カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『微笑むことをとめられない』

2010-12-13 10:45:48 | Weblog
 ごミサで侍者としてお手伝いさせていただいている様子を見て


 「今日、やさしいそうな顔で、微笑んでいたね。」と


 よくよく言われることがあります。




 聖体拝領の列


 「洗礼を受けていないので、祝福をお願いします。」


 その言葉を耳にした瞬間や


 それすら言葉に出せない小さな子どもや赤ちゃんが


 無防備に


 ひたすら


 神父さまを


 じっと見つめる


 あのまなざしに


 微笑むことをとめられないのです。


 もちろん


 お一人お一人のことをジロジロ観察などしていません。言うまでもありません。




 「神さまのお恵みがいっぱいいっぱいありますように。」




 そう言いながら


 神父さまが、赤ちゃんのほっぺたをすりすりされているお姿は


 まさに


 天の国そのものです。




 今日、ごミサの後で


 あの曲が


 オルガンで練習されていました。


 そう


 あの曲です。


 一年に一度しか聞くことのできない


 あの曲。




 ぼくにとってのスペシャルが


 今年ももうすぐやってきます。


 決して色褪せることのない


 あの瞬間。




 今年もたくさんの方々が


 12月24日に


 最寄の教会や


 偶然入った教会で


 あの曲に出会うことでしょう。





 神さまと


 はじめまして


 の瞬間。




 昨日もつくづく


 「あ~、いま


  ここにいるんだよなぁ~。」って


 聖堂にいながら


 しみじみとしていました。




 おもしろいほどに何かが変わる瞬間。




 そんなきっかけ。







 神に感謝。
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『武士の一分』

2010-12-13 05:05:05 | Weblog
 戦国時代のお話のようです。




 「われわれの部隊は、ある意味最前線ではなく


  出動機会は少ないが


  一年に一度


  大きな戦(いくさ)に立ち向かわなければならない。
 

  そのために綿密に慎重に準備を進めて欲しい。


  そして、戦う意欲を持ち続けていてほしい。


  われわれは、外様という立場にあるかもしれないが


  心して事にあたって欲しい。」





 ひとりのものがおずおずと申し出た。


 「この場で戦い続けることが難しくなりました。


  自らのお家の事情もあり


  常に助太刀することがかなわぬゆえこの部隊を離れることをお許し願いたい。


  しかし、いつでも参戦する所存であります。」


 たしかに最前線のように毎日戦うわけではないのだが


 人手は重要である。


 しかし、事情が事情のようなので


 こころよく送り出すこととした。




 数日後伝令がやってきた。


 「お伝えします。この度あなた様は最前線の騎兵隊の隊長に任命されましたので、お取り計らいいただきたい。」


 出番の要請にはよろこんではせ参じることにした。


 風の噂で


 あのお家の事情を理由にわが部隊を去ることとなった者が最前線に配属されることを打診され快諾したと聞いた。


 正直、どういうことなのか理解に苦しむ。


 戦の頻度は、わが部隊よりもはるかに多い。


 ましてや最前線である。中途半端な気持ちで立ち向かうことは、どのような事態を引き起こすのか考えるまでもない。


 同じ味方であることはまごうことなき事実であるので腹に落とそうと思うが


 ことのほか喉のあたりに引っかかっているような


 あまり気持ちの良くない状態が続いていた。




 そのような空気を察してか


 あるお方が声をかけてくださった。




 「そなたは、人数を集めたいのか、戦力を集めたいのか。」



 「戦力に育つことは可能では・・・。」と言いかけて


 頭の中の霧が晴れて


 喉もとに詰まっていた何かがとれる感覚に、はたとわれにかえった。


 そういうことだったのか。






 戦いの荒れ野には


 ただ


 木枯らしが


 寒々と


 吹いているばかりであった。


 何を思い悩むことがあろうか


 ここで立ち止まるわけにはいかないのだ


 次なる戦いのために


 準備をしなければならない。












 神に感謝。
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『変化すること』

2010-12-01 20:31:24 | Weblog
 三週間のロシア出張も


 「いや~、冬のロシアはさすがに厳しい寒さで・・・。」


 などと言えるほどの寒さを感じることも無く


