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米国カリフォルニア州滞在記その6

2007-11-21 16:49:50 | Weblog
サクラメント市の駅に着く。サクラメント駅も古い駅で、構内の壁面には初めて汽車がサクラメントまで乗り入れた歴史的な出来事が絵画で描かれている。駅員の年齢も全員高く見えるのも、歴史の街ならではという感じがする。コーエン先生に別れを告げて、10時10分、AMTRAKという電車でリッチモンドへ向かう。二階建ての電車で、この電車も趣がある。車窓からは果てしなく続く丘陵地帯、草原、湿地と展開する。アメリカンリバーは河口に近づくにつれ、しだいに湖のようになる。11時35分リッチモンドに到着する。ここで、乗り換える。11時49分 BARTでサンフランシスコのパウエル駅(途中、オークランドで乗り換えをする)に向かう。
ついに、憧れのサンプランシスコ市街地に到着する。サンフランシスコといえば、映画でおなじみのケーブルカー。しかもスタンディングで乗るのが絵になる。早速、一日チケットを購入し、12時40分発のケーブルカーでフィシャーマンズワーフへ向かう。それにしても坂だらけの街。しかも急な坂によく建物を、という感じだ。もちろん高齢者の方は住むことは至難の業だ。遠くにアルカトラズ島が見える。フィシャーマンズワーフを散歩する。
午後2時にケイブルカーで移動し、午後3時にユニオンスクエアからミニュバスでゴールデンゲートブリッジへ向かう。ミューバスは障がい者の方も一人で自由に乗り降り出来、シートも優先スペースが当然のように設置されており、本当に参考になる。ゴールデンゲートブリッジからは、サンフランシスコ市街地全体が一望出来る。午後4時、ゴールデンゲートブリッジからトランジットバスでサンフランシスコ市内のシビックセンターへ戻る。
それから、大谷さんの友人のダンさんに会うため、シビックセンター駅からBARTでミルビエイ駅へ(途中、デイリーシテイで乗り換え)。ここで、CALTRAINに乗り換え、サンタクララ駅へ向かう。今日、一日で7種類(乗用車・AMTRAK・BART・ケーブルカー・ミニュバス・トランジットバス・BART・CALTRAIN)の乗り物に乗ったことになる。この夜は結局、ダンさんのご好意で泊めていただく。楽しい夜を過ごさせてもらう。次の日、サンフランシスコ空港から成田に飛び、短い期間であったが充実の6日間が終了した。大谷さんなしでは、このような楽しい旅は経験出来なかったであろう。感謝。感謝。まさし

米国カリフォルニア州滞在記その5

2007-11-21 16:35:19 | Weblog
おけいの墓保存運動のレセプション会場へ移動する。ARCの皆さん、地元エル・ドラド州の議員等関係者約100名が参加する。午後5時頃から式典が始まり、市長からは挨拶とおけい募金実行委員会から託された募金の目録をARCのアラン・アーゴット会長に手渡す。大谷さんからは、会津でのおけい顕彰についての取り組みやこの保存運動への支援について、支援者の皆さんにアピールをして、大きな拍手をもらった。その晩は、アーゴットさん宅に夕食の招待を受け、そして、ジャネット・コーエン先生宅に宿泊させていただく。10月30日(火)は、8時30分にゴールドトレイル校に到着、校長先生、教育長の出迎え、そして生徒会長、副会長の挨拶をもらい、各教室を案内してもらう。ゴールドトレイル校は小学4年から中学2年の学校であり、それ以前の5歳から小学3年までは、近くのサター・ミルズ・エレメンタリースクールという学校に通っている。ゴールドトレイル校の皆さんは本当に人懐こくて可愛い少年、少女達だ。音楽室の授業では私たちを待ち構えていて、早速、素敵な楽器を演奏してくれた。
図書室で、校長先生に東山小校長先生のメッセージや写真を手渡すことが出来た。なお、河内さんに東山小のおけいの墓の清掃風景の学校新聞について、詳しく説明してもらう。
訪問の途中であるが今後の予定もあり、ここで訪問団と別れ大谷さんと私は学校を後にした。もう少しゆっくりしたかったが、残念であった。まさし

