電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

戦神灘

2019-06-07 22:20:17 | 七十年代作品【1973】

こんにちは、醒龍です。

先日、近所で流鏑馬が見れるということでその公園に行って見てきました。当日はかなりの暑さで、炎天下の中を精鋭の選手たちが頭にはヘルメット(!)や烏帽子をつけたり個性的な衣装で競技してました。暑さのため実力が発揮出来ず結果を出せなかった選手もいたようです。

コースには2つの的があって、ど真ん中が高得点となっていて、その二本の矢の合計得点で順位が決まるという形式の競技だったのですが、矢が飛ぶ瞬間は迫力あって間近で見れて良かったですね。点を取れる人のフォームはきれいでしたね。タイミングが勝負ですが馬に乗りながら矢を打ってそれを的に当てなければいけないので相当な技術が必要な競技ではないでしょうか。

馬にもそれぞれ名前があって、アナウンスされる名前がかわいらしい名前だったり、それらしい名前だったりと様々でした。競走馬ではなくて人間が戦いに臨むときに駆り出すような馬には魅力がありますね。こんな伝統古来の珍しいものが観戦出来てとっても良い機会でした。また近所で開催されたら見に行ってみようかなと思います。

今回の記事は久々のジミー・ウォング主演作品です。

ジミーさんの映画も現在、ホントに沢山見られるようになったのはうれしいですね。古くは勝新との対決なんかもありましたっけ。私が好きなジミーさんはやっぱりギロチンですね。あと、現代劇のスカイハイ。ジミーさんは何十年も前、既にボンド俳優と共演してたことになるんですよね。

さて今回は、戦神灘(センシンタン)という73年の映画です。国内盤DVDも出てますので観ている方も多いかと思います。今回は手元にVCDがあったのでそれを使います。このVCDがまた残念ながらマニア泣かせのオリジナル焼き付け字幕ではなかったですが、クッキリした中英文の2段字幕でまぁ確かに読みやすい字幕ですが、こればっかりずっと観てました。

ここで、ジミーさんの映画を分類してみると、①邵氏時代、②初期嘉禾作品群(時代劇、現代劇)、③独立製片公司時代(台湾)に分類されます。80年代以降は割愛しますが、60~70年代まで、ざっとこんな感じになります。この戦神灘は②に入ります。②はもちろんイイのですが、やっぱり③が幅広いですし、開拓の余地のあるゾーンですね。そう、気付いている方もいらっしゃると思いますが、当ブログでは実はこの③に重点を置いてます。

それでは、本編です。

今回のテーマは倭寇との戦いということで、海賊ですね。日本の海賊はやはり海から攻めてくるので海岸に焦点が当たります。ここが一応、映画の舞台となります。

灘は中国語では砂浜というような意味になりますから、浜辺で対決するというのが大前提ですね。チェン・シンvsカンタイが最高に良かった『蕩寇灘』 (72)で倭寇である日本人との対決が見られるのも既にありました。

ではジミーさんの倭寇戦はどうだったのでしょうか。

いかにも海賊らしい姿の日本人は登場しませんが、ここでは倭寇=サムライです。なのでいつもの民初ではなくて、明の時代まで遡ります。ジミーさんは杭州知事の甥っ子ですので、捕まって処刑された叔父の復讐劇です。強豪を集めてジミーさんたち七人の戦士とサムライが対決する映画ですね(笑)。ジミーさん含め、七人の戦士たちが主役です。序盤にこれらのメンバーを探すところから物語はスタート。

その顔ぶれはまず、町で鉄をも切り落とすという刀の商売人。腕もなかなか。そして、二つの盾を武器にするという奇想天外な男とか、短い二本の槍使いの男に、顔にキズの入った賞金稼ぎという邪道路線のようです。あと軍師っぽい男とご老人がもう一人。ジミーさんを入れて全部で七人という構成であります。

余談ながら劇中、李鎮の町人で倭寇から逃げる作戦を唱える河本にソックリなヤツが出てきますが、あれは本人だな(笑)。お前はタンロンじゃなくてタンメンか?

 ほらタンメン(笑)

タンメン、タンメンと詰め寄る(嘘)

彼の相手役が何とビックリ董今狐(リチャード・トン)でした。(『真假功夫』(78)の監督さん)

今回レンというナイフ投げの役の御存知田野(ティエンイエー)師匠が登場する場面では、あれれ。片腕ドラゴンの冒頭と同じあのセットがそのまま出てきます。結構撮影の時期は近いのかも知れませんね。 

そうそう、ボスはロン・フェイですよ。いつかジミーさんとの星取表を作ってみたいですけど、今回は倭寇の海島聯軍副頭領だそうです。へぇー、なるほど。

この映画では杭州に攻めてきた倭寇軍に、到底太刀打ち出来ない民衆たちを使ってどうやって倭寇に打ち勝つかが焦点です。なんと、七人の戦士の一人が町人たちを訓練させるんです。兵糧も出てきますし、これはまるで光栄の戦国シミュレーションですね。そして、倭寇軍VS杭州軍のバトルがワァっと延々と30分以上あるような感じのこの長~いシーンが続きます。

途中、敵の鎖鎌の攻撃で宙に舞うジミー王羽。いいトコでスローモーション使っていいですねぇ。

セリフでは日本語こそ殆どしゃべりませんが、倭寇たちのあのカツラでサンマオらも登場して、ロン・フェイはチョンマゲが良く似合ってるんですよね(笑)。このサムライがメッチャクチャ強い。一人のだけごっつい鎧(ブラック)で暴れ回り、ジミーさんも凌駕しちゃうこの辺りが超笑えて楽しい場面です(笑)。

