LIVINねこ徒然記

LIVINねこが見て聴いてひげに触れて(?)感じた事を気ままに記述する場所です。トラックバック・コメントは後程承認です。

東邦銀行、白河支店を新築移転へ

2022-05-01 16:08:00 | 銀行
 東邦銀行は、白河西支店を白河支店内へ2022年7月25日に移転し、白河西支店跡地の建物を新築し2024年9月に白河支店を移転させる旨のプレスリリースを公表しました。

 白河支店は、東邦銀行の源流の一つである「白河瀬谷銀行」の歴史がある店暦(ただし、場所は東邦銀行設立直後に郡山商業銀行白河支店の建物へ移転統合)ですが、長年立地していた白河中心市街地から移転するとは、少し驚くと同時に繁華街が新白河駅寄りに移動しているのを再認識しました。白河支店の店舗建物が1964年(昭和39年)12月8日からのモノなので、かなり老朽化していたのは確かです。
 白河西支店の現店舗建物は、1985年(昭和60年)10月28日の開設時からのモノなので、流石にそのまま使用継続は、スペースの問題もあって難しかったのでしょうかね。
 
 2009年に実施された福島銀行の郡山市基幹店舗の移転統合に、類似したような今回の東邦銀行白河市内営業店移転統合な感をもちました。

 参考文献・Webサイト
 東邦銀行公式サイト
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年

 当ブログ関連記事
 福島銀行における郡山市基幹店舗の遍歴
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みずほ銀行那覇支店(旧:第一勧銀那覇支店)

2016-09-29 20:45:29 | 銀行

みずほ銀行那覇支店(旧:第一勧銀那覇支店)


 第一勧業銀行が1984年(昭和59年)4月27日に開設したみずほ銀行那覇支店。沖縄県の本土復帰した1972年(昭和47年)5月15日に第一勧業銀行那覇事務所を開設し、1984年(昭和59年)4月27日に支店となった歴史を有しております。なお、第一勧業銀行那覇事務所は支店開設後もしばらく併設しており、1987年(昭和62年)8月24日付で廃止となっております。

 2016年7月時点では1階にATMコーナー、2階に営業窓口を配置の支店となっておりました。
 2階営業窓口を公共料金支払いにて利用してきましたが、伝票と通帳を窓口係員へ提出後処理済むまで待っている間に「スパリゾートハワイアンズ」へみずほが復興支援融資している旨の映像がロビーディスプレーにて放映されており、視聴しました。スパリゾートハワイアンズダンシングチーム引退が報じられたモアナ梨江譲も写っていた。「スパリゾートハワイアンス」を運営している常磐興産は旧富士店であるみずほ銀いわき支店の顧客なので、旧第一勧銀店舗(那覇支店は旧:日本勧業銀行系の支店と言えるが)で放映していることに銀行の合併成立から10年以上経過しているのにも関わらず、なんとなく違和感を感じる私でした。

 参考文献・Webサイト
 第一勧業銀行二十年史 第一勧業銀行、1992年

(2023年3月26日 8:30 支店開設年の和暦を修正)
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鹿児島銀行沖縄支店

2016-08-03 22:19:14 | 銀行

鹿児島銀行沖縄支店


 沖縄県に所在する唯一の他県本店地方銀行協会加盟行支店になります。
 支店の所在地は那覇市銘苅1丁目にて、日本銀行那覇支店所在のおもろまち新都心至近の場所になります。
 琉球新報の記事によれば、1945年の沖縄戦終了後では初めての他県本拠地方銀行支店設置になるそうです。

(2017年3月14日 10時15分追記)
 1945年の沖縄戦終了後では初めての他県本拠地方銀行支店の出店という報道なので、沖縄戦以前に出店していた他県本店銀行があるという事になるかと思い調べてみました。
 鹿児島銀行の社史によれば、1965年(昭和40年)8月10日に沖縄事務所を開設するも1986年(昭和61年)9月30日に廃止していました。
 鹿児島銀行(とその前身行)は1945年(昭和20年)の沖縄戦以前には、那覇市内に沖縄支店、名護に国頭支店、八重山と宮古島には代理店を設置しておりましたが、沖縄戦の影響によって閉鎖となりその後撤退しておりました。

 参考資料・参考Webサイト
 鹿児島銀行百年史 鹿児島銀行、1989年
 鹿児島銀行120年のあゆみ 鹿児島銀行、2009年
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東邦銀行、会津支店・会津一之町支店と閉店した若松支店の関係を推測してみる

