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次世代高速半導体 「ダイヤモンド半導体」とは何か?

2010年02月13日 | 物理
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 半導体とは何か?
 半導体は、トランジスタや集積回路(IC・LSI)など、「産業のコメ」と言われるほど様々な電気製品を産み出している。半導体とは何だろう?

 文字通りの説明としては、半分導体の物質である。つまり、電気を良く通す良導体や電気を通さない絶縁体に対して、それらの中間的な性質を示す物質である。

 重要なのは電気を通すときの性質だ。まったく電気を通さないときは絶縁体と変わらないが、電気を通すとき様々な能力を発揮する。すなわち、電流の整流作用や電流の増幅作用をはじめ、レーザー光や紫外線を発したり、さまざまな波長の光を発するものもある。また、太陽電池のように光を電流に変える半導体もある。

 半導体というと、このような半導体を使用した「半導体デバイス」を指す場合が多い。今日数多く利用されているものには、トランジスタ、サイリスタ (SCR)、ダイオード(整流器)・発光ダイオード (LED) ・レーザーダイオード・フォトダイオード・太陽電池等の半導体素子やこれらの素子を組み合わせた集積回路(IC・LSI)などがある。

 ダイヤモンド半導体とは?
 ダイヤモンド半導体(Diamond semiconductors)とは、人工ダイヤモンドを使用した半導体のことである。現在主流のシリコン半導体に比べ、ダイヤモンドは物理特性に優れており、究極の半導体になると言われているが、1980年代後半、米国では研究を断念し、その実用化は技術的に実現不可能と思われてきた。

 この理由は、天然ダイヤモンドには不純物を含むものが多く、純粋な物質に微量の不純物をドープ(混ぜて)してつくる半導体には、不向きだったからである。

 しかし、近年産業技術総合研究所などの日本の研究グループや日本国内の企業などで高品質ダイヤモンド薄膜の合成に成功するなど、基礎技術が大いに発展がしてきたことにより、実用化の可能性が開かれてきている。

 現在、日本国内にて複数の研究機関、大学等で開発が進められているが、結晶サイズが1mm未満の多結晶ダイヤモンド薄膜が利用されている。今後は、この結晶サイズを大きくすることや、コストを抑えての更なる高純度化技術の開発が望まれる。

 また現在、ホウ素イオンなどをドープし、p型n型といった半導体物性を発現している。しかし、ダイヤモンド格子に不要な欠陥を与えずにこれらのイオンをドープする技術の開発が課題である。

 電極などの他の物質との接触部で、ナノレベルの不要な界面構造が生じる。これを完全に抑える事は困難である...などの問題もある

 ダイヤモンド半導体の開発
 産業技術総合研究所ダイヤモンド研究センターの大串秀世・副センター長がダイヤモンド半導体の本格的研究に取り組んだのは、1995年から。開始1~2年後、高温高圧法で比較的短時間に、基板全体が原子レベルで平坦な、単結晶シリコン並みの高品質ダイヤモンド薄膜の合成に成功した。

 高温高圧法で合成した約4mm角の人工ダイヤモンド基板の上に、マイクロ波プラズマCVD(化学気相堆積)法で、メタンを分解して生じた炭素を雪のように降り積もらせた。この技術をベースにホウ素添加で作ったp型ダイヤモンド薄膜は、世界最高の電荷移動度を示した。

 さらに、こうして作った高品質(結晶性、電気光学的特性、簡単な電子デバイス特性が従来のものより一桁以上優れた)ダイヤモンド薄膜に室温で電子ビームを照射すると、波長235ナノm(1ナノmは10億分の1m)の紫外線を発光することを発見した。ダイヤモンドが紫外線デバイスに使えることがわかった。

 これまでの研究でダイヤモンド薄膜の室温紫外線発光は、ある電流値から急激に増大することから、高密度なエキシトン(負の電荷を持つ電子と正の電荷を持つ正孔を合わせ持ったもの)によるダイヤモンド固有の現象であることが分かった。

 今後、紫外線発光の出力を高めるために、エキシトン密度を高めることが重要で、それには素子を出来るだけ小さくすることが課題である。


参考HP 科学技術振興機構(JST)「夢ではないダイヤモンド半導体」・Wikipedia「半導体」「ダイヤモンド半導体」 

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米国、コンステレーション計画中止!どうなる?宇宙探査計画

2010年02月12日 | 宇宙
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 コンステレーション計画
 コンステレーション計画(Constellation program)はNASAが進めている有人宇宙機計画で、アレスIとアレスV打ち上げ機とオリオン宇宙船とアルタイル着陸機から構成される。これらの宇宙機は多様なミッションに適合し、国際宇宙ステーションの輸送や月着陸、火星湯人飛行にまでつなげる計画であった。ところが...



 月有人探査計画を中止
 オバマ米大統領は2月1日に発表した11会計年度(2010年10月~11年9月)予算教書で、20年までに月有人探査を目指す航空宇宙局(NASA)の計画を打ち切ることを明らかにした。

 アポロ計画以来となる月有人探査は、2004年にブッシュ前大統領が発表した新宇宙戦略に基づく「コンステレーション計画」の柱だった。だが、次世代ロケット「アレス」の開発経費が膨らむなどし、実現が危ぶまれていた。

 ホワイトハウス行政管理予算局(OMB)のオーザッグ長官は会見で「NASAの研究の軸足を、火星有人探査も視野に入れた長期的な技術開発に移す」と述べた。

 月有人探査は、1972年、アポロ17号の2人の飛行士が月面に立ったのが最後。

 国際宇宙ステーション(ISS)は運用を延長する。現在、ISSは予算上、15年までしか計画はないが、20年ごろまでは運用の見通し。風船のような構造物を設置して飛行士の居住空間を増やすことなどが想定されている。スペースシャトルの退役は11年までとし、その後は、民間のロケットも活用するとした。(asahi.com 2010年2月2日)

 もっとイノベーションを!
 せっかく「LCROSS」の成果で、月面に水の存在が確認され、宇宙開発に夢がふくらんだ矢先であったので、がっかりした人も多かった。しかし、宇宙開発についてすべてあきらめた、というわけではない。

 2月3日、これについてNASAのチャールズ・ボールデン長官は「月探査計画中止は米国が宇宙への大志を捨て去ったことを意味するわけではない」と語った。

 「これまで、コンステレーション計画に費やされた予算は、NASAがより一層歴史的な成果を達成するための道筋を作るものだ。なぜなら、イノベーションを推進し、新しい分野でアメリカ国民の雇用を創出し、さらには世界中の人々の関心を集めることになるからだ」と述べている。

 ボールデン氏は次のように続ける。「想像してほしい。1年近くではなく、わずか数週間で火星まで行ける日が来ることを。人類が内太陽系に進出し、月、小惑星、火星の有人探査がほぼ同時に成功して、続々と歴史的偉業を成し遂げていく日を。しかも、これらすべてが世界中の国々の協力によって実現する日を。オバマ大統領の発表したNASAの新計画はこうしたことを可能にするものだ」。

 オバマ大統領も、コンステレーション計画に代わって「われわれを技術革新と発見への新たな旅路へと駆り立てる、米国の創造力に投資する大胆かつ野心的な新宇宙構想」を立ち上げると語っている。

 とりあえず、目先の月有人飛行計画が中止となると、日本の宇宙開発には影響はないのだろうか?

 日本への影響は限定的
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の立川敬二理事長は2月10日会見し、米国が有人宇宙探査計画を中止したことについて「日本への影響はさほど大きくない」との見解を示した。

 中止決定後の理事長会見は初めてで、立川氏は「米航空宇宙局(NASA)が有人探査を引っ張る形でなくなるかもしれない。日本が有人探査にどのような形で手を挙げるかが課題だ」と語った。

 また、立川氏は1日にNASAのボールデン長官と電話協議したことを明らかにした。それによると、米国の今後の計画について、従来計画の目標(月や火星)に小惑星などを追加▽スペースシャトルに代わる有人宇宙船の調達先として、民間5社と契約▽国際宇宙ステーション計画より参加国の多い「国際宇宙探査協働グループ」を核に協力国の拡大--などの方針を示したという。(毎日新聞 2010年2月10日)

参考HP Wikipedia「コンステレーション計画」 

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ローマ帝国滅亡に新説!1500年前、地球に巨大隕石衝突か?