西部劇っぽい感じはあまりなく、馬のシーンも少なめのようです。まして流鏑馬は登場してません(笑)。いやぁさすが世界の黒沢明。七人の侍。用心棒も好きです。私はどちらかというと用心棒派なのですが、テレビでやってた「バンデッツ・フロム・シャントゥーン」とかによく出てきた、場末感が出ている宿場町(のセット)がワクワクします。実際どこだか分かりませんが(台湾?)、またその同じ場所のようでした。

そんなこんなであっという間に終盤戦へ突入。チョンマゲやってるロンフェイの必殺ギラギラ光線に対し、さすがジミーさん。ギラギラ返しで応戦します(笑)。ギラギラと言えば、確か『新座頭市 破れ!唐人剣』でも見せてましたね。

そういえばコレの例の香港版についてですが、いま現在もウィキペディアには日本のバージョンとの相違点がいくつも箇条書きされているのですよね。恐らくこれを観たと思われる人物が記事を編纂したようなのですが、気になる点がありますね。例えば、共同ですが導演として黄銘の名前がクレジットされているのだそうです。確か徐增宏(シュー・ツォンホン)と安田監督の聯合導演のはずなのでこれは明らかにおかしいですよね。詳細についてはなかなか公式にはオープンにならないのでもうずっと闇の中だと思います。  

ギラギラからちょっと脱線してしまいました。二人の大物スターが対決するという先の映画程ではない今回の戦神灘。ジミーさんが単独で暴れ回るのではなくて、チームで巨大な敵に立ち向かうというスケールの大きさによりジミーさん独特の個性的かつ斬新な描写が少なくなってしまったようです。

ラストの夜のシーン。ロンフェイとの最終決着地、戦神灘です。さて、どちらの墓場となるのか(!?)。前述の通り、ロンフェイとは何度も何度も対決しているジミーさん。大抵ジミーさんが勝っちゃう訳なのですが、今回は二刀流対二刀流でした。そして夜の暗闇対決というのが新しかったのかも知れません。

このままでは終わりはしません、ジミーさん。ここも計算尽くであるのか、大がかりなセットでどこかで見たようなセットでしたがここで決着となりました。あーあ。

 

 

それでは、また次回の記事で!!さらばじゃ


【作品DVD】

パッケージ画像がありませんが、オリジナルポスターをあしらったデザインのDVDです。 

セブン・ウォリアーズ 戦神灘 [DVD]
ジミー・ウォング
キングレコード

 

 


【関連DVD】

このテーマ曲がどこからか流れてくると、もう鳥肌モノですネ。

スカイ・ハイ デジタル・リマスター [DVD]
デヴィッド・ハネイ,アンドレ・モーガン,ブライアン・トレンチャード=スミス,レイモンド・チョウ,ジョン・フレイザー
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

 


【関連DVD】

ジミーさんとジャッキーのコラボ(通算2回目です)。日本語音声入り

ジャッキー・チェンのドラゴン特攻隊(日本語版) [DVD]
ジャッキー・チェン,タオ・ダ・ウェイ,ブリジット・リン,ジミー・ウォング,チャン・リン
FILMEDIA

 

 


 

 

 

 

 

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石破天驚

2019-03-31 16:09:20 | 七十年代作品【1973】

こんにちは、醒龍です。

さて今回は、ある大物監督が関与していたかも知れない作品『石破天驚』Awaken Punch(73)です。(以下、『石破』と表記します)映画の公開は確かに73年なのですが、実際は72年に撮影されています。

オープニングは、出演者の顔が順にアップで出てきますが、バックで流れる音楽は72年末にリリースされたニール・ヤングのアルバム「過去への旅路」より選曲された”キング・オブ・キングスのテーマ"が流れます。この曲は他のカンフー映画でも使われていますが(例えば張力主演の『虎鬥虎』Big Risk(74)など)、この映画が最初ではないでしょうか。

ミクロス・ローザの旋律が流れます。

Neil Young - King of Kings (Journey Through the Past)

 

ちなみに、ニール・ヤングが監督した幻の映画「ジャーニー・スルー・ザ・パスト」が今年の初め、なんと45年越しで梅田や渋谷で爆音上映されています。凄いですね。(今後、全国展開されるかも!?)サントラは国内未CD化ですが、記事の最後にアルバムなどの販売サイトを貼っておきますね。

そうそう、以前友人からこの映画の香港製オリジナル・ポスターをプレゼントされたことがありました。私にとっては本当に大切なアイテムですのでとても大事にしています。映画のポスターって不思議な魅力がありますよね。このポスターは、主演のユー・ヤンの顔が大きくあしらわれたポスターです。(あとで画像を貼っておきますね)
全体的なデザインも良くて大変気に入っています。この表情がですね、少しの間、10秒ぐらい見つめるとわかるのですが、普通の顔ではなくちょっと怪訝な顔をしているのです。

