電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

石破天驚

2019-03-31 16:09:20 | 七十年代作品【1973】

こんにちは、醒龍です。

さて今回は、ある大物監督が関与していたかも知れない作品『石破天驚』Awaken Punch(73)です。(以下、『石破』と表記します)映画の公開は確かに73年なのですが、実際は72年に撮影されています。

オープニングは、出演者の顔が順にアップで出てきますが、バックで流れる音楽は72年末にリリースされたニール・ヤングのアルバム「過去への旅路」より選曲された”キング・オブ・キングスのテーマ"が流れます。この曲は他のカンフー映画でも使われていますが(例えば張力主演の『虎鬥虎』Big Risk(74)など)、この映画が最初ではないでしょうか。

ミクロス・ローザの旋律が流れます。

Neil Young - King of Kings (Journey Through the Past)

 

ちなみに、ニール・ヤングが監督した幻の映画「ジャーニー・スルー・ザ・パスト」が今年の初め、なんと45年越しで梅田や渋谷で爆音上映されています。凄いですね。(今後、全国展開されるかも!?)サントラは国内未CD化ですが、記事の最後にアルバムなどの販売サイトを貼っておきますね。

そうそう、以前友人からこの映画の香港製オリジナル・ポスターをプレゼントされたことがありました。私にとっては本当に大切なアイテムですのでとても大事にしています。映画のポスターって不思議な魅力がありますよね。このポスターは、主演のユー・ヤンの顔が大きくあしらわれたポスターです。(あとで画像を貼っておきますね)
全体的なデザインも良くて大変気に入っています。この表情がですね、少しの間、10秒ぐらい見つめるとわかるのですが、普通の顔ではなくちょっと怪訝な顔をしているのです。

ここで、この映画の監督のデータについて触れておきましょう。監督と脚本は同じ人物で、方龍驤という人になっています。が、このお方、龍驤などいくつかのペンネームを持つ作家なのですが、実は盧森葆という別名もあるんですね。そう、あの石井輝男の『神火101 殺しの用心棒』(66)の原作を書いた人なのです。こう書けば、ある程度有名な人物であることが分かるかと思います。そういった経歴の持ち主ですが、映画も監督として確かに数本撮っているようなんですが有名なのは小説家の方で、特にこの映画の監督としては役不足の感が否めません。映画に大きく関わっているとは思いますが、感じるのはとにかく違和感ばかりです。

実は私がこの映画に関わっていたと思っている人物というのは、何を隠そうジョン・ウーなのです。72~73年頃のジョン・ウーの動きというのは詳細が明らかになっていない時期なのですが、監督もいろんなメディアでもこの頃の話はあまりしゃべってはくれない感じですね。これが不自然極まりないと以前から感じていましたが、今回この辺りをいろいろ考察していきたいと思います。

製作会社は『蕩寇灘』(72)や『危うし!タイガー』(72)を作った富國影業です。当時無数に存在していた独立系プロダクションの場合、舞台裏シーンとかオフィシャルな映像などが残っていることは残念ながら殆どないですね。予告編すらないタイトルだって山のようにあるんです。例えば、撮影現場の写真とかあれば見てみたいですよね。 

ちょっと脱線しますが、数年前、『カラテ愚連隊』の出演者とジョン・ウーが並んでカメラに写った驚くべき1枚の写真画像をどこかで見つけたのですが、これがどこから出たものなのか全く不明のままだったのです。

仕方ないのでジョン・ウーが出演したインタビュー映像などの資料をけっこうな時間をかけて探してみたのですが、なかなか出てきませんでした。しかし、どこかのテレビ局でドキュメンタリーというか単発の特集番組かなと思いましたが、この番組の中でこの写真(静止画像)が映し出されたのです。この時は「これか!!」と飛び上がってしまいました。実際は著名なジャーナリスト・楊瀾氏によるトーク番組だったようです。

楊瀾訪談錄

 


