩き。まして地元の八王子丘陵の山だ。敢えてブログ記事に出すほどのものでもない。これまでも、地元の金山に登っても、目新しい歩きにならない限りは、記事としてのアップはしていない。ただ、足の抜釘手術でしばらくはブランクができそうなので、自己満足でアップすることにした。
 昨日(2日の土曜日)は山日和だったがこちらは仕事日。翌日は午前中から雨予報だったので、日曜日の山行は見送りにしていた。さて、土曜日に藪塚に仕事で出かけ、時間も昼時だったため、ラーメン屋に寄り、ちょっとサボって横道に入り、八王子霊園の駐車場に入って軽く読書。そろそろ会社に戻ろうかと車を出す際、千葉県ナンバーの車が前に立ちはだかって、おもむろに、オッチャンが車から下りてやって来た。クラクションを鳴らしたし、ヤーさんにイチャモンでもつけられるのかと身構えた。以前、地元でこんなことがあった。片側二車線道路で大阪ナンバーの車を追い越したら、猛然とあおって来た。しばらくそのままで走り、うっとうしいのでひょいと路肩に寄せたら、大阪ナンバーも止まって、車から下りてきたのは見るからにその筋の男。ドスのきいた関西弁でさんざんまくし立てられ、深く関わりたくもないので、こちらが別に悪くもないのに、このアホと思いながらも表面上はひたすら謝った。「オトシマエドウツケルンヤ」と怒声を浴びながら、これは金を要求しているんだなと気づいた。その手には乗らない。頭を下げて謝り続ける。先方も金にならない相手だと思ったのか立ち去った。堅気相手に揺すりを働くヤー公は下の下だ。
 そんな出来事があったので身構えたわけだが、オッチャンの口から出た言葉は「旧中島飛行機の地下工場跡はどこかご存知ですか?」だった。それを見たくてわざわざ千葉から来たのだろうが、そんな名称の施設を聞いたのは初めてで、藪塚の石切場跡のことかと錯覚した。この勘違いが相手に失礼なことをしたことになる。つい石切場の場所を教えた。念のためスマホで「中島飛行機 地下工場」を調べると、「旧中島飛行機地下工場跡」という名称で存在した。その時、場所もしっかりと確認して教えるべきだったのに怠った。こちらの頭の中は石切場=地下工場でしかない。オッチャンは首を傾げながらも、自分が教えた石切場の方向に向かって行った。へーぇ、あの石切場は地下工場だったのか。どうりで一種異様な空気が漂っていた。明日、再訪してみようか。そして、今度は地下工場跡という観点から見てみよう。妄想が勝手歩きをする。
 千葉のオッチャン、結果として石切場に行かされ、なるほど、これが地下工場かいなと思った…思うわけはなく、振り出しに戻って探しあてたと思いたい。まぁ、あいつにだまされて二度足を踏むことになったという印象は持たれたことだろう。

 朝起きると二時間は天気が持ちそうな気配。八王子丘陵は何回か歩き、縦走も一度ある。唐沢山に至っては激ヤブ時代も含めて5回以上は登っている。だが、東毛青少年自然の家からは歩いたことがないような気がする。そこから市境を越え、桐生の茶臼山に行き、周回したとて二時間もかかるまい。石切場はその後にしよう。
 駐車場に着くと、ハイキング看板があった。どこをどう歩くかは考えず、せめて茶臼山に出られればそれでいいと思って来ている。看板を見て決めるつもりでいたが、そのハイキングマップは周辺の町内探索じみたもので、八王子丘陵の山に向かうコースはまったく記されていなかった。
 スマホを出してコースを調べる。何だ、遠回りすれば石切場を経由するコースもあるじゃないか。これを見て、西端の三本松コースで登り、下部が「現在通行不能」とある石尊コースで下ることにした。今8時40分。10時には雨が降るだろう。駐車場には10台以上あったが、自然の家に用事の方もいるだろうし、見かけたハイカーは準備中のオッサンが一人だけだった。

(とりあえずキャンプ場を横切る)


(気になった標識)


(左が三本松コースで右は立岩コース)


(えぐられた道)


(岩がゴロゴロ)


