LIVINねこ徒然記

LIVINねこが見て聴いてひげに触れて(?)感じた事を気ままに記述する場所です。トラックバック・コメントは後程承認です。

Webサイト本館(LIVINねこの部屋)の更新お知らせ(2015年9月27日)

2015-09-28 06:24:00 | サイト運営情報
 8月18日に宮城県仙台市の聖地巡礼と取材を実行した事に伴いWebサイト本館(LIVINねこの部屋)SEIYO仙台店ページを写真追加掲載と記事追記にて更新しました。
 ams西武仙台店についてのページを作成し、暫定的にSEIYO仙台店ページからリンクしてあります。

 ams店についてですが、すでに旭川西武ams西武三軒茶屋店(現:西友三軒茶屋店)にて記述しております。今回、ams西武仙台店の後継店舗である仙台ロフトが丸山夏鈴さんのファーストCD発売イベントを6FのHMVにて開催していた場所であるので、LIVINねこの部屋でも記載しておきたいという事からams西武仙台店についてのページを作成することにしました。
 宇都宮市にもかつてams店存在しておりましたので、そのうち取材したいと思っております。ams店だけのインデックスページも追って作成したいと考えています。

 

★ザ・モール郡山(LIVIN郡山店)に出店の果汁工房果琳(かりん)と同音のお名前である丸山夏鈴のファーストシングルです。★

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東邦銀行、会津支店・会津一之町支店と閉店した若松支店の関係を推測してみる

2015-09-21 22:01:46 | 銀行
 会津若松市内の銀行支店名が若松から会津へ変更されたケースが多いことを別記事にて取り上げました。
 東邦銀行においては、同行成立時点で会津銀行本店改め会津支店と郡山商業銀行若松支店改め若松支店が存在していましたが、ほどなく若松支店が会津支店へ統合されておりました。1951年(昭和26年)2月、日本勧業銀行が会津支店を福島支店へ統合した際に、東邦銀行は日本勧業銀行会津支店の店舗建物と土地を購入し会津一之町支店を設置したことまでは別記事にて取り上げました。前年の1950年(昭和25年)8月10日に至近距離立地を理由に郡山中町支店(初代、旧協和銀行郡山支店)を郡山駅前支店として郡山市中町7から郡山市駅前20-1(1967年1月1日施行の住居表示変更後は郡山市駅前1-6-11)へ移転した翌年の出来事です。至近距離という点では、会津支店と会津一之町支店の立地距離は郡山支店(現:郡山中町支店)と協和銀郡山支店改め東邦銀行郡山中町支店間の距離240mよりも近く、120mの距離になります。廃店となった若松支店と会津支店の距離はもっと近くて66mになります。(距離計測はGoogle Mapにて行いました。)


東邦銀行若松支店跡(旧:郡山商業銀行若松支店)



東邦銀行会津支店(旧:会津銀行本店)



東邦銀行会津一之町支店(旧:日本勧業銀行会津支店)




東邦銀行会津一之町支店から会津支店を望む


 東邦銀行の刊行している社史、郡山商業銀行と白河瀬谷銀行は合併に前向きであったが会津銀行は消極的であったとの記述が必ずあります。中通り中部を本拠としていた郡山商業銀行、中通りの南部拠点都市である白河市で営業していた白河瀬谷銀行の2行は昭和金融恐慌で経営破たんした同じエリアの銀行が複数あったことから政府の経営統合勧奨を受けて規模拡大を図る方向で一致していたけれども、会津地方を営業エリアとしていた会津銀行としては昭和金融恐慌を乗り越えられたことから独自路線で経営継続できると判断していたのかも知れません。しかしながら、政府の経営統合勧奨を最終的には受け入れて3行合併による東邦銀行となった。旧郡山商業銀行の若松支店は旧会津銀行本店の会津支店に至近距離でもあり、東邦銀行成立後まもなく会津支店へ統合されております。若松以外でも東邦銀行へ合流した銀行の支店が複数あった街では店舗統合が行われております。

