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上賀茂

2008年02月29日 | 京都で遊ぶ
先日の上賀茂神社で、何枚か撮った写真があります。



屋根の上は雪、軒には無数のつららが並んでました。

雪は降り続いています。

準備した 神主 も傘を差して雪の中を歩いていました。

境内を歩いていると、 万両 に昨年の夏が残っていました。

元服!

2008年02月24日 | 京都で遊ぶ
地下鉄北山駅で降り外に出てみると、モノトーンの世界でした。



植物園の木々には雪が積もり、白く輝いています。

今日は、上賀茂神社まで行こうと思います。
駅から神社までは、賀茂川沿いを歩きます。2km弱ですので30分と掛かりません。

が、しかし今日はすごい雪です。
吹雪のように降ったり、サッと日が差したりと目まぐるしく天候が変化します。

上賀茂神社は、いちめん雪に覆われていました。

立砂にも雪が積もり、いつもはとがった三角錐の形をしていますが、
今日は、先がまあるくなっていました。



寒い雪の降る日にここを訪れたのは、今日、幸在祭(さんやれ祭)がありそれを見にきました。

神社に来ると、このような天候にもかかわらず、結構な人が参詣されてます。
お祭があることを知ってか知らずか、参拝後立ち去る人がほとんどです。

その中に、何人かは同じ場所に立ちじっとしている人たちもいます。
目的は僕と同じ人たちでしょう。
その証拠に、例外なくみんなカメラをぶら下げていました。

そうこうしている内に、11時過ぎになると鉦や太鼓の音が聞こえてきました。



大人たちに囲まれて、神社の境内に子供達の集団が現れました。

鉦を打ち鳴らす子や太鼓、笛の音もします。



さんやれ祭は、上賀茂地域の元服の儀式で江戸時代初期から伝わるそうです。
町内の守護とその年の豊作を祈ると共に、その年にかぞえで15歳になった男子の元服を祝う行事です。

この日を境にその子達は一人前の大人として扱われるようになると言う事です。

この日元服を迎える子は「あがり」とよばれ、大将木とよぶ青木の幣を持つ13歳未満の子を先頭に、14歳の子が首から鉦をさげて鳴らしその後に主役の子達が太鼓を鳴らしながら続きます。

「おーめでとうござる」と節をつけて囃しながら、山の神、大田神社、上賀茂神社へと練り歩き、「あがり」を神様に奉告します。



本殿へのお参りの前にお払いをしていました。今日は天候の所為でしょうか屋根の下でおこなわれていました。

主役の子達は、大島紬の羽織に黒足袋、下駄履きで首に白い襟巻きをしています。



各町内から集まるので、集団が次から次へとやってきます。

素朴ですが、脈々と続けられている伝統行事でした。


帰り道で、小さな手形を見つけました。



子供ってどうして雪が好きなんでしょうね。(大人もか?)

幕末!

2008年02月10日 | 京都で遊ぶ
清水寺へ向かう途中、産寧坂(三年坂)石段の真ん中辺りにあるお店です。



明保野亭(あけぼのてい)です。

幕末、維新の頃の歴史が好きな人は知っているかもしれませんが、
坂本龍馬が定宿にしていたところです。

また、明保野亭事件の舞台にもなったところですね。

柴司(しばつかさ)

池田屋事件の残党狩りに追われる新撰組に、派遣された会津藩士です。

明保野亭に浪士がいるとの情報から踏み込んだところ、驚いて庭に出た
土佐藩士である麻田時太郎を、背中から槍で突いたのです。

もともと土佐藩と会津藩は緊密なものどうしでした。
土佐藩と会津藩の関係を修復するため、この両名は切腹したのです。

柴司21歳、麻田時太郎25歳でした。

間違いからとはいえ、若い命が犠牲にならなければならなかった悲しい話です。



ところでこの明保野亭は、
今でも食事のできるお店として営業しています。

二階にある窓から明かりが見えます。ガラスには、枝だけの木が反射しています。

柴司の葬儀には新撰組隊士も参列し、土方歳三が柴司の遺体にふれ涙したそうです。


同じ場所から写した写真ですが、

去年の桜

が満開にガラスに映っていました。

しかし、当時の建物はここではなくやや北にあったそうです。
少し北に向かいすぐの道を右に曲がると、今は門だけが残っています。



茅葺の、落ち着いた雰囲気があります。
今日は昨日の雪がまだ残っていました。

降ってます!

2008年02月09日 | 色々遊ぶ
今朝、仕事明けで家に帰ってきた時は、少し降っているだけでした。
昼ごろから急に激しく降り、見る見る間に景色が白くなっていきます。

合羽に着替えて出かけようとすると、寒いのに~と子供に言われ。。。。

へえへえ、そうです。と思いながら近くの公園に行くと、雪景色でした。



ただ、かなり水分を含んでいる状態なので、シャーベット状になって積もっています。

何枚かシャッターを押していると、後で車の止まる音がする。

と思ったらカメラを持った人が出てきました。
おたがい笑顔で挨拶後、それぞれ別の方角へ移動。

この人も好きやな~と思った。

人の事は言えへんけど。。。

寒いけど子供達は元気です。近所の子達でしょうか、3人で雪遊びをしています。
僕は、やはり寒いので早々に引き上げました。

今3階に住んでます。目の前に花水木があります。



硬く閉じたつぼみですが、春には綺麗に咲いてくれます。
寒いのもそろそろ飽きてきたなぁ。。。

節分!

2008年02月03日 | 京都で遊ぶ
大宮四条を西へ400メートル。
坊城通に来ると、その細い道は何時もと違う賑やかな雰囲気です。



屋台が壬生寺までず~~っと並んでます。

四条通角にある元祇園神社(ここも祇園祭りに深く関係する神社です。)も
普段はあまり人を見ることはありませんが、今日ばかりはすごい人の数です。

ミゾレ交じりの雨が降り、かなり寒いのですが壬生寺は大勢の参拝者で埋め尽くされていました。



今日は、節分会。2月の2日~3日にかけて各地で節分の行事が行われています。
本日は、壬生寺を訪れました。この二日間に壬生狂言が行われます。

春と秋の壬生狂言では、有料で30種ある演目から幾つか行われますが、
節分の狂言はそのまんま! 「節分」という演目が
午後1時から1時間ごとに8回、しかも無料で繰り返し行われます。

開演にはまだ1時間ほどありますが、もうすでに並んでいる人がいます。
僕も、良い場所で見たいので並ぶことにします。

普通狂言と言えばセリフがあり能と違い面をつけませんが、
壬生狂言は無言劇で面をつけて行われます。

その始まりは、円覚上人が教えを広く民衆に伝えるために鎌倉時代に始めたと伝えられます。


さて、前の席は雨でぬれていますが、熱心な人は敷物を持参して尚且つ合羽を着ています。
僕は無精者ですので、屋根のある後のほうから見学します。

約50分ほど、無言で演じられる狂言ですが、パントマイムが意味をもって伝わってくるように思いました。


入れ替え制のため劇が終わると外に出ます。
雨は上がりましたが、じっとして見ていたので体が冷え切ってしまいました。

境内を歩いていると、あちこちで「炮烙」(ほうらく)を売っています。



この炮烙に家族の名前と年齢などを書いて奉納すると、春の大念仏狂言で毎日序曲として
「炮烙割り」という演目の中で勢い良く割られていきます。

割ることによって厄除け、開運を願う。。。
割れた破片を台所や井戸に吊るすと虫がわかないという言い伝えもあるそうです。

カン・デン・デン・・・そこに笛が加わり、ゆったりした単調なリズムなんですが、
何故かまた見たくなります。