2010年02月11日 | 地球温暖化
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 ローマ帝国滅亡に新説
 現在、地球では温暖化が心配されているが、今から約1500年前、西暦500年ごろの欧州は寒冷化が問題であった。この時期の欧州はローマ帝国の末期に当たる。ローマ帝国はこの寒冷気候のために、植民地からの食料確保が困難となった。また、西暦300年~700年にかけて、ゲルマン民族の大移動があり、急速に衰退していく。

 この寒冷化の原因が、オーストラリアのカーペンタリア湾に落下した巨大隕石ではないかという説を、海洋地球物理学者ダラス・アボット氏が語っている。「衝突によって吹き上げられた物質が大気上層部を覆い、冷却化が始まった。オーストラリアでは先住民アボリジニが2つの衝突の目撃情報を残している」という。  

 オーストラリア・カーペンタリア湾
 約1500年前、巨大な小惑星か彗星の破片が地球上空で分裂し、オーストラリア沖に落下した可能性があるという。現地で衝突クレーターとみられる痕跡が見つかった。

 ラモント地球研究所(LDEO)の海洋地球物理学者ダラス・アボット氏がオーストラリア北部カーペンタリア湾を衛星から測定したところ、海面の水位にわずかな変化があることがわかった。海底に衝突クレーターがある証拠だという。

 衛星データによるとクレーターは2つあり、それぞれの直径は18キロと12キロと推定される。アボット氏は以前から、この湾沿いにある複数のV字型砂丘は衝突で発生した津波によって形成されたと主張していた。

「これらの砂丘は衝突地点を指し示す矢のような形をしている」とアボット氏が言うとおり、砂丘は湾内の1点に向けて収束しており、その地点は2カ所の海面低下が確認された位置と一致している。

 同氏は次のように説明する。「西暦536~545年に地球の気候が冷却化して作物の収穫に影響を与えた。この冷却化と大規模な衝突を結び付ける手掛かりは複数あるが、今回の研究はその中で最新の成果となる」。

 西暦536~545年地球寒冷期
 その説によると、衝突によって吹き上げられた物質が大気上層部を覆い、冷却化が始まったという。時期はアジアとヨーロッパの樹木の年輪データから特定された。「当時、欧州ではローマ帝国が崩壊しつつあり、オーストラリアでは先住民アボリジニが2つの衝突の目撃情報を残している」とアボット氏は語る。

 海底に2つのクレーターを残した天体は、元は1つだったが地球接近中に分裂したというのがアボット氏の考えだ。柔らかな堆積地に直径10キロ以上のクレーターを刻んだとすると、分裂前の天体の直径は約600メートルだったと推定される。

 この地域で採取したコアサンプルも、そのような衝突の可能性を裏付けているという。以前の調査では、サンプルに磁気を帯びた滑らかな小球体が含まれているのが見つかっていた。天体が衝突して爆発したときに溶けた物質が、空中に吹き上げられたものだと考えられる。

 また、2004年に「Astronomy and Geophysics」誌に掲載されたある論文は、西暦500年頃の地球冷却化の原因は衝突によって発生した“ちり”であると述べており、衝突の規模も今回のアボット氏の計算結果とほぼ一致していた。

 アボリジニの民話
 さらに衝突の目撃者もいたようだ。調査チームは論文発表前に詳細を明かすのを控えているが、アボリジニの美術様式である岩壁画(ロックアート)にそれらしき記録が残っているとみられているのだ。

 シドニーにあるマッコーリー大学の博士課程大学院生デュアン・ハマチャー氏は、岩絵の調査には関与していないが、アボリジニの民話を分析すれば隕石クレーターの場所を特定できるかもしれないと提案している。

「オーストラリア各地のアボリジニ・ドリーミング(Aboriginal Dreaming)と呼ばれる宗教的民話には、炎のような星が空から降ってきて地球に衝突し、死や破壊を引き起こす話がたくさんある。民話の描写から考えると、単なる作り話ではなく目撃記録だったのではないか」とハマチャー氏は自身のブログで述べている。

 まだ論文発表前だが、ハマチャー氏は一連のアボリジニの民話とグーグル・アースの画像から、オーストラリア、ノーザンテリトリーのパーム・バレーにある直径280メートルの衝突クレーターを発見したという。

 だが、前述のアボット氏の結論には懐疑的な専門家もいる。アメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキにあるサンディア国立研究所(SNL)の物理学者マーク・ボスロー氏は、カーペンタリア湾に2つの別々のクレーターがある点について指摘する。

「1つの大きな衝突体が地球に接近する最後の段階で分裂したとすれば、破片同士は衝突時も非常に接近していたはずで、本来なら1つの物体のような痕跡が残る」とボスロー氏は述べている。

 アボット氏の研究は2009年12月にサンフランシスコで開催されたアメリカ地球物理学連合の秋季集会で発表された。 (出典:2010年2月4日 ナショナルジオグラフィック) 

 

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日本最古・2万年前の人骨発見!日本人のルーツ(起源)とは?

2010年02月10日 | 古生物
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 人類の起源
 人類の祖先として、時代によって猿人、とか旧人、原人、新人とか言った言葉をよく聞くが、人類というとどの時代のものを言うのだろうか?

「ラミダス猿人は」東京大総合研究博物館の諏訪元教授らの研究グループが、約440万年前の人類、アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の化石から全身像を復元することに成功したもので、二足歩行をしていた人類としては世界最古のものとして注目されている。

 人類とは生物の中で直立二足歩行が可能な存在。人類の進化は、アウストラロピテクスとよばれる猿人に始まった。彼らは400万~500万年前に現われ、150万年目には姿を消してしまった。アウストラロピテクスは、直立2足歩行をするようになった初めての生物であった。

 160万~150万年前には、脳が大きくなり、歯が小型になったホモ・エレクトゥスが現われた。原人ともいわれる。ホモ・エレクトゥスも、はじめはそれまでのヒトの祖先と同じくアフリカの東部と南部だけで生活をしていたが、100万年前くらいからユーラシア大陸へと移動していった。

 30万~20万年前に、ホモ・エレクトゥスはホモ・サピエンスへと進化した。旧人である。ホモ・サピエンスは“知性あるヒト”という意味で、彼らは当時のきびしい氷河期の中でも効率よく食料を獲得することができた。また人類史上初めて死者に花を添えるなどして弔う習慣ができた。

 それでは最古の日本人というと、どのくらいの昔になるのだろうか?



 日本最古の人骨
 沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で出土した人骨が、炭素年代測定によって約2万年前の旧石器人の骨であることが2月4日、わかった。放射性炭素を直接測定した人骨としては日本最古。日本人のルーツや成り立ちを探る重要な成果になる。

 同遺跡は石垣市で建設が進む新石垣空港予定地内。現地のNPO法人沖縄鍾乳洞協会が、頭骨や脚の骨などを発見した。

 同協会や沖縄県、琉球大、東京大、愛知教育大などの専門家でつくるチームが、人骨6点の放射性炭素年代を測定し、うち1点で約2万年前の値を得ることに成功した。これまで直接骨をはかった値では、浜北人の1万4千年前が最古だった。

 現在、日本列島で知られる1万数千年より前の旧石器時代人骨は10例ほど。そのほとんどが石灰岩質で保存環境のよい南西諸島で見つかっている。ただ、多くは化石化が進んでいたり、骨そのものの分析ではなく、一緒に出土した炭化物の測定や形態的な特徴からの推測だった。これまで最古とされる那覇市の山下町第一洞穴の骨(3万2千年前)も木炭での測定のため、年代観を疑問視する意見もあった。

 今回は少量の試料で測れる加速器質量分析法(AMS)を利用し、直接人骨そのものから年代を割り出し、南西諸島に確実に旧石器時代の人類が存在したことを裏付けた。

 旧石器時代の日本列島に人類がいたことは石器から確認されているが、人骨がわずかなため、どんな人類がどこから来たのか、のちの縄文人や現代人につながるのかなど謎が多い。日本人の祖先は南方から南西諸島を北上してきたとの説があり、日本人の起源論に大きな影響を与えるとみられる。(asahi.com 2010年2月4日)

 日本人の起源・旧石器時代
 この日本列島に「人」が棲み始めたのは、いつ頃だろうか?

