母が先週活けていたガーベラ。
アフリカ原産のキク科の植物です。
そうかもって思えてきます。
旧制成城高等学校文科を中退し、1931年ウィーンに留学、ピアノをベルタ ヤンベール、音楽理論をリヒャルト シュテールに学びます。
山田和男(1912-1991)
戦後も指揮をしますが1951年1月21日名古屋公園で過労により出血性上部灰白質脳炎により39歳で死去しました。
森正(1921-1987年)
林光(1931- 2012)
吉田雅夫(1915- 2003年)
アフリカ原産のキク科の植物です。
冬には枯れますが、春になるとまた花をつけてくれます。春と秋の年2回花をつけます。
結構庭で何年も持ちます。
ガーベラがキク科というとちょっとかけ離れているような気がしますが、モリスのこの絵を見ると
そうかもって思えてきます。
尾高尚忠(1911-1951年)東京生まれ、東京没
旧制成城高等学校文科を中退し、1931年ウィーンに留学、ピアノをベルタ ヤンベール、音楽理論をリヒャルト シュテールに学びます。
翌年一時帰国して、武蔵野音楽大学で教鞭をとりながら、クラウス ブリングハイムに作曲を、レオ・シロタにピアノをまなびました。
1934年再びウィーンに渡り、ヨーゼフ マルクスに、作曲をフェリックス ワインガルトナーに指揮を、フランツ モーザーに管弦楽法と指揮を学びました。
1938年からはウィーン交響楽団や、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮をし、自作の曲を披露するなど、活躍しました。
1940年帰国、1941年新交響楽団(後のNHK交響楽団)を、指揮します。
新交響楽団が日本交響楽団に改組する直前に山田和男と共に専任指揮者になります。
山田和男(1912-1991)
戦後も指揮をしますが1951年1月21日名古屋公園で過労により出血性上部灰白質脳炎により39歳で死去しました。
彼の死後、多忙すぎる運営に非難が集まり、交響楽団は半年後にNHK交響楽団に改称され、NHKが全面的に支援することになりました。
忙しすぎて燕尾服の上からヒロポンを打って指揮台にあがっていたとか…。
尾高尚忠が残した「フルート協奏曲」は1948年、フルート奏者の森正の依頼で作曲されました。
独奏パートは森正の助言を受けて作曲され、2ヶ月で完成しました。
その年初演されました。
森正(1921-1987年)
尾高は小編成のオーケストラ版だったのを、大編成のオーケストラ伴奏への改訂を計画し、1950年終わりから作業に取り掛かりましたが、多忙と頭痛に悩まされ、はかどらず、1951年他界します。
最終ページの数小節が未完に終わっていました。
弟子の林光当時19歳が完成し、フルート吉田雅夫、指揮山田和男、日本交響楽団により、追悼演奏会で初演されました。
林光(1931- 2012)
吉田雅夫(1915- 2003年)
その後作曲者の長男尾高惇忠によるピアノ伴奏版も作られています。
フルートランパル1968年の演奏です。