2015-09-21 22:01:46 | 銀行
 会津若松市内の銀行支店名が若松から会津へ変更されたケースが多いことを別記事にて取り上げました。
 東邦銀行においては、同行成立時点で会津銀行本店改め会津支店と郡山商業銀行若松支店改め若松支店が存在していましたが、ほどなく若松支店が会津支店へ統合されておりました。1951年(昭和26年)2月、日本勧業銀行が会津支店を福島支店へ統合した際に、東邦銀行は日本勧業銀行会津支店の店舗建物と土地を購入し会津一之町支店を設置したことまでは別記事にて取り上げました。前年の1950年(昭和25年)8月10日に至近距離立地を理由に郡山中町支店(初代、旧協和銀行郡山支店)を郡山駅前支店として郡山市中町7から郡山市駅前20-1(1967年1月1日施行の住居表示変更後は郡山市駅前1-6-11)へ移転した翌年の出来事です。至近距離という点では、会津支店と会津一之町支店の立地距離は郡山支店(現:郡山中町支店)と協和銀郡山支店改め東邦銀行郡山中町支店間の距離240mよりも近く、120mの距離になります。廃店となった若松支店と会津支店の距離はもっと近くて66mになります。(距離計測はGoogle Mapにて行いました。)


東邦銀行若松支店跡(旧:郡山商業銀行若松支店)



東邦銀行会津支店(旧:会津銀行本店)



東邦銀行会津一之町支店(旧:日本勧業銀行会津支店)




東邦銀行会津一之町支店から会津支店を望む


 東邦銀行の刊行している社史、郡山商業銀行と白河瀬谷銀行は合併に前向きであったが会津銀行は消極的であったとの記述が必ずあります。中通り中部を本拠としていた郡山商業銀行、中通りの南部拠点都市である白河市で営業していた白河瀬谷銀行の2行は昭和金融恐慌で経営破たんした同じエリアの銀行が複数あったことから政府の経営統合勧奨を受けて規模拡大を図る方向で一致していたけれども、会津地方を営業エリアとしていた会津銀行としては昭和金融恐慌を乗り越えられたことから独自路線で経営継続できると判断していたのかも知れません。しかしながら、政府の経営統合勧奨を最終的には受け入れて3行合併による東邦銀行となった。旧郡山商業銀行の若松支店は旧会津銀行本店の会津支店に至近距離でもあり、東邦銀行成立後まもなく会津支店へ統合されております。若松以外でも東邦銀行へ合流した銀行の支店が複数あった街では店舗統合が行われております。

 ここからは私の独断による推測を記述します。東邦銀行は決してこの内容を公式に認めることはない記述になるかと。
 協和銀行郡山支店を営業譲受し開設した郡山中町支店が郡山支店と至近距離であることを理由に駅前へ移転し郡山駅前支店としたわずか半年後に、会津支店至近に会津一之町支店を日本勧業銀行から土地建物を購入してまで開設したのは、東邦銀行内における旧郡山商業銀行系と旧会津銀行系の勢力争いがあったからではなかったのか。要するに旧若松支店(郡山商業銀行若松支店)の事実上再出店であったと思われます。もちろん、東邦銀行の社史にそのような記述はなく、母店である会津支店の取引先で無い旧日本勧業銀行顧客と富士銀行の顧客をターゲットにして新規開拓営業を行ったとの東邦銀行50年史記述となっております。
 福島県のバス時刻表ライブラリーに掲載されております会津バスの昭和37年(1962年)6月10日改正時刻表には常陽銀行広告と合わせて東邦銀行が会津一之町支店単独の広告を掲載していたのも何か不思議な気がします。

 参考資料・参考Webサイト
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行四十年史 東邦銀行、1983年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 東邦銀行七十年史 東邦銀行、2012年
 福島県のバス時刻表ライブラリー 乗合バスアーカイブス 2015年

 関連記事
 福島県会津若松市の銀行支店名称変更「若松から会津へ」を探る
 協和銀行郡山支店と東邦銀行郡山中町支店・郡山支店との関係を探ってみた
 福島県郡山市における県外本店銀行支店所在地の遍歴
 