 どちらに行けばよいのかわからないままにキャンプ場を横切っていくと「三本松立岩入口コース」の標識を見かけた。ここで言葉使いが気になった。普通、「三本松立岩コース入口」と書くものではないのか。確かにさっきのスマホ画面を見直すと、このすぐ先で「三本松コース」と「立岩コース」に分岐する。だったら「コース入口」だろう。たかが標識だが、つまらないことを気にさせないでもらいたい。
 分岐を三本松コースに入る。雨水でえぐられたような道になっている。やがて落ち着いて岩場の通過。これが結構長い。立岩にしてもこの岩場にしても、この辺は岩がちな所のようだ。やや急で、ロープをつかんだりして稜線に出た。あっ気なかった。普通の山なら序盤戦のとば口で終わったといった感じだ。ぽっかりと切れたところから桐生の町が望める。ところで、コース名の三本の松はどこにあったのだろう。

(名無しピークから茶臼山)


(茶臼山分岐)


 歩き足りないので、行かずともいいすぐ西のピークに向かう。先をオッサンが歩いている。あの感じでは縦走だろうか。これもまたあっけなくピークに上がったが、まったく冴えないピークで、山名もないし、ササで覆われている。さっさと戻ろうとしたら、左手に踏み跡があった。これを使ったら、やはり稜線に戻った。ショートカットというほどのものなく、ただの迂回路だった。茶臼山はここから東に向かって、稜線から離れて北に向かう。稜線は市境だ。茶臼山は桐生の山ということになる。

(何なのか知らないが、いくつか置かれていた)


(途中の展望地から赤城山)


(茶臼山山頂)


(コンクリで固定した石祠)


(三等三角点)


(あれが湯殿山らしい)


 茶臼山に向かいながら、縦走した際に立ち寄った以外にもう一度来ていたことを思い出した。小学生になる前の娘を連れて来た。ということは、今日の東毛青少年自然の家からだったか。からっと晴れた日だった。犬は同行していない。どういうコースを辿ったのか記憶はない。
 途中、下りの3~4人と行き交った。そして電波塔のある山頂には7人ほどいた。フライパンで肉とパンを油炒めしている人がいて、この匂いが周囲に漂っている。これから雨が降ろうとしている。展望がすっきりするわけでもなく、赤城山はシルエットだ。備え付けの望遠鏡で眺めていると、日常的に茶臼山に登っているといった感じのジイチャンに「山の名前を教えてやろうかと」と話しかけられ、断りもせず、黙って聞いていた。ジイチャンのお薦めは湯殿山だった。行ったことはなく、そのこんもりとした地味な山容に惹かれた。湯殿山は周回できると言っていたが、帰ったら調べてみることにしよう。できれば、一般的なコースではなく、北側から石尊山のヒダヒダ尾根の一つでも歩いてみたい。
 まばらに人がいるのでタバコを吸える雰囲気でもなく下ることにする。この空模様の中、ハイカーがどんどん登って来る。自分と同じに間に合わせで来た方もいるだろう。

(稜線に向かう「登山道」ではない道)


(庚申塔)


 茶臼山分岐に戻るつもりでいたら、左に目障りな踏み跡。しっかりした道状で、直進方向には「登山道⇒」の標識はあるが、それに比べても違いがわからないほど明瞭だ。方向からして稜線に出るのだろうと、これを使う。
 ほどなく稜線に出た。ここから少し東に向かう。そろそろ雨が落ちてきた。傘を広げたら向こうからハイカーがやって来た。道から逸れて待機された。考えてみれば、いや、考えずとも、傘をさして歩いていれば先方には邪魔になる。三人横並びで歩いているのと同じだ。傘をたたんだ。この程度の降りなら傘も必要あるまい。

(古井戸跡。ただの窪みで、井戸跡とも思えないが、以前はもっと「なるほどな」と感じるものだったのかもしれない)


(修行の石碑。こんなのでも200年前のものだ)

(ここが八王子山らしい)


(八王子山から茶臼山。近すぎて、ここに狼煙の中継基地を置くには無理もあるような気もする)


 庚申塔の先で左手向きに「金山城北の砦 古井戸跡」の標識があった。ここは以前にも立ち寄ったが、今日も寄り道する。井戸跡はすぐ目の前にある穴ぼこ。砦跡はその先だ。砦といえば、さっきの茶臼山にも砦が置かれていたらしい。先に行くと、「籠山千日満行所」と記された石碑。文化十年とあり、何やら文章か歌のようなものも記されているが、自分には読めない。ここで千日行をして即身仏になった仏僧でもいるのか。奥には「八王子」と記された石碑と「空風火水地」の石碑。ここが八王子山らしいが、砦というよりも、宗教色の強いスポットだ。ここから北北西方向に茶臼山が見える。茶臼山の狼煙をここで中継でもしたのだろうか。