ここで、この映画の監督のデータについて触れておきましょう。監督と脚本は同じ人物で、方龍驤という人になっています。が、このお方、龍驤などいくつかのペンネームを持つ作家なのですが、実は盧森葆という別名もあるんですね。そう、あの石井輝男の『神火101 殺しの用心棒』(66)の原作を書いた人なのです。こう書けば、ある程度有名な人物であることが分かるかと思います。そういった経歴の持ち主ですが、映画も監督として確かに数本撮っているようなんですが有名なのは小説家の方で、特にこの映画の監督としては役不足の感が否めません。映画に大きく関わっているとは思いますが、感じるのはとにかく違和感ばかりです。

実は私がこの映画に関わっていたと思っている人物というのは、何を隠そうジョン・ウーなのです。72~73年頃のジョン・ウーの動きというのは詳細が明らかになっていない時期なのですが、監督もいろんなメディアでもこの頃の話はあまりしゃべってはくれない感じですね。これが不自然極まりないと以前から感じていましたが、今回この辺りをいろいろ考察していきたいと思います。

製作会社は『蕩寇灘』(72)や『危うし!タイガー』(72)を作った富國影業です。当時無数に存在していた独立系プロダクションの場合、舞台裏シーンとかオフィシャルな映像などが残っていることは残念ながら殆どないですね。予告編すらないタイトルだって山のようにあるんです。例えば、撮影現場の写真とかあれば見てみたいですよね。 

ちょっと脱線しますが、数年前、『カラテ愚連隊』の出演者とジョン・ウーが並んでカメラに写った驚くべき1枚の写真画像をどこかで見つけたのですが、これがどこから出たものなのか全く不明のままだったのです。

仕方ないのでジョン・ウーが出演したインタビュー映像などの資料をけっこうな時間をかけて探してみたのですが、なかなか出てきませんでした。しかし、どこかのテレビ局でドキュメンタリーというか単発の特集番組かなと思いましたが、この番組の中でこの写真(静止画像)が映し出されたのです。この時は「これか!!」と飛び上がってしまいました。実際は著名なジャーナリスト・楊瀾氏によるトーク番組だったようです。

楊瀾訪談錄

 


30分の全長版はこちら。※開始位置を指定してありますので、すぐ視聴できます。

当時に絞ってもっと詳しく特集して欲しいと思うのですが、新作ならあり得ますが、なかなかそんな事してくれるテレビ局なんてありませんね(苦笑)。まぁいつか見れることを期待してます。

さて、映画の話に戻りますが、当時富國影業と専属契約をしていたユー・ヤンが主人公です。(名前は江大剛)今回初主演になりますが、ならず者たちに苦悩する青年と、ふとした事で知り合った女性との物語です。ほかにボスの役で田豊が出演していますね。

港の見える、やくざ者が蔓延る廃れた町。そこに一人さすらう青年(Henry于洋)がやって来た。彼は用心棒として生計を立てて暮らしている。ある時、暴行されていた女性を助け、部屋を掃除してもらうことに。大剛はその好意に驚いていた。ある日、実家の母親から手紙が届く。それは父(葛香亭)危篤の知らせだった。実家に戻ると、大剛の妹(ナンシー・̪̪シット)と婚約者(ケネス・ツァン)が待っていた。父親は大剛に今後暴力を使って争うことをしない事を約束させ、息を引き取った。土地のボス・ファン(田豊)は、手下の黒扇子(山怪)、白扇子(方野)らを使い、大剛たちの土地の買収に働くように指示を出していた。黒扇子たちは悪事を重ね、町で暴れまくり、荒れ放題。挙句の果てには母親、妹を殺害、そして家を焼かれ全てを失った大剛。その夜、大剛はついに怒りを爆発させてしまう。以前、大剛が助けた娼婦の孫(歐陽珮珊)と協力し、一人ずつ悪人たちを倒していく。そして最終決着の日が来た。ナイフ投げの名人ファンと対決する大剛。復讐を果たすことはできるのか!?

 

 

こちらが、『石破』のオリジナル・ポスターです。このポスターの顔は、この顔になったのはもちろん映画の内容と関係があります。『石破』の意味はあとで考えてみるとして、顔は怒りの表情ですが、それを冷静に物語っていますね。 ユー・ヤンの初主演となった記念すべき作品ですが、将来を予感しているかのような表情も見せていると思います。

ところで、この映画の武術指導者として名前が挙がっているのが、ユアン・ウーピンです。小さな役で出演もしているようです。この時期は方野&山怪のコンビとのコラボが多いです。彼らの出演作ではユアン・ブラザース(袁家班)が大抵アクション担当としての役割を果たしていました。ボスの田豊が見せる空中戦のスタント・ダブルはユン・ワーですね。馮堅名義のフォン・ハックオンはまったく良いトコなしでしたが、黒い扇子の山怪が動きも速く最も奮闘していたのではないでしょうか。

製作当初、『蕩寇灘』に出演していた何守信や『カラテ愚連隊』でユー・ヤンと共演することになる胡錦も出演予定だった模様でした。しかし、ここが面白いところですが、あとからゲストで出演した1人がケネス・ツァンなんですね。この映画で子分役の李超と延々と自転車アクションを見せた彼が出演することになったのも、石井輝男の映画で縁のあった方龍驤が連れてきたのかも知れませんね。

ジョン・ウーがこの映画に関わっていたことを証明する直接的なものは結局見つかってはいませんが、今後のためにいくつかメモを書いておきたいと思います。ネット上で得られる情報では、この件に関してはおそらく何も分からないと思います。

私が最初そうだと思ったのも他の映画からでした。このあと作られる『除霸』がそうです。(邦題「スーパードラゴンダブルK」)こちらも大御所ユエン・ウーピンが武術指導し、キレのあるカンフー・アクション見せていた映画で、出演者、スタッフもかなり近いものがありました。酷似しているラスト・シーンなど、この映画の演出も同じ人物の演出ではないかと思ってしまいます。
 
『除霸』については、ドイツ盤DVDが出てます。スペック等、こちらのリンク先を参照ください。
 
そもそも『除霸』がどうしてジョン・ウー作品なのかという話からスタートしなければなりません。『除霸』には盲目の女性が登場します。これは映画のストーリーに関わる部分、脚本になります。しかし、『除霸』のスタッフの中で編劇(脚本)だけは不明なのです。(これは明らかにヘンですよねぇ?)

