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沖縄戦の悲惨さと基地問題の現実を知る・・・その5

2008-01-31 16:30:46 | Weblog
1月24日に南風原町文化センタ-を訪問した。平和教育・平和行政の取り組みについて説明後、文化センター施設を案内される。常設展示として陸軍病院壕など南風原と沖縄戦の様子が再現されている。沖縄戦では南部への避難コースとなった南風原は「死の十字路」と化し、家屋は焼かれ、人口の約42%にあたる3,345人の一般住民が犠牲になった地でもある。1990年に沖縄陸軍病院南風原壕群は沖縄戦を語り継ぐ戦争遺跡として文化財に指定され、昨年2007年6月にその20号という壕が一般公開されている。公開後、すでに約7,000人の方が平和学習のため訪れているという。今年の春、会津若松市河東中の修学旅行で平和学習のため壕の見学申し込みが当日あったのには、タイミングの偶然に本当に驚かされた。文化センター見学後、公開された20号壕に案内される。ヘメットと懐中電灯を渡され、文化センター館長、町のボランティアの方のガイドにより壕に入る。その狭さと暗さに当時の状況が如何に悲惨であったかを追体験できる。うめき声や怒鳴り声が響く中で若い女子学徒の皆さんが負傷兵の看護や水汲み、糞尿の始末、死体埋葬等に不眠不休で追われている状況を想像すると、本当に痛ましい限りである。そして解散命令の際には重症患者には青酸カリによる自決が強要された場でもあることを考えると戦争というものの非人間性についてあらためて考えさせられる。
最後に、今回調査を行った沖縄の那覇市・宜野湾市・豊見城市・南風原町はいずれも非核平和宣言都市で、それぞれに特徴のある取り組みを行っている。
昨年は教科書問題で、集団自決が軍の強要であったことを否定する検定意見に対し、沖縄県民の怒りが爆発した年であった。
沖縄の平和行政・平和教育に学ぶことは、戦争を知らない世代が人口の過半数を超えた今こそイラクをはじめ世界各地で戦争が起き、現地では同様の悲惨な現実があるということを真剣に捉え、若い世代に戦争の恐ろしさ、現実を伝えていくことが「核兵器廃絶平和都市宣言」している会津若松市にとって、大切なことであることを再認識した。さらなる平和行政・平和教育の施策展開の糧としていきたい。

沖縄戦の悲惨さと基地問題の現実を知る・・・その4

2008-01-31 16:21:44 | Weblog
1月23日の午後は健康づくりの調査で豊見城市を調査し、視察後、「ひめゆり平和祈念資料館」を訪問し、元ひめゆり学徒の宮城喜久子先生よりの最新の感想文集をいただき、さらに館内を見学し戦争の残酷さと証言の生々しさを実感した。この資料館には全国から多くの修学旅行生が平和学習の場として訪れている。当日も福島県の高校も含め、多くの学生が訪れていた。私はこの資料館に4回訪れているが、いつ来ても第4展示室の別れの曲(うた)の流れる女学生の遺影の前で立ちすくんでしまう。沖縄戦では、13歳から18歳までの学生が1,760人が動員され、889人(51%)が犠牲になった。当時、南風原に掘られた30の沖縄陸軍病院壕には約2,000人の負傷者が収容され、約350人の軍医、看護婦、衛生兵に加えて、3月24日には沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒(ひめゆり学徒)222人が教師18人に引率され看護補助要員として動員された。5月末に摩文仁(糸満市)への「解散命令後」はひめゆり学徒は絶望の中逃げ惑い、鉄の暴風という砲爆撃に、あるいはガス弾にやられ、あるものは手榴弾による自決により136人、在地部隊その他で90人が亡くなっている。
夕方、摩文仁の丘23万人余の戦没者(うち約12万人が沖縄住民)の氏名が刻まれた「平和の礎」を慰霊のため訪問し、二度と戦争を起こしてはならないと誓った。写真は平和の礎  まさし

沖縄戦の悲惨さと基地問題の現実を知る・・・その3

2008-01-31 15:46:25 | Weblog
宜野湾市の調査後、市内にある佐喜眞美術館を訪れた。丸木位里、俊作「沖縄戦の図」を収蔵し、1995年に国連が「世界の平和博物館」にも指定されている。佐喜眞館長から「沖縄戦の図」の説明を頂く機会を得たことは本当に幸いあった。
あわせて学芸員の方から美術館屋上にて隣接する普天間基地を望みながら、現在、問題となっている米軍基地の実態について説明を受け、イラク戦争も含め沖縄の現実について様々考えさせられた。当市の非核平和宣言都市の今後の取り組みとして、宜野湾市との情報交換、連携事業を検討してみる必要性を実感した。写真は佐喜眞美術館は屋上の頂上の小窓から6月23日(沖縄戦慰霊の日)に夕陽が差し込むようにつくられている。 まさし

沖縄戦の悲惨さと基地問題の現実を知る・・・その2

2008-01-31 15:35:31 | Weblog
1月23日は宜野湾市を調査しました。中心部と北部は米軍基地でその面積は全市域の約33%を占めている。問題の普天間飛行場は、その危険性故に1996年のSACO合意と2006年の在日米軍再編で日米両政府は全面返還を合意したが、その危険性は今日まで11年も放置され続けている。とくに、その危険性は2004年8月13日の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故で証明された。宜野湾市の最大の行政課題は、まさに普天間飛行場の早期閉鎖・前面返還である。
宜野湾市の平和行政・平和教育については、未曾有の地上戦を経験した歴史的事実を二度と繰り返さないということを教訓として残すために、市民に平和・友好の啓蒙啓発、市民の主体的な平和への発信活動を支援する事業を展開している(6・23慰霊の日事業、平和学習派遣事業)。また、米軍基地も含め市を訪れる中学生や各種団体の受け入れ事業も行っている(平和団体受け入れ事業、平和学習地域交流、9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会支援事業、普天間基地包囲行動連携事業、宜野湾市平和ガイド要請事業)。
さらに、庁舎屋上から普天間飛行場を見学させてもらう。そこで、普天間飛行場が米国内の航空基地に適用されている安全基準(滑走路の両端の延長線上4,500Mにおいては、住宅や学校病院、集会場があってならないことになっている)が適用されていない欠陥飛行場であることなどの説明を受ける。本当に許せない話である。沖縄を沖縄だけの問題としてはならないと、再認識しました。写真は宜野湾市役所屋上より普天間飛行場を  まさし

沖縄戦の悲惨さと基地問題の現実を知る・・・その1

2008-01-31 15:22:34 | Weblog
1月22日から24日の3日間、社民党・市民連合の先進地調査で沖縄の那覇市・宜野湾市・豊見城市・南風原町を訪れました。今回の調査は、長寿県である沖縄の元気高齢者づくりや健康づくり、そして平和行政・平和教育についてでした。
沖縄県の最大の課題は基地問題です。まず、県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦の継承、そして、米国による支配、米軍基地が日本全土の75%が沖縄に集中していることの現実を踏まえる必要があります。那覇市では対馬丸記念館を訪れました。昭和19年8月22日、沖縄からの疎開者(乗船者約1800名)を乗せた対馬丸が米軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められ、無念にも尊い命を失った学童775名を含む1418名が犠牲となった。対馬丸記念館は、その歴史の記憶を現在と共有するため建設されました。対馬丸記念館は、平和といのちの大切さを子どもの目線で伝えていくため平和学習の場として財団として運営され、多角的視点に立った児童福祉や平和教育のあり方の拠点として全国にアピールしています。沖縄を訪れた際には皆さんもどうぞこの施設に立寄ってほしいものです。