(自分にはよくわからないが、普通、庚申塔は山中ではなく里にあるものだ。さっきの庚申塔と合わせ、不思議でしょうがない)


(アルファベットだったり、ひらがなだったりの標識)


 戻って先に行くと、早々に自然の家に戻る分岐にさしかかる。ここはそのまま「籾山峠 石尊宮」方面に向かう。また庚申塔。さっきの庚申塔よりも大きい。そのまま通り過ぎてもいいが、左手に小ピークがあるので登る。前にも行ったことはあるが、確か「水道山」の山名板があったと記憶している。
 ピークには何もなかった。水道山板も外されていた。この辺の山名にこだわる方がいるから、撤去でもされたのか。それとも、間違っていたから外したのか。いずれにしても、普通のハイカーには、細かいピークの山名はさして意味のあるものではない。庚申塔に戻ったが、さっきから気になっている標識が置かれている。ここには「ね」とある。何のマークだろう。以前はなかったと思うが。
 また東毛自然の家への分岐。ここの標識には「不整合」も併記されている。ここの不整合ではないが、どこかで不整合を見たことがある。何だ、これが不整合かといった感じだった。この分岐も通過。

(ここから自然の家に向かう。石尊コースになる)


(言わずと知れた石祠)


 石尊コースの分岐になった。ここの標識には「石尊宮 十一面観世音 勝負沼」とあって、すでに自然の家の記載は消えている。ここを下る。すぐ先には「この登山道 通りぬけできません」の案内板。先に行けなかったら戻ればいい。
 早速、大好きな石祠があった。二基と屋根部だけが二枚。これが石尊宮。文政の文字が読みとれる。直接の関係があるのかどうかは知らないが、ここの八王子丘陵の唐沢山のことを石尊山ともいうらしい。ということは、少なくとも唐沢山に続く道が信仰の道でもあったのだろうが、今のように遊歩道が整備される以前の唐沢山に続く道は、菅塩峠から先は周囲の見えない猛烈なヤブの間にか細い道が通っていただけで、イノシシでも突進して来たら、逃げ場はなかった。それが信仰の道とは思えず、遊歩道になった今になっては、古道も埋もれてしまっているだろう。余談だが、一回目の唐沢山には桐生側からあっさりと登った。その後に太田側から入り込もうと挑戦したが、ひどいヤブと複雑な地形に二回失敗していた。

(こんな歩きがずっとあればいいが、八王子丘陵の最標高は294mの茶臼山だ。あっという間に里だ)


(石仏があって)


(十一面観世音)


(その下にあった看板。石仏は後ろの岩に置かれている)


 まだ、その先に明瞭な道が続いている。ここで折り返しではないようだ。普通、「この先通行止め」のロープが張られているものだ。雑木がまばらな雰囲気の良い歩きになる。ここを歩くハイカーがいるとは思えず、傘をさすことにした。
 道がうやむやになり岩場が現れた。たいした岩場ではないが、その合い間に石仏二体、石碑一基があった。石碑には「青木沢石尊本地 十一面観世音」とある。これが標識に記されていた観音様か。頭の上に顔が十面ある。本体と合わせて十一面ということか。

(左に見えるのが勝負沼だろう)


(この二つの標識では、この先に登れるのかどうなのか見当がつかない)


 下に行くと、真新しい十一面観音の看板が置かれていた。見下ろすと、もう沼というか灌漑用の溜池が見え、隣には、この辺では定番のソーラーパネル。あれが勝負沼か。ソーラーパネルの設置からして、私有地につき通行不能ということだったらしい。だが、結局、バリケードもなく、パネルの柵の脇をあっさりと下れた。入口には何とも矛盾した標識が置かれていた。「勝負沼」という名称に特別な由来はあるのだろうか。