(写真追加掲載)東邦銀行会津一之町支店側から会津支店を望む構図の写真を追加しました。2015年12月2日7時45分


 
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郡山と銚子、撤退する協和・営業継続した常陽

2015-09-19 20:16:19 | 銀行
 常陽銀行の店番コードは、郡山支店「022」・銚子支店「023」・小山支店「024」となっております。これは昭和21年(1946年)11月に政府が預金の受入と払戻のみを業務とする特別支店の設置割り当てにて昭和22年(1947年)に福島県郡山市、千葉県銚子市と栃木県小山市へ支店開設した歴史的経緯を基にしているからだと思われます。常陽銀行のみならず、特別支店設置の割り当てを基に千葉県銚子市には日本貯蓄銀行(のちの協和銀行、現在のりそな銀行)も出店しました。
 日本貯蓄銀行は、常陽銀行よりも2年前に福島県郡山市に出店済みでしたので2つの街に2行共出店していた時期があったのです。しかし、日本貯蓄銀行はインフレの中経営再建のため普通銀行へ業態変更(行名を協和銀行に改称)と合わせて地方不採算店閉鎖することとなり、郡山と銚子の支店を昭和23年(1948年)に地元銀行へ営業譲渡し撤退しました。
 隣県茨城県の銀行である常陽銀行は2015年時点に至るまで郡山と銚子の支店を営業継続しております。
 協和銀行(日本貯蓄銀行)と常陽銀行の郡山支店と銚子支店の歴史と所在地を調べましたので掲載します。なお福島県郡山市の支店についての記述は、以前記事にしたものから再掲しております。
  
協和銀行郡山支店

協和銀行郡山支店跡付近

 昭和20年(1945年)10月15日 郡山市中町7に日本貯蓄銀行郡山支店として設置。
 昭和23年(1948年)7月15日 日本貯蓄銀行から協和銀行に行名変更(業態を貯蓄銀行から普通銀行に変更のため)、協和銀行郡山支店となる。
 昭和23年(1948年)7月21日 協和銀行から東邦銀行への営業譲渡認可。
 昭和23年(1948年)10月1日 東邦銀行が譲受、「東邦銀行郡山中町支店」となる。
 2度の合併を経てりそな銀行となってから、個人向け住宅・アパート建築ローンのみ取扱いの店舗を平成18年(2006年)5月2日に開設しております。

協和銀行銚子支店

協和銀行銚子支店跡付近

 昭和22年(1947年)2月10日 銚子市清水町1436に日本貯蓄銀行銚子支店として設置。
 昭和23年(1948年)7月15日 日本貯蓄銀行から協和銀行に行名変更(業態を貯蓄銀行から普通銀行に変更のため)、協和銀行銚子支店となる。
 昭和23年(1948年)7月31日 千葉銀行が営業譲受し店舗は千葉銀行銚子支店に統合となる。

常陽銀行郡山支店

常陽銀行郡山支店

 昭和22年(1947年)3月10日 郡山市柳内75に常陽銀行郡山支店設置
 昭和23年(1948年)6月25日 郡山市大町5に郡山支店を移転
 昭和42年(1967年)1月1日 支店所在地、住居表示変更により郡山市中町10-12
 昭和56年(1981年)6月8日 郡山市中町6-3に店舗新築し移転

常陽銀行銚子支店

常陽銀行銚子支店

 昭和22年(1947年)3月1日 銚子市清水町1439に常陽銀行銚子支店設置
 昭和32年(1957年)8月6日 銚子市新生1丁目76番地1に銚子支店を移転
 昭和55年(1980年)5月3日 支店所在地、住居表示変更により銚子市新生町1-50-2
 平成7年(1995年)4月17日 店舗建物を新築

 銚子には都市銀行は富士銀行・三菱銀行⇒東京三菱銀行も出店しておりましたが、富士銀行は昭和48年(1973年)に親密地銀である千葉興業銀行へ事実上の営業譲渡を行って撤退しました。千葉興銀銚子支店所在地は富士銀行銚子支店跡の銚子市新生町1-2-2でしたが、その後東京三菱銀行が撤退した際に支店建物を購入し銚子市中央町15-5へ移転しているようです。
 
 参考資料・参考Webサイト
 協和銀行史 協和銀行、1969年
 協和銀行通史 あさひ銀行、1996年
 常陽銀行七十年史 常陽銀行、2006年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 千葉銀行史 千葉銀行、1975年
 続銚子市史3 昭和後期 銚子市 1983年
 千葉新聞 昭和22年(1947年)2月6日付1面
 福島民報
 とっぱずれ 銚子東ロータリー・クラブ Weekly Bulletin NO. 2035