 過ぎてしまえばそれこそ


 あっという間で


 ぐったり、へたへたになるような疲労感など無く


 少しの達成感と


 新しい出会いへの感謝するばかりである。


 ネットさえつながれば、何のストレスも無く


 こういう変化が、人生にアクセントを与えてくれるのだから


 仕事うんぬんという、いわば大義名分のもと


 非日常を味わうことができるのだから


 恵まれているとしか言いようが無い。


 日本に自分がいなくても


 時は進み、物事は進んでいく。


 あたりまえのことなのだけれど


 アクセントがあるから感じられるのかもしれない。


 今年も妻と娘の誕生日が二日連続でやってきた。


 誕生日はスペシャルだから、お祝いし、感謝しなければならない日。


 これも変化を実感する出来事なのだけれど


 いつまでが成長で、いつからが老化なのだろうと思ったりする。


 「あっという間だよね。大きくなって。」とよろこばれることが


 いつの日にか「いい歳。」に変化する。


 家族みんなでこの日を迎えられることに感謝して


 友人のお店(「穂わ心」さん)で作ってもらったバースデーケーキに灯った


 キャンドルを


 二人が一気に


 吹き消す。


 いまさっきまで炎の光で輝いていたキャンドルが


 うっすらと細い煙となって


 そして


 その煙も


 かすかな香りを残して消えていく。


 


 無理をしなくても


 もっとできることがある。


 最近、こんな風にいつも思っている。







 神に感謝。
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『この日に彼は帰ってきた』

2010-11-21 18:18:18 | Weblog
 ぼくは、信じていた。


 1分、1秒も疑うことなく


 信じきっていた。


 そして、いつもいつも心にとめて


 祈っていた。


 教会まつりの朝に


 彼は、帰ってきた。


 おだやかな初冬の


 そして


 いつもにも増して人々でにぎわう教会に


 彼は、帰ってきた。


 ぼくは、こんなところにいるから


 会えないけど


 感謝の気持ちは


 伝わると思う。


 教会でのチカラの使い方や考え方について見習うことが多かった。


 歳もそれほど離れていないし、こどもの親だし


 一時期プータローをしていたときには、司教館でいっしょに働かせてもらったこともあったり


 頑固で、一本気で、伝えることに不器用なところがあったりして


 でも教会のことには人一倍まじめで、アツくて


 お互いに口には出すことはなかったが


 いつも共鳴、共振していたと思う。


 そしていつもリスペクトがあった。


 戦友ということばが思い浮かぶ。


 そうなんだよな~


 教会まつりにもアツかったんだよな~





 サハリンで


 しくしく泣きながら


 パソコンと向かい合ってます。






 でもね


 神さまのふところで


 再会するっていうたのしみがひとつ増えたってことなんだよね。


 


 ぼくは、


 あなたのことがすきでした。




 神さま、


 彼と彼の家族、彼と携わったすべての人たちに


 あなたの息吹をそそいでください。


 彼との出会いとほんの少しのお別れというプロセスによって


 ぼくたちの信仰が、更に強められますように。




 サハリンの空は

 
 きりっと蒼く澄んで


 無精ひげでにこにこ笑っていた彼の心の中を


 彼のサンクチュアリを


 ぼくに見せつけているようです。





 彼は、この日に帰ってきた。






 神に感謝。
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『あしたは教会まつりです』

2010-11-20 14:32:43 | Weblog
 明日の日曜日は、延期になっていた高円寺教会の


 教会まつりです。


 明日は最高気温17℃の予報です。幸い天気の心配は今回は無用のようです。




 
 いま、ウラジオストクの空港で、サハリン行きの飛行機に乗り込むために時間調整をしている。


 二週間はあっという間に過ぎて、次が最終目的地となる。





 そういえば、昨日初めての経験をした。


 現地でお世話になっている方に誘われて夕飯を食べに行くことになった。


 移動用の車に乗り込む前に


 「先生、これから、北のレストランに行こうと思うのですが、よろしいでしょうか?」


 もちろんすぐにピンときて


 「まったく問題ありません。人生で初の経験です。是非、お願いします。」


 「いや~、たまに、主義主張などをもたれている人がいるので、北へ、直接外貨を現金供給するということになりますから。でも料理は、おいしいし、ウェートレスのサービスも良いのです。いわゆる、あの「喜ばせ組み」的な教育を施していますから。」