 この列島は火山灰の影響で土壌が酸性化し骨の化石が残りにくいことから、人骨化石でもって、それを実証することはなかなか難しい。

 1948年、野尻湖畔の旅館の主人であった加藤松之助が、野尻湖底でナウマンゾウの臼歯(きゅうし)を発見した。このナウマンゾウはおよそ40万年前、中国大陸から日本に渡ってきたアジア象で約2万年前まで生息したことが知られている。

 ナウマンゾウやオオツノジカなどの黄土動物群など大型食用動物を追って、原人や旧人がこの日本列島にやって来ていたことは想像に難くない。

 また、樺太経由で北海道や東北地方まで、マンモスやヘラジカを求めて、北の狩人・マンモスハンターたちも来ていたであろうと考えられる。

 この時代を前期旧石器時代、或いは中期旧石器時代と呼ぶ。当時は大陸と陸続きだったので、自由に人や動物は行き来できたのである。
 
 日本人の二重構造モデル
 しかし、この時期の「人」は現代の日本人の祖先とは違う。私たち日本人の祖先は、いつどこからこの日本にやってきたのだろう?

 この問の答は、自然人類学の埴原和郎氏の「二重構造モデル」が最もポピュラーである。「二重構造」モデルとは何であろうか?

 日本人のルーツ(起源)がたどれるのは、後期旧石器文化がこの地に現れ始めた時代からである。この時期の日本人は、かって東南アジア(スンダランド)に棲んでいた古いタイプのアジア人集団-原アジア人-をルーツに持つ。

 沖縄本島の南端・具志頭村港川の採石場から、1968年、アマチュア研究者の大山盛保によって5~9体分の人骨が発見された。日本で唯一と言っていい旧石器時代人(18,000年前)の完璧な人骨化石・港川人の発見である。

 埴原和郎氏は港川人は中国南部の柳江人やジャワのワジャク人 に似ているが、中国北部(河北省)の山頂洞人とはかなり違っている。従って港川人を初めとする日本の旧石器時代人のルーツは、中国南部から東南アジアにかけての地域という可能性が高いとし、とりわけ東南アジア島嶼部(スンダランド)ではないかとしている。                      
  閉鎖的縄文人
 旧石器時代人に続く縄文人も、骨の形からみると港川人やワジャク人の特徴を受け継いでいるので、縄文人の祖先も同じように、東南アジア系の集団だったと考えられる。

 その縄文人は1万年もの長期間に亘って日本列島に生活し、温暖な気候に育まれて独特な文化を熟成させた。

  大陸との交流は皆無ではなかったにせよ、縄文文化は一種の鎖国、閉鎖環境の中で熟成されたと考えられる。すなわち縄文人は1万年の間、混血など他の集団の影響を受けず、純粋な集団として小進化をしたとしている。

 気候が冷涼化するにつれて北東アジアの集団が南下し、渡来して来た。おそらくこの渡来は縄文末期から始まったが、弥生時代になって急に増加し以後7世紀までのほぼ1,000年にわたって続いた。

 この集団は、もともと縄文人と同じルーツをもつ集団だった。だが、東南アジアから北上し、且つ長い期間に亘って極端な寒冷地に住んだため「寒冷適応」をとげ、その祖先集団とは著しい違いを示すようになった典型的アジア人である、という。

 これで明らかなように、埴原氏はホモ・サピエンスは東南アジアに達した後、北上して北東アジア人が成立したとし、最近、定説化している、ヒマラヤの裏を通って北上した超初期
型のモンゴロイドの集団があったという説を認めていない。

 また、埴原氏の二重構造モデルで特徴的なのは、弥生時代の渡来人をかなり北方の民族としていることである。

 渡来した弥生人
 大陸からの移動人口は先住の縄文人の数をはるかに上回るほど多かった。その結果水稲耕作や金属器に代表される大陸の先進文化が流入し、採集・狩猟を中心とした縄文文化が一挙に農耕中心の弥生文化に変貌した。これは埴原の100万人渡来説として有名である。

 渡来集団はまず北部九州や本州の日本海沿岸に到着し小さなクニグニを作り始めた。更に彼らは東進して近畿地方に至り、数々の抗争を経て統一政府、つまり朝廷を樹立した。

 朝廷は積極的に大陸から学者や技術者などを導入したこともあって、近畿地方は渡来人の中心地となった。また土着の縄文人を同化するため北に南に遠征軍を派遣したり、地方に政府の出先機関を設置した。

 渡来系遺伝子はこのようにして近畿を中心に徐々に地方へ拡散した。したがって縄文系と渡来系との混血は近畿から離れるにつれて薄くなるという「遺伝子の流れ」を造った。

 上記の混血がほとんど、或いは僅かしか起こらなかった北海道と南西諸島に縄文人の特徴を濃厚に保持する集団が残ることになった。アイヌ人と沖縄の集団がそれであり、彼らがいろいろな形質や遺伝子などで共通するのも説明できる。

 以上が埴原和郎氏が考える日本人形成史の概要であり、日本人集団の主な構成要素を縄文系と渡来系の二つと考えることから「二重構造モデル」と名付けたと言う。(出典:日本人の起源HP)


参考HP 日本人の起源「最初の日本人の系譜 

骨―日本人の祖先はよみがえる
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日本人の骨とルーツ (角川ソフィア文庫)
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メタボに新基準!女性は腹囲90cmから80cmへ より厳しく

2010年02月09日 | 健康
科学大好き!アイラブサイエンス!最近気になる科学情報を、くわしく調べやさしく解説!毎日5分!読むだけで、みるみる科学がわかる!
 メタボリックシンドロームとは?
 メタボリックシンドローム(metabolic syndrome)とは、内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態をいう。

 厚生労働省は、中年男性では二分の一の発生率を見込むなど、約2000万人がメタボリックシンドロームと予備軍に該当すると考えており、これを平成24年度末までに10%減、平成27年度末までに25%減とする数値目標を立てている。これにより医療費2兆円を削減することを目的としている。

 WHO、アメリカ合衆国、日本ではこの診断基準が異なっていた。日本肥満学会(JASSO)の基準(2005年)では、腹囲男性85cm、女性90cm以上が必須。かつ血圧130/85mmHg以上。中性脂肪150mg/dL以上またはHDLc40mg/dL未満。血糖110mg/dL以上。・・・の3項目中2項目以上。と定められている。

 2008年4月から特定健診制度(糖尿病等の生活習慣病に関する健康診査)で、メタボリックシンドロームの概念を応用して糖尿病対策を行い、40歳から74歳までの中高年保険加入者を対象に健康保険者に特定健診の実施を義務化すると共に、メタボリックシンドローム該当者、または予備軍と判定されたものに対して特定保健指導を行うことを義務づける。

 5年後に成果を判定し、結果が不良な健康保険者には財政的なペナルティを課す事によって実行を促すとされる。

 反メタボ共同声明
 しかし、メタボリックシンドロームの基準についてはあいまいさが指摘されてきた。2005年、国際糖尿病連合(IDF)は腹部肥満を必須項目とするメタボリック症候群の世界統一診断基準を提唱したが、アメリカ循環器学会(AHA)とアメリカ心臓肺血液研究所(NHLBI)はIDF診断基準よりも、全米コレステテロール教育プログラム (NCEP)診断規準の方が良いという共同声明を発表し、アメリカ糖尿病学会(ADA)とヨーロッパ糖尿病学会(EASD)は、これまでのどの診断基準も症候群と称するに足る科学的根拠がないので、人々にメタボリック症候群というレッテルを貼ってはならないという共同声明を発表した。

 この声明の中では以下の8項目の問題点が指摘されている。

 1.診断基準があいまいで不完全である。2.基準値の根拠がきちんと説明されていない。3.糖尿病を含む価値は疑問である。インシュリン抵抗性が共通の原因かどうか不確かである。4.他の心血管危険因子を含むか除外するかの明確な根拠がない。5.心血管疾患の危険度は含まれる個別の危険因子によって様々である。6.心血管疾患の危険度は各危険因子の総和以上ではないと考えられる。7.この症候群の治療は各成分の治療と同じである。8.この症候群の診断の医学的価値が不明確である。

