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馬越浄水場で統合記念序幕式が

2009-07-27 16:21:53 | Weblog
7月27日、会津若松地方広域市町村整備組合と水企業団が統合されたことを記念して記念植樹と記念碑の除幕式が行われました。同時に記念のペットボトルを作り総合学習に来場する子ども達や圏域に市町村に配布し、おいしい水をアピールすることになりました。水に関する言葉に、「上善は水の如し」や戦国の武将黒田如水の「水五訓」があります。生命の源である水に関わることの大切さを噛みしめる除幕式でした。まさし

小伝馬町牢屋敷跡を歩く

2009-07-27 15:17:45 | Weblog
26日の早朝6時から一時間、恒例の散歩をする。私達が泊まったホテルギンモンドは小伝馬町交差点(地下鉄小伝馬町駅)の近くにあり、初めてこの周辺での泊まりであったので、人通りもまだ少ない日曜日の朝をゆっくりと歩く。しばらくいくと小さなお寺に行き着く。大安楽寺とある。ご住職が境内にある地蔵様のお掃除(おつとめか)をされていたので、お参りの後、この寺の由緒を尋ねたところ親切にも詳しい説明を頂いた。この場所は、かの有名な小伝馬町牢獄の一部で、しかも死罪を言い渡された後、この場所が処刑場跡であり、安政の大獄で吉田松陰、橋本左内、頼美樹三郎ら約50人がここで処刑されているとのこと。またこの場所が牢屋敷であった2百数十年の間、毎年百人を超える斬首刑が執行されたと聞く。
その後牢屋敷跡は荒野原となり、いつも燐が燃えているこの場所の霊を鎮めるため、明治15年に寺が建立されたとのこと。しかもその寄進者の中心が明治の財界の大物、大倉喜八郎(大倉財閥の祖)と安田善次郎(安田財閥の祖)であったことから、「大」「安」楽寺とのことであった。大安楽寺の道路向も牢獄の一部で現在は区立十思公園(囚獄は2、3千坪あったというから公園はごく一部の範囲に過ぎない)となっており、そこには江戸時代に時を告げていた鐘が吊るされている。処刑を前にした囚人が聞いたであろう鐘の音はどんなに儚いものであったことか。熱心にお話をしていただいたご住職に心より御礼を申し上げ、当時の風景を脳裏に描きながら、散歩を続ける。神田駅方面に向かい、途中、神田お玉が池跡、神田八丁堀跡等を確認しながらホテルに戻る。「東京はやはりお江戸だ」との驚きの早朝散歩でした。早起きは3文の得。まさし

市民と議員の条例づくり交流会議

2009-07-27 15:03:49 | Weblog
6月6日、7日に初めて地方開催となった会津若松市の「市民と議員の条例づくり交流会議in会津」に引き続き、第9回となる「市民と議員の条例づくり交流会議」が東京、明治大学と法政大学を会場に開催されました。この交流会議には会派を越えて10名の議員と3名の事務局職員が参加し、会津若松市議会から松崎議員、小林議員、目黒議員そして事務局の原主幹が実践報告を行い、現在の会津若松市議会の議会改革の現状と課題について、全国の皆さんにアピールしました。私は第2分科会「財政・予算決算改革」に参加して、全国各地の報告を聞くことが出来ましたが、特に多治見市の財政条例は今後研究していくべき条例と認識を深めました。会津若松市議会の取り組みは全国トップランナーと言われますが、まだその緒についたばかりです。市民の皆さんのため、さらなる改善に取り組んでいきたいと思います。まさし