 お店に到着して、ドアを開けると


 あらあらたしかにキレイどころが、揃っています。


 勘違いされては困りますので、ハッキリしておきますが、もちろん、普通のレストランです。


 料理は、家庭的な料理という感じで


 ギョウザ、マツタケの辛い炒め物、フライドチキン、キムチ、チジミ、ユッケジャンクッパなどをいただきました。


 甘辛い味と経験のあるような無いような香辛料の風味があって、スペシャルとまではいきませんでしたが、おいしくいただきました。


 店内の写真はとっても良いけれど料理の写真は基本NG。しかし、テイクアウトはやっていると(持ち出したら写真取り放題じゃん)いうなんともいやはやな状況に大笑いして夜は更けてゆきました。


 しかし、あの笑顔は


 満面の笑みは


 どうやって受けとめたらイイのだろう。


 世界は広い。





 神に感謝。
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『できない理由』

2010-11-16 22:00:04 | Weblog
 ブログのカレンダーをあらためて見たら


 11月も半分が終わっていた。


 ブログの更新が半月近くされていなかったことに


 ようやく気づく。


 実は、わかっていたのだけれど


 いよいよ気づくわけです。


 更新できなかった理由を羅列すれば


 いくらでもあげられるのです。


 更新していなくてもこのブログに毎日アクセスしてくださる方が100名以上いることもわかっています。


 ブログを更新した日には、アクセス数が3倍にも4倍にもなることもわかっています。


 でも、これは、オフィシャルなサイトでは無いし


 ただ単に46歳の成人洗礼に与ったおやじが


 憤りの持って行き場所として


 ドロドロしたものを


 ちょっとだけ加工して吐き出している


 極めてパーソナルな


 ゴミ箱みたいなものなのです。


 というような言い訳は、いくらでもアピールできるわけで


 そんなことをのたまわっているのなら


 毎日書けばイイだけのことなのです。


 どうやらウォッカに酔ってしまっているようです。


 でもそれがリアルで


 そんな日があっても


 いいですよね


 神さま





 ロシアの出張は


 とても順調なのです。


 ぼくはどれだけ


 欲張りなのだろうか。







 神に感謝。
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『さらばシベリア鉄道』

2010-11-15 01:01:01 | Weblog
 誰一人知っている人のいない


 午後二時過ぎの


 ウラジオストクのカフェで


 大きな窓の際の席に座って


 ボ~ッとしながら


 アタマに浮かんでくることを


 たま~にキャッチして


 いろいろな感情や想いが湧き上がってくるのを


 楽しんでいる。


 「この街で、走ってる車、96%以上日本車だって聞いたけど、さっきから何百台も目の前を通り過ぎてる車、メルセデス(ベンツ)に1台気がついただけで、あとは全部日本車だよな~」とか


 「今日は、日曜日で教会に行けなかったな~。来週11月21日(日)教会まつりだけど、準備は進んでるのだろうな~。」とか


 「家族は、元気にしてるかな~。たまには旅行とかにいっしょに行かないといけないよな~。」とか


 「いま、この街で何かあって、ぼくが死んじゃってもニュース性が無いよな~。」とか


 「ここのサンドイッチおいしかったから、テイクアウトできるか聞いてみようかな~。」とか


 「風が吹くと寒いな~、でも木枯らしって感じじゃないよな~。」とか


 「雲の切れ間からおひさまが出て来たな~。」とか


 ふと、なんだかさびしさが押し寄せてくるような感覚に陥りそうになったりするのだけれど、その微妙な雰囲気すらウェルカムだったりして。



 

