過激な暴力シーンにより香港で上映禁止となったという問題作『満州人』(73年度作品では他に『死對頭』『小霸王』『必殺ドラゴン鉄の爪』などがある。数年後に公開されたケースもある。)を見て以来、キム・ジンパルさんが私の中ではお気に入り俳優になっていました。これはそのジンパルさんが最初に出た作品です。
『大除害』('73香港)は、知る人ぞ知るKAI FA FILM(カイファ・フィルム)の製作。つまりは開發電影の事。
ここで脱線させてもらうと、やはりどこの会社が作ったのかは重要と思うのです。
どこが作ったのか分からない…。なんて本編の展開、進行には無関係なんですけどね。例えば関連作品を流して見たいとか同じ会社だからこっちにも同じ人が出ているかも知れない等々、製作会社や各関連会社のような参考程度で終わってしまう情報も割と重要視しちゃってます。
たまに監督すら分からない映画なんてのもありますが、最近は未発売だった各作品のリリースが影響して、また海外データベースも充実して来ているのであまりそういったものは無くなりつつありますね。私も以前はデータベースサイトの構築に躍起になっていた時期がありましたがそんな傾向もあり現在は活動を休止しています。(またすぐに再開するかも知れませんけど。今度不明作品をピックアップしてみようかな?)
ところで製片公司には非常に似た名前が多く、英字にすると区別出来なかったり、發行と出品の違いなど正確な情報を割り出すのは至難の業。ロゴに関してはSBのオープニングロゴは飽きるほど見てますが(しかもリマスターされて(笑))独立プロのロゴはまるまるカットされることが多くてなかなかお目にかかれない。見つけた時は狂喜します。こういった発掘作業が好きです。
あれ?何だろう。映画なのに発掘なんて…。
そうだ、そうだ。思い出した!
私は小さい頃、畑で土器の破片を見つけては喜んでまた掘っては探す発掘みたいなことをやってましたっけ。本物の発掘作業に参加したことは当然ながらありませんけど考古学が好きな子供でした。なので今私が没頭しているのは“電影考古学”とでもなりますか。
さて話を戻すと、ジンパルさんが香港映画に出るまでの経緯については興味のある部分でありますが、どうも専属俳優になっていたようですね。(一説には八本ぐらいに出演したとか。)
独立といっても開發公司は大きな会社になりつつあったり、関連する会社もあったりして結構複雑であり整理するのは困難です。現在、開發公司の研究も進めているところですが、香港、台湾、そしてアメリカにも会社があったようです。この辺りもう少し調べてみようと思います。
ところでジンパル氏の魅力は何とも表現しづらいのですが、気の優しそうな表情とは裏腹にそこから繰り出される華麗な足技が魅力です。ダブル・フロント・キックまたはフライング・シザース・キックと呼ばれる豪快なキックが売りですが、このキックの写真が当時の新聞に載るぐらいインパクトのあるもので既存の香港作品には無いものでした。(こちらがそのカット)
ただ実際には最初ということで不慣れな感じがして役どころも結構地味目でまだ光る部分は残念ながら見えませんでした。。(とにかくケリが派手でしたけど)それに比べ『満州人』が100%ではありませんが、自信も付いてなかなか貫禄のあるものでこれは良かったです。
監督は羅馬。開発と羅馬といえば『黒名単』(72)があります。開發公司設立は71年になるので創業作品はちょっと分からず?ですが、香港では『黒名単』が最初に公開されていたように思います。
羅馬はあっちこっちで監督業やってて安定してない監督サンでしたけど(『黒名単』以前の監督作品は見てないんでアレですが)キャスティングや出演交渉なんかは巧くて、それで陳星も1作だけですが『蕩寇灘』後に引っ張って来れたんでしょうか。
眠くなってきたので今日はこの辺で。(続きはまたいつか・・・。)
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