 
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常陽銀行の福島県中通り中南部における店舗展開の歴史

2015-09-10 20:48:30 | 銀行
 常陽銀行は、茨城県にて1940年代に一県一行(現在の筑波銀行前身の関東銀行は1952年の創設)となるまでの間に福島県本拠の平銀行(本店:平市→現在のいわき市)と山八銀行(本店:福島市)を合併した歴史を有しております。
 また、戦時下の当局勧奨で旧山八銀行の福島県内店舗であった梁川支店と桑折支店を1944年12月1日に東邦銀行へ営業譲渡していました。逆に千葉銀行からは茨城県内の江戸崎支店と潮来支店を1944年8月8日に営業譲受しております。
 戦時下勧奨で銀行が支店を譲渡した場所へ再度出店したケースで有名なのは富士銀行(旧行名:安田銀行)の東京都多摩エリアと埼玉県内ですが、常陽銀行の場合は梁川と桑折に2015年時点まで再度出店しておりませんが福島県内の他の街へ支店を出店しました。東邦銀行の前身となったのは、郡山商業銀行・白河瀬谷銀行・会津銀行が当初の母体として合併し成立しましたが、その3行本店のあった街と須賀川市に支店を進出させております。

 郡山・会津若松に関しては別記事で取り上げました。白河と須賀川の支店について記述しておきます。
 白河支店

 昭和25年(1950年)10月25日 白河市中町39に常陽銀行白河支店設置
 平成11年(1999年)3月23日 現在の店舗建物に新築
 平成12年(2000年)3月1日 支店所在地、住居表示変更により白河市大手町8番地2

 須賀川支店

 昭和30年(1955年)3月10日 須賀川市西7丁目7番地に常陽銀行須賀川支店設置
 昭和38年(1963年)12月2日 支店所在地、住居表示変更により須賀川市宮先町8番地
 昭和57年(1982年)6月7日 須賀川市宮先町18番地に店舗新築し移転
 令和3年(2021年)9月21日 店舗の営業形態をビジネスステーション(法人営業店舗化)とし、セミセルフ窓口(ATM利用による現金収受)となる。

 参考資料・参考Webサイト
 常陽銀行公式サイト
 常陽銀行七十年史 常陽銀行、2006年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 千葉銀行史 千葉銀行、1975年

 関連過去記事
 福島県郡山市における県外本店銀行支店所在地の遍歴
 福島県会津若松市の銀行支店名称変更「若松から会津へ」を探る

 2022年4月30日追記
 2021年9月の須賀川支店、ビジネスステーション化にともなう追記を実施。


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福島県会津若松市の銀行支店名称変更「若松から会津へ」を探る

2015-07-31 19:07:13 | 銀行
 福島県会津若松市に支店を設置しているorしていた銀行について、支店名を「若松から会津」へ変更した歴史と支店設置場所(福島県を本拠とする銀行に関しては基幹店のみ)をまとめてみました。取り上げた順序は支店名称変更した年の古い順(のつもりとはず)です。
 年号は参考資料とした各行の社史が和暦優先であったため、和暦・西暦の順で記載してあります。
 若松から会津の付いた名称へ変更したケースとしては県立高校で若松女子高校が共学化の際に会津学鳳高校に変わったケースも存在しております。
 また、支店設置当初から「会津支店」としていた銀行についても参考として掲載しました。
 なお、昭和30年(1955年)1月1日の周辺自治体との合併に伴い、若松市から会津若松市に自治体名変更した際の住居表示変更につきましては各行ごとの項目内で記載を省略してあります。

 書きかけ調査途中のところが多々ありますが、加筆修正を後程行います。

 
支店名を「若松」から「会津」に変更(東邦銀行は統合)した銀行の一覧

 みずほ銀行(旧富士銀行)

 明治23年(1890年)2月21日 安田銀行若松支店として北会津郡若松町大字大町一之町字大町一之町25に支店設置。
 明治40年(1907年)2月18日 土蔵造りの店舗建物を建築する。
 大正12年(1923年)11月1日 安田銀行会津支店と改称。
 昭和23年(1948年)10月1日 株式会社安田銀行が株式会社富士銀行と商号変更し、富士銀行会津支店となる。
 昭和39年(1964年)8月10日 支店建物を新築する。なお、土蔵造りの旧支店建物は愛知県犬山市の明治村へ移築され保存される。
 


 平成14年(2002年)4月1日  第一勧業銀行・日本興業銀行との経営統合に伴い、みずほ銀行会津支店となる。

 東邦銀行

 大正11年(1922年)12月1日 郡山商業銀行若松支店として若松市大字大町一之町字大町一之町6-21に支店設置。
 昭和16年(1941年)11月4日 会津銀行・白河瀬谷銀行と合併により東邦銀行若松支店となる。
 昭和17年(1942年)2月28日 東邦銀行会津支店に併合となり廃店となる。
 なお、店舗建物は2015年時点でも「四つ角大正館(会津西洋館)」として現存しています。