30分の全長版はこちら。※開始位置を指定してありますので、すぐ視聴できます。

当時に絞ってもっと詳しく特集して欲しいと思うのですが、新作ならあり得ますが、なかなかそんな事してくれるテレビ局なんてありませんね(苦笑)。まぁいつか見れることを期待してます。

さて、映画の話に戻りますが、当時富國影業と専属契約をしていたユー・ヤンが主人公です。(名前は江大剛)今回初主演になりますが、ならず者たちに苦悩する青年と、ふとした事で知り合った女性との物語です。ほかにボスの役で田豊が出演していますね。

港の見える、やくざ者が蔓延る廃れた町。そこに一人さすらう青年(Henry于洋)がやって来た。彼は用心棒として生計を立てて暮らしている。ある時、暴行されていた女性を助け、部屋を掃除してもらうことに。大剛はその好意に驚いていた。ある日、実家の母親から手紙が届く。それは父(葛香亭)危篤の知らせだった。実家に戻ると、大剛の妹(ナンシー・̪̪シット)と婚約者(ケネス・ツァン)が待っていた。父親は大剛に今後暴力を使って争うことをしない事を約束させ、息を引き取った。土地のボス・ファン(田豊)は、手下の黒扇子(山怪)、白扇子(方野)らを使い、大剛たちの土地の買収に働くように指示を出していた。黒扇子たちは悪事を重ね、町で暴れまくり、荒れ放題。挙句の果てには母親、妹を殺害、そして家を焼かれ全てを失った大剛。その夜、大剛はついに怒りを爆発させてしまう。以前、大剛が助けた娼婦の孫(歐陽珮珊)と協力し、一人ずつ悪人たちを倒していく。そして最終決着の日が来た。ナイフ投げの名人ファンと対決する大剛。復讐を果たすことはできるのか!?

 

 

こちらが、『石破』のオリジナル・ポスターです。このポスターの顔は、この顔になったのはもちろん映画の内容と関係があります。『石破』の意味はあとで考えてみるとして、顔は怒りの表情ですが、それを冷静に物語っていますね。 ユー・ヤンの初主演となった記念すべき作品ですが、将来を予感しているかのような表情も見せていると思います。

ところで、この映画の武術指導者として名前が挙がっているのが、ユアン・ウーピンです。小さな役で出演もしているようです。この時期は方野&山怪のコンビとのコラボが多いです。彼らの出演作ではユアン・ブラザース(袁家班)が大抵アクション担当としての役割を果たしていました。ボスの田豊が見せる空中戦のスタント・ダブルはユン・ワーですね。馮堅名義のフォン・ハックオンはまったく良いトコなしでしたが、黒い扇子の山怪が動きも速く最も奮闘していたのではないでしょうか。

製作当初、『蕩寇灘』に出演していた何守信や『カラテ愚連隊』でユー・ヤンと共演することになる胡錦も出演予定だった模様でした。しかし、ここが面白いところですが、あとからゲストで出演した1人がケネス・ツァンなんですね。この映画で子分役の李超と延々と自転車アクションを見せた彼が出演することになったのも、石井輝男の映画で縁のあった方龍驤が連れてきたのかも知れませんね。

ジョン・ウーがこの映画に関わっていたことを証明する直接的なものは結局見つかってはいませんが、今後のためにいくつかメモを書いておきたいと思います。ネット上で得られる情報では、この件に関してはおそらく何も分からないと思います。

私が最初そうだと思ったのも他の映画からでした。このあと作られる『除霸』がそうです。(邦題「スーパードラゴンダブルK」)こちらも大御所ユエン・ウーピンが武術指導し、キレのあるカンフー・アクション見せていた映画で、出演者、スタッフもかなり近いものがありました。酷似しているラスト・シーンなど、この映画の演出も同じ人物の演出ではないかと思ってしまいます。
 
『除霸』については、ドイツ盤DVDが出てます。スペック等、こちらのリンク先を参照ください。
 
そもそも『除霸』がどうしてジョン・ウー作品なのかという話からスタートしなければなりません。『除霸』には盲目の女性が登場します。これは映画のストーリーに関わる部分、脚本になります。しかし、『除霸』のスタッフの中で編劇(脚本)だけは不明なのです。(これは明らかにヘンですよねぇ?)

