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チョット一言

 堀川ウォーク・2

2008-11-06 | weblog









 昼食場所の、屋島公園。
 銀杏の木が、奇麗な黄色に色づいていました。


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屋島公園の銀杏の木です。(マウスオンでもう一枚)



 午後1時に、屋島公園を出発です。

 公園を出るとすぐ、右前方に仲間市役所が見えます。
 そのすぐ近くに、中間唐戸跡があります。

 

堀川の中間唐戸跡地です、昭和58年3月に県指定文化財になっています。
左側下に水門の跡が残っています。


堀川の中間唐戸



 唐戸とは水門の事です。

 堀川は遠賀川と洞海湾を結ぶ人工の運河です。
 12年の歳月を費やして宝暦12年(1762年)に完成しました。
 唐戸は堀川川口の水門でした。
 文化元年(1804年)に堀川の川口は上流の楠橋村に変更され、
 そこにもまったく同じ形態の唐戸が設置されました。
 寿命(じめ)の唐戸です。

 遠賀川が増水すると、堀川下流域を水害から守るため、唐戸は閉鎖されます。
 遠賀川の水勢に耐える事が出来るように、唐戸は岩盤の地を選んで構築されています。
 堰戸(せきと)も天井石の下は表戸、裏戸の二重構造になっています。
 天井石の上は、溢水(いつすい)を防ぐための中戸です。
 正に独特の構造です。
 
 堀川は開通以来、多くの貢米船(くまいせん)や石炭船で賑わいました。
 特に、明治時代には筑豊の石炭輸送の動脈として、
 多い年には年間十数万隻の川艜(かわひらたぶね)が、堀川を下りました。



一番下に水門の跡が残っています。
水門が二重構造になっていた、面影はあります。
手前の部分は、損失していますが、向こう側に、水門が一部分残っています。
天井石の上の中戸、上家は堰板(せきいた)等の格納庫も、現存しています。



水門があったと思われる左側の壁面に上から下へと溝が出来ています。




 今回は、12月のウォーキングの下見でしたが、
 いい勉強になりました。
 時代の、大きな流れの中、地域の歴史は翻弄されながらも、
 確実に地域に根付いた形で、沢山の力を結集して完成していきました。
 
 正に地域の動脈として、命を繋いできた訳です。
 堀川は、今も華やかな表舞台から隠れ、静かに歴史の中で流れ続けています。