LIVINねこ徒然記

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東邦銀行郡山中町支店(初代、旧協和銀行郡山支店)跡と福島県商工信用組合の関係

2014-11-23 16:02:54 | 銀行
 東邦銀行郡山中町支店(初代)は昭和23年(1948年)10月1日に協和銀行郡山支店を譲受し「郡山中町支店」として「郡山市中町7」にて営業開始しましたが、昭和25年(1950年)8月10日に「郡山市駅前20-1」へ移転し「郡山駅前支店」となったのは別記事に掲載しました。
 移転前の場所はフロンティア通り沿いにて郡山中心市街地の一等地に当たります。第二うすいの建物になるまでに、もうひとつの金融機関がその場所に関係していました。

 福島県商工信用組合は、2014年現在の本店は「郡山市堂前町7-7」に所在しておりますが1954年(昭和29年)10月1日開業した時点の本店は「郡山市中町7」に存在していたのです。開業時の名称は郡山商工信用組合にて、現名称には1958年(昭和33年)に変更しております。1969年(昭和44年)10月28日まで中町に本店が所在し、1971年(昭和46年)10月18日の本店ビル竣工までは駅前1丁目7-7に移転していました。
 昭和37年(1962年)の郡山市住宅地図によれば、福島県商工信用組合は中町7番地の中では郡山駅寄りの角地から2番目に所在しており角地の建物が「中町7番地イ」だとすれば協和銀行郡山支店の正確な所在地となっていた「中町7番地ロ」である可能性は非常に高いと思われます。建物に関しても協和銀行時代のものが使われていた可能性が高そうです。ちなみに同組合の組合史には創業時点の店舗建物写真が掲載されております。
 福島県商工信用組合の事実上創業者にあたる2代目理事長の須佐喜仁氏は信用組合を設立する前に洋裁学校を夫婦で経営しておりましたが、夫人の父親にあたる太田繁蔵氏が昭和金融恐慌で経営破たんした二本松銀行の白河支店長を勤めていたこともあり金融業界に熟知している太田氏と相談の上信用組合を設立したと組合史に記述がある。創業時に須佐喜仁氏が専務理事、太田繁蔵氏が理事を務めましたが、副理事長として東邦銀行郡山支店長を1950年(昭和25年)4月1日から1952年(昭和27年)11月10日まで務めた国分貞仲氏が就任しておりました。国分氏の2代後に東邦銀行郡山支店長を取締役兼任にて1956年(昭和31年)10月11日から1959年(昭和34年)1月27日まで務めたのが、「郡山市中町7」にあった協和銀行郡山支店長と東邦銀行郡山中町支店長であった箭内守信氏になります。
 太田繁蔵氏が勤めていた「二本松銀行」は1903年(明治36年)11月に創業し、1931年(昭和6年)10月13日に支払い猶予となり経営破たんしておりますが「郡山市中町5」にあった郡山支店の敷地建物が1931年(昭和6年)11月2日に秋田銀行郡山支店となり、安田銀行(のちの富士銀行、2014年現在のみずほ銀行)郡山支店の須賀川と三春にあった出張所を1925年(大正14年)8月31日に譲受していました。 秋田銀行郡山支店が郡山市へ進出した当初(昭和6年2月23日)は、「郡山市中町39」の郡山合同銀行中町支店跡に存在しておりましたが郡山合同銀行の前身のひとつにあたる郡山橋本銀行が若松市(会津若松市)に支店を設置しようとして建築した建物が第四銀行会津支店として1979年(昭和54年)1980年(昭和55年)まで用いられていたそうです。
 第四銀行と郡山合同銀行の関係につきましては別記事にて取り上げます。

 参考資料・参考Webサイト
 福島県商工信用組合二十年史 福島県商工信用組合、1974年
 福島県商工信用組合四十年史 福島県商工信用組合、1994年
 福島県商工信用組合五十年史 福島県商工信用組合、2004年
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 秋田銀行百年史 秋田銀行、1979年
 福島民友
 福島県商工信用組合Webサイト
 福島県の町並みと歴史建築 - 会津若松市 - 旧第四銀行会津支店

(2015年8月16日記述修正)
第四銀行会津支店として1980年(昭和55年)まで→第四銀行会津支店として1979年(昭和54年)まで

コメント (4)
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