 あとは石切場を経由して自然の家に戻るだけのことだが、道中でスマホを出して天気具合なんかを見ていて、ついでに中島飛行機地下工場をGoogle Mapで確認すると、石切場とは離れた位置にあり、それどころか、まさに八王子霊園の敷地の中にあった。千葉のオッチャンに問われたところから200mほど先のところだった。オッチャンに悪いことをしたなぁと思ったが、今さらどうにもならない。おそらくは戻って見て帰ったろうと思うことにした。石切場と中島飛行機との関係はまったくない。改めて記すことでもないが、中島飛行機とは今のスバルのことだ。仕事がらみで80歳過ぎのジイチャンと話をしていたら、その方は中卒の集団就職で50年スバルに勤めたが、その間に社名が三回変わったとおっしゃっていた。

(立入禁止に入る。木道は腐っている。これを通らなきゃいいだけのことだが)


(石切場跡1)


(石切場跡2)


 この先はもうノルマの消化のようなものになっている。石切場に入り込むと、山中で出会ったネエチャン二人が帰るところだった。同じコースを歩いたのだろう。他に見物客はいない。腐りかけの渡しの板に注意しながら奥に入り込む。ここは今、立入禁止になっている。相変わらず、暗い陰気な世界だ。

(里山歩きは、一瞬、一瞬の気持ち良さで終わってしまう)


(また沼。菅塩から入っても、八王子丘陵の下は沼が多い)


(滝野神社)


(東毛青少年自然の家に戻る)


 また山に入り込み、これは尾根を越えるといったところだが、下ると神社があって、後は車道を少し歩いてフィニッシュ。
 歩きタイムは1時間55分。茶臼山での休憩やらを除けば実質一時間半ほどのものだが、特別な疲れやら、息切れ、筋弛緩もなく歩けた。あっさりした〇の字歩きだろう。

(ここが入口。ゲートを開けて入る)


(この解説板には、280人の中国人が強制連行され、50人が過酷な労働と栄養失調で亡くなったと記されている)


(立入禁止なのを承知の上で)


(中を撮る。即席の工事だったようだから、奥には入れまい。目の前の糸は蜘蛛の巣)


 さて、ここで帰路に就く前に件の「旧中島飛行機地下工場」に寄り道する。スマホで確認済みであったから、外から見ただけで中には入れないが、ここにあった解説板を読むと、終戦ぎりぎりに掘削し、予想どおりに、使役された多くは中国人の強制連行だったようだ。やはりなぁといった感だ。創業者の中島知久平は政友会の重鎮でもあった。軍需産業に手を出し、金の力でのし上がったところもあったろう。戦後は戦犯にも指名されている。そんな人物が、今では郷土の生んだ偉人になって、金山にも銅像がある。
 車に戻ると、雨も大分強くなってきていて、しばらくすると車のワイパーの回しも忙しくなった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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2 コメント

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十一面観世音 (ハイトス)
2019-03-13 22:13:27
こんばんは。
八王子丘陵の主立ったポイントは歩いているのですが、 十一面観世音と雷電山はまだ行っておりませんでした。
そこで昨年末に籾山峠から歩き始めて分岐を南に下り雷電山へ、そして勝負沼から 十一面観世音へと思ったのですが、例の太陽光パネル群を避けるように沢の右岸から藪を漕いで尾根へ上り詰めると 十一面観世音を通り過ぎた場所に出てしまい石尊宮とバッタリでした。
そこで尾根をまた降るのもなんなのでそのままかえってしまったのですが、そうですか太陽光パネルの際を登れば良かったのですね。
たそがれさんの様に上から降れば踏み跡に沿って行けたようですね。
ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2019-03-14 19:04:04
ハイトスさん、こんにちは。
なるほど、そういう経緯がありましたか。記事にはありませんが、結構、マメに歩かれていますね。
十一面観世音は、確かに、下から行くと、「石尊コースは通り抜けできません」とあり、その上には「石尊宮←→勝負沼」と看板が置かれていて、つまりは十一面観世音には行けなくなってしまいます。
あの沢の右岸側を行くしかないと思うのもまたごもっともでしょう。観世音はソーラーパネルからすぐのところです。逆方向からだと、下ってすぐにパネルと沼が見えますから、私のように、だれでもそのまま下ることでしょう。
雷電山というのは知りませんでした。調べてしまいましたよ。そんな山があったのですね。今度、その雷電山に行ってみようと思いますが、いくら何でもそれだけではねぇ。さりとて、観世音も見たし、石切場ももう結構となると、行く機会があるかどうかです。

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