 ここからは私の独断による推測を記述します。東邦銀行は決してこの内容を公式に認めることはない記述になるかと。
 協和銀行郡山支店を営業譲受し開設した郡山中町支店が郡山支店と至近距離であることを理由に駅前へ移転し郡山駅前支店としたわずか半年後に、会津支店至近に会津一之町支店を日本勧業銀行から土地建物を購入してまで開設したのは、東邦銀行内における旧郡山商業銀行系と旧会津銀行系の勢力争いがあったからではなかったのか。要するに旧若松支店(郡山商業銀行若松支店)の事実上再出店であったと思われます。もちろん、東邦銀行の社史にそのような記述はなく、母店である会津支店の取引先で無い旧日本勧業銀行顧客と富士銀行の顧客をターゲットにして新規開拓営業を行ったとの東邦銀行50年史記述となっております。
 福島県のバス時刻表ライブラリーに掲載されております会津バスの昭和37年(1962年)6月10日改正時刻表には常陽銀行広告と合わせて東邦銀行が会津一之町支店単独の広告を掲載していたのも何か不思議な気がします。

 参考資料・参考Webサイト
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行四十年史 東邦銀行、1983年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 東邦銀行七十年史 東邦銀行、2012年
 福島県のバス時刻表ライブラリー 乗合バスアーカイブス 2015年

 関連記事
 福島県会津若松市の銀行支店名称変更「若松から会津へ」を探る
 協和銀行郡山支店と東邦銀行郡山中町支店・郡山支店との関係を探ってみた
 福島県郡山市における県外本店銀行支店所在地の遍歴
 


(写真追加掲載)東邦銀行会津一之町支店側から会津支店を望む構図の写真を追加しました。2015年12月2日7時45分


 
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郡山と銚子、撤退する協和・営業継続した常陽

2015-09-19 20:16:19 | 銀行
 常陽銀行の店番コードは、郡山支店「022」・銚子支店「023」・小山支店「024」となっております。これは昭和21年(1946年)11月に政府が預金の受入と払戻のみを業務とする特別支店の設置割り当てにて昭和22年(1947年)に福島県郡山市、千葉県銚子市と栃木県小山市へ支店開設した歴史的経緯を基にしているからだと思われます。常陽銀行のみならず、特別支店設置の割り当てを基に千葉県銚子市には日本貯蓄銀行(のちの協和銀行、現在のりそな銀行)も出店しました。
 日本貯蓄銀行は、常陽銀行よりも2年前に福島県郡山市に出店済みでしたので2つの街に2行共出店していた時期があったのです。しかし、日本貯蓄銀行はインフレの中経営再建のため普通銀行へ業態変更(行名を協和銀行に改称)と合わせて地方不採算店閉鎖することとなり、郡山と銚子の支店を昭和23年(1948年)に地元銀行へ営業譲渡し撤退しました。
 隣県茨城県の銀行である常陽銀行は2015年時点に至るまで郡山と銚子の支店を営業継続しております。
 協和銀行(日本貯蓄銀行)と常陽銀行の郡山支店と銚子支店の歴史と所在地を調べましたので掲載します。なお福島県郡山市の支店についての記述は、以前記事にしたものから再掲しております。
  
協和銀行郡山支店

協和銀行郡山支店跡付近

 昭和20年(1945年)10月15日 郡山市中町7に日本貯蓄銀行郡山支店として設置。
 昭和23年(1948年)7月15日 日本貯蓄銀行から協和銀行に行名変更(業態を貯蓄銀行から普通銀行に変更のため)、協和銀行郡山支店となる。
 昭和23年(1948年)7月21日 協和銀行から東邦銀行への営業譲渡認可。
 昭和23年(1948年)10月1日 東邦銀行が譲受、「東邦銀行郡山中町支店」となる。
 2度の合併を経てりそな銀行となってから、個人向け住宅・アパート建築ローンのみ取扱いの店舗を平成18年(2006年)5月2日に開設しております。

協和銀行銚子支店

協和銀行銚子支店跡付近

 昭和22年(1947年)2月10日 銚子市清水町1436に日本貯蓄銀行銚子支店として設置。
 昭和23年(1948年)7月15日 日本貯蓄銀行から協和銀行に行名変更(業態を貯蓄銀行から普通銀行に変更のため)、協和銀行銚子支店となる。
 昭和23年(1948年)7月31日 千葉銀行が営業譲受し店舗は千葉銀行銚子支店に統合となる。

常陽銀行郡山支店

常陽銀行郡山支店

 昭和22年(1947年)3月10日 郡山市柳内75に常陽銀行郡山支店設置
 昭和23年(1948年)6月25日 郡山市大町5に郡山支店を移転
 昭和42年(1967年)1月1日 支店所在地、住居表示変更により郡山市中町10-12
 昭和56年(1981年)6月8日 郡山市中町6-3に店舗新築し移転

