たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

城峯山(北武蔵)。人様と違った歩きを目論んだら、時間に追われてしんどいことに。【その2】

2017年03月13日 | 奥武蔵の山
【その2】
その1】の続きです。そろそろ危険地帯に足を踏み込みます。

(ここで改めての通行止めになると解釈した。ここは右。尾根の直進は無謀だろう)


(がっかり気分で鉄塔下で休憩)


 さもダンプが往来するといった感じの土埃っぽい車道を進むと、やはり道は分岐し、左側はゲートで閉じられて立入禁止。林道の間には町境の尾根が続いている。ここを強引に尾根伝いに行けばどういうことになるのか。最初のピークは越えられても、そのまま砕石場に突っ込むことになる。賢明ではないといったレベルではなくこれは愚かなこと。やはり右の林道をずっと歩いて風早峠に出るしかないだろうな。かなりがっかりした。
 左の尾根を見ながらの車道歩き。右に鉄塔が見えたので、その下に腰かけて一服した。そろそろ疲れてきた気配。休憩の間合いが短くなり、その都度の一服で、タバコ吸いが多くなっている。傍らを軽トラが2台通過。ハンターのようにも見える(埼玉県は3月15日まで狩猟可)。さっきから絶え間なく銃声が聞こえてきていたが、長瀞の射撃場の発砲音にしては音が近かった。やはり今日あたりいるようだ。

(やはり、この辺で尾根に取り付いてみようか)


 先に行くと、低い尾根が見えた。地図に照らすと、この尾根は砕石場の上の町境尾根に合流している。これ、行けんじゃないのか。あくまでも町境尾根にこだわりたい。このこだわりが、後で体力と時間のムダ使いということになってしまう。

(野放図の尾根)


(鉄塔までは出た。正面に冴えない感じの岩峰が)


(砕石場の上に出た)


 ヤブをこいで尾根に出る。かなり荒れている。間伐の枝が邪魔をして登りづらい。鉄塔に出る。ここに神泉村二等基準点がある。そんなことはともかく、この先が岩峰のようになっている。嫌な予感がした。なぜかそれきりのピンクテープがあったりしたが、下ると砕石場の敷地上に出た。掘削エリアが地図よりも広がっている。砕石場を覗くと、今日は稼働していない。これがそうでなかったら騒がれる。

(巻くはいいがしんどい)


(こうもなったり)


(崩れ斜面のトラバース)


(ここの直進は無理。左が砕石場に落ち込んでいる)


 岩峰と思ったのは、尾根が削られてそうなっただけのことだが、直登はできず、右手から巻く。この巻きもまたひどいもので、間伐(というか、砕石のための伐採だろう)が野放図になっていて、遅々として先に進まない。ようやく上がると、次の岩峰が控えていた。
 ここもまた右から巻くが、尾根に出るとその先が倒木地獄で進めずに撤退。さらに回り込むと、今度はもろい急斜面。土砂が随分と流れ落ちている。というか崩れている。慎重に渡って、どうにか尾根に復帰はしたが、今度は、左側の砕石場寄りのヘリ部分がかなり落ち込んでいた。こんなところ歩けやしないと、また回り込んで先に行く。

(安全圏に入ったようで)


(614m三角点。バックは715mピーク)


 何とか安全地帯に達したが、こんなところで足止めくらって悠長なことをやっているようでは、城峯山まで行けるのかいなとかなり不安になってきた。最悪、1003m標高点の鐘掛城跡から下って最終バスに間に合わせるしかないか。間に合わなかったら、バス停から皆野駅まで12km歩かねばならない。やはり、郷に入れば郷に従えで、余計なことを考えずに車道歩きに徹するべきだったか。まぁ、なるようになるか。
 砕石場から離れ、ようやく安泰になったかと思ったら、今度はイバラ付きの枝ヤブだった。ここもまた通過に手間どる。614m三角点で水をガブ飲みし、三角点標石に腰かけてまた一服となったが、目の前には715m標高点らしきピークが見え、あそこまで登り返しかとうんざりもする。ただ、これまでと違って、着実に標高を稼いでいるようで、少しは上向きになりつつあってほっとはする。ここで、靴を脱ぎ入り込んだ木クズを叩いた。

(その先も楽勝とはいかない)


(715m標高点ピーク)


(展望は良い)


(城峯山)


