少し元気が出てきたので旅に出た。
行きは仕事で帰りは自分の余暇の為。
行きの仕事は長野市内までの片道400kmの夜中の運転である。
帰りは、長野駅から電車を乗り継いで帰ることにした。
で、長野駅で塩尻行きの各駅停車に乗車する。
ホームでタバコを一服と思い、喫煙所まで歩いて行くと
出発準備の車両点検を行っている若い運転手さんに声を掛けてみた。
「代わりに運転させて!」
当然であるが断られる。
「景色の良い方向は進行方向のどちらに座れば良いか?」
進行方向の右側との事。
運転手さんは自身運転していて景色は右側が良いと思っていると言っていた。
更に、
「是非、姥捨駅ではホームに降りて駅からの景色を見てください!」とのこと、
2分の停車時間があると言うので降りてみる事にしようと思った。
長野を午前8時11分発車。
赤く実をつけたリンゴ園の中を電車は走る。
車内の空気も
りんごの香りがする様に思うのだが・・・・・・・・・。
で、姥捨駅。
上の画像左からの線路を登ってきた電車は駅を行き過ぎて画像では見えない
前方にある待避線へ登り、後退で画像にあるように
右側の電車のあるホームへ到着する。
先ほどまで前進していた車両が後進してホームに着く。
初めての経験、《スイッチバック》である。
言葉が無い。
すばらしい景色。
そのアルプスの峰と景色を後にして松本に着く。
松本からは中津川行きの普通電車。
松本からのこの電車も右側に座る。
先ほどの運転手さんが又この電車を運転しているようである。
昨夜は下に見える国道19号線を塩尻方面に向けて走っていたのであるが、
明るい間に反対方向へ向かっている電車からの車窓で移り変わるその風景は
夜の運転でのただ距離数を表示している道路案内標識を見るだけの
暗とした中の青の刺激とは比べ物にならなく変えがたい感動を感じることができる。
上の画像の電車は松本駅での《あずさ》
8時丁度ではないが、なぜか狩人を思い出してしまうのは私だけではなかろう。
あずさ2号 ~ 狩人
中津川からは名古屋行きの快速電車。
名古屋からは大垣行きの快速電車。
大垣から米原行きの普通電車。
この普通電車も近江長岡辺りの風景は伊吹山を眺めるすばらしい風景が開けている。
これも右側。
米原からは播州赤穂行き新快速。
で、京都着は16時半。8時間半の電車の旅。
半分は寝ていた。
嗚呼、私も《スイッチバック》が必要と思う今日この頃でもある。
狩人のあずさ2号の歌詞の様な経験をしたのかもしれない。
行きは仕事で帰りは自分の余暇の為。
行きの仕事は長野市内までの片道400kmの夜中の運転である。
帰りは、長野駅から電車を乗り継いで帰ることにした。
で、長野駅で塩尻行きの各駅停車に乗車する。
ホームでタバコを一服と思い、喫煙所まで歩いて行くと
出発準備の車両点検を行っている若い運転手さんに声を掛けてみた。
「代わりに運転させて!」
当然であるが断られる。
「景色の良い方向は進行方向のどちらに座れば良いか?」
進行方向の右側との事。
運転手さんは自身運転していて景色は右側が良いと思っていると言っていた。
更に、
「是非、姥捨駅ではホームに降りて駅からの景色を見てください!」とのこと、
2分の停車時間があると言うので降りてみる事にしようと思った。
長野を午前8時11分発車。
赤く実をつけたリンゴ園の中を電車は走る。
車内の空気も
りんごの香りがする様に思うのだが・・・・・・・・・。
で、姥捨駅。
上の画像左からの線路を登ってきた電車は駅を行き過ぎて画像では見えない
前方にある待避線へ登り、後退で画像にあるように
右側の電車のあるホームへ到着する。
先ほどまで前進していた車両が後進してホームに着く。
初めての経験、《スイッチバック》である。
言葉が無い。
すばらしい景色。
そのアルプスの峰と景色を後にして松本に着く。
松本からは中津川行きの普通電車。
松本からのこの電車も右側に座る。
先ほどの運転手さんが又この電車を運転しているようである。
昨夜は下に見える国道19号線を塩尻方面に向けて走っていたのであるが、
明るい間に反対方向へ向かっている電車からの車窓で移り変わるその風景は
夜の運転でのただ距離数を表示している道路案内標識を見るだけの
暗とした中の青の刺激とは比べ物にならなく変えがたい感動を感じることができる。
上の画像の電車は松本駅での《あずさ》
8時丁度ではないが、なぜか狩人を思い出してしまうのは私だけではなかろう。
あずさ2号 ~ 狩人
中津川からは名古屋行きの快速電車。
名古屋からは大垣行きの快速電車。
大垣から米原行きの普通電車。
この普通電車も近江長岡辺りの風景は伊吹山を眺めるすばらしい風景が開けている。
これも右側。
米原からは播州赤穂行き新快速。
で、京都着は16時半。8時間半の電車の旅。
半分は寝ていた。
嗚呼、私も《スイッチバック》が必要と思う今日この頃でもある。
狩人のあずさ2号の歌詞の様な経験をしたのかもしれない。