『除霸』のポスターには監督名が某朱とデカデカと記載されています。ユー・ヤンの顔が盲目の少女に置き換わっている事を除いて、非常に『石破』のポスターに似ているデザインです。このアイテム、いつか実物を入手したいです。"呉字森"その名前こそ無いのですが、重要なのはここです。ジョン・ウーが参加しているのに、表記がどこにも無いという事実です。『石破』の後の映画でさえこの扱いなのです。確かに嘉禾に入るまではほぼ無名に近い映画人に過ぎなかったので、表には出てこないようなスタッフであったかと思います。

理由を考えてみます。

ジョン・ウーが、富國影業に在籍していたことは以前、『除霸』に出演の俳優さん、ご本人から聞きました。(こちらの記事も参照ください)『除霸』では乗馬のシーンが多いのですが、撮影時の馬のエピソードなんかもまさか聞けるとは思いませんでした。ただ、その富國影業でジョン・ウーが最初に携わった作品がどれであったのかは不明だったのです。

72年の後半、73年までの数か月間(長くて半年)は少なくとも富國に在籍していたようですね。ただ、その公式な記録が無いのです。なぜでしょう?公表できない理由があるのではないかと思ってしまいます。それは、契約です。 

かつて、羅維が邵氏から嘉禾へ移籍する直前、ある新作映画を撮影開始していたにも関わらず邵氏との契約中であったため監督を別の友人名義にするケースがありました。これと同じような事であれば可能な話になります。例えば、72年中までは邵氏との契約が残っていたならば名前を公表できない訳ですね。

冒頭で監督のことを書きましたが、別の観点で考えてみましょう。映画の内容としてもそれらしい部分がある気がします。なぜなら、『石破』はジョン・ウーの作る映画の雰囲気を随所に持っているからです。ジョン・ウーが大きな影響を受けている映画、例えばペキンパーの映画だったり、当時公開されたばかりの『ゴッド・ファーザー』からの影響がこの映画には見られますよね。『カラテ愚連隊』にも通じる部分があるのではないでしょうか。

それから、ジョン・ウーが邵氏に在籍していたことは有名ですね。大監督チャン・チェ(張徹)が邵氏で作っていた映画は、いつしか香港暴力美学電影=陽剛風格電影と言われるようになりました。その張徹の風格を継承したのがジョン・ウー、呉字森です。日本では風格のことを作風、その並びを路線と呼びますね。陽剛路線とでもいいましょうか。その路線の作品群を目の前、現場でいっぱい見てきている経験がありますね。

ここで、72年の動きを追ってみましょう。邵氏でジョン・ウーが張徹のアシスタントをしていたのが『馬永貞』、『水滸傳』、『年輕人』、『四騎士』の4本と、そして『刺馬』(73)があります。おそらくジョン・ウーは、この『刺馬』を最後に邵氏を離れたのでしょう。多少の誤差を考慮して、『刺馬』が72年中にほぼ完成していたと考えれば辻褄の合う話となりますね。南國電影誌No.174によれば『刺馬』は72年の7月下旬に撮影開始されたとのことですので、『刺馬』完了後、富國影業への移籍は自然な流れであると思われます。

つまりジョン・ウーが富國に入社当初、この『石破』こそがまさに進行中のプロジェクトであって、もしかしたら最初の仕事だった可能性もあるのではないでしょうか。そのまま撮影は72年秋ごろに開始され(公開は遅れて73年5月)、72年末までの『除霸』を加え、作られたのはこの2本ということになります。邵氏から離れて独立したジョン・ウーは、もっと自由な映画制作をしたかったのでしょうか。
 
このあとの動きとしては、73年に入ってすぐ、上映禁止となってしまった『満洲人』(73)を経て、1本の映画を共同で制作することになります。その結果がジョン・ウーの友人・呂志豪の会社、呂氏影業公司で作った『過客』すなわち劇場公開版「カラテ愚連隊」ですね。不運にもこの『過客』も上映禁止となってしまいます。注意したいのは、現在見られるDVDは劇場版「カラテ愚連隊」ではなく、再編集された「カンフー・ヤングドラゴン」(75)であることですね。

香港政府より配布される資料では、『石破』の製作会社は富國影業公司、監督、脚本が前述の通り方龍驤で、もう一人の脚本家が康力となっていました。康力とは誰でしょうか。会社のスタッフと思われますが、名前だけなのかも知れません。

『石破』の中文クレジットにも注目してみましょう。副導演には、2人の名前が列記されています。一人は沈淵、もう一人が魯江です。そう、あの『至尊威龍』を監督したり、常に陰の存在で知られる、当ブログでおなじみの彼なのです。それにしてもおかしいではありませんか。魯江は早くから富國の映画に参加し、のちの『狼狽為奸』Wits to Wits(74)でも助監督を務めていましたが、彼らをリードするポストがぽっかり空いていませんか。

