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会農野球、夏の大会ご苦労様!!

2009-07-16 14:26:14 | Weblog
雨のため順延となり15日にようやく開かれた会津農林対相馬戦は、予想も出来ない展開で幕を閉じました。2回裏1点を相馬に先取された会農打線は3回表、打者一巡の猛攻で今大会1イニング最多得点となる11点を奪い、まさに5回コールドに向けて怒涛のごとき会農パワーを見せ付けましたが、5回2点、6回3点を返した相馬に何と7回の裏、会農バッテリー、守備陣の乱れにより10点を奪われ、会農は最終回に意地の2点を返すも、16対14の点差で涙を呑みました。何が起きるかわからない夏の甲子園大会の恐ろしさを見た思いです。やはり勝敗のポイントはミス、失策を如何に少なくし、最後まで諦めない強い気持ちが大切かと言うことを子ども達はしっかりと心に刻んだことと思います。しかし、投手力に不安のある会農の課題に対し、この間「点を取られたら取り返す」という会農野球の日々の練習の成果が存分に発揮されたと思います。41打数17安打14得点という相手を上回る数字がそれを物語っています。本当にご苦労様でした。これからの皆さんの人生にとって本当に大切な宝物を得られたことと思います。これまで3年間応援をさせてもらって本当にありがとうございました。まさし

感動の第91回全国高校野球選手権福島大会開会式

2009-07-13 10:34:26 | Weblog
2009年7月10日、夏の甲子園を目指す高校野球県大会が開幕しました。今大会には東北最大の県内89校が参加、堂々の入場行進がスタンドに集まった多くの高校生、保護者、高校野球ファン、関係者の見守る中、行われました。主催者、来賓の挨拶の中で朝日新聞社の方の挨拶は特に暖かい言葉に溢れていました。ハンデキャップを最高の練習と受け止める雪国の只見高校の冬場の練習を讃え、一方100人を超える部員の聖光学院のレジュラーを目指して黙々と練習する姿など、県内全校の野球に取り組む球児の思いを代弁していました。全ての球児に甲子園の道は等しく開かれています。、湖南高校キャプテンの選手宣誓の言葉のように、一つでも多く試合をするためこれまでの野球人生にとって悔いのない最高のプレーを全てのチームに期待するものです。我が会津農林高校野球部も素晴らしい入場行進を果たしましたが、3年生はこれが最後の夏、全員野球で最後まで諦めない素晴らしい試合を見せてくれるものと信じています。もちろん私達も最高の応援で頑張ります。

広域行政を学ぶ

2009-07-08 17:11:01 | Weblog
7月7日~9日の3日間、広域圏の議会で豊橋市消防本部、刈谷知立環境組合、西尾幡豆広域連合の行政調査に行って来ました。豊橋では消防通信指令システムの共同処理、刈谷知立では新しいごみ処理施設の運営、西尾幡豆では広域連合における運営のあり方を学んで来ました。今後の組合の運営に活かしていきたいと思います!!まさし

消防操法大会開催される

2009-07-05 09:10:19 | Weblog
7月5日、市消防操法大会が開かれました。消防団の皆さんは本来の仕事を持ちながら市民の生命、財産を守る崇高な使命感を持つ大切な仕事を担っています。早朝、仕事後の厳しい訓練の成果を発揮して大会に参加された団員の皆さんに心より敬意を表します。

天地人、幻の決戦の地 白河

2009-07-01 13:39:59 | Weblog
白河市で福島県などを舞台とするNHK大河ドラマ「天地人」にちなむ企画展「慶長五年 直江兼続と白河口」が白河市の県文化財センター白河館(まほろん)で開かれており、まほろんと白河城に行ってきました。
白河小峰城は、1340年に、結城親朝が築城して小峰城と名づけたのが始まりとされます。1590年(天正18年) 豊臣秀吉の奥州仕置によりこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏が支配しました。天下分け目関ヶ原の戦いのきっかけを作った上杉景勝、直江兼続の神指城築城により1600年(慶長5年)徳川家康は会津討伐に出陣、その決戦の地が白河となります。
しかし、石田三成の挙兵により徳川家康は西に向かい、幻の決戦になってしまいました。歴史にもしはありませんが、もしこの戦いがあれば、上杉方の大勝利で、その後の歴史は全く違っていたろうと言われています。
白河小峰城はその後、丹羽長重が寛永6年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成させました。その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があり、1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなります。
そして、1868年(慶応4年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城しました。まさに徳川を倒す舞台となった白河城は、最後には徳川に殉じていく舞台となったのです。歴史の巡り合せの不可思議さに圧倒されるばかりです。まさし