常陽銀行銚子支店

常陽銀行銚子支店

 昭和22年(1947年)3月1日 銚子市清水町1439に常陽銀行銚子支店設置
 昭和32年(1957年)8月6日 銚子市新生1丁目76番地1に銚子支店を移転
 昭和55年(1980年)5月3日 支店所在地、住居表示変更により銚子市新生町1-50-2
 平成7年(1995年)4月17日 店舗建物を新築

 銚子には都市銀行は富士銀行・三菱銀行⇒東京三菱銀行も出店しておりましたが、富士銀行は昭和48年(1973年)に親密地銀である千葉興業銀行へ事実上の営業譲渡を行って撤退しました。千葉興銀銚子支店所在地は富士銀行銚子支店跡の銚子市新生町1-2-2でしたが、その後東京三菱銀行が撤退した際に支店建物を購入し銚子市中央町15-5へ移転しているようです。
 
 参考資料・参考Webサイト
 協和銀行史 協和銀行、1969年
 協和銀行通史 あさひ銀行、1996年
 常陽銀行七十年史 常陽銀行、2006年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 千葉銀行史 千葉銀行、1975年
 続銚子市史3 昭和後期 銚子市 1983年
 千葉新聞 昭和22年(1947年)2月6日付1面
 福島民報
 とっぱずれ 銚子東ロータリー・クラブ Weekly Bulletin NO. 2035



 
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常陽銀行の福島県中通り中南部における店舗展開の歴史

2015-09-10 20:48:30 | 銀行
 常陽銀行は、茨城県にて1940年代に一県一行(現在の筑波銀行前身の関東銀行は1952年の創設)となるまでの間に福島県本拠の平銀行(本店:平市→現在のいわき市)と山八銀行(本店:福島市)を合併した歴史を有しております。
 また、戦時下の当局勧奨で旧山八銀行の福島県内店舗であった梁川支店と桑折支店を1944年12月1日に東邦銀行へ営業譲渡していました。逆に千葉銀行からは茨城県内の江戸崎支店と潮来支店を1944年8月8日に営業譲受しております。
 戦時下勧奨で銀行が支店を譲渡した場所へ再度出店したケースで有名なのは富士銀行(旧行名:安田銀行)の東京都多摩エリアと埼玉県内ですが、常陽銀行の場合は梁川と桑折に2015年時点まで再度出店しておりませんが福島県内の他の街へ支店を出店しました。東邦銀行の前身となったのは、郡山商業銀行・白河瀬谷銀行・会津銀行が当初の母体として合併し成立しましたが、その3行本店のあった街と須賀川市に支店を進出させております。

 郡山・会津若松に関しては別記事で取り上げました。白河と須賀川の支店について記述しておきます。
 白河支店

 昭和25年(1950年)10月25日 白河市中町39に常陽銀行白河支店設置
 平成11年(1999年)3月23日 現在の店舗建物に新築
 平成12年(2000年)3月1日 支店所在地、住居表示変更により白河市大手町8番地2

 須賀川支店

 昭和30年(1955年)3月10日 須賀川市西7丁目7番地に常陽銀行須賀川支店設置
 昭和38年(1963年)12月2日 支店所在地、住居表示変更により須賀川市宮先町8番地
 昭和57年(1982年)6月7日 須賀川市宮先町18番地に店舗新築し移転
 令和3年(2021年)9月21日 店舗の営業形態をビジネスステーション(法人営業店舗化)とし、セミセルフ窓口(ATM利用による現金収受)となる。

 参考資料・参考Webサイト
 常陽銀行公式サイト
 常陽銀行七十年史 常陽銀行、2006年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 千葉銀行史 千葉銀行、1975年

 関連過去記事
 福島県郡山市における県外本店銀行支店所在地の遍歴
 福島県会津若松市の銀行支店名称変更「若松から会津へ」を探る

 2022年4月30日追記
 2021年9月の須賀川支店、ビジネスステーション化にともなう追記を実施。


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Webサイト本館(LIVINねこの部屋)の更新お知らせ(2015年9月5日)

2015-09-05 16:32:57 | サイト運営情報
 Webサイト本館(LIVINねこの部屋)ザ・モール周南店ページを9月1日に現地訪問しましたので、やっと現地取材に基づくページへ更新しました。これでザ・モール店舗への訪問は2015年9月時点ではすべて行ったことになります。

 8月31日にて営業終了しましたザ・モール小倉へも8月30日・31日と訪問しましたが、店舗建物所有者側は一部店舗営業終了としており建物に大きく閉店セールの表示がされていない状況でした。ザ・モール小倉店ページは更新するのに今しばらく時間がかかりそうなので取り急ぎ、営業終了店舗である旨の記述を入れてあります。