米国カリフォルニア州滞在記その4

2007-11-19 17:16:27 | Weblog
10月29日、7時30分に起床、近隣を散歩する。交差点のガソリンスタンドの料金表示を見て、またビックリ。ガソリンは1ガロン317円つまり1リットル78円という安さである。日本では今1リットル150円であり、如何にアメリカという国が石油を独占しているかが伺える。また、郵便受けのようなボックスがあった。10.35ドルLetter(約1,220円手紙)と記載してあり、まさに郵政民営化とはこういうものかと思った。9時30分にモーテル出発し、先程のガソリンスタンドで給油、私はスタンドの店でミネラルウオーターを購入、女性店員のハバ ナイスデイ!!で今日も元気な一日が始まった。
おけいの墓に向かう。サクラメントからゴールドヒルまでは約80km。景色はいよいよ日本では見られない茶白色した草地の丘が続く。午後1時30分 おけいの墓に供える花束を購入するため、キャメロンパーク(スーパーマーケット)に立ち寄る。午後1時56分ようやくエルドラド郡のゴールドヒル ゴールドトレイル校に到着する。教育長さん、校長先生、ARC会長のアラン・アーゴットさん、ビアカンプさんら関係者一同が出迎えてくれる。学校で軽食と飲み物のサービスを受け、早速おけい墓参となる。
おけいさんの墓は、ゴールドトレイル校に接したビヤカンプ家の土地にあり、入り口の学校敷地内には若松コロニーの歴史を刻んだ大きな石碑が建っている。
入り口から茶白色した草地の丘を5分程登りつめていくと、白い小さな墓がひとつ、ひっそりと建っていた。午後2時30分、ついにおけいさんの墓参が叶う。市長の献花の後、それぞれにおけいさんの想いに心巡らしながら、祈りを捧げた。アラン・アーゴットさんや関係者のご尽力により、今日の日のために植樹をする。木は樫の木である。保存運動の成功と5年、10年、50年後の樫の木の成長を祈りながら、全員での植樹となった。
墓の周りを見渡すと、広々とした草原が続いている。ここが皆さんの思いが実って、州の公園となり、美しい自然と共に、ここに日本の、そして会津のけなげな一人の少女が夢と望郷の念の中で精一杯生きたことを受け伝えていく事が出来れば、どんなに素敵なことかと思い巡らした。丘を何度も何度も振り返りながら、墓を後にした。
墓参後、学校の特別教室に案内される。ここには、東山小からの写真や習字などが展示されている。本当に嬉しい限りである。この場で、教育長から市長にゴールドトレイル校50周年の招待状が手渡される。
それから、近くにあるグラナー邸(ヘンリー・スネル家族とおけいが暮らした家)へ行き、生活していた部屋に案内される。二階のヘンリー・スネルと奥様のお葉さんの部屋、二人の子ども達の部屋、そして隣のおけいが住んだ部屋を見せられ、おけいさんの物語と現実の部屋を目の前にして、歴史のタイムトンネルを一瞬の間に駆け抜けたような錯覚に心臓が高鳴るのを感じる。また、一階にあったビヤカンプさんの幼少時代の可愛いらしい白黒の写真にも歳月の速さと一家の暮らしを想像させられる。タイムスリップから外に出ると、入植の時、140年前に植えられた欅の木が、「若松コロニーのおけい達やこの家のこれまでの歴史をみんな見て来たぞ」とでも言いたげに、主のようにどっしりと私達を見下ろしていた。まさし