 標高差100mほどを登る(実際は一旦20mほど下る)。さすがにきつかった。歩きタイムも押し寄せ、急がねばと焦りはするが、身体がいうことを聞かない。ちょっと歩いてはゼーゼーとなる。そのうちに、右足の股に痙攣の兆し。今さら効きもしないだろうがと芍薬甘草湯をおまじないで服む。これが珍しく効いて、以降は兆しも起きなかった。
 横倒しの木をまたぎ、枝を払い、さらにはトゲに刺されて715m標高点ピーク。アンテナがあった。ここは周囲が刈られていて、西側は開けている。奥に白い峰々が連なっている。アルプスの一角かもしれない。だが、この景色を眺めて一服している場合ではなくなっている。すでに11時50分だ。見えた城峯山はちっとも近くなっていない。町境尾根にこだわって足踏み状態が続いてしまったようだ。
 この715m標高点ピーク。後日知ったことではあるが「金沢城山」という山らしい。詳しくは知らないが、ここにも城か砦があったのだろう。

(距離感不明の標識)


 登った分損をした感じで下って行くと、久しぶりに標識に出会った。ちょうど、東西から破線路が続き、この尾根と合流しているところだ。標識には、なぜか「風早峠9.0K」と記されている。これはどこからの距離なのか、峠はすぐそこのはず。下に落ちた片割れには「浜ノ谷・鳥羽11.5K」とある。地図を見ると、西側に「浜の谷」という地名がある。それでおかしなことに、この標識の柱の下には「風早峠・神泉村」と記されている。ここが風早峠とも思える記し方だ。

(風早峠)


 わけがわからないままに登って行くと、人がたむろしている。オレンジ色のヤッケを着たジイチャンが数人。軽トラ数台。荷台の犬の吠え声がけたたましい。にやにやしたジイチャンに声かけられた。どこへ行くんだいと聞かれ、城峯山だと答えた。聞かれたついでに猟ですかと聞くと、イノシシだそうな。上には行かないと言っているが、やけに気安い感じなので、雑談しながら様子を窺うと、鉄塔下で休んでいる時に通り過ぎた軽トラに乗っていたジイチャンのようだ。あれから1時間半も経っている。どうも1時間はムダ使いした気配がある。砕石場上の通過に大した満足感もないだけに泣けてくる。追い打ちをかけるように、こうやって来たと話をしたら、そのままこの道を来ていたら早いのにとあっさりと言われてしまった。

 地図では車道から離れて実線、破線でここに至る形になっているが、軽トラとはいえども、ここまで破線路で来られやしまい。現に舗装道になっている。何だか騙された気分がしないでもない。ここが風早峠と思い、一服入れるつもりでいたが、そそくさと目の前のヤブめいた急斜面を登って立ち去った。

 落ち着いたところで倒木に腰かけて昭文社マップを広げる。ここからさらに奈良尾峠を通過して鐘掛城跡に至るのだが、実線も破線もないコースを歩いているから、参考タイムも記されていない。いったい、城峯山までどれくらいかかるのだか。時計を見ると12時。遅くとも14時までに鐘掛城に着いていないと、城峯山を往復できないのではないのか。どんどん焦ってくる。

 焦っていながらも早速、776.7m三角点に立ち寄って休んだりしている。地図を改めて見る。鐘掛城跡までの標高差は単純に引き算すると230m程度のものだが、その間に6つほどの小ピークがあり、これはそれぞれ下っては登り返しということだろう。嫌になってしまうが、交通の便を考えると、鐘掛城跡まで行かないことには下ることもできない。

(幅広の道が出てくる)


 植林の中の歩きがずっと続いている。この辺はヒノキが主体のようだ。尾根からちょっと外れたあたりに幅広の道が現れた。これを歩けば楽かとそこを歩いたが、尾根から外れていくような気配があり、元に戻りはしたが、結局はその幅広の道に合流してしまった。これまでと違って格段に歩きやすくなった。
 832m標高点付近、12時46分。このタイムがどんなものかは知らないが、風早峠からこの辺までずっと右下に林道が見え続けている。つまり、少しの傾斜を我慢すれば、林道のどこからでも尾根に取り付けるということになるが、こちらはアップダウン繰り返しで歩いているというのに、すまし顔の林道を歩けば早いに決まっている。複雑な思いにもなるというもの。