 共同声明が発表されてから現在までメタボリック症候群診断の是非が論争されており、メタボリック症候群でないと診断された人のほうがメタボリック症候群と診断された人よりも心血管疾患の危険度が高い場合もあるという。

 復囲に科学的根拠なし?
 メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の適正な診断基準を検証していた厚生労働省研究班(主任研究者=門脇孝・東京大学教授)は2月9日、診断の必須項目の腹囲の数値によって、心筋梗塞(こうそく)や脳梗塞の発症の危険性を明確に判断できないとする大規模調査の結果をまとめた。

 現在の診断基準は、腹囲に加え、血糖、脂質、血圧の3項目のうち二つ以上で異常があった場合、メタボと診断され、保健指導(積極的支援)の対象となる。しかし、他の先進国に比べ男性の腹囲基準は厳しすぎる、女性の基準は逆に甘いと、批判されていた。

 研究班は、全国12か所の40~74歳の男女約31000人について、心筋梗塞、脳梗塞の発症と腹囲との関連を調べた。

 その結果、腹囲が大きくなるほど、発症の危険性は増加したが、特定の腹囲を超えると危険性が急激に高まるという線引きは困難であることがわかった。

 国際的には、腹囲を必須とせず、総合的にメタボを診断するのが主流。米国では、腹囲(男性102センチ以上、女性88センチ以上)は中性脂肪、HDLコレステロール、血圧、血糖値を含めた五つの診断基準の一項目に過ぎない。

 ただ、今回の研究でも肥満の人ほど発症しやすい傾向は変わりない。現行の基準でメタボと診断された人は、そうでない人に比べて発症の危険性は男性で1.44倍、女性で1.53倍高かった。(2010年2月9日  読売新聞)

 厚労省メタボに新基準!
 
こうした状況から、厚生労働省研究班は、内臓脂肪の蓄積で生活習慣病の危険性が高まる「メタボリック症候群」の診断基準の妥当性について、現在「90センチ以上」としている女性の腹囲を「80センチ以上」に厳しくすれば、より多くの脳卒中や心疾患を予防できるとする研究結果をまとめた。

 メタボリック症候群は、日本肥満学会などが2005年に「腹囲が男性85センチ以上、女性90センチ以上」などの診断基準をまとめ、特定健診にも採用されたが、女性の腹囲が男性より緩い点などに異論も出ていた。

 基準が変更されれば、保健指導にも影響を与えることになるが、厚労省生活習慣病対策室は「今回は妥当性判断の一つの材料。必要があれば検討会を設置する可能性もある」としている。

 研究班は、全国の40~74歳の男女約3万6千人に、腹囲と、血圧や血糖値などの関係を調べた。メタボリック症候群は、内臓脂肪蓄積に加え脂質異常、高血圧、高血糖のうち2項目以上に該当する状態だが、男性で85センチ前後、女性で80センチ前後を上回ると、そうした状態になる可能性が3倍に高まり、心筋梗塞や脳卒中が起きるリスクが大幅に上昇することが分かった。(2010/02/09 共同通信)

 

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低水温でトラフグがオス化?猛毒の卵巣を珍味の白子に変えた!

2010年02月08日 | テクノロジー

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 トラフグの卵巣の猛毒は?
 トラフグ は、フグの一種。食用として取引されるフグの中では最も高級とされる。他のフグ類同様、フグ毒(テトロドトキシンという神経毒)を含むため、調理には免許が必要とされる。特に毒性が強いのが肝臓と卵巣である。

 石川県では、この猛毒の卵巣を塩漬けにしたうえ、糠に漬け込んで毒を抜いて珍味「河豚の卵巣の糠漬け」として食用に供しているそうだ。

 しかし、オスの精巣は白子といって高級食材とされる。フグではメスよりオスの方が価値が高い。高級食材として珍重される精巣(白子)が採れるオスの割合を高くすることで、より市場価値の高いトラフグ養殖が可能になる。

 そんな夢の技術を近畿大学水産研究所の研究者たちが開発した。稚魚を冷たい海水で養殖するだけで8割以上を雄にするという。

 この技術で雄性化したトラフグから採れる白子を盛り込んだトラフグセット商品を富山県の漁業協同組合と共同で開発し、フグ鍋のシーズンが始まる11月ごろ全国向けに発売する予定だ。

 トラフグのオス化に成功
 トラフグ雄性化に成功したのは、クロマグロの養殖でも知られる澤田好史教授らの研究チーム。高い価格で売れる白子が採れるオスを増やすことでトラフグ養殖の付加価値を高める研究に、10年以上前から取り組んでいる。トラフグはふ化後2-6カ月の間に性別が確定するが、稚魚のふ化後15-79日の期間を含む65-105日間、12-17℃の海水温で飼育すると80%以上が雄になることを突き止めた。

 澤田教授らは、近畿大学水産研究所の富山実験場で研究を進めているが、12-17℃の海水温条件を確保するため富山湾の水深100メートルからくみ上げた海水を利用することでコストを抑えることにも成功した。

 今後は、低水温飼育中に通常の10%程度に遅くなってしまう成長速度を速める工夫に加え、水温の低い海水を使用するとなぜ雄性化が促進されるのかの解明を目指し、雄性化の割合を100%に高める方法も開発したい、と澤田教授らは言っている。(サイエンスポータル 2010年1月13日)
  
 安定した雄性化の飼育条件
 トラフグはふ化後2~6カ月の間に性別が確定し、通常、雌雄の割合はほぼ1対1。具体的にどうすればオスが多くなるのであろうか?

 これまでの研究で判明した、80%以上の確率で雄性化を実現するための主な条件は、(1)水温12℃~17℃の海水を、(2)稚魚のふ化後15日から79日を含む期間で、(3)65日から105日間にわたり、飼育に使用するというもの。

 富山実験場では、この低い水温の海水に水深100メートルから汲み上げた海水を使用することで、海水を冷却するなどのコストを抑えることに成功している。

 ただし、水温の低い海水を使用することで稚魚の成育速度が遅くなる課題があり、エサの与え方や飼育方法に工夫を加えたものの、結果として、低水温飼育期間中は通常の10%程度の生育速度にとどまっている。

 今後、水温の低い海水を使用するとなぜ雄性化が促進されるのかの生理学的な解明を目指し、遺伝子研究を含めて研究を進め、オスの割合をさらに100%に高める方法を開発する予定である。また、低水温飼育下での飼育期間の短縮と、形態異常(奇形)発症の軽減も図っていく。

 安心・安全と高付加価値
 この技術の特徴のひとつは、ホルモン剤など、魚体への残留が懸念される薬剤を使用しないこと、自然界への逃亡を厳密に防ぐことが必要な多倍体などを用いないことなど、安心・安全な方法であることである。

 さらに、産業的応用の面では、この技術で雄性化させたトラフグの生産・加工・販売のモデル構築を行う。雄性化割合を飛躍的に高めることで生産コスト減となる白子を活用した付加価値の高いトラフグ関連商品を、富山県の地域ブランドとして育てていく方針。


参考HP 近畿大学「トラフグの稚魚80%をオス化する養殖技術確立」 

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細胞内共生?動物のDNA中に「ボルナウイルス」の遺伝子発見!

2010年02月07日 | ライフサイエンス
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 細胞内共生による遺伝子の組込み
 生物の細胞の中には、核、ミトコンドリア、葉緑体、ゴルジ体など、様々な細胞内小器官(オルガネラ)があるが、このうちミトコンドリアと葉緑体は、それぞれ十億年以上前にバクテリアが真核細胞の中に入り込み、細胞内共生を続けた結果、細胞の一部であるミトコンドリアや葉緑体になったものだと考えられている。

 その証拠としてミトコンドリアと葉緑体は核とは別にDNAを持っていることが分かっている。ミトコンドリアDNA、葉緑体DNAは極端に短く、大部分の遺伝子は核DNAに取り込まれたものと考えられている。

 遺伝子組換え技術による遺伝子の組込み
 その他に細胞内に別の遺伝子が組込まれる例として、遺伝子組換え技術というものがある。これは、人にとって有用な、ある生物の遺伝子の一部を意図的に切り取って、別の種類の生物の遺伝子に組み入れる技術である。

 有名なものが2008年ノーベル化学賞を受賞した、GFP遺伝子で、この遺伝子をもつ細胞は緑色蛍光を発するタンパク質をつくる。この遺伝子を様々な細胞に組み込むと、マーカーとしてはたらくので、様々な細胞実験に利用されている。

 細胞に有用な遺伝子を組み込むのために、よく使われるのがウイルスやプラスミドなどである。

 ボルナウイルスによる遺伝子の組込み
 ところで、私たち動物は長い歴史の中で、細胞内共生を受け入れ、何度もウイルスに感染してきた。細胞のDNAに、これまでどの程度、外来遺伝子が組み込まれてきたのであろうか?
 