魯江も邵氏出身で、 シュー・ツォンホン(徐增宏)の下で長年映画作りを学んだようです。この副導演2人の手によって映画は本当に完成されたのでしょうか(?)。データから予測できるのはこのぐらいです。しかし、もっと大きな話があった気がしてならないです。それが真実だとしたら、まさに驚くべき内容ですね。いえいえ、72~74年頃は香港のオフィシャルな研究員でさえも、公開時期そのものや詳細が分からない映画がいくつもあるのです。

この時期のタイトルは是非中国語の発音を覚えておきたいものです。できれば北京語、広東語の両方がいいですね。日本語なら"せきはてんきょう"です。70年代途中までは北京語が主流でしたので、この映画の中国語版も当然ながら北京語音声ということになります。字を見れば四字熟語のようですが、"狼狽為奸"とか、標語のような題名を付けたがる傾向にあったようです。

この"石破天驚"という言葉の象徴となるシーンがあります。意味としては、すさまじいパワーで、硬い石(板)を打ち破る、天をも驚かすほど巧妙であることの喩え・・のようです。つまりは、電撃パンチを放つ主人公の怒りを表しています。両親、家族、実家。すべてを失った主人公・江大剛。この拳に込めた驚異的なパンチで復讐する主人公。タイトルから想像できる映画の内容・・。それが分からないような映画が多い中で、クリエイターは分かり易さを盛り込んだのです。そんなシナリオを作家はきっと用意したのですね。映画にこのシーンをわざわざ入れて見せた理由はこんなところにあるのではないでしょうか。

しかし、データから得られるものはノータッチを物語っており、本当はその通りであるのかも知れません。しかし、私はそれでも参加していたと信じたいですね。これ以上は、当時の資料をより細かく調べなければならないですが、今後もっと重要な事が出てくるかも知れません。

結局のところ『除霸』については、長年不明だったものが後年になってから前述の通り、ジョン・ウーの関与、その事実が証明されました。しかし、『石破』については・・、残念ながら何もありません。いつか判明する時まで、そしてそれが真実であって欲しい映画。今回は、そのお話でした。See you Next Time!!

 


 

The Awaken Punch(1973)

Yu Yung

Nancy Sit

Au Young Pui Sun

Tien Feng

 


【作品DVD】

It's a great staff ever. Lets Enjoy!

 

Red Wolf / Awaken Punch
クリエーター情報なし
Ground Zero

 


 【サントラ】

こちらは国内盤LPレコードです。ライナーノーツには今野雄二氏の記事が掲載されています。


Journey Through The Past
クリエーター情報なし
Warner

 

こちらはデジタル音源です。

Journey Through The Past (Soundtrack / Digi-Pack)
クリエーター情報なし
STILL SHAKIN RECORDS
 

【関連作品DVD】
『除霸』Fist to Fist(73)ドイツ盤DVD 既存のソフトよりかなりきれいです。
Jen Ko - In seinen Fäusten brennt die Rache - Filmart [Import allemand]
クリエーター情報なし
メーカー情報なし
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王天林追悼3『山東老大』

2010-12-03 17:06:49 | 七十年代作品【1973】
「ドラゴン荒野の猛殺」(74)などを製作した香港新華影業による『山東老大』(73)。この映画は入手が困難であり未見ではありますが、王天林監督作品で且つ、私の以前からの課題(後述)に関連が深いと思いますので今回取りあげて記事を書きました。



この映画も王天林が73年に台湾でメガホンを取った作品です。そうなんです。秦祥林が主演した映画であり、そして同時に胡錦さんも共演している映画なのです。

これでひらめいた方は素晴らしい!(笑。古くからのジャッキーファンならおそらく御存知の例のあの映画ですよ(笑)。

もしかしたら王天林監督の意外なジャッキーとの接点、関係があったのかも知れないというお話になるのですよね。ジャッキーが出演していたらですが確率は50%ではなくてもっと高いはずです。

そう、映画のタイトルは『死党』。実はここ数年の調査の結果、この『山東老大』こそ『死党』ではないかと私が最近思っている映画なのでありました。
『山東老大』は香港では未公開のようで、台湾でも公開された情報が見つからない状態であったのですが、秦祥林と共演した映画の正確なタイトルは埋もれてしまい誰にも判らなくなってしまった可能性もあります。

まだ決定的な証拠は見つかっていませんが、70年代前半にジャッキーと秦祥林がいくつもの映画で共演している訳ではないため、要は秦主演映画にジャッキーが出演していればそれが則ち『死党』になるのだと思っていました。
普通に考えれば死党というタイトルが見つからないのなら、製作当初の原名がそうだったのでは?と考えるでしょう。
しかし、その様な情報はどこにも無かったですし、そんな映画が存在した事実もありません。 そもそも”死党”という意味は仲間とかだったはず。

そこで私は、秦祥林の出演(というか主演)した映画を消去法でその可能性を追っていく手段を取りました。秦祥林は人気がありましたのでちょうど73年頃の作品にしぼってよいと思いました。秦はジャッキーにアクションを期待している訳でまさかジャッキーが文芸作品に呼ばれることはないと思っていますので(笑)、そのジャンルは無論対象外にしました。