(奈良尾峠で向かいの尾根に)


 やはり奈良尾峠で林道とクロスした。林道名は「奈良尾線」となっている。下りの勢いもあったので、休まずにそのまま向かいの尾根に取り付く。岩が少しばかり出てきたが、すぐに消えた。置かれた標識には「城峯山2.8K」。平坦地なら早足で30分なのだが…。隣り合わせに「秩父華厳の滝 ♨日帰り温泉 ⇒」の案内板があった。温泉に浸かってバス待ちという手も使えるなと頭をかすめたが、そのイメージは捨てることにしよう。

(唯一の石祠)


(休むハイカーがいそうもないベンチ)


 新しい感じの石祠を見て鉄塔。そしてまた右手真下に林道。皆野町が設置した「城峯山奈良尾コース」の標識が出てくる。林道に駐車してここから登るということか。これまでのことを考えると、それは楽だろうな。ベンチなんか置かれているが素通り。
 この辺が公園風になっているのは後で気づいたことだが、目の前の825mピークに登って下ると、林道からそのまま公園経由で入れる道に合流してしまった。損したとか得したといった感覚はもうなくなりつつあり、これを知ったところで何も感じない。

(つらい登りになった)


(少しはなだらかになったか)


 もう一つピークを越えて下る。後は鐘掛城後まで登り続きになるはず。この登りが結構つらい。激斜面にも感じる。すぐに立ち止まってしまう。右手から破線路が入り込む。ちら見の城峯山は指呼の間と言いたいところだが、まだまだ先じゃないか。

(ようやく鐘掛城跡に着いた。長かった)


 鐘掛城1003n標高点着。13時49分。遅くても14時着目標は達成。改めてこの先の時間配分を考える。お腹は空いているし、城跡探索もしてみたいが、そんな余裕はない。で、ここからバス停まではコースタイムで1時間。下り一辺倒だろうからそのままのタイム採用で1時間。城峯山往復で45分か。かなりバテているのでこれは1時間とする。トータル2時間。バスは15時54分。ここに14時45分までに戻るとすれば…時間が5分足りないじゃないか。バス停までの下りで一部区間は走るしかないようだ。ここまで来たのなら城峯山まで行くしかあるまい。ただ、城峯山での持ち時間はナシということになる。

 城跡の案内板だけは読んだ。そうかここは武田が西上州を攻めた時の出城だったのか。それだけの確認。最近、角川文庫の『関東戦国史』というのを読んで、少しは往事の状況がわかるようになった。戻って時間があったらゆっくりと見たいが、それは無理だろう。

(城峯山に向かう)


(下った階段を振り返る)


 いきなりの階段下りに圧迫を感じた。下りきって見上げる。ここを後で登り返しか。きついなぁ。ここが復路のネックになりそうだ。先に行くと、左に道が分岐し、標識には「城峯山・まき道」とある。これは幸いと入り込んだが、ふと思った。まさか城峯山本体を巻いて先に行く道ではないだろうな。どうも素直な気持ちになれない。戻ってまた登る。そして下る。すると、さきほどの巻き道がニヤニヤした顔で合流した。

(石間峠)


(直下の登り)


(ようやくシンボルタワーが目の前に)


(城峯山山頂)


 石間峠に出た。車道クロス。東屋+トイレ付き。車、ハイカーの姿なし。また階段の登り。正面に電波塔が見えた。ヤレヤレと山頂に到着した。城跡から25分。5分の余裕ができた。

(急いで展望台から)


(その2。両神山だけはわかる)


 山頂にはジイチャンが腰かけて休憩している。電波塔に上がれそうなので、「上は展望いいですか?」と聞くと「360度だよ」と返事が返った。上がらなきゃ損だろう。展望台に登ると青年が2人いた。確かに360度だが、感慨を抱きながらゆっくり味わっている時間はない。四方に置かれた展望パネルを撮っては、その先の山並みを急いで撮った。その間、青年たちは立ち去った。

 この城峯山、こんな急ぎ足になろうとは思いもしなかったが、予定では山頂周囲を探索し、城峯神社やら将門隠れ岩にも行くつもりでいた。こんなに展望の良い山なら、また改めて来ることにしよう。電波塔を下りると、もうだれもいなかった。大きな一等三角点の標石を前にセルフ撮影をして下ることにする。