『除霸』のポスターには監督名が某朱とデカデカと記載されています。ユー・ヤンの顔が盲目の少女に置き換わっている事を除いて、非常に『石破』のポスターに似ているデザインです。このアイテム、いつか実物を入手したいです。"呉字森"その名前こそ無いのですが、重要なのはここです。ジョン・ウーが参加しているのに、表記がどこにも無いという事実です。『石破』の後の映画でさえこの扱いなのです。確かに嘉禾に入るまではほぼ無名に近い映画人に過ぎなかったので、表には出てこないようなスタッフであったかと思います。

理由を考えてみます。

ジョン・ウーが、富國影業に在籍していたことは以前、『除霸』に出演の俳優さん、ご本人から聞きました。(こちらの記事も参照ください)『除霸』では乗馬のシーンが多いのですが、撮影時の馬のエピソードなんかもまさか聞けるとは思いませんでした。ただ、その富國影業でジョン・ウーが最初に携わった作品がどれであったのかは不明だったのです。

72年の後半、73年までの数か月間(長くて半年)は少なくとも富國に在籍していたようですね。ただ、その公式な記録が無いのです。なぜでしょう?公表できない理由があるのではないかと思ってしまいます。それは、契約です。 

かつて、羅維が邵氏から嘉禾へ移籍する直前、ある新作映画を撮影開始していたにも関わらず邵氏との契約中であったため監督を別の友人名義にするケースがありました。これと同じような事であれば可能な話になります。例えば、72年中までは邵氏との契約が残っていたならば名前を公表できない訳ですね。

冒頭で監督のことを書きましたが、別の観点で考えてみましょう。映画の内容としてもそれらしい部分がある気がします。なぜなら、『石破』はジョン・ウーの作る映画の雰囲気を随所に持っているからです。ジョン・ウーが大きな影響を受けている映画、例えばペキンパーの映画だったり、当時公開されたばかりの『ゴッド・ファーザー』からの影響がこの映画には見られますよね。『カラテ愚連隊』にも通じる部分があるのではないでしょうか。

それから、ジョン・ウーが邵氏に在籍していたことは有名ですね。大監督チャン・チェ(張徹)が邵氏で作っていた映画は、いつしか香港暴力美学電影=陽剛風格電影と言われるようになりました。その張徹の風格を継承したのがジョン・ウー、呉字森です。日本では風格のことを作風、その並びを路線と呼びますね。陽剛路線とでもいいましょうか。その路線の作品群を目の前、現場でいっぱい見てきている経験がありますね。

ここで、72年の動きを追ってみましょう。邵氏でジョン・ウーが張徹のアシスタントをしていたのが『馬永貞』、『水滸傳』、『年輕人』、『四騎士』の4本と、そして『刺馬』(73)があります。おそらくジョン・ウーは、この『刺馬』を最後に邵氏を離れたのでしょう。多少の誤差を考慮して、『刺馬』が72年中にほぼ完成していたと考えれば辻褄の合う話となりますね。南國電影誌No.174によれば『刺馬』は72年の7月下旬に撮影開始されたとのことですので、『刺馬』完了後、富國影業への移籍は自然な流れであると思われます。

つまりジョン・ウーが富國に入社当初、この『石破』こそがまさに進行中のプロジェクトであって、もしかしたら最初の仕事だった可能性もあるのではないでしょうか。そのまま撮影は72年秋ごろに開始され(公開は遅れて73年5月)、72年末までの『除霸』を加え、作られたのはこの2本ということになります。邵氏から離れて独立したジョン・ウーは、もっと自由な映画制作をしたかったのでしょうか。
 
このあとの動きとしては、73年に入ってすぐ、上映禁止となってしまった『満洲人』(73)を経て、1本の映画を共同で制作することになります。その結果がジョン・ウーの友人・呂志豪の会社、呂氏影業公司で作った『過客』すなわち劇場公開版「カラテ愚連隊」ですね。不運にもこの『過客』も上映禁止となってしまいます。注意したいのは、現在見られるDVDは劇場版「カラテ愚連隊」ではなく、再編集された「カンフー・ヤングドラゴン」(75)であることですね。

