LIVINねこ徒然記

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第四銀行と郡山合同銀行の関係

2015-01-23 21:15:43 | 銀行
 別記事で第四銀行会津支店が、1980年(昭和55年)1979年(昭和54年)まで使用していた建物は郡山合同銀行(合併成立前の郡山橋本銀行)が会津若松に支店出店のために建築していたものであることを記述しました。郡山橋本銀行は、1924年(大正13年)1月に新潟県新潟市本町通8番町へ支店を出店しておりました。郡山橋本銀行と郡山銀行が1928年(昭和3年)5月に合併したことに伴い、郡山合同銀行新潟支店となるも日本銀行の斡旋により1930年(昭和5年)3月31日に第四銀行へ営業譲渡され本町通9番町に所在していました同行本町支店(初代)が業務を引き継いだ経緯がありました。
 郡山合同銀行新潟支店を引き継いだ当時の第四銀行本町支店は、1908年(明治41年)12月8日開店の豊国銀行新潟支店を源流とする店舗にて昭和3年2月に豊国銀行が昭和銀行に買収されたことにより昭和銀行新潟支店となるも1928年(昭和3年)8月27日に第四銀行へ営業譲渡されて第四銀行本町支店になり、郡山合同銀行新潟支店を統合後の1931年(昭和6年)8月31日に第四銀行住吉町支店へ統合され廃止となっております。第四銀行百年史によれば同名の第四銀行本町支店(2代目)が存在しており、こちらは新潟商業銀行本店を源流とする店舗にて1926年(大正15年)10月1日に合併により新潟銀行東堀支店となり、1928年(昭和3年)7月1日に新潟市本町通5番町229番地へ移転し新潟銀行本町支店と改称しさらに1943年(昭和18年)3月29日第四銀行が新潟銀行を合併したことにより第四銀行本町支店(2代目)となり、1968年(昭和43年)5月6日に新潟市本町通5番町224番地1へ移転した歴史を有し、第四銀行百年史発刊の1974年時点では存在しておりました。 新潟市への福島県本拠銀行の支店出店はその後1973年(昭和48年)12月4日に東邦銀行の新潟支店出店まで存在していません。
 
 郡山合同銀行の本拠である福島県郡山市への第四銀行出店は、1929年(昭和4年)に当時の第四銀行若松支店支配人が提案するも2014年時点まで実現しておりません。同じ頃、北海道進出も第四銀行は考案していましたが、こちらは1958年(昭和33年)10月23日に札幌支店出店にて実現しております。2008年10月時点の第四銀行札幌支店につきましては、為栗裕雅様のブログ「MEGU」に詳細レポートがございます。 
 郡山商工会議所は、当時の郡山市金庫(現在の指定金融機関)でもあった郡山合同銀行の1930年(昭和5年)10月4日経営破たんをきっかけとした二本松銀行や須賀川銀行への預金引き出し増加発生により安田銀行(のちの富士銀行、2014年現在のみずほ銀行)以外に他県の有力銀行支店が必要と考え郡山合同銀行への貸付取引先であった秋田銀行か隣県の足利銀行のいずれかの出店を要請することとなり、結果として1931年(昭和6年)2月23日郡山合同銀行中町支店跡の郡山市中町39に秋田銀行郡山支店設置になりました。歴史にIFというのは禁句ではありますが、第四銀行が郡山に出店し秋田銀行の郡山への出店がなかったとしたら東日本の金融史は大きく変わっていたと思われます。
 なお、足利銀行の郡山出店は1966年(昭和41年)5月11日に実現しております。


 参考資料・参考Webサイト
 第四銀行百年史 第四銀行、1974年
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 秋田銀行百年史 秋田銀行、1979年
 足利銀行史 足利銀行、1985年
 為栗 裕雅ホームページ「遊牧民の窓」
 福島県の町並みと歴史建築 - 会津若松市 - 旧第四銀行会津支店
 滝谷建設工業株式会社Webサイト-社屋概要

 (2015年8月15日記述修正)
第四銀行会津支店が、1980年(昭和55年)まで→第四銀行会津支店が、1979年(昭和54年)まで
 
コメント (2)
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