(西門平への巻き道。まさに快適)


 階段の下でジイチャンをとらえて石間峠。この先で例の巻き道を行くとして、その先、城跡下の階段登りは避けられない。最後の登りと思えば気も楽だと思うようにした。
 こちら側からでは「まき道・鐘掛城」となっている巻き道を歩き、先に行くと、来る時は気づかなかった分岐が右にあり、ここに「まき道・西門平」の標識があった。これはまさに天啓だ。時間があったら城跡見学の考えはあっさり捨てた。ここでも、また来ればいいじゃないかと先送り思考になった。

 傾斜なしに下りルートに合流。14時39分。時間に余裕ができてしまった。これなら山頂でもっとゆっくりできたのになぁと思っても、巻き道が2本もあったのは想定外だった。

(退屈な下りだったが、アクセントもあった。この程度だが)


 どんどん下る。ここもまた巡視路になっているが、ふれあい道にもなっている。したがって道標もあちこちに置かれている。斜面が急なためか、クネクネした道になっている。

 途中、鉄塔のコンクリに座って遅い昼食タイムにする。少しばかりの時間的余裕はできたが、コーヒーやらスープを飲むような時間はなさそうだ。せっかくお湯を持ってきたのに残念。一服しながら、頭に浮かんだ新たな問題は極めて俗っぽいことだった。この先、破風山経由で下るなんて考えはすでに頭から遠ざかっているし、無理な話だ。そんなことではなくバス代のこと。事前調べで290円であることは知っていたが、ちょうどの金額の持ち合わせがない。ふだんバスには乗り慣れていないし、各地で乗る勝手が違う。支払い箱の脇の両替機を使えばいいだけのことだが、どのタイミングで両替をすれば恥をかかずにすむのか。些細なことがえらく気になった。

(林道に出る)


(ふれあい道でなかったら、朽ちた橋のままかと思う)


 荒れた林道に出た。林道をそのまま行ってもいいようだが、道標が微妙な方向を向いている。目をやると林道を挟んで植林の小道が続いていた。沢には新しい橋なんか渡されている。さすがふれあい道といったところだ。

(神社を見て)


(石碑)


(バス停)


 再び林道。ここは「門平線」。左に神社が見えて立ち寄ったが、何神社というのかはわからなかった。お稲荷様のようではある。

 民家が出てきて一般の車道に合流。バス停はどこだ。右手にはなさそうだ。左に下ってカーブを曲がるとバス停があった。何だまだ20分もあるじゃないか。バス停の上には東屋があり、そこで待とうかと思ったが、山歩きスタイルの青年2人の姿が見えたので、バス停脇のつぶれたベンチに腰かけた。あの青年達、城峯山で出会った方々だろうか。顔はろくに見もしなかったが、自分には外人の顔と同じで、最近の青少年の顔は皆同じように見える。特徴がなければ特定もできないだろう。
 町営バスにはこの3人でしばらく乗ったが、華厳の滝、満願の湯でハイカー、写真が乗り込んできて立ちも出た。30分ほどの乗車で皆野駅に到着。悩んでいた両替は、降車時にさっとやって目立つような事態にはならなかった。

(長瀞町役場に戻った。もう夕暮れ時だ)


 今日はとんだところでトラブルに遭い、途中で時間も読めなくなる歩きになって慌ててしまった。予定の城峯山までは行けたものの、360度の山頂で時間もとれずにそそくさと下る始末になった。いずれハイトスさんコースで改めて歩いてみよう。
 しかし、今日のアップダウンの連続はきつかった。距離が長ければどうしてもそうなる。帰ってからカシミールで見てみると、累積標高差は1750mになっていた。

 さて、長い一日はこれで終わらない。皆野駅では20分後に上り電車があった。だが、この駅のホームは上り下りの共用。ホームに電車が入ってきた。ホームで待っている人の大半が乗り込んだ。この時間帯だ。大方は上り線に乗ると思ってしまう。平日と土日の時刻表を読み違えたのかと思い、自分もつられて乗り込んだ。何駅か先に行って気づいた。上下線を間違っていた。乗る予定の電車はすでに行ってしまい、寒いホームで待つことになった。

(要所の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

コメント (14)    この記事についてブログを書く
« 城峯山(北武蔵)。人様と違... | トップ | (再び)足利ブラブラ歩き »