 今年二度目で、人生で三度目、そしてはじめての冬のロシアを堪能している。


 最近は、どんな出来事でもエキサイティングに受け止められる余裕みたいなものがあって、不安感すらワクワク・どきどきに変換するコツというか


 開き直りという言葉はあまり好きではないのだけれど


 何においても、どんな状況にあろうと


 やっぱり、すべては経験値をアップできるチャンスをもらっているのだと


 ピンチすら、感謝の気持ちで受け止められるような感覚でいる。


 いまは、第二の目的地であるウラジオストクにいる。


 日本より1時間早く、生きている。


 昨日の夜、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗って、11時間の移動をした。

 
 ぼくと同じくらいの年頃の人は


 大滝詠一さんの「さらばシベリア鉄道」(♪悲しみの裏側に何があるの~♪)がアタマの中で鳴り響いたことだろう。


 いまどきの人たちは「世界の車窓から」のあのBGMかな。


 寝台車のコンパートメントなんて、それこそ初体験。


 寝台車だって20数年ぶりだと思う。(長野から大阪だったような気がする)


 適度なリズムの揺れは、快適な睡眠を演出してくれて、1晩だけだったこともあって、とても良い印象となった。




 さてさて、4時を過ぎて暗くなる前に、食料品店を見つけて少し買出しをしなければ。


 ウラジオストクは2回目で、ホテルも同じだったりするので一人で出歩いたりしているが、この慣れが油断につながるので、用心用心。


 「哀しみの裏側に 何があるの?
   
  涙さえも凍りつく 白い氷原
   
  誰でも心に冬を
   
  かくしてると言うけど
   
  あなた以上 冷ややかな人はいない」






 神に感謝。
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『チャバってヤツは』

2010-10-30 00:01:23 | Weblog
 うわさのヤツがやってきた。


 やってくるのは仕方がない。


 やってきてしまうのだからどうしようもない。


 たぶん誰にも止めることはできないだろうから。


 しかし


 なんてったって今回はタイミングが悪い。


 悪すぎる。


 先週末くらいから


 ずっとずっと気になっていた。


 ありとあらゆる情報源を駆使し


 耳をダンボにして


 ヤツの動向を追いかけ、ウォッチし続けてきた。


 大方の予想通り


 やっぱりヤツはやってきたのだ。


 自転車に乗るくらいにゆっくりとしたリズムで


 こちらのやきもきする気持ちをあざ笑うかのように


 凶暴に


 ゆっくりと。


 ヤツには名前がつけられていることを知った。


 14というナンバーの他に名前が。


 チャバ


 タイという国の言葉で


 意味は、ハイビスカス。


 それが名前だった。


 


 この暴れん坊が


 週末


 ぼくらの住む町にもやってくる。


 じっと身を潜めていれば


 通り過ぎていくことだろう


 でも今度の日曜日は


 教会で年に一度のバザー「教会まつり」が開催されることになっている。


 みなさん金曜日くらいから最終準備に取りかかっていただくことととなる。


 ヤツの


 チャバの動向によっては


 みなさんの安全を最優先に確保しなければならないので


 政府の専門機関にも連絡を取って


 ヤツのこれからの動きについて相談もした。


 教会の事務局の教会委員長にも状況を話した。


 「希望的観測での判断はやめよう。」


 意見は一致した。


 教会まつりは延期。




 しかし


 ヤツひとりのせいで


 しかたない。


 チャバ


 ウーロン茶や紅茶の


 茶葉


 くらいにしておいて欲しいものです。


 まったくぅ。





 ちなみに教会まつりは11月21日(日)に開催で調整中です。






 神に感謝。
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『おひさまに』

2010-10-27 12:32:41 | Weblog
 少し前まであれほど悪役みたいな存在だったのに


 「灼熱の太陽」くんは


 「おひさまの光」に名前を変えて


 ずいぶん控えめになった


 その輝きと熱量を


 とっても冷たい秋風の中


 ぼくの背中に


 「おつかれさま。」とふりそそいでくれている。





 なんだか


 久しぶりの感覚に


 ほんの少しだけ


 遠回りしてみたくなった。


 そんな


 ひととき







 神に感謝。
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『午前0時のお祈り』

2010-10-26 01:25:24 | Weblog
 午前0時になったらお祈りしよう。


 断る理由が無いし


 断れるわけも無い。


 弱っている、希望が無いというようなこと言ってたって


 そんなこと聞いたら


 自然に涙が出てきた。


 だから


 祈ります。


 いろいろな意味で距離が遠かったり


 直接、声をかけることがかなわなかったり


 物理的に何も出来なかったりするのだけれど


 ぼくたちには


 祈る


 すべがあるから。


 

