報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

歪んだ経済構造

2005年06月03日 21時33分06秒 | ●アフガニスタン05
 アフガニスタン滞在中ずっと、妙な違和感を感じ続けた。
 人や車や物はあふれているのだが、人の生活の匂いというものが流れていない。とても抽象的な表現だが・・・。この違和感を何とか具体的に表現するとしたら、消費者層が形成されていないのに、物だけが先行して存在している状態、とでも言えばいいのだろうか。都市生活に必要な消費財は、すでに揃っているが、それを購買する消費層はいまだ登場していない。そんな風に見えるのだ。供給過剰という言葉は当てはまらないような気がする。北極点の周りをバザールが取り囲んでも、それを供給過剰とは言わない。
 20年に及ぶ戦乱とその後のタリバーンの鎖国時代によって、アフガニスタンには消費経済というものが形成されなかった。タリバーン政権の崩壊からまだ3年しか経っていない。産業も雇用もないところに、消費層が形成されているとはとても思えない。

 お店の人に聞いてみた。
「商売の具合はどんなものですか?」
「リトル、リトルだね」
 たいていがそんな答えだ。
 店番をしながら道行く人々を眺めるのが、一日の大半の仕事という感じだ。それでも、彼らの表情は明るい。これから商売はよくなるという期待感があるからだ。
 彼らが期待感を持つのも当然だろう。街は目に見えて、どんどん整備されている。瓦礫は撤去されビルが建ち、20年ほど車や戦車が掘り返していた道路が、またたくまに舗装されていく。通信などなかった国に、モバイルが登場し、本体(とICチップ)さえ買えば、誰でも歩きながら通信ができる。テレビを買ってケーブルに加入すれば、人気のインド映画をいつでも見ることができる。ケーブル料金は、月200アフガニー(4ドル)ほどだ。CNNやBBC、ディスカバリー・チャンネルだって見ることができる。たった3年で便利で自由な世の中になったものだ。
 これからどんどんよくなる。便利になる。そして豊かになる。
 人々はそう信じている。
 はたして、そうだろうか。

 アフガニスタンの国家予算47億5000万ドルの93%は国際援助金で賄われている。ただし援助金の四分の三は援助国自身が管理する復興事業に費やされる。アフガニスタン政府が自由になる予算はごくわずかしかないのだ。関税も所得税もいまのところない。税収など存在しないのだ。ただし、軍閥は、支配地域で勝手に税を徴収しているようだ。

 先進各国は、いまはアメリカの手前、アフガニスタンを援助しなければならない。アフガニスタンの存在価値は、中央アジアの石油を安定的にパキスタンの積出港に送るためのパイプライン建設にある。アフガニスタンは地政的な要衝なのだ。しかし、それはアメリカの国益であって、他の国の国益には関係ない。ひとえにスーパー・パワー=アメリカのご機嫌を損ねないために、アフガニスタンの復興援助に参加しているにすぎない。アフガニスタンの民主化を真に願っている国があるのだろうか。実も蓋もない言い方だが、それが事実だ。

 各国の援助がいつまで続くかはわからない。援助が終了したあと、インフラのメンテナンスにまわす資金があるかどうかもあやしい。数年でインフラは使い物にならなくなるかもしれない。
 ある国が舗装した道路は、ほんの数ヶ月で痛み始め、「見てくれ、これを。まるで10年経った道路のようだ」と車を運転しながら憤懣を述べる人もいた。「援助はありがたい。とても感謝している。しかし、巨額の援助金は、結局、粗悪な工事をする外国企業を潤しているだけではないのか」と。

 いま最も必要とされているのは、できるだけはやくひとり立ちしていけるように、農業と産業を整備することだ。農業と産業の育成は、安定した雇用を生む。しかし、そんな援助を、僕は見たことがない。開発途上国に形成された主要な産業は、破壊される傾向にある以上、アフガニスタンに大規模な雇用を創出する産業が形成される希望は非常に少ない。
 途上国の役割とは、「生産」や「自立」ではなく、先進国の「市場」となることにある。「市場」となる程度の復興しか許されないのだ。

 ただし、前回述べたように、アフガニスタンには世界の需要の75%を生産している「主産業」がひとつだけある。
 ケシ栽培だ。
 この汁液はアヘンやヘロインの原料となる。
 唯一、タリバーン政権時代、このケシ栽培のほとんどが消滅したと言われている(これには異論もある。タリバーンを評価する一片の事例も許されないのかもしれない)。タリバーン政権の崩壊とともに、ケシ栽培は急速に再開された。

 ケシ栽培とその密輸による利益は、年間23億ドルに達すると推計されている。麻薬ビジネスは、アフガニスタンの国家予算の半分規模に達する。
 アフガニスタンの表の経済が国際援助資金なら、裏の経済は麻薬資金だ。しかし、この表と裏の資金の区別はほとんどつかない。マネーロンダリングの必要などなく、麻薬で得た資金は、そのまま表の経済で流通するからだ。
 数字だけが存在して、実際は外国企業の懐に消えていく援助資金よりも、麻薬資金こそがアフガニスタンの経済を支えているという観測もある。いま麻薬ビジネスを撲滅すれば、アフガニスタンの経済も同時に破壊することになる。カルザイ政権のケシ撲滅キャンペーンは政治的ポーズにすぎない。
 このままの状態が続けば、アフガニスタンの経済や政治は、麻薬組織や軍閥に乗っ取られることにもなりかねない。しかし、そうなったとしても、アメリカの国益には影響しない。

 アフガニスタンで、僕がずっと感じていた違和感とは、脆弱な表の経済と強力な裏の経済が相互に作り出す歪んだ構造によるものなのかもしれない。表の経済によってインフラは整備されていく、裏の経済によって多量の輸入消費財が街にあふれる。しかし、国民には雇用もなければ、消費にまわす蓄財もない。

 いまは、外国の援助によって、多くのものが目に見えて良くなり、改善され、新しくなっている。人々に希望を与えるには十分な変化だ。その希望と期待によって、人々は現在の窮乏生活や治安の悪化に耐えている。しかし、忍耐はいつまでも続くものではない。希望や期待が裏切られたと知ったとき、いったい何が起こるだろうか。