80年代に入ってとある映画が製作されました。香港のショウブラザースと
台湾の中影が共同製作した『辛亥雙十』(81)です(監督は丁善璽)。
実はこの映画は豪華キャストを使ったにもかかわらず台湾で全く受けず興収的にも大失敗に終わっています。
なぜ失敗してしまったのか。
簡単に言ってしまえばこんな話ではないだろうか。
ニクソンショックで世界が揺れた71年頃、諸事情により台湾では反日感情が高まった。政策映画、戦争映画などが量産されるようになり香港でも人気のあった
カンフー映画も大量に作られた。
70年代は台湾でこのような映画、それを真似た作品が長く続いていた事で
観客が飽きてしまったことが、80年代に入ってからの台湾での映画離れを生じさせた1つの要因ではないかと思います。(でもそんな悲運の映画でも、ティ・ロンやチェン・カンタイなどかなり豪華キャストであるのでどんな映画なのか見てみたくなりますよね)
そして『辛亥雙十』の失敗でどん底に落ちてしまった台湾映画界で、新しい監督・脚本家を起用し、財政難となっていた中影が低予算で打ち出したのが『光陰的故事』In our time(82)でした。一般人、子供を多数出演させた台湾ニューシネマの幕開けとなった作品です。
2007年に開かれた第20回東京国際映画祭でもしっかり上映されているのに
シルビア・チャンがこの4話からなるオムニバス作品に出演していた事はあまり
知られていません。(台湾ニューシネマなので大きく言ってしまうと矛盾してしまうということもあったのかも知れないですが)
ちなみにですが、『光陰的故事』のhkfaでの英語名は"IN OUT TIME"と誤表記となっており、ここから流用したHKMDBでも同様の誤りがありました。
構成は下記に書いておきます。実際の中身は2話目が御存知エドワード・ヤンが監督をしています。
1話『小龍頭』(監督:陶徳辰)
2話『指望』(監督:エドワード・ヤン)
3話『跳蛙』(監督:柯一正)
4話『報上名來』(監督:張毅)
全編を通してみると、小学生~大学、社会人と各エピソードで描写時期を分け、
台湾の人々が子供から大人へ成長していく過程での心理を描いていることになります。
1話のあらすじはこんなものでした。
小学生の小毛は恐竜が大好き。書くのは恐竜の絵ばかり。
いつしか小龍頭というあだ名で呼ばれるようになっていた。
内気な性格で友達からも仲良くされず、両親から怒られてばかりであった。ある時好きな女の子が出来たときも小毛は馬鹿にされてしまう。
しかしその女の子とは気が合い、ある夜その子とある物を探しに冒険に出る。
第2話。
エドワードヤンが最初に描いたのは
女子中学生と自転車の少年でした。
ヤン最初の作品に『指望』(=希望)という題名を与え
このエピソードでは1人の女の子の希望が描かれています。
父親のいない家庭の末っ子の中学生の女の子。
姉はわがままな大学生。
母親は子供を育てるため仕事をしながら
忙しい毎日を送っている。
夕飯を3人で食べたあと、中学生の娘には食器を洗うように、姉にはしっかり勉強しなさいときびしく言い仕事へ向かう。
(このきびしい母親を演じるのが『新精武門』でスリの爺さんの妹だった劉明であった。久々に彼女を見たっすよ!)
この女の子は自転車に乗る少年と仲良くしながら生きていくこととは何かを学んでゆく。
第4話。シルビア・チャンが「悪漢探偵」と同じく気の強い女性を演じています。
「山中傳奇」を見てすぐにこの『報上名來』を見たりすると強い違和感を覚えてしまうけれども(笑)、それが女優さんですからね。それにしても80年代のシルビア・チャンは面白い動きをしてます。(香港で「悪漢探偵」シリーズで引っ張りダコになっている一方、台湾ニューシネマなどの映画にも出演して、86年には『最愛』で香港と台湾の最優秀主演女優賞を獲得していますしね。)
全4話の中では4話目が一番面白いでしょうか。
シルビアチャンの夫が全編を通してB.V.Dのパンツ1丁かバスタオル一枚で
登場していて彼はどうしてそんな格好でいるのか。まぁ何も考えなくても笑えてきます。
よく吠えるのが隣の部屋のワンちゃんなのです
82年に台湾の新人監督たちが作り出した『光陰的故事』は、台湾の人々に受け入れられ興収も成功して”台湾ニューシネマ”は新しい台湾映画の潮流になっていきました。