カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『くろう』

2011-03-08 20:53:32 | Weblog
 妙に納得してしまう文章に出会うことがあります。

 それが聖書に書かれているものではなかったりするので

 人生はおもしろいといえます。

 きっと意識していないつもりでも

 そちら方面にアンテナが伸びているのでしょう。

 苦労

 苦労には三つの種類があるのだそうです。

 
 
 取り越し苦労
 

 
 持ち越し苦労

  

 持ち出し苦労


 
 の三つらしいです。


 取り越し苦労というのは、聞いたことがあります。

 シンプルに言うと

 「まだきてもいない未来のことを心配すること」です。

 心配性とか臆病などというニュアンスを含んでいたりします。



 持ち越し苦労というのは

 「済んだことをいつまでもグジュグジュ言っていること」らしいです。

 言い得て妙です。

 執念深いとかスランプの素、癒えない傷って感じがします。


 
 さて

 持ち出し苦労ってどういうことを言うのでしょうか。

 持ち出し苦労というのは

 「どこから持ち出してくるのか分からないけど、不幸な人の例を取り出してきて、大変だ!と言っている人のこと」だそうです。

 周りにもいるでしょう。

 お気の毒というような雰囲気を演出しているのだけれど、ゴシップニュースを伝える下品な芸能レポーターみたいなというか、大きなお世話というか、何だか嫌や~な気分にさせてくれる人がいます。


 この「三つの苦労」の話には、オチがついていました。


 ツイていない人は、この三つのうちのどれかをやっている。

 
 なんだか妙に納得します。


 ツイてる、ツイてないってのはあんまり好きな概念じゃなかったりするのだけれど


 この三つの苦労は


 全部


 自らの不安とか闇が


 それを選択させることなので


 率先して


 前向きに


 チョイスすることはないでしょう。


 できうる限り


 抱え込むことは、ないでしょう。


 持ち出し苦労は特にお互いに

 
 遠慮するようにしませんか。





 神に感謝。
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