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天地人、幻の決戦の地 白河

2009-07-01 13:39:59 | Weblog
白河市で福島県などを舞台とするNHK大河ドラマ「天地人」にちなむ企画展「慶長五年 直江兼続と白河口」が白河市の県文化財センター白河館(まほろん)で開かれており、まほろんと白河城に行ってきました。
白河小峰城は、1340年に、結城親朝が築城して小峰城と名づけたのが始まりとされます。1590年(天正18年) 豊臣秀吉の奥州仕置によりこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏が支配しました。天下分け目関ヶ原の戦いのきっかけを作った上杉景勝、直江兼続の神指城築城により1600年(慶長5年)徳川家康は会津討伐に出陣、その決戦の地が白河となります。
しかし、石田三成の挙兵により徳川家康は西に向かい、幻の決戦になってしまいました。歴史にもしはありませんが、もしこの戦いがあれば、上杉方の大勝利で、その後の歴史は全く違っていたろうと言われています。
白河小峰城はその後、丹羽長重が寛永6年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成させました。その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があり、1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなります。
そして、1868年(慶応4年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城しました。まさに徳川を倒す舞台となった白河城は、最後には徳川に殉じていく舞台となったのです。歴史の巡り合せの不可思議さに圧倒されるばかりです。まさし

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1 コメント

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2009-07-03 20:29:55
トラックバックしちゃいました。
よろしくお願い致します。
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