米国カリフォルニア州滞在記その3

2007-11-19 17:07:27 | Weblog
南加福島県人会創立100周年記念祝賀会会場に到着する。今年5月に星会長と共に来若された県人会顧問の小山信吉さんと出会う。会場に戻る。佐藤雄平知事、遠藤県議会議長も到着する。佐藤知事に挨拶すると、何故ここに私がいるのか、怪訝な顔をしたので、それも当然と思い、今回プライベートな旅でおけい墓参に来たことを話す。式典には予想を超える約350名の方が参加した。市長一行は、台風とコンピュータ故障で3時間30分以上の遅れで、市長一行は、午後2時、ようやく祝賀会の後半の表彰式最中に会場に到着する。市長は目立つ時間に幸いにもスピーチも出来たし、出迎えに大変であった大谷さんは、壇上で表彰され、本当に間に合って良かったということに尽きる。
祝賀会の途中であったが、大谷さんと私は、会場を抜け出し、午後3時 エイローキャブでロサンゼルス空港へ向かう。ここからサンフランシスコまで飛行機で向かうためである。国内線の搭乗手続きにもカルチャーショックである。手荷物のチェックは当然であるが、いきなり靴も脱いで透視されるとは、ドキドキしながら難なく通過と思った矢先、係員が何か話しかけてきた。今度は何を脱がされるのかと頭が真っ白になり、身振りで首を傾げ、分からないというポーズを取るので精一杯。困った様子に、もうしょうがない奴だという雰囲気で「OK!OK!」と宣告され解放された。後で考えると、「サンフランシコはいいところだ。楽しんで来い」とでも言われたのかもしれないが、何せ、何人もの人が、近くで通過出来ずに再検査を受けているのを目のあたりにすると、こちらはそれどころではなかった。助かった。
午後5時40分のUA1162でサンフランシスコへ出発し、午後6時32分サンフランシスコ空港に無事到着した。空港では、10月7日に会津に来られた自然保護団体ARC(アメリカン・リバー・コンサーバシー)のフレデリック河内泰彦さんと息子さんの貴彦さんの出迎えがあり、サクラメント市まで、車で移動することとなる。サクラメント市まではこれから約200キロとの事であるが、このくらいの移動はアメリカ社会ではそれが普通の事なのだろう。午後9時30分頃、サクラメント郊外のシーフードレストラン MONTEREYという店に夕食に入る。明日のおけい墓参を想像しながら、近くのモーテルRAMADAに宿泊することになる。日本のモーテルのイメージと違い、広大なアメリカ社会は、モータリストホテルが移動する人の利便性を考え、至る所にあるようだ。まさし

米国カリフォルニア州滞在記その2

2007-11-19 16:55:26 | Weblog
空港には、南加福島県人会星会長のご家族が出迎えてくれた。カリフォルニア州ロサンゼルス近郊は日系人の多いところで、トーランスという街は、日系人が数万人も暮らしていて、日本語だけで暮らしていけるとの事で、驚かされる。星さん家族のご案内で早速、日本人街を散歩する。店にはA、B、Cの張り紙がしてあり、これは店の衛生状態を示すランクとの事でこれにもカルチャーショック。「何か食べましょう」とのお誘いで、やはりAランクのお店に入る。利休というそば、うどんのお店で、味はというと日本とまったく変わらず美味しい!!アメリカで初めての食事がうどんというのも、これも不思議な感じで「ここはどこ?」と思わず苦笑いしてしまう。
星さんの奥さんは、ロサンゼルスや近郊の街でスーパーマッケットの人事マネージャーをしており、日本人街の中にあるロサンゼルス店を覗くと、まさに日本のスーパーと同じで何でも売っている。特に、カリフォルニア米の値段が気になり確認すると、大体10キロ8ドル(約900円)で、高級米で18ドル(約2,000円)で売っている。味は分からないが、安い。これでは日本の農家が値段で対抗することは困難と、しみじみ思い知らされる。つぎに車でロデオドライブに行くという。すぐにそこがロサンゼルス郊外の都市、かの有名な高級住宅街のあるビバリーヒルズの中の高級ブランド店の立ち並ぶ街であることが分かった。ビバリーヒルズは夕暮れ時、美しい夕焼けにお店の照明が重なり、きらきらと輝いている。名前だけは私でも知っているグッチ、シャネル、バレンチノ、ルイ・ビトン、コーチ、デオール、ベルサーチといった高級ブランド店がまさに宝石箱のようにちりばめられて、街そのものが美術館という雰囲気に圧倒される。アメリカ社会の富裕層がここに全て集約されているような街を歩く。地に足が着いていない感じだ。(これは時差ボケでない)まさし