途中、海外からのブツが郵便事故で手元に届かないトラブルに陥ったり(苦笑)、なかなか有用な情報も得られずここ何年もの間ヤキモキしたりしてました。私が検討した結果、最終的に絞られたのが次の3本です。

『大密探』
『追殺』
そして
『山東老大』の3本です。

まず『大密探』ですが、現代アクションの時装片でこれには出演していないようでした。


つぎの『追殺』は バイクアクション。残念ながらこれも違いました。
しぶい南宮勳
ビリヤード中のチャールズ・チン

そして最後に残ったのが『山東老大』でした。これは最もそれらしい功夫片で今回、『山東老大』の映像の断片からそれらしいキャプチャーを撮ってみました。上記の海報画像には陳元龍の名は無かったのでお手伝いとしてスタント兼武術指導ぐらいの関わり方だったかもしれない。人気俳優といってもおそらくはジャッキーをプロデューサーに紹介する程度の権限しかなかったと思うのです。


残念ながら画像が不鮮明であるためハッキリと言えませんが、いつか私の手元に『山東老大』の全編映像が届くことがあればきっと結果が判明することでしょう。 (フーチンさんも格闘アクションシーンがあるようで是非見てみたいものですね~)
そしてジャッキーの友人だった秦祥林やフーチンさんが王天林監督の映画に出演し、ジャッキーもその映画に出演していたのならこんな素晴らしいことはありません。またそうであることを私は祈っています。終

ジャッキーとフーチンさん

コメント (4)
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兩虎惡闘

2009-11-17 22:33:23 | 七十年代作品【1973】
七十年代總覽看倉田のコーナーその4です。ファースト・フィルム社の『死對頭』に次ぐ金剛・倉田主演映画第2弾。今回はTシャツ姿の倉田さんだ!これは若くないとちょっとできませんよね~。(最初で最後かな?ホントにラフな格好の倉田さんであります。)

そういえば倉田さんのフィルモってどの映画も大きく扱われているからか割合作られた事が明確になっている方であり、抜けというものが殆どない。(本人が知らないところで勝手に作られたものを除いて)これはご本人も100本単位の本数に出演とかではないので殆どは記憶に残っているのでしょう。

不明瞭である為、よく名前が挙がる作品は『除暴』や『上海猛虎』、『猛男』といった辺りだろうか。これらも機会があれば取り上げてみたい作品である。

もしかしたらあと1本ぐらいはあるのかも知れないなと思ったので、パラパラと台湾の資料をめくってみると、美鴻公司の『一對一』という作品があった。
ここには倉田さんの名前がはっきり書いてある。他の出演者には林鳳嬌と董力だけ記されていた。(監督は林福地)現状はこれだけだ。実際にその映像を見た訳ではないので詳細は不明だが74年に公開されていることやがいるところから類推すると、これは董力が出演した林福地作品のシーンを編集、挿入した別映画なのかも知れない。

編集して別映画になったもので有名なのは南海影業の『旋風方世玉』という作品。
これは「復讐のドラゴン」から流用されている。(「ドラゴン少林拳」では倉田さんのシーンはカットされている)
確かにクレジットには入っているが・・。

また、激突ドラゴン武術に載っていた『鳳舞雲天』は香港長江電影公司の『一鳳東飛九萬里』(81年。但し、台湾題)という孟飛主演の作品である可能性が高そうだ。
これにはご本人のお言葉の通り、倉田さんは出演していないと思われる。
そのシナリオ本がコレ。古龍原作の陸小鳳の話のようだ。これがどうして紛れ込んでしまったのか謎である。


こういったつなぎ合わせた映画ではなく純粋な一本の映画ということで言えば上記の理由から現在挙がっているものがほぼ全てであり、残るは他国の別題の別verがあるか先の紛い物のどちらかになるだろう。

そして本作。
香港でお蔵入りになってしまった前作で剣龍監督は表現方法を考えさせられたのでは?と思う。折角苦労して撮ったのに公開されないなんて映画を作った側からすればかなりのダメージだ。



金剛&倉田の刑事コンビが送るバイク、カーアクションも全開!の痛快アクション映画となっている。

いつものように習字の練習、練習っと。今回は横に長い半紙を使用してみました。


さてストーリーのはこんなところ。

電気工事夫に変装した金剛は電灯を修理するフリして高いところから凶器を投げ、ボス(馬驥)邸宅のプールにいた手下を抹殺。
オフィスビルにクレーン車で侵入。逃げ込んだ敵をやっつけ、クレーンで脱出・・。と思ったら車を相棒(倉田保昭)に乗っ取られ、クレーンにしがみ付いたまま道路を爆走する。敵も後を付けて来た。クレーン車を止め、すぐに乱闘がはじまって追っ手を蹴散らした。
上司は自動車整備士のおじさん(魯平。奇峰名義。この人ってなんかこの時期も好きですねぇー)に扮し、ヤクザ(山茅。コワーイ顔。本物っぽい(笑))から狙われる。そこに相棒が駆けつけ悪党一味をやっつける・・・。



倉田さんはあっという間に敵を倒しながら金剛ともバトルをひたすら繰り返すのです。

若い衆の一人には、龍方も・・。(李健民。この時期には多数端役で出演!金剛さんの足技の餌食になっていましたが。)



