この世界は、
新しい時代を迎えて、
人として最後の難関と直面しています。
人が人として生きていくには、
どうしようもなく、必要な欲望があります。
それは、
生きていく上での欲望。
自分自身を保ち、維持し、
残していくための欲望。
肉体を維持したくましく、
己(おのれ)を守り、生存させる。
だが、
それ以上に人は求めていく。
そこに問題が生じる。
それに対して、
足るを知る!という考え方がある。
必要以上に求めることの愚かさを戒めた言葉。
資本主義のシステムは、
そこに問題があるわけです。
キリスト教において、
プロテスタントでは、基本的に、
質素である旨を説いていたのです。
ですが、
ある時点から、所有すること、
富むことを肯定する考えが生まれたのです。
それは、産業革命が芽生え始める頃だった、
と思います。
そこから、
イギリスにおいて、産業革命が始まり、
資本主義がスタートしたのです。
そこから、
人間は欲望を膨らませ、拡大させて行ったのです。
人が自由であることは、基本だと思います。
社会主義ではないところです。
しかし、
自由であることは、同時に、
おのれの心を野放しにすることでは無い。
話は元に戻って、
そこに私たちは気づき、自制していく。
それは大事なことだと思う。
お釈迦様が、最後の悟りを得るところで、
直面した魔境も、
まさにそれだと思う。
おのれが本来持っているところの欲望に、
魔王が突いた。
人間の弱さを突いて、
魔王の支配下に置こうと考えたのだ。
それが、今、
人類が直面している場面だ。
この地球の人類を、最終的に支配しようとする、、闇の勢力たち。
彼らの支配方法は、
まさに魔王のやり方と同じだ。
人間の持つ弱い点を突くのだ。
それが「欲望」である。
引き寄せの法則なんていうが、
元々、生きる者が備えるところの、
生存欲求。
そこに対面させる。
そこと対面し戦って、勝利する。
それが、、私たちの修行の場となる。
悟りに向かう最後の戦いが、
おのれの持つ、内なる敵=欲望と、
向かい合い、制御する。
ここに、
仏道修行の妙味がある。
社会・国家レベルで人々を導こうとする地位や立場にある者は、
凡俗であってはいけない。
おのれを律することの出来る人であることが重要だ。
では、
お釈迦様は何を説かれたのか?
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