(つづき)です!
心は独立して存在するのではなく、連続してあるのだというのです。
または、心は引き続いて存在するとも・・・。
心が思ったことは、その場で消えてしまうのではなく、
連続して引き継がれていくというのですね。
つながっているのだというのです。
一見、理解に苦しむような説明ですね。
ところで、大乗仏教に「唯識」思想というのがあります。
それは、
この世界はただ心の認識によって現出するのであって、
心が認めない存在は認識すること無く、故に存在しないという考えだ。
(私の考えは、あとでさらに深く説明したい。)
そんな馬鹿なと思うでしょうね。
物質世界を第一原理として、思考や概念が成り立っている世界からすれば、
「心」なんて取るに足らぬおのであると、
多くの人は考える。
だが、
この「唯識」をよく追求していくと、深く癌が得させられるものがある。
その「唯識」の考えに、八つの識(心)とう基本概念があって、
その中に、「雑識」=(アラヤ識)という心があるとされている。
その「雑識」というのは、
前世からの記憶や経験や諸々のものが蓄えられていて、
それらの情報が現在の自己を規定しているというのだ。
それをスピリリチュアルの世界では、アカシック・レコードと言ったりしている。
「アーカーシャ」とは、虚空の意味である。空間上の記録とでも言えるだろうか。
この唯識思想を追求すると、とても興味深いものがあるのだが、
その『雑識』こそが我々の輪廻転生の本体だとされているのだ。
で、初めに戻るのだが、
催眠法で暗示をかけるのは潜在意識に働きかけるのですが、
この雑識は、深層意識だと言いかえると、わかりやすいかと思います。
その深層意識に「自己」を規定するものがあるのだというのですね。
それを仏教では「因縁」と言っています。
(つづく)
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