LIVINねこ徒然記

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協和銀行郡山支店と東邦銀行郡山中町支店・郡山支店との関係を探ってみた

2014-09-27 13:45:45 | 銀行
 東邦銀行郡山中町支店として2014年現在営業している銀行店舗の歴史は、東邦銀行の設立前の母体の一つである郡山商業銀行として大正9年(1920年)6月1日に「安積郡郡山町本町50」に設置された店舗にて、大正13年(1924年)9月1日に市制施行し郡山市となったため所在地住所が「郡山市本町50」になり、昭和16年(1941年)11月4日の東邦銀行成立後は(福島市移転前の)本店→郡山支店→郡山中町支店の遍歴となっている。昭和42年(1967年)1月1日住居表示変更により郡山市中町2-10と所在地表示は変わりましたけれども昭和13年(1936年)に建築された建物を用いて営業を続けておりましたが、東日本大震災の影響やら使い勝手の問題点があったためなのか改築され、平成26年(2014年)4月14日より新しい建物にて営業を開始しました。

 

2014年7月時点の東邦銀行郡山中町支店(2代目)改築後建物


 実は東邦銀行郡山中町支店という名称は昭和23年(1948年)10月1日に協和銀行郡山支店を譲受した際に同店跡地へ設置した店舗名として使っていました。協和銀行郡山支店は昭和20年(1945年)10月15日に「郡山市中町7」(福島民報1945年10月11日付け支店開店公告によれば正確な所在地としては、中町7番地ロ)に日本貯蓄銀行郡山支店として設置され、昭和23年(1948年)7月15日に日本貯蓄銀行から協和銀行へ行名変更(業態を貯蓄銀行から普通銀行に変更のため)協和銀行郡山支店となるも、当時の情勢により東邦銀行へ営業譲渡されました。協和銀行郡山支店を譲受して開設した「東邦銀行郡山中町支店」は昭和25年(1950年)8月10日に「郡山市駅前20-1」へ移転し「郡山駅前支店」に改称していた。同店舗は昭和41年(1966年)12月12日に店舗を新築し、昭和42年(1967年)1月1日住居表示変更により「郡山市駅前20-1」は郡山市駅前1-6-11と変更され、平成25年(2013年)11月18日に郡山市駅前1-15-6明治安田生命郡山ビル3階へ改築のため仮移転しています。改築は隣接していた旧丸井郡山店ビルと併せて行われ、「東邦銀行郡山駅前支店」が1階に入店し上層階にはビジネスホテルが入居する予定となっています。丸井郡山店ビル建設前の同地には駅前旅館が数件存在していたようなのである種の先祖がえりした建物であるとも言えそうです。
 協和銀行郡山支店が存在していた「中町7」という場所、住居表示変更後の地番表示が出ている「ブルーマップ住居表示地番対照住宅地図1989年版」によれば再開発ビルとなる前の地元資本百貨店「第二うすい」敷地の一部(7-1という地番有)のようです。2014年時点ではうすい百貨店再開発ビル敷地の一部(フロンティア通り沿い)にあたります。昭和37年(1962年)の郡山市住宅地図を確認したところ、中町7の住居表示変更後の地番表示が旧住所表示であることは位置からして確認できました。なお、東邦銀行が駅前移転後の中町7番地に関連する金融機関があった事は別記事にて取り上げています。
 
 2014年時点での協和銀行郡山支店跡地付近、うすい百貨店再開発ビルフロンティア通り沿いのこの辺りになります。


 東邦銀行二十年史と東邦銀行五十年史では初代の郡山中町支店所在地「中町71」と記述されていましたが、住居表示変更後の地番表示「中町71」は旧住所表示では「蔵場町」の区域に当たり、且つ、日本貯蓄銀行郡山支店開設時の福島民報広告には所在地「郡山市中町7」の記載がされているためこれは東邦銀行の社史記述が違っています。ちなみに、郡山市内の金融機関所在地で旧住所表示が「71番地」というところは存在しています。
 大東銀行(旧称:大東無尽・大東相互銀行)は昭和17年(1942年)8月18日に前身3社(会津勧業無尽・磐城無尽・郡山無尽)が合併して発足しましたが、前身の一つである郡山無尽が昭和5年(1930年)11月1日に同地へ本店を置いてから合併そして無尽会社・相互銀行を経て普通銀行転換後2014年時点に至るまで建て替えのため一時移転した時期を除き住居表示変更後の郡山市中町19-1に所在しておりますが、昭和42年1月1日に行われた住居表示変更前の「郡山市燧田71番地」であります。

 現存している東邦銀の会津支店と会津一之町支店の至近距離を考えれば、至近距離を理由とした移転を郡山では実施したのに会津若松で実施しなかった点の疑問を東邦銀行に対して感じます。東邦銀行五十年史によれば、現在の会津一之町支店は日本勧業銀行会津支店を引き継いだ店舗との事。ただし、協和銀行郡山支店の譲受と違い土地建物と現地雇用行員のみ引き継ぎ、預金融資は日本勧業銀行福島支店へ移管されたとの記述。
 東邦銀行五十年史によれば、協和銀行郡山支店からは預金融資と支店在籍全行員を受け入れたとの記述。なお、日本貯蓄銀行は郡山支店開設時に福島県出身者を同店へ転勤させ配属したそうです。協和銀行から転籍した行員から2名も東邦銀行取締役が後に輩出したそうである。東邦銀行郡山中町支店初代支店長は協和銀行郡山支店長を開設時から務めていた箭内守信氏にて、郡山市出身のクリエーティブディレクター箭内道彦氏との縁戚関係があるかは不明にて機会があれば調べてみたいものです。

 なお、東邦銀行は昭和46年(1971年)10月1日に郡山支店を郡山中町支店(2014年時点で現存する同名称の支店、2代目)に改称し、昭和47年(1972年)11月2日に郡山市虎丸町20-58へ郡山支店を新設しその後平成25年(2013年)4月1日に郡山支店から郡山営業部へと改称されています。つまり、郡山支店(営業部)という名称の店舗が1年1ヶ月の間存在していなかった時期があったのです。単に郡山支店を移転し、旧郡山支店所在地に新規出店で郡山中町支店を設置した訳でない理由は当時の大蔵省による銀行新規出店規制が絡んでいまして、虎丸町に郡山支店を開設した際に代替で石川郡浅川町にあった浅川支店を閉鎖しております。なお、浅川支店はその後再出店しております。

 謝辞
 調査方法や地番と住居表示の関係などについて、為栗裕雅様からご教示をいただけましたこと感謝申し上げます。

 参考資料・参考Webサイト
 協和銀行史 協和銀行、1969年
 協和銀行通史 あさひ銀行、1996年
 東邦銀行二十年史 東邦銀行、1963年
 東邦銀行五十年史 東邦銀行、1992年
 大東相互銀行四十年史 大東相互銀行、1983年
 大東銀行50年のあゆみ 大東銀行、1993年
 東邦銀行Webサイト
 福島民報
 福島民友
 建築ノスタルジア - 東邦銀行郡山中町支店(2007年11月18日付け記事)
 福島県の町並みと歴史建築 - 郡山市 - 東邦銀行
 CAPTAINの航海日記 ~南東北早朝散歩~ - 2010年5月19日 ~「東邦銀行五十年史」を斜め読み~
 あさか野通信 - 東邦銀行郡山中町支店(2014年3月9日付け記事)

コメント (4)
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