高飛も若いなぁ~。


今回は大細眼(宋莱名義)にボコボコにされてしまった倉田さん。毎度こんな役ではありませんがいろんな役を演じられていた事が見る側にとり嬉しく思いました。
(そういえば金剛って倉田さんと共演する前は何をしてたんでしょうね?)
尚、龍飛(ロン・フェイ)はオリジナル・ポスターに金剛、倉田と並んで名前が記載されていたが本編には出演していなかった。クレジットにも名前が無かったから予定変更されたのかも。また次も楽しませていただきます。終


次回は、テレビ放映された郭南宏監督の「怒れドラゴン」を取り上げます。



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黒帯仇

2009-11-12 23:56:42 | 七十年代作品【1973】

今回は73年の協利電影公司作品『黒帯仇』についての感想などを書いてみたいと思います。

 バックが黒帯になってます

いまファンの間で一番旬な話題となるとやはり協利作品になりますか。しかし私の場合、今までは一本を最初から最後まで通して見たことはありませんでした(苦笑。
ちら見したのは後期のものばかりでしたが、最近書いた記事の自然な流れで行くとどうしても72、3年頃の作品がターゲットになる。興味を持てるのはこの時期だとほかに『賊殺賊』や73年製作の噂のあった『冲天炮』(陳鴻烈の初監督作で実際に73年に製作)ぐらいであろうか。今回はそんなこんなで一応のところ、協利作品を取り上げてみました。

オープニングはいかにもヨーロピアンな音楽でテンポのよい低音の旋律が耳に残るフランス映画「華麗なる大泥棒」(71)のテーマ曲に乗って始まり、これは十分過ぎる程のインパクトがあった。空手のデモンストレーションの樣に進行し、組手や板割り、ヌンチャクの演舞などで構成されている。

ちなみに曲の方は香港映画では頻繁に流用されていたモリコーネの作曲によるもので(演奏は「シバの女王」で有名なレイモン・ルフェーヴル)仕事が終わった後のリラックスしたい時などには持ってこいのイージーリスニング的なもの。私はこの曲がとても気に入っていて何度も聴いていました。なかなかいい曲ですので是非聴いてみてください。(youtubeで‘Le Casse intro’と検索すれば仏語Verのオープニングが出てくると思います)現在もこの映画のサントラ人気はかなりのものでオークションサイトではLPレコードが約4万円で落札されるなんてこともあったりしてます。

この映画は民初功夫片ではなく時装片でありますが、このオープニングの方野がとても格好良くみえるのだ。表情も本編ではジジくさいのだが冴えた表情をしている。このオープニングを見て方野を見直してしまった位だ。風貌から時装片が丁度よく似合う俳優ではないのかな思う。キザな役が本当にお似合いで『黒人物』なんてどんなのだろうかと期待してしまう。

オープニングがとても良かったので本編も期待させられるのだが。

黒帯の腕前を持つ曽威(方野)は空手の大会に出場し入賞を果たす。
仲間の瘤子(山怪)と小呉(解元)は曽威から食事に誘われるが、足の悪い瘤子は曽威を待たせていた。テーブルについて瘤子が新聞の記事を見せようと夕刊を広げると驚くべきニュースが曽威の目に飛び込んだ。それは海外で開催された東南アジア選手権で曽威の親友・楊倉盛が袁鷹(白鷹)に敗れ負傷したとの記事だった。なぜ彼を支持しているのか不思議に思う二人に曽威は1年前に起きた話を打ち明ける。

1年前、曽威は女の恨みを買い暗闇で数人から殴る蹴るの暴行を受けていたが、近くに居合わせた楊倉盛(張力)に運良く助けられた。彼は格闘家でシンガポールから香港に移住して来ていたのだった。楊に助けられた曽威はそれ以来親交を深め親友となっていた。

対戦相手の袁鷹は元警官で曽威たちとは過去に因縁があった。楊が負ける理由は考えられない。試合で袁鷹が不正をしたに違いないと瘤子が吹き込むと曽威は頷き、袁鷹打倒を決意する。曽威は胴着を着て黒帯を締め袁鷹の家に向かった。

家に乗り込むとまだ袁鷹は帰国しておらず留守だった。家には就寝中の母親と袁鷹の妹、袁小紅(歐陽佩珊)が家にいたが、袁鷹不在で娘の様子から彼女が盲目と分かると曽威は小紅に暴行し、騒ぎに目を覚ました母親は黒帯で絞殺されてしまった。

翌日帰国した袁鷹が自宅へ戻ってみると母親は既に亡く、妹がただ一人待っていた。母親の遺影の前で崩れる袁鷹であった。警察に捜査を依頼するが、被害者は盲目故に捜査は困難を極め簡単には犯人を捕まえられない。袁鷹は自分で探すと言い放つと警部の陳志遠(高遠)に問題を起こすなと警告された。

袁鷹は友人の刑事(秦沛)に相談し情報を聞き出す。手がかりは犯人が現場に残したコートで、住所らしき文字の一部が書かれた紙の断片がポケットに入っていたのだった。これを頼りに袁鷹は捜索を開始、車を走らせ必死の捜索で住所らしき場所を発見する。その近くにはとある住居があった。実は若い女性を匿っている別荘で曽威がマネージャー(李香琴、孫嵐)に任せている隠れ家だった。袁鷹が門番(元奎)を破って家の中に入ると、監禁された女性の中に一際気の強い賀珍珍(馬海倫)も混じっていた。彼女は連行される女性を目撃、後を追う際に一緒に捕まっていたのだった。そこへ陳警部らが到着。監禁者は無事解放された。