 8月15日付ブログ記事にてザ・モール店舗トップページの写真再度更新する可能性ある旨記述しましたが、「アイドルの常識を変えよう」丸山夏鈴さんの想いをつなぐ、未来を形に。Next Actionにて掲載した郡山復興のアイドル(偶像)・救世主がよく見ていた風景の写真を当分の間掲載継続とします。小倉の写真が今一つになってしまったのと、周南の写真は店舗ページのとアングルが変わらないものになってしまう点も写真更新を取り止めた原因ではあります。
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イトーヨーカドー郡山店(店番:140、西ノ内)

2015-09-05 13:52:38 | セブンアンドアイ
 2015年現在福島県郡山市西ノ内に所在するイトーヨーカドー郡山店は、1989年6月29日に開店した店舗になります。西部自動車学校の敷地一部分にショッピングセンター建物を建築し、1988年1月20日に閉店した郡山市中町にあった店舗のリプレースとなります。

イトーヨーカドー郡山店

 開業してから1998年2月末までは、食品売り場は直営ではなくグループ企業のヨークベニマルが運営しておりました。これは、郡山市中町にイトーヨーカドーが1969年12月14日に開業するきっかけがベニマル側の呼びかけにて郡山市へ出店しその後資本提携にまで発展した経緯があったからです。
 西部自動車学校は2001年に郡山市富田町の旧福島県農業試験場至近へ移転し、移転前の自動車学校敷地も別棟のショッピングセンター(西部プラザ:ケーズデンキやらスーパースポーツゼビオが入店)とイトーヨーカドーとの共同平面駐車場になっております。
 

建物4階の角にある大きな窓のある場所はインストアファミリーレストラン「ファミール郡山店」

 イトーヨーカドー店内には、専門店もいくつか入店しております。その中に、イトーヨーカドーのインストアファミリーレストランの「ファミール」があります。このお店で福島県郡山市出身のアイドル丸山夏鈴さんが高校生の時にアルバイトをしていました。イトーヨーカドーグループ(IYG)というかセブン&アイホールディングス傘下のファミリーレストランと言えば「デニーズ」をまず思い浮かべる方が多いかと思います。2015年時点では、「ファミール」「デニーズ」共に2007年よりセブン&アイ・フードシステムズの運営となっております。
 「ファミール」は1972年に千葉県松戸市のイトーヨーカドー五香店(現:ザ・プライス五香店)内のファミリーレストランとして営業開始、「デニーズ」は1973年にアメリカのデニーズ社とライセンス契約を締結後翌1974年に横浜市港南区のイトーヨーカドー上大岡店内のファミリーレストランとして営業開始しておりました。「デニーズ」がアメリカンな洋食中心メニューで「ファミール」が日本風の洋食と和食のメニューにて棲み分けが出来ていたために両社とも郊外型店舗も展開します。しかし、「デニーズ」が1984年にアメリカのデニーズ社から日本における商標を買い取り独自メニュー展開することになってからは両社がグループ内で競合する関係になりました。結局、1993年8月18日に「ファミール」は郊外型店舗を「デニーズ」へ営業譲渡し、イトーヨーカドーの店内レストランと社員食堂の運営に専念することになりました。
 「デニーズ」と言えば、福島県内の店舗は1998年2月末までヨークベニマルがFCとして運営していました。

 イトーヨーカドー郡山店の周辺には、デニーズ郡山西ノ内店・太田西ノ内病院・食彩工房まる山・福島銀行郡山営業部・荘内銀行郡山支店(因みに同行福島支店の至近にはイトーヨーカドー福島店が存在している。)などが立地しております。

 参考資料・参考Webサイト
 変化対応 あくなき創造への挑戦 イトーヨーカ堂、2007年
 五十嵐 正昭『最強のスーパーマーケット企業 ヨークベニマルの経営』 商業界、2009年
 福島民報
 イトーヨーカ堂Webサイト
 ヨークベニマルWebサイト
 セブン&アイ・フードシステムズWebサイト
 ぶらっくきゃっと(丸山夏鈴さんがデビュー前に運営のブログ)
 丸山夏鈴の「かりんの夢への階段」(丸山夏鈴さんがデビュー後に運営のブログ)
 Childish(丸山夏鈴のお母様が運営されているブログ)

ヨ-クベニマルの経営

ヨ-クベニマルの経営著者:五十嵐正昭価格:1,500円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る

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