 今回、大阪大学微生物病研究所の朝長(ともなが)啓造准教授(ウイルス学)らが、ヒトやサルなど動物のDNAが、少なくとも4000万年前までに感染したとみられる「ボルナウイルス」の遺伝子を取り込んでいることを発見した。遺伝子治療で体内に有用な遺伝子を入れるための運び屋として使うなど、ウイルスの新しい利用法開発につながる可能性もあるという。7日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 レトロウイルスによる遺伝子の組込み
 生物のDNAには、進化の途中で感染したウイルスの遺伝子の一部がとりこまれ、残っていることが知られている。ヒトのDNAの全遺伝情報(ゲノム)の約8%は、DNAに入り込む性質を持つ「レトロウイルス」のものだとされている。

 そのためウイルスの感染と生物進化の関係が研究されているが、これまでレトロウイルス以外のウイルスの遺伝子がゲノムに侵入するかどうかはわかっていなかった。

 朝長さんらは、ボルナウイルスに注目した。このウイルスは、はしかウイルスなどに近縁で、動物の細胞の核の中で持続感染する。DNAを分析したところ、サルや象、マウスなど様々な動物のDNAからボルナウイルスの遺伝子が見つかった。

 とりこまれた遺伝子は今もたんぱく質を作り出していることもわかり、何らかのはたらきをしているはずだという。今後役割を突きとめていくそうだ。(asahi.com 2010年1月7日1)


参考HP Wikipedia「細胞内共生」「ウイルス」

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「プリウス」の失速!トヨタ 大規模リコール

2010年02月06日 | テクノロジー
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 1月新車販売数8ヶ月連続プリウスが首位
 日本自動車販売協会連合会などが4日発表した1月の新車販売(軽自動車含む)の車名別ランキングは、トヨタ自動車のハイブリッド車「プリウス」が前年同月比約3.9倍の2万2306台と8カ月連続で首位となった。

 2位はスズキの「ワゴンR」で、前月からニつ順位を上げた。昨年12月に新型モデルを発売したダイハツ工業の「タント」とスズキの「アルト」は、それぞれ14.8%増、52.4%増と好調だった。 

 ただ、プリウスは3日に「ブレーキが利きにくい」との苦情が日米で多数寄せられていることが発覚。消費者の間で不安が広がると、2月以降、勢いが鈍る可能性もある。プリウスは昨年5月に新型モデルが発売され、優れた燃費性能に加え、低価格戦略が奏功。昨年6月から首位を独走してきた注目のエコカーだ。(毎日新聞 2010.2.3)

 米国でトヨタ「リコール」230万台
 1月22日、トヨタ自動車の米国法人は、米国で販売した「カローラ」「カムリ」「RAV4」など八車種で、床マットなしでもアクセルペダルが戻りにくくなることが分かったとして、計230万台をリコール(無償の自主回収、修理)すると発表した。

 トヨタは昨年秋、アクセルペダルがマットに引っかかりやすいとの指摘を受け、米国で420万台以上のリコールを実施中。度重なるリコールは、トヨタ売り物の安全への信頼性を大きく揺るがすことになりそうだ。

 トヨタ側の調査によると、対象車種ではアクセルの付け根の可動部分が繰り返しの使用ですり減り、そこに車内ヒーターの使用で発生した結露が入り込むと可動部分の摩擦抵抗が大きくなり、ペダルの戻りを妨げることが分かった。

 このため、踏み込んだペダルが戻らなくなったり、戻るのに時間がかかったりする場合があるという。日本で販売する車は違う部品を使っており対象外としているが、同じ部品を使う欧州販売分には波及する可能性が高い。トヨタは早急に改善策を決める。

 今回のリコール対象車のうち、170万台はマット関連でもリコール対象。二回のリコールで、トヨタは計480万台以上をリコールすることになる。

 トヨタには、「マットなしでもアクセルが戻らない」という苦情はこれまで13件、寄せられている。このほか米ニューヨーク・タイムズ紙によると、米運輸省の高速道路交通安全局はテキサス州で昨年12月、米国販売のセダン「アバロン」が池に突っ込み、四人が死亡した件で関連性を調べている。(日本経済新聞 2010.1.26) 

 プリウス、ブレーキ問題・急加速問題
 米国内でトヨタ自動車のハイブリッド車(HV)新型「プリウス」について、当局への苦情が急増している。米運輸省の道路交通安全局(NHTSA)の資料によると、過去数日間では、ブレーキの利きが悪いとのクレームの中に、「突然の加速」「急加速」を訴える苦情も相次いでいる。

 苦情のすべてが車の欠陥を意味するわけではない。ただ、米政府や議会は現在、トヨタによるアクセルペダルなどの不具合に伴う大量リコール(回収・無償修理)問題で、NHTSAに寄せられる消費者らのクレームを基に、電子制御装置の構造的な欠陥の有無について追及しようとしている。

 それだけに、新型プリウスの所有者が「突然の加速」を訴えるクレームは、トヨタにとってさらなる逆風となりそうだ。

 NHTSAの資料によると、ブレーキ問題に絡む苦情件数は、メディアによる一斉報道で問題が大きくなったこともあり、5日昼までに600件を超えた。

 ブレーキ問題がメディア報道で発覚した2日時点の資料では、「突然の加速」を具体的に訴える苦情は事実上なかった。

 新たな資料では、「でこぼこ道を通過しながら下り坂を運転していると、突然の加速が起きる」「道路のくぼみを通過中、ブレーキを踏んだままの状態の時、瞬間的に急加速した」といった苦情が寄せられている。ブレーキ問題に絡む交通事故は16件で、4人が負傷しているという。(時事通信 2010/02/06)

 「プリウス信者」も動揺 トヨタ・リコール拡大 
 トヨタ自動車のハイブリッド車(HV)「プリウス」は米国トヨタの看板であり、HV市場を開拓したエコカーの象徴だ。そのプリウスまでリコール(回収・無償修理)対象になったことで、トヨタのクリーンなイメージは大きな打撃を受けた。米国には富裕層などに“プリウス信者”と呼ばれるファンも多く、リコールの波紋は大きい。

 「とても怖かった」

 米アップルのウォズニアック共同創業者は、愛車の3代目「プリウス」が数カ月前から急加速を起こしていたことを米メディアに打ち明け、話題を呼んだ。

 プリウスが米国に上陸したのは2000年8月。環境意識の高まりとともに人気に火がつき、これまで約80万台を販売。米国の全HVの半分を占める。レオナルド・ディカプリオらハリウッドのスターやインテリ層にも“プリウス信者”が広がり、社会現象化した。

 昨年6月に販売開始された3代目は、エコカー助成制度の恩恵も受けて約10万台を販売した。ここにきて不具合を認めてリコールに踏み切ったのは、米運輸省や議会の圧力に押された面も否定できないが、ブランド・イメージに決定的な打撃を受けたともいえる。

 それでも多くの信者たちは「プリウス」に持つこだわりを捨てることはできない。カリフォルニア州に住む環境保護グループの女性は米紙ニューヨーク・タイムズに「(プリウスを)見限るぐらいなら修理するわ。これほど燃費のいい車はないから」と語った。(産経ニュース 2010.2.5) 

 

電気自動車が加速する! ―日本の技術が拓くエコカー進化形―
御堀 直嗣
技術評論社

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高性能ハイブリッド自動車の研究―WFV(Waseda Future Vehicle)の開発とともに
木原 良治,大聖 泰弘
山海堂

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今年は暖冬?冷冬? 「立春」各地で最低気温、梅前線は北上