 福島銀行(福島相互銀行)

 昭和14年(1939年)11月17日 福島無尽金庫若松出張所として若松市甲賀町123に設置。
 昭和15年(1940年)4月12日 若松市栄町114に移転。
 昭和24年(1949年)8月2日 福島無尽金庫若松出張所を福島無尽金庫若松支店とする。
 昭和26年(1951年)10月20日 相互銀行法施行により福島無尽金庫から福島相互銀行への名称変更に伴い、福島相互銀行若松支店となる。
 昭和39年(1964年)4月1日 福島相互銀行会津支店と改称。
 昭和40年(1965年)2月1日 支店所在地、住居表示変更により会津若松市東栄町4-28
 昭和42年(1967年)6月26日 会津若松市大町堅丁字大町堅丁1番地5に移転。
 昭和57年(1982年)2月28日 支店所在地、住居表示変更により会津若松市大町1-10-16
 平成1年(1989年)2月1日 福島相互銀行から福島銀行へ行名変更に伴い(業態を相互銀行から普通銀行に変更のため)、福島銀行会津支店となる。
 平成9年(1997年)7月23日 会津若松市大町1-6-22に移転
 なお、会津若松市大町1-10-16に所在した旧店舗建物は改装し1997年10月1日より陶磁器販売のすゞ信店舗として使われて2015年時点でも現存しております。移転先の会津若松市大町1-6-22にかつて「すゞ信」が存在しており、敷地の交換をした模様。(情報提供sheep様)


 第四銀行

 大正4年(1915年)6月1日 新潟銀行若松支店として若松市大字大町一之町字大町一之町17に支店設置。
 大正6年(1917年)2月11日 行名変更により第四銀行若松支店となる
 昭和11年(1936年)1月4日 若松市七日町204に移転。 
 昭和42年(1967年)8月10日 支店所在地、住居表示変更により会津若松市大町1-2-8
 昭和48年(1973年)10月1日 第四銀行会津支店と改称。
 昭和54年(1979年)*月**日 会津若松市大町1-9-24に移転。
 なお、旧店舗建物は2015年時点でも「滝谷建設工業株式会社 会津若松店」として現存しています。



 大東銀行(大東相互銀行)
 
 大正2年(1913年)6月3日 会津勧業無尽本店として若松市七日町212番地2に開業
 昭和17年(1942年)8月18日 郡山無尽・磐城無尽と合併により大東無尽若松支店となる。
 昭和26年(1951年)10月20日 相互銀行法施行により大東無尽から大東相互銀行への名称変更に伴い、大東相互銀行若松支店となる。
 昭和42年(1967年)8月10日 支店所在地、住居表示変更により会津若松市大町1-1-38
 昭和58年(1983年)4月1日 大東相互銀行会津支店と改称。
 平成1年(1989年)2月1日 大東相互銀行から大東銀行へ行名変更に伴い(業態を相互銀行から普通銀行に変更のため)、大東銀行会津支店となる。

 
開設時点から支店名「会津」であった銀行の一覧

 東邦銀行

 明治29年(1896年)5月26日 会津銀行本店として北会津郡若松町大字大町一之町字大町一之町6-2に開業
 昭和16年(1941年)11月4日 白河瀬谷銀行・郡山商業銀行と合併により東邦銀行会津支店となる。

 日本勧業銀行
 昭和19年(1944年)9月18日 福島県農工銀行合併により日本勧業銀行会津支店となる。
 昭和26年(1951年)2月24日 日本勧業銀行福島支店と統合になり廃店となる。
 昭和26年(1951年)2月26日 日本勧業銀行会津支店跡に東邦銀行会津一之町支店が開設される。

 
 常陽銀行

 昭和27年(1952年)7月31日 若松市紺屋町1番1に常陽銀行会津支店開設
 昭和36年(1961年)5月1日 会津若松市馬場一之堅町字馬場一之堅町4番地5に新築移転。
 昭和41年(1966年)9月1日 支店所在地、住居表示変更により会津若松市馬場町1-28