 後悔みたいな感情


 「本当だったら」なんて


 同情という名の皮をかぶった自己満足に近い感傷


 いろいろな思いを込めて


 マリア様に


 取次ぎを


 祈ります。



 
 きっとだいじょうぶ。


 


 神に感謝。
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『いつの日にか書いたメモに』

2010-10-12 23:23:23 | Weblog
 気分転換に


 整理、整頓


 そう、お掃除でもしてみようかなと思いつく。


 積み重ねられた書類のしたからメモ帳が出てくる。


 そのメモ帳の表紙には



 「常に祈りなさい」



 と書いてある。



 メモ帳を開く


 
 少し前に参加していた聖書の分かち合いの会で心にとまった言葉が書き連ねられている。





 「聖書は、今も生きている神さまの言葉である。」






 「頭で学ぶのではなく、カラダ全体でキリストを生きる。」






 「渇いたときには、コップを選ぶことはしない。

  欲しいのは水。」





 このタイミングで


 このメモ帳が開かれる。





 すべてのことには意味がある。





 神に感謝。
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『けんちん汁』

2010-10-11 23:23:23 | Weblog
 妻からショートメールが来た。


 「具だくさん、けんちん汁作ってよ~。」


 いわゆる


 無茶ブリってやつです。


 過去に作ったことがある人には、いとも簡単なメニューのひとつかもしれませんが


 ぼくは、作ったことがありません。


 けんちん汁って言われて瞬時に思いついた具材のイメージは


 大根、にんじん、こんにゃくの細めのヤツ、いも系、豚肉、白菜、長ネギ


 そして


 握りつぶされたような


 豆腐。


 冷蔵庫を確認すると


 白菜、豚肉、しめじ、豆腐、じゃがいも


 という布陣である。


 意味も無く


 「買い物に行かずに何とかしてみようと。」と決心する。


 大体において食事作りをしない人間は


 まず、パソコンで


 「けんちん汁」とは


 というところから入りたくなるのだが


 たまには


 直感に衝き動かされてみても悪くないんじゃないかなと


 何の根拠も無く


 食材を適当な大きさに切ってみたりする。



 最初に軽~く、炒めたほうが汁物の具材の食感が良くなるというアドバイスは記憶にあって何も入れない鍋を火にかけて


 とにかく豚肉から炒めてみることにした。


 油をひくこともなく加熱したお鍋に肉を放り込みますから、程なくしてお肉さんと鍋底さんはとっても仲良しになって、ベッタベタになります。


 どうやらこのままでは、バラ肉が挽肉になってしまいそうなので、水分のある白菜をあわてて投入しますが、状況は変わるはずもありません。


 「そうだ、たしか、けんちん汁にはごま油だ。」といつか見たTV番組の一節を思い出してタラ~リと2周ほど入れてみます。


 香ばしい良い香りとともに問題も解決されました。


 豆腐以外の残りの食材を入れて、なんとなく全体がしんなりするまで中火くらいで炒めてみます。


 さてさて、いよいよ水を入れるタイミングだなと勝手に判断してみたのですが、これがまたわからない。


 娘に助けを求めようと思いましたが、昨日の教会でのお泊まり会で燃え尽きて、起こすのが気の毒なほどに爆睡しています。


 母は、腰痛で静養しています。


 このまま突き進むしかありません。


 困ったときは、「水は「ひたひた」のはずだ。」と水を入れてしまいます。


 そこから20分間、アイフォンのタイマーでキッチリ時間を計って見守ります。なぜかここだけ20分でした。いまでも理由はわかりません。

 
 この次は、いよいよ味を調えるという重要な行程です。


 味噌仕立てにしよう、(本心は「味噌仕立てが、ごまかしがきくかも。」)という感じでお味噌をスタンバイしておきます。


 このとき、どこかで見てたんじゃないかってタイミングで、妻からフォローメールが入ります。


 「ダシの素、入れてね。」


 おっと忘れてた、ダシね。顆粒タイプをチョイスしたので、近くにあった木製のスプーンですり切り一杯入れてみます。ちょっとぼんやりしてるのかなと思ってもう少しだけ加えた瞬間に