香港政府より配布される資料では、『石破』の製作会社は富國影業公司、監督、脚本が前述の通り方龍驤で、もう一人の脚本家が康力となっていました。康力とは誰でしょうか。会社のスタッフと思われますが、名前だけなのかも知れません。

『石破』の中文クレジットにも注目してみましょう。副導演には、2人の名前が列記されています。一人は沈淵、もう一人が魯江です。そう、あの『至尊威龍』を監督したり、常に陰の存在で知られる、当ブログでおなじみの彼なのです。それにしてもおかしいではありませんか。魯江は早くから富國の映画に参加し、のちの『狼狽為奸』Wits to Wits(74)でも助監督を務めていましたが、彼らをリードするポストがぽっかり空いていませんか。

魯江も邵氏出身で、 シュー・ツォンホン(徐增宏)の下で長年映画作りを学んだようです。この副導演2人の手によって映画は本当に完成されたのでしょうか(?)。データから予測できるのはこのぐらいです。しかし、もっと大きな話があった気がしてならないです。それが真実だとしたら、まさに驚くべき内容ですね。いえいえ、72~74年頃は香港のオフィシャルな研究員でさえも、公開時期そのものや詳細が分からない映画がいくつもあるのです。

この時期のタイトルは是非中国語の発音を覚えておきたいものです。できれば北京語、広東語の両方がいいですね。日本語なら"せきはてんきょう"です。70年代途中までは北京語が主流でしたので、この映画の中国語版も当然ながら北京語音声ということになります。字を見れば四字熟語のようですが、"狼狽為奸"とか、標語のような題名を付けたがる傾向にあったようです。

この"石破天驚"という言葉の象徴となるシーンがあります。意味としては、すさまじいパワーで、硬い石(板)を打ち破る、天をも驚かすほど巧妙であることの喩え・・のようです。つまりは、電撃パンチを放つ主人公の怒りを表しています。両親、家族、実家。すべてを失った主人公・江大剛。この拳に込めた驚異的なパンチで復讐する主人公。タイトルから想像できる映画の内容・・。それが分からないような映画が多い中で、クリエイターは分かり易さを盛り込んだのです。そんなシナリオを作家はきっと用意したのですね。映画にこのシーンをわざわざ入れて見せた理由はこんなところにあるのではないでしょうか。

しかし、データから得られるものはノータッチを物語っており、本当はその通りであるのかも知れません。しかし、私はそれでも参加していたと信じたいですね。これ以上は、当時の資料をより細かく調べなければならないですが、今後もっと重要な事が出てくるかも知れません。

結局のところ『除霸』については、長年不明だったものが後年になってから前述の通り、ジョン・ウーの関与、その事実が証明されました。しかし、『石破』については・・、残念ながら何もありません。いつか判明する時まで、そしてそれが真実であって欲しい映画。今回は、そのお話でした。See you Next Time!!

 


 

The Awaken Punch(1973)

Yu Yung

Nancy Sit

Au Young Pui Sun

Tien Feng

 


【作品DVD】

It's a great staff ever. Lets Enjoy!

 

Red Wolf / Awaken Punch
クリエーター情報なし
Ground Zero

 


 【サントラ】

こちらは国内盤LPレコードです。ライナーノーツには今野雄二氏の記事が掲載されています。


Journey Through The Past
クリエーター情報なし
Warner

 

こちらはデジタル音源です。

Journey Through The Past (Soundtrack / Digi-Pack)
クリエーター情報なし
STILL SHAKIN RECORDS
 

【関連作品DVD】
『除霸』Fist to Fist(73)ドイツ盤DVD 既存のソフトよりかなりきれいです。
Jen Ko - In seinen Fäusten brennt die Rache - Filmart [Import allemand]
クリエーター情報なし
メーカー情報なし
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