LIVINねこ徒然記

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東邦銀行、会津支店・会津一之町支店と閉店した若松支店の関係を推測してみる

2015-09-21 22:01:46 | 銀行
 会津若松市内の銀行支店名が若松から会津へ変更されたケースが多いことを別記事にて取り上げました。
 東邦銀行においては、同行成立時点で会津銀行本店改め会津支店と郡山商業銀行若松支店改め若松支店が存在していましたが、ほどなく若松支店が会津支店へ統合されておりました。1951年(昭和26年)2月、日本勧業銀行が会津支店を福島支店へ統合した際に、東邦銀行は日本勧業銀行会津支店の店舗建物と土地を購入し会津一之町支店を設置したことまでは別記事にて取り上げました。前年の1950年(昭和25年)8月10日に至近距離立地を理由に郡山中町支店(初代、旧協和銀行郡山支店)を郡山駅前支店として郡山市中町7から郡山市駅前20-1(1967年1月1日施行の住居表示変更後は郡山市駅前1-6-11)へ移転した翌年の出来事です。至近距離という点では、会津支店と会津一之町支店の立地距離は郡山支店(現:郡山中町支店)と協和銀郡山支店改め東邦銀行郡山中町支店間の距離240mよりも近く、120mの距離になります。廃店となった若松支店と会津支店の距離はもっと近くて66mになります。(距離計測はGoogle Mapにて行いました。)


東邦銀行若松支店跡(旧:郡山商業銀行若松支店)



東邦銀行会津支店(旧:会津銀行本店)



東邦銀行会津一之町支店(旧:日本勧業銀行会津支店)




東邦銀行会津一之町支店から会津支店を望む


 東邦銀行の刊行している社史、郡山商業銀行と白河瀬谷銀行は合併に前向きであったが会津銀行は消極的であったとの記述が必ずあります。中通り中部を本拠としていた郡山商業銀行、中通りの南部拠点都市である白河市で営業していた白河瀬谷銀行の2行は昭和金融恐慌で経営破たんした同じエリアの銀行が複数あったことから政府の経営統合勧奨を受けて規模拡大を図る方向で一致していたけれども、会津地方を営業エリアとしていた会津銀行としては昭和金融恐慌を乗り越えられたことから独自路線で経営継続できると判断していたのかも知れません。しかしながら、政府の経営統合勧奨を最終的には受け入れて3行合併による東邦銀行となった。旧郡山商業銀行の若松支店は旧会津銀行本店の会津支店に至近距離でもあり、東邦銀行成立後まもなく会津支店へ統合されております。若松以外でも東邦銀行へ合流した銀行の支店が複数あった街では店舗統合が行われております。

 ここからは私の独断による推測を記述します。東邦銀行は決してこの内容を公式に認めることはない記述になるかと。
 協和銀行郡山支店を営業譲受し開設した郡山中町支店が郡山支店と至近距離であることを理由に駅前へ移転し郡山駅前支店としたわずか半年後に、会津支店至近に会津一之町支店を日本勧業銀行から土地建物を購入してまで開設したのは、東邦銀行内における旧郡山商業銀行系と旧会津銀行系の勢力争いがあったからではなかったのか。要するに旧若松支店(郡山商業銀行若松支店)の事実上再出店であったと思われます。もちろん、東邦銀行の社史にそのような記述はなく、母店である会津支店の取引先で無い旧日本勧業銀行顧客と富士銀行の顧客をターゲットにして新規開拓営業を行ったとの東邦銀行50年史記述となっております。
 福島県のバス時刻表ライブラリーに掲載されております会津バスの昭和37年(1962年)6月10日改正時刻表には常陽銀行広告と合わせて東邦銀行が会津一之町支店単独の広告を掲載していたのも何か不思議な気がします。

 参考資料・参考Webサイト
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行四十年史 東邦銀行、1983年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 東邦銀行七十年史 東邦銀行、2012年
 福島県のバス時刻表ライブラリー 乗合バスアーカイブス 2015年

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(写真追加掲載)東邦銀行会津一之町支店側から会津支店を望む構図の写真を追加しました。2015年12月2日7時45分


 
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