六枚目のコイン

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魂の六道輪廻

2021年05月23日 03時46分38秒 | 未来


魂は死後どうなるのか?
私達は必ず死ぬのですから、
この問題は他人事ではない、
まさに自分事ですよ。

このことを正しく知れば、
自らの「生」の在り方を見つめざるを得ないでしょう。

そこで私は、
かつて若い頃に読んだ「クリスマスキャロル」というお話を
思い出したのです。
そのクリスマスキャロルは、
多くの子供たちの本に出るので、
良く知られていますね。

(主人公のスクルージは強欲でケチで、
これっぽっちも、他人に対する思いやりの心がない人間。
そのスクルージが、
死んだ元共同経営者のマーレイという霊に、
自分の未来を見せられて、
己の愚かさを反省し改心する話)

この話は道徳物というか、
人としての生き方を説いた啓蒙書のように見られます。
ですから中には、
そんなことあるもんかと、
反発する人もおられるのではないかな。

ですが、
これは本当の話なんですね、
事実なんですね。

それが「六道輪廻」という概念なんです。
人は死んで肉体を失くしても、
純粋な霊として生き続ける。

何故か?
タンハーを持っているからだというのです。
タンハーとは、
執着心であり、愛欲の心であり、執念です。

それを仏教では一言で、「渇愛」と呼んでいます。
砂漠で水に餓えるように、
ひたすら必死に求める欲求の心。

水に溺れる人を助けようとするとき、
溺れる人は、もう死に物狂いで、
助けに来た人の身体にしがみつくそうですね。
もう物凄い力でしがみついてくるのだ言われますね。

その結果、
助けに来た人も自由を奪われて、
溺れ死ぬようなことになるのだという。

そのタンハーというものを持って死ぬために、
境涯を変えながら、
永遠に生死を繰り返すのだというのです。
永遠に、
その苦しみの人生を繰り返すのだというのです。

人は死んで間もなく、死出の旅に出ます。
そして、
苦しい旅のあと、賽の河原に到達するのです。
賽の河原からは、流れる三途の川が見えます。
その三途の川を越えて、
初めて人は心からの安息を得ることができるのです。

それを人は本能的に知っているので、
みんな競ってその川を渡ろうとするのですが、
その川に飛び込むと、
みんなずぶずぶと沈んで行くのです。
自分の業という身体の重さに耐えられずに、
泳ぎ切れないのです。

そして、
ずぶずぶとそれぞれの業に応じた世界、
地獄界、餓鬼界、畜生界、
この三界に行くのです。
そして、
それぞれの世界で、己の業の報いを受ける。
そしてその世界で報いを受けた後、
現世に、
生まれ変わるという形で舞い戻る。
それが繰り返されるわけです。

ですが、
中には六道輪廻を繰り返さない霊体もいるのですね。
それは、
三途の川を飛び越えた霊です。

三途の川を越えた霊は六道輪廻を繰り返さない。
六道輪廻をしないで、
霊界に赴いて、そこで生活をするのです。

そして、
霊的な境界を高めていく。
高い境界を目指して、修行を重ねるのだというのですね。

究極のところは仏のいる世界です。
それが仏界ですね。
ニルバーナ(涅槃)とも言います。

それを生きているうちに成し遂げようというのが、
お釈迦様の説いた仏教の目的なんです。

六道輪廻の生死を「分段生死」と言います。
六道輪廻を離れた生死を「変易生死」と言います。
私たちはこの変易生死、
つまり聖者の生死を迎えるのが
大切なのですね。

そこで初めて、魂の上昇を行えるのです。
次元上昇だとか言いますが、
魂の上昇がなければ、
アセンションなんていうのは、
単なる概念で終わってしまうのです。

ではどうすれば良いのか?
それが問題なんですよね。

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