2010年02月05日 | 気象

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 2月4日立春 各地で最低気温
 立春の2月4日、北日本から東日本の上空に強い寒気が流れ込んだ影響で、東京都心でも氷点下0.4度まで下がるなど、各地でこの冬一番の冷え込みとなった。気象庁によると、北海道では日高町で氷点下27.8度を記録するなど、4地点で観測史上最低を更新した。

 気象庁によると、栃木県鹿沼市では氷点下6.9度、埼玉県越谷市では同5.7度、前橋市では同4.3度、千葉市では同1.1度...などでもこの冬一番の冷え込みで、平年を2~5度程度下回った。

 日本付近は冬型の気圧配置となり、降れば平地でも雪になるような強い寒気が関東を覆っている。夜間に地表の熱が奪われる放射冷却現象も重なったという。

 北海道内では依然として強い寒気が居座り、上川管内占冠(しむかっぷ)村で氷点下34.4度まで下がるなど、各地で今季一番の冷え込みとなった。日高管内日高町(氷点下27.8度)、同浦河町(同26.7度)、釧路管内弟子屈町(同24.9度)、夕張市(同23.6度)の4カ所は観測史上最低気温を更新した。

 日本気象協会北海道支社によると、道内で氷点下30度を下回るのは2年ぶり。十勝管内陸別町でも氷点下30.9度、弟子屈町川湯でも同30.1度を記録した。厳しい寒さは6日まで続く見込み。



 今年は暖冬?冷冬?
 一方、1月5日は愛媛県松山市では、全国トップを切って梅が開花した。平年より1週間早い開花である。1月20日の「大寒」には、九州・山口の各地は3~4月並みの暖かい日となり、福岡県太宰府市の太宰府天満宮では神木の「飛梅」が小さな白い花を咲かせた。

 その後、2月に入ってからは、また寒気が南下して寒い日が続いている。しかし、梅の開花前線は北上を続け、ここ神奈川県でも、鎌倉の梅の見ごろは2月中旬~2月下旬ごろになりそう。現在全体的には3~4分咲きになっている。一部早咲きの紅梅が散り始めている。2月4日現在、荏柄天神社、光則寺、長谷寺などが見ごろ。

 小田原市の曽我の梅林では、早咲き(白梅)は7分咲きから満開で、見ごろを迎えている。紅梅は満開、しだれ梅は2分咲きから3分咲きである。 小田原梅まつりは曽我梅林、小田原城址公園を会場に1月30日(土)から2月28日(日)まで開催される。

 「立春」の2月4日、島根県内は日中の気温が上がらず、寒い一日となったが、松江市の松江城山公園では、約80本ある梅の木の一部で花が咲き始めており、昨年より約1週間早く、3月上旬に見頃を迎えるという。(2010年2月5日  読売新聞)こうして見ると、今冬は冷冬なのか暖冬なのか、どちらなのだろう?

 寒気の原因は「北極振動」
 昨年末から北米や欧州、アジアなど北半球を襲っている寒波は、北極圏の寒気の動き「北極振動」が強い寒気放出期になったのが原因とする分析を米雪氷データセンターが12日までにまとめた。

 寒気の蓄積や放出の大きさを示す指数は、昨年12月にマイナス3.41と1950年以降最も低く、寒気が強く放出されているという。

 同センターなどによると、北極振動は気圧の変動により大気の流れが周期的に変化する現象。今冬は北極圏の気圧が高く中緯度地域は低い北極振動指数がマイナスの状態で、北極圏から放出された寒気が中緯度地域に流れて気温が低くなる一方、北極周辺は気温が高い状態が続いている。

 年末から年始にかけて、米国や欧州、アジアでは記録的な寒さを記録。温暖な気候で知られる米フロリダ州で氷点下を記録、欧州では主要空港で航空便の遅れや運休が相次いだ。中国やインドでも記録的な寒さが続き、インド北部では300人近くが寒波の犠牲になった。(47NEWS 2010.1.13)

 はずれた長期予報
 当初、気象庁では「暖冬で日本海側の雪は少ない」(気象庁)と予想していたが、平年並みの寒さが続き、4年ぶりの大雪となっている。日本付近に寒気が流れ込みやすい上空の気圧配置が続いていることが主な原因で、気象庁は「予想外だった」と説明する。

 夏に発生したエルニーニョ現象が予想に反して顕著でないことも影響しているといい、「平成18年豪雪」以来の豪雪となる恐れも出てきた。

 気象庁によると、昨年12月の降雪量は平年比で北海道109%、東北日本海側80%、北陸131%。2008年までの3年間の12月は、北陸で平年の20%前後、東北日本海側で30~60%で、今冬は大幅に増えた。今月も日本海側ではまとまった雪が降る日が続き、積雪は各地で平年を上回っている。

 原因は上空の気圧配置だ。昨年11月末ごろから、北極付近で気圧が高く、日本を含む中緯度帯で低い状態が続き、北極付近の寒気が南下しやすくなっている。米国や欧州も先月中旬、寒波に襲われ大きな被害が出た。

 また、太平洋赤道域東部の海面水温が高くなるエルニーニョ現象が発生すると、日本は高気圧に覆われやすくなり、暖冬になる傾向がある。だが、今冬は同現象によって大気の対流活動が活発になる領域が通常より西側にずれているため、日本付近では高気圧が発達していないという。

 気象庁は、昨年9月発表の寒候期予報や毎月発表している3カ月予報で、今冬(12~2月)について「気温は平年より高く、日本海側の降雪量は平年より少ない」としていた。気象庁気候情報課は「上空の気圧配置がこれほど長く安定するとは予想外だった。北極付近の気圧が変動するメカニズムは解明しきれておらず、予測が難しい」と説明する。同庁は平成18年豪雪の冬も「北日本を除き暖冬」と予想し、大きく外れた。(毎日新聞 2010年1月7日)

 今後、しだいに温暖に?
 気象庁の予報では「2月10日から2月19日まで」において、関東甲信地方では、2月10日頃からの1週間は、気温が平年よりかなり高くなる確率が30%以上となっている。

 気温の上昇にともない、北部山沿いではなだれの危険があるという。また、関東甲信地方では、向こう1週間は気温がかなり高くなるが、その後は次第に気温は平年を下回る予想で、気温の変動が大きい見込みだ。

 どうやら、強い寒気も流れ込みやすい状況に変わりはないようだが、確実に春は近づいているようだ。

 

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「エクソンバルディーズ号原油流出事故」に見る環境回復への道

2010年02月04日 | 環境問題
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 石油流出事故と環境破壊
 日本で起きた石油流出事故としては、1997年1月2日のロシア船籍ナホトカ号の重油流出事故が記憶に新しい。この事故では地元の人だけでなく、多くのボランティアが、全国から集まって重油除去作業をした。この厳冬期の作業を、多くの人がテレビの画面を通じて知り、心を痛めた。

 1989年3月24日午前0時4分頃に発生した、史上最悪の「エクソンバルディーズ号原油流出事故」。この事故では、原油4000万リットル以上が流出、アラスカ沿岸約2000キロに漂着した。生態系や漁業への影響が大きく、米国史上最悪の海洋汚染とされる。当初は除去作業や微生物による分解で、数年後に原油はほぼ消えると期待されていた。

 この事故で死亡した野生動物の個体数は次の通りである。各種の海鳥:25万-50万羽、ラッコ:2800-5000頭、カワウソ:約12頭、ゴマフアザラシ:300頭、ハゲワシ:250羽、シャチ:22頭、その他サケやニシンの卵の被害は甚大であった。

 最近の米テンプル大の調査で、流出した原油が、今も沿岸に残っていることが、分かった。米テンプル大は昨年までの3年間、原油が漂着した湾内のエレノア島の沿岸12地点を調査した。
 
 その結果、原油を分解する微生物が生存するのに必要な酸素や養分の量が通常より10分の1という層が地表近くに存在し、原油の「貯蔵庫」が形成されていることが分かった。アラスカ南部では海岸線のほぼ半分がこうした特徴を持つとされ、残存している原油は約7万6000リットルに上る可能性があるという。

 この事故では、徹底的な原油除去作業によって一年後には、一見すると痕跡はほとんど見られなくなったが、このように、完全な回復は難しく、現在でも問題が残っていることがわかった。

 石油流出事故と環境回復
 エクソンバルディーズ号原油流出事故では、どんな環境回復への取り組みが行われたのだろうか?