 「ありゃりゃ、もしかして、味噌、ダシ入りだったか。」


 急いで、確認してみるとダシの入ってないプレーンなタイプでした。それも込みでの指示だったのだとようやく納得し、そのまま味噌を溶き入れます。


 どうやら味は調いました。具の白菜やジャガイモもイイ感じです。


 最後に豆腐を握りつぶしながら投入します。粉々にし過ぎたようです。


 最後の最後にごま油をツ~っと1周


 完成です。


 満足のいく出来です。





 「ピンポ~ン」


 程なくして妻が帰ってきました。


 余裕なフリをして待ちかまえていると


 開口一番


 「ごま油使ったでしょ、けんちん汁にごま油入れるの好きじゃないんだよね。」


 ロールプレイングゲームで


 エンドロールが終わった後に


 本当のボスキャラが出てきて


 それまでのプロセスを無視するがごとく


 こてんぱんに


 完膚無きまでに


 打ちのめされるパターンです。


 それでもイイんです。




 「それじゃあ、みなさんご一緒に、父と子と聖霊の御名によってアーメン。いただきま~す。」




 ご飯のニオイにつられて起きあがってきた娘に聞いてみます。


 「どう、結構うまいでしょ。」


 


 「う~ん、まあまあかな。」





 ボスキャラとの死闘の末にどこからともなく隠れキャラが登場して、味方なのかなと思ったら


 ぼくの残り少ないライフポイントをすべて奪いましたとさ。






 神に感謝。
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『みんなのいえのはなし』

2010-10-04 05:05:05 | Weblog
 日曜日の9時半のごミサのあとに


 高円寺教会の聖堂で


 高円寺教会の聖堂の大規模修繕や建て直しについての説明及び意見交換をする場が、臨時信徒総会というカタチで開催された。


 ぼくは、事務局の末席というポジションで奉仕活動などのお手伝いさせていただいているので、今回は議事運営側となった。


 高円寺教会の聖堂や司祭館やその他の建物は、建築から70~90年以上の歳月を乗り越えてきている。


 建築技術や耐震基準がそれほど高く、厳しくなかった頃の建物。


 建て替えなどに関する検討をするタスクフォース(プロジェクトチーム、調査部会みたいなもの)はすでに15年前から立ち上げられ、情報収集を含めた話し合いが繰り返し行われてきた。


 いまの高円寺教会の建物は、とっても素敵で、なんともいえない風情というか魅力があって、建設当時に寄贈されたステンドグラスは、今日現在でも気品高くおひさまの光を受けて光り輝いていたりする。