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
城峯山 (HIDEJI)
2017-03-14 20:30:46
たそがれさん、こんばんは。
ロングコースお疲れ様です。
横隅山は北武蔵ではメジャーな山の部類で、私もいつかはと考えておりましたが、近くに車を停められそうな所がなさそうなのと、駅から歩くにしても舗装路の歩きが長そうなので、二の足を踏んでおりました。
そこを条峯山まで歩き通されるとは、そんなパターンがあるのかと、驚きとともに山と高原地図をチェックいたしました。
しかも、城峯山から駅に戻る道すがら、場合によっては破風山にも寄れるのですね。ただし、その場合は累計標高差などから言っても、もはや日帰りのレベルではなくなりそうですね(^_^;)
バスと電車を有効に使うとぶなじろうさんのお歩きと同様に、このエリアも面白そうなルート設定が出来るのですね。
以前、城峯山ではあいにくの曇天で展望が楽しめず、機会があれば行ってみたいと思いますが、城峯山から父不見山へ繋げられないものかと気になりました(^_^;)
返信する
HIDEJIさん (たそがれオヤジ)
2017-03-14 22:51:08
HIDEJIさん、こんばんは。
父不見山と城峯山をつなぐ歩き、いろいろ調べると、こんなのがありました。すでにHIDEJIさんもご覧になったかも。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-603704.html
下りは破風山経由付きですが、途中でテント泊ですね。群馬から入ればこうもなるでしょう。
これをベースにするとして、小鹿野の長沢というところまでバスで行き、坂丸峠に北上すればショートカットできそうだし、敢えて塚山に登らずとも、土坂峠からは東に林道歩き。太田部峠の先から町境尾根を949m経由で城峯山といったルートも可能かも。
肝心の長沢というところまでは、西武秩父駅からバス乗り継ぎで行けそうです。土日でしたら、西武秩父7::00⇒小鹿野町役場7:35 同7:40⇒長沢8:20。
前後は車で適当な駅にデポになりますか。果たして、これで日帰りが可能かはわかりかねます。ただ、これからは日も長くなるし、HIDEJIさんには無理からぬルートかも。
余計なおせっかいぽいですが、こちらもHIDEJIさんプランに興味があったのでちょっと調べてみました。