 参考資料・参考Webサイト
 富士銀行八十年史 富士銀行、1960年
 富士銀行百年史別巻 富士銀行、1982年
 富士銀行史 1981―2000 富士銀行、2002年
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 福島銀行70年史 福島銀行、1994年
 第四銀行百年史 第四銀行、1974年
 第四銀行 有価証券報告書 昭和54年3月期 第四銀行、1979年
 大東相互銀行四十年史 大東相互銀行、1983年
 大東銀行50年のあゆみ 大東銀行、1993年
 日本勧業銀行六十年史 日本勧業銀行、1957年
 常陽銀行二十年史 常陽銀行、1955年
 常陽銀行四十年史 常陽銀行、1976年
 常陽銀行七十年史 常陽銀行、2006年
 福島民報
 日経金融新聞



(写真と記述追加)福島銀行会津支店の現店舗と旧店舗の写真を追加し、旧店舗の現状を追記しました。2015年12月2日8:00
(記述追加)福島銀行会津支店の現店舗移転日を追記しました。2015年12月13日7:45
(写真追加)明治村に移築された安田銀行会津支店の建物写真を追加掲載しました。2016年10月1日9:25
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第四銀行と郡山合同銀行の関係

2015-01-23 21:15:43 | 銀行
 別記事で第四銀行会津支店が、1980年(昭和55年)1979年(昭和54年)まで使用していた建物は郡山合同銀行(合併成立前の郡山橋本銀行)が会津若松に支店出店のために建築していたものであることを記述しました。郡山橋本銀行は、1924年(大正13年)1月に新潟県新潟市本町通8番町へ支店を出店しておりました。郡山橋本銀行と郡山銀行が1928年(昭和3年)5月に合併したことに伴い、郡山合同銀行新潟支店となるも日本銀行の斡旋により1930年(昭和5年)3月31日に第四銀行へ営業譲渡され本町通9番町に所在していました同行本町支店(初代)が業務を引き継いだ経緯がありました。
 郡山合同銀行新潟支店を引き継いだ当時の第四銀行本町支店は、1908年(明治41年)12月8日開店の豊国銀行新潟支店を源流とする店舗にて昭和3年2月に豊国銀行が昭和銀行に買収されたことにより昭和銀行新潟支店となるも1928年(昭和3年)8月27日に第四銀行へ営業譲渡されて第四銀行本町支店になり、郡山合同銀行新潟支店を統合後の1931年(昭和6年)8月31日に第四銀行住吉町支店へ統合され廃止となっております。第四銀行百年史によれば同名の第四銀行本町支店(2代目)が存在しており、こちらは新潟商業銀行本店を源流とする店舗にて1926年(大正15年)10月1日に合併により新潟銀行東堀支店となり、1928年(昭和3年)7月1日に新潟市本町通5番町229番地へ移転し新潟銀行本町支店と改称しさらに1943年(昭和18年)3月29日第四銀行が新潟銀行を合併したことにより第四銀行本町支店(2代目)となり、1968年(昭和43年)5月6日に新潟市本町通5番町224番地1へ移転した歴史を有し、第四銀行百年史発刊の1974年時点では存在しておりました。 新潟市への福島県本拠銀行の支店出店はその後1973年(昭和48年)12月4日に東邦銀行の新潟支店出店まで存在していません。
 
 郡山合同銀行の本拠である福島県郡山市への第四銀行出店は、1929年(昭和4年)に当時の第四銀行若松支店支配人が提案するも2014年時点まで実現しておりません。同じ頃、北海道進出も第四銀行は考案していましたが、こちらは1958年(昭和33年)10月23日に札幌支店出店にて実現しております。2008年10月時点の第四銀行札幌支店につきましては、為栗裕雅様のブログ「MEGU」に詳細レポートがございます。 
 郡山商工会議所は、当時の郡山市金庫(現在の指定金融機関)でもあった郡山合同銀行の1930年(昭和5年)10月4日経営破たんをきっかけとした二本松銀行や須賀川銀行への預金引き出し増加発生により安田銀行(のちの富士銀行、2014年現在のみずほ銀行)以外に他県の有力銀行支店が必要と考え郡山合同銀行への貸付取引先であった秋田銀行か隣県の足利銀行のいずれかの出店を要請することとなり、結果として1931年(昭和6年)2月23日郡山合同銀行中町支店跡の郡山市中町39に秋田銀行郡山支店設置になりました。歴史にIFというのは禁句ではありますが、第四銀行が郡山に出店し秋田銀行の郡山への出店がなかったとしたら東日本の金融史は大きく変わっていたと思われます。
 なお、足利銀行の郡山出店は1966年(昭和41年)5月11日に実現しております。