 ぼくも、いまの聖堂が大好きだし、いつの日にか建て替えるのであれば、最新技術を駆使して、現在のテーストを完全コピーした建物にして欲しいなどと思っていたりもする。


 教会は家族そのもので


 聖堂は、我が家である。


 年配の方の思い入れや様々な人の思いや言葉が交錯する。


 聖堂の建て替えのプロセスでもめてしまうというような事例も耳に入ってくるが


 何の心配も無い。


 活発な意見交換や議論が繰り広げられる。


 すべては神さまの御前でのこと。


 発言される方の勇気に敬意を評するべきであると思うし

 
 話し方の上手い下手なんてことは、ご愛嬌であって


 それが、オーディエンスの意見を代表、代弁した言葉に聞こえなかったとしても


 なんだか個人の考えのアピールの場じゃないじゃんとイラっとしたとしても


 すべてのことには意味がある。


 ましてや遺恨が残るとか、真っ二つに割れるとか


 そんな心配はまったくいらないと思う。


 万が一、そんな雰囲気になってしまったとしても


 そういう試行錯誤は、聖書の中にあるように信徒の間で何度も繰り返されてきたことであって


 つながっているもの同士に


 根本的ないさかいなど


 存在しない。


 だからといって、予定調和のようなことばかりしていれば


 馴れ合いや暴走、ミスリードにつながっていくこともあるので


 真剣に思いの丈をぶつけ合えるような雰囲気こそを大切にしていかなければならないのだと思う。




 何かをするときに


 たずさわるすべての人を満足させることはむずかしい。


 お金のことが絡んだりするとなおさらむずかしくなる。


 現実は、そんなに甘くないのだよという忠告も真摯に受け止めなければならない。


 その中で


 いろいろな工夫や気づきがもたらされたりもする。





 評論家を気取るつもりは毛頭無いけれど


 今回の集まりは


 良い集まり


 だったと思う。






 神さまは


 必要なものを


 必要なだけ


 必要なときに


 用意してくださる。






  日頃は目に見えない


 高円寺教会の


 絆が


 顔を出して


 にっこり笑った。







 神に感謝。
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『実家でのミサ』

2010-10-01 03:03:03 | Weblog
 約1ヶ月ぶりの我が家である高円寺教会でのごミサ。


 体調がいまいちで、ほんの数分くらいの自転車のペダルが重苦しかったが、そんなこととは何ら関係なく我が家は、我が家のままでそこにあった。


 そして容赦なく尻を叩かれる。


 一ヵ月後(10月31日の日曜日)に迫った教会まつりの福引大抽選会の告知をしたり、販売をしたり、教会学校の父兄会に参加したり、教会の近くの「きたなシュラン」で取り上げられたちゃんぽんのお店に行ったり、臨時の会議に参加したり


 それでイイ。そう、まったくもってそれでイイんです。


 気合注入ってなもんですから。


 吉池神父様から


 「帰国早々、ごくろうさま。」などとありがた気遣いをいただいたりして、元気百倍、勇気凛々アンパンマンです。


 自分にできることを


 できる範囲で


 いっしょうけんめいやりつづけるだけです。


 恩返しに


 「もうこのくらいでイイんじゃない」は


 ありえないから。





 放蕩息子が外に出てやっとわかること


 戻ってきて感じること


 

 教会の鼓動


 教会の息づかい


 教会は生きているなって




 そして実家は



 圧倒的に



 あたたかい。






 神に感謝。
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『46』

2010-09-24 22:22:22 | Weblog
 ありがたく涼しい雨とともに


 46回目の誕生日がやってきました。


 これからの一年のテーマは


 「老化をかすかに受け入れながらも進化し続ける」


 ということもあって誕生日を迎える前に東京マラソンにエントリーしていました。


 32,000人の枠に294,469人の応募。


 抽選をくぐり抜けられるかどうかは、それこそ神さましかわかりません。


 でも準備をしておくことにしました。


 そうそう


 この


 「準備をしておく。」こと


 が


 どれだけ大切なことなのか


 この歳になって


 あらためて


 身にしみたりしています。


 行き当たりばったりでもたいがいのことは


 どうにかなります。


 でも


 やっぱり


 その結果みたいなものには


 理由があって


 いまままでの


 人生経験が


 というか


 46年間の人生の中で経験したことだけが


 知らず知らずのうちに何かに対応するときのために準備されていて


 出番を待っています。


 だから


 いろいろなことに興味や好奇心を持って


 できる範囲で


 挑戦、いや、挑戦というとハードルが高いうようなイメージがあるから


 試してみる。


 もっといろいろな人とふれあってみたり、話してみたりする。


 神さまという圧倒的なバックボーンは揺るぐことがないから


 思いきってみたりする。


 でも周りの人に迷惑をかける自分勝手はしない。


 これが、自らに枠を作っているとかって考える時期は過ぎ去った。




 誕生日に


 カラオケに行って


 食事をして


 ジュリアロバーツの最新作「EAT PRAY LOVE」(邦題「食べて、祈って、恋をして」を観ました。


 その映画の中で気になるセリフがあった。




 「まず、自分をゆるす。」




 なんだそんなこと、信仰生活の中で普通にやってることじゃんって思えなかった。


 これって意外とっていうか、ど真ん中の盲点じゃんみたいな感じ。


 バランスというキーワードが何度も出てきて


 ただの食べて歩きの恋愛映画って感じがしなかった。




 自分をゆるす。




 自己満足と毎日毎晩顔をつきあわせているぼくには


 永遠のテーマのような気もするが


 この涼しさを運んできてくれた雨が


 いつもでも続くはずのない夏の終わりと


 まだまだ続くであろう自らの人生のリアルを


 教えてくれている感じがする。






 神に感謝。
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