今回のルートですが、歩行は20kmありましたが、正直のところ、あまりお勧めとは言いがたいところがありますね。ほとんどが植林尾根の歩きでしたし、歩いていて苦痛といったところもありました。採石場に近づくのはよした方がいいし、ムダな歩きにもなりますから、林道歩きが無難です。
返信する
続きです (HIDEJI)
2017-03-15 20:09:34
たそがれさん、こんばんは。
何度も恐縮ですが、詳細な情報ありがとうございます。
横隅山はいずれ歩くといたしましても、教えていただいた長沢から上武国境稜線を結ぶルートに非常に興味を覚えました。群馬からのレポは初めて拝見しましたが、長沢からルートは地形図で確認いたしました。総距離約28km強、累計標高差が上り2,600m、下りで3,000m程あるようで、歩き甲斐ありますね。
日帰りで歩けなくもなさそうですが、早くて11時間弱、おそらく12~13時間は掛かりそうです。
通常は日が長い時期に4~5時頃から歩き始めるパターンかと思います。バスを使うとして、長沢バス停での歩き始めがAM8:20だと、後半は確実にヘッデンのお世話になりそうですが、破風山は一度歩いたことがあり、ルートもしっかりしていた記憶がありますから、そそられます。
返信する
Unknown (ぶなじろう)
2017-03-15 21:57:27
今晩は。
荒川北岸の山々はほとんど知らないのですが、長距離且つ累積標高差1700m超は恐れ入ります。数値データを見ただけで、腰が引けてしまいます。城跡見物を兼ねて、何回かに分けて歩いてみたい気持ちはあるのですが。
電車の乗り違いは、まいりますね。自分だったら、一杯飲んでしまう所ですが、車に乗らなければならないとなると、そうもいかないですものね。
返信する
HIDEJIさん (たそがれオヤジ)
2017-03-16 09:11:06
HIDEJIさん、おはようございます。
HIDEJIさんのご発想そのものがおもしろくて、つい調べてしまいました。
どこの山域でもそうですが、県境の稜線を歩くというのは、何というか、最深部を歩いているといった感があって、気分的にいいものですよね。
距離はともかく、累積標高差はそんなにありますか(驚)。それは歩き甲斐なんてものではなく、やってしまったら快挙でしょう。HIDEJIさん、楽しみにしておりますよ。
でも、やはり早朝のうちから歩きたいものですね。私は、HIDEJIさんの様子をうかがってからということで。
返信する
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2017-03-16 09:11:36
ぶなじろうさん、こんにちは。
累積標高差だけでは、「こんなに歩いたのか」といった程度のものです。歩き時間からして、結果がそうなったということで、これが短時間の歩きだったら、相当にきつかったでしょうね。
あの辺も結構、城跡がありますね。今回の鐘掛城は、ちょっと期待して行っただけに、素通りではもったいなかったです。再訪する際には、もっと周辺の城跡も含めて、よく見てこようかなと思っています。
電車のミス、実は気づいたのが3駅先の秩父なんですよ。大野原あたりであれっと思ったのですよ。車ではなく電車で行ったとして、私の場合は寝過ごしておそらく羽生まで行き、館林経由で帰ることになったでしょう。
返信する
城峯山 (ハイトス)
2017-03-17 01:22:56
9時間超ですね。
お疲れ様でした。
なるほどそういうことでいたか。
バスの時間にせかされたのですね。
最初ざっと見たときに城峯山へ行って城峯神社や将門隠れ岩に寄らないのはなぜかなと思いました。
採石場のえぐれた場所はそのまま進めそうにありませんね。
歩いていくと崩れ落ちそうです。
横隅山も含め自分が検討時は思いもよらないルート採りです。
返信する
ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2017-03-17 06:44:47
ハイトスさん、おはようございます。
いやいや、9時間ではなく8時間20分ですよ。バス待ち、バス乗車がありましたから。
ハイトスさんと違って、私の家からは安蘇山塊よりもアクセスが近いエリアですから、どうしても歩く機会が多くなる。となると、ある程度は詳しくもなるもので、そこで出てきたのが横隈山なのですが、どうせなら一遍で歩こうと思ったものですから。
将門隠れ岩を覗くのは超難関のようですね。おそらく途中で引き返しでしょうが、せめて、神社を含めて、ゆっくりと過ごしてみたいと思っております。その際はハイトスさんコースになるでしょう。
今回の歩きで知ったのは、うかつに砕石場に近づくとえらい思いをするといったことです。足利鉱山ではさほどのものでもなかったですけどね。
返信する
Unknown (みー猫)
2017-03-17 21:21:54
こんばんわ。
どうも土地感がないのでなんともいえないので地図を確認してやっとわかりました。バスの両替が気になる話は全く同感です(笑)慣れてないからなんでしょうね。最近、suicaをスマホに入れたので使えればチロリンで済むようになりましたが。ルートの話でなくて申し訳ないですが、攣った時にチタンテープを貼るのは結果どうだったんですか?自分が見逃してればたいへん申し訳ないですが・・・。
返信する
みー猫さん (たそがれオヤジ)
2017-03-17 22:43:00
みー猫さん、こんばんは。
今回はロング歩きで2編構成となりましたが、やはり超地味なエリアの歩きだったせいか、むしろ、みー猫さんにお付き合いいただけでも幸いといったところです。
今回は、単に、城峯山という埼玉では人気の山にわざわざ遠回りして行って、見るべきものも見ないで急いで帰ってきたというだけのことです。
チタンテープについては、新たな発見で「これからはこれだ!」と思っていたのは確かなことですが、このコメントでみー猫さんに言及されるまですっかり忘れておりました。しばらくはザックの中に入れていましたが、これ何だっけ?といったレベルになり、いつの間にやらザックの必須用具からは外され、今回は薬箱から芍薬甘草湯を取り出したといった形です。
最近は以前のように痙攣が起きなくなったので、意識も薄らいだのでしょうが、芍薬甘草湯も在庫切れになりましたので、改めてチタンテープを意識して歩くようにいたします。
実証の結果はしばしお待ちください。
どうでもいいことですが、suicaも秩父鉄道では使えません。さらにその先の路線バスでは現金ニコニコ払いですよ。suicaをスマホに入れるということ意味が私には??ですわ。
返信する

コメントを投稿

奥武蔵の山」カテゴリの最新記事