 参考資料・参考Webサイト
 第四銀行百年史 第四銀行、1974年
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 秋田銀行百年史 秋田銀行、1979年
 足利銀行史 足利銀行、1985年
 為栗 裕雅ホームページ「遊牧民の窓」
 福島県の町並みと歴史建築 - 会津若松市 - 旧第四銀行会津支店
 滝谷建設工業株式会社Webサイト-社屋概要

 (2015年8月15日記述修正)
第四銀行会津支店が、1980年(昭和55年)まで→第四銀行会津支店が、1979年(昭和54年)まで
 
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東邦銀行郡山中町支店(初代、旧協和銀行郡山支店)跡と福島県商工信用組合の関係

2014-11-23 16:02:54 | 銀行
 東邦銀行郡山中町支店(初代)は昭和23年(1948年)10月1日に協和銀行郡山支店を譲受し「郡山中町支店」として「郡山市中町7」にて営業開始しましたが、昭和25年(1950年)8月10日に「郡山市駅前20-1」へ移転し「郡山駅前支店」となったのは別記事に掲載しました。
 移転前の場所はフロンティア通り沿いにて郡山中心市街地の一等地に当たります。第二うすいの建物になるまでに、もうひとつの金融機関がその場所に関係していました。

 福島県商工信用組合は、2014年現在の本店は「郡山市堂前町7-7」に所在しておりますが1954年(昭和29年)10月1日開業した時点の本店は「郡山市中町7」に存在していたのです。開業時の名称は郡山商工信用組合にて、現名称には1958年(昭和33年)に変更しております。1969年(昭和44年)10月28日まで中町に本店が所在し、1971年(昭和46年)10月18日の本店ビル竣工までは駅前1丁目7-7に移転していました。
 昭和37年(1962年)の郡山市住宅地図によれば、福島県商工信用組合は中町7番地の中では郡山駅寄りの角地から2番目に所在しており角地の建物が「中町7番地イ」だとすれば協和銀行郡山支店の正確な所在地となっていた「中町7番地ロ」である可能性は非常に高いと思われます。建物に関しても協和銀行時代のものが使われていた可能性が高そうです。ちなみに同組合の組合史には創業時点の店舗建物写真が掲載されております。
 福島県商工信用組合の事実上創業者にあたる2代目理事長の須佐喜仁氏は信用組合を設立する前に洋裁学校を夫婦で経営しておりましたが、夫人の父親にあたる太田繁蔵氏が昭和金融恐慌で経営破たんした二本松銀行の白河支店長を勤めていたこともあり金融業界に熟知している太田氏と相談の上信用組合を設立したと組合史に記述がある。創業時に須佐喜仁氏が専務理事、太田繁蔵氏が理事を務めましたが、副理事長として東邦銀行郡山支店長を1950年(昭和25年)4月1日から1952年(昭和27年)11月10日まで務めた国分貞仲氏が就任しておりました。国分氏の2代後に東邦銀行郡山支店長を取締役兼任にて1956年(昭和31年)10月11日から1959年(昭和34年)1月27日まで務めたのが、「郡山市中町7」にあった協和銀行郡山支店長と東邦銀行郡山中町支店長であった箭内守信氏になります。
 太田繁蔵氏が勤めていた「二本松銀行」は1903年(明治36年)11月に創業し、1931年(昭和6年)10月13日に支払い猶予となり経営破たんしておりますが「郡山市中町5」にあった郡山支店の敷地建物が1931年(昭和6年)11月2日に秋田銀行郡山支店となり、安田銀行(のちの富士銀行、2014年現在のみずほ銀行)郡山支店の須賀川と三春にあった出張所を1925年(大正14年)8月31日に譲受していました。 秋田銀行郡山支店が郡山市へ進出した当初(昭和6年2月23日)は、「郡山市中町39」の郡山合同銀行中町支店跡に存在しておりましたが郡山合同銀行の前身のひとつにあたる郡山橋本銀行が若松市(会津若松市)に支店を設置しようとして建築した建物が第四銀行会津支店として1979年(昭和54年)1980年(昭和55年)まで用いられていたそうです。
 第四銀行と郡山合同銀行の関係につきましては別記事にて取り上げます。

 参考資料・参考Webサイト
 福島県商工信用組合二十年史 福島県商工信用組合、1974年
 福島県商工信用組合四十年史 福島県商工信用組合、1994年
 福島県商工信用組合五十年史 福島県商工信用組合、2004年
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 秋田銀行百年史 秋田銀行、1979年
 福島民友
 福島県商工信用組合Webサイト
 福島県の町並みと歴史建築 - 会津若松市 - 旧第四銀行会津支店

