報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

単身赴任の帰還難民

2005年06月08日 19時21分39秒 | ●アフガニスタン05
 8年前にくらべ、アフガニスタンでは英語を話す人が圧倒的に増えた。
カブールの街を歩いていると、頻繁に若者から英語で話しかけられた。

 しかし、かつては英語を話す人はほとんどいなかった。戦争と内戦、そして鎖国。アフガニスタンにはイスラム教育以外の教育というものが、ほぼ存在しなかった。したがってアフガニスタン国内で育った若者はほとんど英語を話せない。

 英語で話しかけてくる若者の多くが、ようするに帰還難民だった。そして英語を話す彼ら帰還難民の若者たちは、米軍や国連、NGO、外国企業で働いていた。給与水準はアフガニスタンではかなり高い。こうした外国機関や企業で雇用を得るには、英語やコンピュータ操作がほぼ必須条件となる。
 アフガニスタン国内で育った若者には、どちらの職能もないため、こうした高給の職を得られる機会はまずない。

 アフガニスタンで割のいい職を得ているものの、20数年間を外国で過ごしてきた彼らは、ある種の疎外感を味わっている。彼らはアフガニスタン人であってアフガニスタン人でない。アフガニスタンの社会に受け入れられているとも感じていない。

 パキスタンで高等教育を受け、現在外国NGOで働く帰還難民の二十歳の男性は、
「ここでは、わたしは、あなたと同じ外国人なのです。パキスタンで生まれ育ったわたしは、少し違った言葉を話します。ここでのしきたりや習慣も知りません。この国の人々が怖くなることがあります」
 と語った。
 彼は、アフガニスタンの人々との間に、一種の溝を感じていた。
 家族の中で、アフガニスタンに来ているのは彼だけだった。家族はパキスタンのカラチにいる。

 僕が接した帰還難民の若者のほとんどが、いわば「単身赴任」だった。家族とともにアフガニスタンに帰還した者は少ない。高給の仕事があるのでアフガニスタンに来たが、そのままアフガニスタンに定住するかどうかも決めかねているという感じだった。
 彼らが働く米軍、国連、NGO、外国企業というのは安定雇用の場ではない。あくまで臨時雇いの職なのだ。いずれは、職を失うのがわかっている。そのとき、彼らは生まれ育ったパキスタンへもどっていくのかもしれない。難民認定を受けた彼らは、パキスタンを自由に行き来できる。

「単身赴任」の彼らを「帰還難民」と呼ぶのは、あまりふさわしくない。
 アフガニスタンに定住するかどうかは、彼ら自身未知数なのだ。
 彼らは逆出稼ぎ労働者と言うべきか。
 パキスタンでは、難民の身分であり決して安定した生活は保障されない。
 しかし、アフガニスタンでの生活にも大きな不安を感じている。

 当分の間は、多くの難民がパキスタンとアフガニスタンとを天秤にかけながら生活することになるだろう。
 いまだ300万人の難民が帰還をためらっている。
 ほとんどの難民が、アフガニスタンでは職がないこと、住居がないことを理由にあげている。