今日は振り替え休をもらいました。
ただ泊まり明けなので少し眠いかな。。。
しかし、せっかくの休みなので出かけます。
今日は、近場をうろつきました。
はじめに訪れたのは、金戒光明寺。。。別名「黒谷さん」と呼ばれています。
実はこのお寺、法然上人が始めて草庵を結んだ最初の場所と言われています。
そして、このお寺に「くろたに幼稚園」が併設されていますが、わたくし
そこの卒園者です。(ン~~ん~~十年前なんですがネ。。。)
石段下から山門をみあげると、かすかに記憶があるような無いような。。。
しかし、今でも覚えてることが有るんですが、
当時の担任の保母さんが、夏ごろに二十歳の誕生日を迎えられました。
すっごい大人なんや~~!と思いました。
いま僕の歳になると20歳は。。。はて??
ま、子供が高3と高1やしね。。。。
それはさておき、黒谷さんの横を北に向かうと真如堂があります。
正式には、鈴聲山真正極楽寺真如堂(れいしょうざんしんしょうごくらくじしんにょどう)と言います。
ここには、阿弥陀如来立像が祭られていて、とりわけ女性にご利益があるところです。
それはさておき、その境内に「鎌倉地蔵尊」なるものがあります。
なぜ??京都に鎌倉か??
そのお堂の前にその由来が書かれています。
ちょっと長いのですが、いいですか。。。
「その昔、中国に美女に化け、王をとりこにし、国を滅ぼす金毛白面九尾の妖怪狐がいた。
これが遣唐使吉備真備(きびのまきび)の船に乗って上陸。玉藻前(たまものまえ)という美女に化けて鳥羽上皇に近づいた。
上皇の兄と天下転覆を図るが、陰陽頭の安倍泰親(あべのやすちか)に見破られ空を飛んで下野(しもつけ)国那須野ヶ原へ逃げた。
そこで奇怪な事件が頻発するので二人の武士が退治に出かけた。見つけて矢を放つと狐は石に変化。
石は悪霊となり、生き物すべてを殺すので殺生石と呼ばれ恐れられた。
南北朝の頃、玄翁(げんのう)心昭禅師が錫杖で打つと石は二つに割れて、中から悪霊が現れ成仏して消えた。
禅師は、石に地蔵を彫り、なくなった者を供養しようと鎌倉に祠を建てて安置した。
慶長年間、慈眼大師の弟・甲良豊後(ぶんご)守宗弘の夢枕に地蔵が現れ、女人済度の霊場・真如堂に祀れとの御告げがあり、この地に移った」
のが。。。上のお堂です。
ちなみに大型の金槌を玄能と言うのは、この和尚の名前から来ていると、お堂の前の由来に書かれています。
そのお堂の前で昼寝をしていた猫。。
まさに写真を撮ろうとした時、庭師の人が水をまき出し、飛び上がるところのネコの図になりました。
この後、吉田山に行きました。
その昔、神楽岡とも呼ばれていて、日本の古代宗教と関係の深い地です。
実は、僕の父親が吉田山のふもとにある浄土寺あたりで理髪店をしてました。
何かとこの辺りは思い出深いばしょなんです。
小学校低学年のころですが、いとこの姉さんにつれられて、この吉田山に8月16日に登りました。
まさに五山の送り火のその日です。真近に見える大文字の迫力を今でも覚えています。
その山頂から、今でもはっきり大の字が見えました。
いや~~、結構歩きました。
今日のところは、これくらいに。。。。。