(2015年8月16日記述修正)
第四銀行会津支店として1980年(昭和55年)まで→第四銀行会津支店として1979年(昭和54年)まで

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福島銀行における郡山市基幹店舗の遍歴

2014-10-23 18:10:00 | 銀行
 郡山市における県外本店の銀行支店所在地遍歴、東邦銀行の郡山市における基幹店舗の所在地遍歴についてと大東銀行(大東無尽→大東相互銀行)本店が1930年(昭和5年)に前身の郡山無尽が本店を設置以来建て替え仮店舗移動時以外移動していない事は既に別記事にて取り上げております。
 福島銀行(福島無尽金庫→福島相互銀行)の郡山市における基幹店舗の遍歴を取り上げてみます。

昭和7年(1932年)6月29日 湯本信用無尽郡山出張所を郡山市堤下町52に設置
昭和9年(1934年)8月11日 郡山市中町10に移転
昭和14年(1939年)11月24日 福島無尽との合併により福島無尽金庫郡山出張所となる。
昭和16年(1941年)2月1日 郡山市蔵場町21に移転
昭和20年(1945年)7月3日 郡山市堂前町7に移転
昭和22年(1947年)3月10日 郡山市柳内198に移転
昭和23年(1948年)6月25日 郡山市燧田80に移転
昭和24年(1949年)8月2日 福島無尽金庫郡山出張所を福島無尽金庫郡山支店とする。
昭和26年(1951年)10月20日 相互銀行法施行により福島無尽金庫から福島相互銀行への名称変更に伴い、福島相互銀行郡山支店となる。
昭和36年(1961年)11月20日 福島相互銀行郡山本町支店を郡山市本町64に設置
昭和42年(1967年)1月1日 住居表示変更により、郡山支店の所在地は郡山市駅前1-1-17、郡山本町支店の所在地は郡山市本町1-2-6となる
昭和42年(1967年)3月14日 郡山支店から郡山駅前支店に名称変更、郡山本町支店は郡山市堤下町12-10に新築移転し同時に郡山支店へ名称変更
昭和56年(1981年)11月16日 福島相互銀行郡山北支店を郡山市西ノ内2-12-11に設置
平成1年(1989年)2月1日 福島相互銀行から福島銀行へ行名変更に伴い(業態を相互銀行から普通銀行に変更のため)、福島銀行郡山支店・郡山北支店・郡山駅前支店となる
平成**年(****年)**月**日 郡山駅前支店は郡山市駅前1-1-17での営業を取りやめる。(他店への統合あるいは、郡山市内で店舗移動し名称改称したものと思われる。追って調べます。)
平成21年(2009年)7月27日 郡山北支店所在地に郡山支店を移転し統合の上、郡山営業部に名称変更

福島銀行郡山営業部


 1948年(昭和23年)の移転は、6月24日の夜に郡山市柳内(現在の駅前2丁目界隈)で大火事が発生したことによる被災が理由です。柳内にあった常陽銀行郡山支店の移転も大火発生による被災が理由でした。
燧田80(住居表示変更後の駅前1-1-17)は同業態の大東無尽(現在の大東銀行)本店向かいにあたる場所でした。福島銀行郡山駅前支店撤退後に再開発され2014年時点では総合病院と高層マンションの合同高層ビルとなっています。
 郡山市堤下町には湯本信用無尽として最初に郡山市内拠点を設けた際と1967年(昭和42年)に郡山市内基幹店を郡山駅前から移転し基幹店としてふさわしい規模の建物(6階建て)を設けていますが、郡山市堤下町11-10の地番は堤下町217と218になります。福島銀行70年史の記述に湯本信用無尽として最初に拠点を置いた場所と同じとの記述はありませんでした。地番の堤下町52はブルーマップによれば住居表示では堤下町5-16に該当します。なお、堤下町のビルは営業拠点移転後も関連会社が使用しているようですいましたが、東日本大震災での損傷もあったためなのか2015年に解体されております。(2015年7月20日修正)
 郡山駅前支店の閉鎖、その後郡山支店を郡山北支店所在地へ移転統合させたのは、1968年(昭和43年)郡山市役所の移転をきっかけとした商業集積の郡山市郊外への移動が進んでいることによる経済状況の変化が原因の一つであるのではなかろうか。

参考資料
福島銀行70年史 福島銀行、1994年
福島民報
福島民友
福島銀行Webサイト

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