 まず微生物による原油の分解を試したがあまり効果がなく、次に耐火性のブームを使い辺地で試験的に原油を焼却してみたところ比較的良好な結果が得られた。しかし好天に恵まれずこの除去作業期間中に再度焼却が行われることはなかった。

 ブームとオイルスキマーを使った除去作業が程なく始まったが、事故後24時間はオイルスキマーを調達できず、厚い油層とケルプ(大型海草の一種)が装置を詰まらせがちであった。ある民間会社は3月24日に化学的分散剤をヘリコプターで散布した。しかし現場では波が小さく海中の原油と分散剤がよく混ざり合わず、分散剤は以後使用されなかった。

 その後分散剤には原油そのものより悪影響があると見方が変わった。10万分の1の濃度の洗剤が海の哺乳類や植物の体内で濃縮されると急性の毒性を発揮するが、実際に散布域の潮間帯に張り付く大量のフジツボやカサガイなどが死滅した。

 エクソン社は原油除去対応の鈍さを各方面から非難され、バルディーズ市長のJohn Devensは同社の危機対応のまずさに失望したと述べた。政府も沿岸警備隊の出動で対応したが、エクソン社の前には過去の流出事故以上に費用も計画も忍耐も必要な原油除去作業が山積していた。1万1000人以上のアラスカの住民がエクソン社の従業員とともに汚染地域全域で環境回復のための作業に携わった。

 熱水洗浄で不毛の地に?
 流出した油の除去作業原油が溜まったプリンス・ウィリアム湾は岩の多い入り江が多かったので、原油で汚れた岩を高圧の熱水で洗浄することに決まった。しかし岩に生息する微生物も吹き飛ばしてしまい生物の食物連鎖の一部が断たれたためこの一帯は不毛の地と化した。

 石油会社との利害関係がないアメリカ人専門家の間では今日、原油は徐々に分解するのを待ってそこに放置されるべきだったという考えが発生している。しかし当時は科学的助言も一般社会からの圧力も徹底的除去一色だった。

 エクソン社はのちに『学生向ビデオテープ』というシールを貼った『科学者とアラスカの原油流出事故』というビデオテープを各学校に配布したが、その中の除去作業の報告は歪曲しているという。

 アラスカ州の資金援助によるいくつかの調査によれば、流出事故は長期と短期の経済的打撃をもたらすとしている。その中には、余暇やスポーツとしての釣りの棚上げ、観光客の減少、またエコノミストが「存在価値」とよぶ太古の自然を残すプリンス・ウィリアム湾の社会的価値の損失がある。 動物相はいまだに災害からの回復過程にある。(出典:Wikipedia) 

 

参考HP Wikipedia「ナホトカ号重油流出事故」「エクソンバルディーズ号原油流出事故」 

ナホトカ号重油事故―福井県三国の人々とボランティア
粟野 仁雄,高橋 真紀子
社会評論社

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海洋汚染 (災害とたたかう)
ジェーン ウォーカー
偕成社

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原油流出!「エクソンバルディーズ号事件」20年前の原油残存!

2010年02月03日 | 環境問題
 ナホトカ号事件
 石油流出事故というと何を思い出すだろう?...そう、石油タンカーが、座礁して積み荷の石油が流出し、海洋が汚染される場面である。石油の流出事故は環境に衝撃的な影響を与える。原油には除去がとても難しい多環芳香族炭化水素を含んでおり、堆積物や海洋環境に数年間に渡って残存する。多環芳香族炭化水素にさらされた海洋生物は成長異常を引き起こし、病気に弱く、繁殖に異常をきたすことがある。

 日本では、1997年1月2日未明におきたナホトカ号事件が有名である。大しけの日本海(島根県隠岐島沖)において、暖房用C重油約19,000 klを積んで上海からペトロパブロフスクへ航行中のロシア船籍タンカー「ナホトカ」号(建造後26年経過)に破断事故が発生。

 船体は浸水し、31名の乗組員は救命ボートに避難。しかし船長は行方不明となり、後日福井県の海岸に遺体が漂着した。船体は水深約2,500 mの海底に沈没したが、船体から分離した船首部分は強い北西季節風にあおられて数日間南東方向へ漂流し、対馬海流を横断して1月7日13時頃、越前加賀海岸国定公園内の福井県三国町安島沖に座礁した。

 厳冬期の石油流出事故
 積み荷の重油は、約6,240 klが海上に流出。また、海底に沈んだ船体の油タンクに残る重油約12,500 klの一部はその後も漏出を続けている。座礁した船首部分の油タンクに残っていた重油は、海上での回収作業および陸上からの仮設道を利用した回収作業により2月25日に回収を終えた。

 海上に流出した重油は福井県をはじめ、日本海沿岸の10府県におよぶ海岸に漂着し、環境および人間活動に大きな打撃を与えた。全国各地からの個人・企業・各種団体によるボランティアも参加して、のべ30万人近くと伝わる民間有志による回収作業も行われたことも話題になった。

 厳冬期の1月に事故が起こったことで、海からの冷たい風が吹き荒れる海岸での回収作業は過酷を極め、回収作業に当たっていた地元住民やボランティアのうち5名が過労などで亡くなるという二次被害が発生した。この件を契機に「ボランティア活動には危険もつきまとう」という事実が世間に知られ、ボランティア活動を行う者に対して「ボランティア活動保険」への加入を勧める活動が積極的に行われるようになったという。

 エクソンバルディーズ原油流出事故
 さて世界に目を向けると、これまで海上で発生した人為的環境破壊のうち最大級のものとして、エクソンバルディーズ号原油流出事故がある。

 1989年3月23日、原油タンカーのエクソンバルディーズ号はアラスカ州のバルディーズ石油ターミナルを、5300万ガロンの原油を積んでカリフォルニア州に向かった。水先案内人はバルディーズ海峡を誘導したのち操縦をバルディーズ号船長と交代して下船した。船は航路の氷山を避けながら進んだ。

 午後11時過ぎに船長は操舵室を離れるさい、三等航海士に操舵の責任を託し、AB級水夫に事前に打ち合わせた地点で航路に戻るよう指示した。そして事故当時は執務室にいた。しかしバルディーズ号は航路に戻ることができず、1989年3月24日午前0時4分頃に暗礁に乗り上げた。

 世界最大級の海洋汚染
 この事故でおよそ積載量の20%にあたる1100万ガロン(24万バレル)の原油がプリンスウィリアム湾に流出した。すぐに分厚い原油の層がプリンス・ウィリアム湾一帯を覆い、船が座礁したのち3日間嵐が吹き荒れたため、大量の原油が各地の岩浜に打ち寄せた。

 もっとも信頼できる推計によれば、事故後まもなく死亡した野生動物の個体数は次のとおりである。各種の海鳥:25万-50万羽、ラッコ:2800-5000頭、カワウソ:約12頭、ゴマフアザラシ:300頭、ハゲワシ:250羽、シャチ:22頭、その他サケやニシンの卵の被害は甚大であった。

 徹底的な原油除去作業によって一年後には現地を訪れる人間の目に触れるような被害の痕跡はほとんど見られなくなったが、今回、流出した原油が、今も沿岸に残っていることが、米テンプル大の調査で分かった。

 アラスカ湾に20年前の原油残存
 米アラスカ湾で89年に起きたタンカー「エクソン・バルディーズ号」の座礁で流出した原油が、今も沿岸に残っていることが、米テンプル大の調査で分かった。

 原油を分解しにくい地層の存在が原因だが、同様の地層は北極圏を中心に各国の沿岸に存在するという。研究チームは事故防止と復旧の対策作りを急ぐよう呼びかけている。17日付の英科学誌ネイチャー・ジオサイエンス(電子版)に論文を掲載した。

 事故では、原油4000万リットル以上が流出、アラスカ沿岸約2000キロに漂着した。生態系や漁業への影響が大きく、米国史上最悪の海洋汚染とされる。当初は除去作業や微生物による分解で、数年後に原油はほぼ消えると期待されていた。

 しかし、沿岸の一部で原油が残存しているのが見つかり、米テンプル大は昨年までの3年間、原油が漂着した湾内のエレノア島の沿岸12地点を調査した。
 
 その結果、原油を分解する微生物が生存するのに必要な酸素や養分の量が通常より10分の1という層が地表近くに存在し、原油の「貯蔵庫」が形成されていることが分かった。  アラスカ南部では海岸線のほぼ半分がこうした特徴を持つとされ、残存している原油は約7万6000リットルに上る可能性があるという。
 
 研究チームは「温暖化で北極海の氷が減り、周辺海域を航行するタンカーの増加も予想される。事故の再発が憂慮され、対策が急務だ」としている。(毎日新聞 2010年1月18日)

 

参考HP Wikipedia「ナホトカ号重油流出事故」「エクソンバルディーズ号原油流出事故」 

ナホトカ号重油事故―福井県三国の人々とボランティア
粟野 仁雄,高橋 真紀子
社会評論社

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第20回ノーベル生理・医学賞 クローグ「骨格筋ポンプの発見」

2010年02月02日 | ノーベル賞

 足は第2の心臓?
 よく「足は第2の心臓」と言われる。これはどういう意味だろうか?

 人間の血管を、動脈と静脈に分けてみよう。心臓(ポンプ)の働きで、動脈を通してきれいな血液が全身(筋肉や内臓など)に送られる(動脈血)。各内臓などで仕事をした血液は、静脈を通して心臓に帰っていく(静脈血)。

 動脈は文字通り「動く脈」。手首のところで脈拍数を計るのは、動脈を触っている。動脈血は、心臓の働き(力)によって運ばれている。

 静脈は「静かな脈」。静脈は心臓の働き(力)の影響をほとんど受けない。静脈血は、周囲の筋肉の収縮などによって血液を運ぶ。
 人間が立っているとき、血液は重力の影響で脚の方にたまりやすくなる。そこで、ふくらはぎの筋肉(腓腹筋)などが静脈を圧迫して、血液を上へ押し上げている。このような働きを「骨格筋ポンプ」という。この、ふくらはぎのポンプ作用を、心臓の働きになぞらえて「足は第2の心臓」というのである。

 足がむくむ理由
 よく「足がむくむ」という人がいる。あれはどうしてむくむのだろうか?

 足がむくむのは足の筋肉を使わないから。例えば、厚底靴やハイヒールなどをはくと、足首の関節が固定されてしまって十分に筋肉が働かずに、足のむくみを作ってしまう。たとえ健康者でも、夕方になると足がむくんでしまう。足がむくまないようにするためには、歩いたり、足首を動かしたり、足の筋肉を適当に使えばよい。
 
 人間は普段立ったり座ったりしているので、血液は重力の影響を受け、足のほうへ溜まりやすくなる。そこで、歩いたり、運動したりすることで、足の裏や足首・ふくらはぎなど、下肢周辺の筋肉の収縮が起こり、血液を上へ押し上げている。この、心臓のような働きを「骨格筋ポンプ」と呼び、足が「第2の心臓」と呼ばれる理由である。

 1920年、デンマークの生物学者アウグスト・クローグは、こういった足の骨格筋に、細動脈や毛細血管を意図的に開閉する事の出来る制御機能があることを発見した。これにより、骨格筋にポンプのはたらきがあることがわかった。アウグスト・クローグはこの業績により、1920年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞理由は「毛細血管運動に関する調整機構の発見」である。

 アウグスト・クローグとは?
 アウグスト・クローグ(1874年~1949年)はルーマニア人の母親を持つデンマークの生物学者。1916年から1946年までコペンハーゲン大学の動物学の教授を務めた。生理学の様々な分野で基礎的な発見を行った。

 1920年、クローグは骨格筋における毛細血管の制御機構を発見してノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼は細動脈や毛細血管の開閉による血液循環の制御に関して初めて記述した。細動脈や毛細血管を意図的に開閉する事の出来る制御機能を発見した。それによって血液循環の機能が 飛躍的にアップが図れる事が判明した。

 クローグはまた比較動物学の草分けである。1915年にはカエルの皮膚呼吸と肺呼吸に関するRespiratory Exchange of Animalsという論文を書いた。後に水生生物のホメオスタシスの研究に取り組み、1939年にOsmotic Regulation、1941年にComparative Physiology of Respiratory Mechanismsという著書を出版した。さらにクローグは200を超える論文を、国際誌に寄稿した。また彼はスパイロメーターやメタボリック値を計測する装置など様々な計測機器を考案した。

 クローグは、1922年にトロントでフレデリック・バンティングとチャールズ・ベストがインスリンを発見するとそれをすぐにデンマークに導入した。またハーゲドルンとともに豚の膵臓ホルモンのエタノール抽出によりインスリンを製造する方法を考案し、デンマーク国内で製造を始めた。

クローグの仕事の多くは妻で、彼女自身著名な科学者であるマリー・クローグと共同で行われた。

 1910年、クローグはコペンハーゲン大学に動物生理学に関する最初の研究所を立ち上げた。これはコペンハーゲンの中心部近くに位置する小さな建物で、1928年にはロックフェラー財団の支援により新しい建物ができた。この建物では医学生理学、生物物理学の研究や、運動学の理論の研究も行われている。今日ではこれらの研究は、1970年に建てられたアウグスト・クローグ研究所で行われている。(出典:Wikipedia) 

 

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第20回ノーベル化学賞 ヴァルター・ネルンスト「熱力学第三法則」

2010年02月01日 | ノーベル賞

 熱力学とは何か?
 熱力学(thermodynamics)とは、物理学の一分野で、熱現象を物質の巨視的性質から扱う学問。アボガドロ定数個程度の分子から成る物質の巨視的な性質を巨視的な物理量(エネルギー、温度、エントロピー、圧力、体積、物質量または分子数、化学ポテンシャルなど)を用いて記述する。

 1842年、熱をエネルギーの一形態と考えエネルギー保存の法則(つまり熱力学第一法則)をはじめて提唱したのはマイヤーであった。それ以前、熱は物質と考えられていた。そして、ほぼ同時期にジュールが行った実験などから、トムソンらと共同して熱力学第一法則は明らかにされた。

 熱は物質でないことがわかり、エネルギーの1つとして定義された。その熱エネルギーの性質を表したのが、熱力学第二法則である。一言でいうと「エントロピー増大の原理」といえる。熱エネルギーは外から仕事を加えない限り、熱いものから冷たいものへと移っていく。また、すべてのエネルギーは最終的には熱エネルギーになってしまう。

 熱エネルギーとは分子・原子が無秩序に運動するエネルギーのことである。無秩序であるが故に利用効率が悪い。だから熱も無秩序に広がっていく。このことを「エントロピー増大」という。

 こうして考えると分子・原子の運動は絶対零度、すなわち温度がない状態でストップする。これを熱力学第三法則という。絶対零度でエントロピーはゼロになる。しかし、現実的には、絶対零度には到達することができない。

 ヴァルター・ネルンストとは?
 このように、熱エネルギーというのは実に不思議なエネルギーである。熱エネルギー「0」の状態はこの世には初めから存在しないのだ。それだけでない、重力が存在する理由もまだわかっていない。多くの物理的な基本量自体が、あたりまえのようであたりまえでない不思議な存在なのだ。

 熱力学の第三法則を提唱したのがドイツの化学者ヴァルター・ネルンストである。ヴァルター・ネルンストはこの業績により、1920年ノーベル化学賞を受賞した。受賞理由は「熱化学の研究」である。
 
 ヴァルター・ヘルマン・ネルンスト(1864年~1941年)は、プロイセンのブリーゼン(Briesen, 現ポーランド・ヴォンブジェジノ (Wąbrzeźno))に生まれ、物理と数学をチューリッヒ、ベルリン、グラーツで学んだ。ライプツィヒで研究した後、ゲッティンゲンに「物理化学・電気化学協会」を設立。1924年ベルリンの物理化学研究所の所長になり、1933年までその職にあった

 彼の主な業績にネルンストの式(Nernst equation)がある。この式は、電気化学において、電池の電極の電位E を記述した式である。1889年に発表されたとされる。

 

エッセンシャル電気化学
玉虫 伶太,高橋 勝緒
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大堺 利行,桑畑 進,加納 健司
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