一方、コートを置き忘れたり、別荘が警察に発見され曽威の身の危険を心配する瘤子達だったが、曽威は袁鷹の母親殺害も娘の小紅が盲目だったから捕まるはずなどないと言う。

ある日、賀珍珍が有名な鍼灸師の父祥平(馮毅)を連れて袁鷹の家にやってきた。救出のお礼のためであった。妹の小紅が盲目と知って驚く珍珍だったが、小紅の純真無垢な人柄から安心して打ち解けるのだった。珍珍と小紅の二人はレストランへ食事に出かけた。丁度その頃楊倉盛が香港へ帰国し、曽威が食事に招待するところだった。

小紅たちがレストランで食事をしていると、後から入ってきた客の声が衝立を隔てた隣から聞こえてくる。小紅はその中の一人の声に過敏に反応した。忘れもしない犯人の声。それは紛れもなく曽威の声だった。声を聞いただけで曽威を察知したのだ。珍珍に事情を話し、兄に連絡を取る小紅。袁鷹が現場へ急行すると近くに不審な人物瘤子を発見、追跡する。瘤子は必死に逃げ回り道路で事故に遭い死亡した。

事態を知った曽威は袁鷹を倉庫へ連れ出し呉と対決させるが、袁鷹が留守の間に小紅は誘拐されてしまう。曽威は誘拐した小紅を楊に合わせることに。しかし楊は本人から事情を聴き、小紅を家へ帰すからと曽威とケンカになるが家に帰すことを許した。楊は肩の治療のため賀祥平鍼灸院へ向かう。治療が終わると珍珍が現れ小紅はどこにいるのか問い詰めるが、曽威の部下(陳嶺威)が突如拳銃で襲って来た。楊は咄嗟に鍼を投げ、部下の後を追って倒すと、車で曽威の居場所へ向かった。既に呉を倒した袁鷹も曽威を追って来ていた。袁鷹と曽威に楊倉盛が加わり三つ巴の争いになるが、さて結末は・・?


ストーリーはやや暗く退屈させられるが(「華麗なる大泥棒」のプロットをそのままいただいちゃった方が良かったりして・・。)当時の珍しいコラボ作品としてなかなか楽しめたと思う。明星から悲劇のヒロインを演じた歐陽佩珊に馬海倫と高遠、張力をはじめ富國、開發公司のメンバーたち、そして黒いサングラスの似合う白鷹だ。(元奎、元華なんかも混じっています)
この映画のポイントはハンディーキャップ。盲目の女性や足の不自由な男、鍼治療が必要な格闘家にあると思う。それをどうやって映画に組み込んでいるかだ。例えば母親殺しの犯人が方野の犯行であることを声で察知したのは盲目である分、彼女の聴覚能力は人一倍高かったという訳であり、足を引きずる山怪は白鷹にやられた後遺症だったという訳だ。この辺りは監督張森の力量で上手く表現出来ている。
途中、車に乗ったハゲのおじさん(何柏光)が登場してアップになる場面では一人爆笑してしまった。やっぱり香港映画はこうでなくっちゃね(笑)。
もう一つ。ラストシーンが面白いというか最後の最後、シメの部分が何とも言えない場面で終わるのだ。(これは実際に見るとちょっと笑えるかも)

そして出演者の一人、解元のフィルモグラフィーを見ていたら不思議なことに気付かされた。それは73年の殆どが開發公司の作品ばかりなのだがなぜかこの『黒帯仇』一つだけが協利なのだ。
『黒帯仇』出演者は殆ど富國にいた人間ばかりでかなり不自然に見えてしまう。とても協利とは思えないメンバーであった。異質なのは張森監督と主演の白鷹であり白鷹は一人浮いた形にさえ見える。これについて資料を調べていたら協利という会社は当初、自社の作品を製作する傍ら他会社の映画も代理で製作していたらしいことが分かった。なので当時は富國や明星など独立プロの代理で製作を受け持ったと思われます。(これなら上記の疑問も納得できます)

また、この映画の殺陣師は袁和平で時装片だがこれも彼が殺陣をつけていた。
倉庫での白鷹VS解元や張力VS陳嶺威などの対決シーンがなかなか良い。
この頃各社で殺陣師グループが存在していたが、これをグループで分類していけば当時の状況が整理できようというもの。これはとても一人では手に負えないレベルではあるが、うまく整理できれば面白い資料が出来上がるかも・・。

結局のところタイトルが表している通り、黒帯の使い手が仇(=方野)のシンプルなストーリーなのである。大変分かりやすいのであるが、映画の持つタイトルの意味について・・となるとやはり淀川長治先生のこの2つのお言葉を思い出します。

”タイトルを楽しもう。”・・・映画はタイトルから始まる。
”映画の原名をさぐること。”・・・原名がその映画の狙いを示している。

単純明快。今回は黒帯が仇という映画でした。

次回はまたまた倉田さんの作品を書いてみたいと思います。終

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盡殺絶

2009-10-14 00:08:14 | 七十年代作品【1973】
遅い遅い夏休みを取って会社を休んだのは良かったのですが連休終盤で風邪をひいて体調を崩してしまいました。雨の日に一日中外にいたのが良くなかったと思います。みなさんも体調にはお気をつけくださいませ。

さて、今回は七十年代總覽、看倉田のコーナーその三、73年の『盡殺絶』(カンジンサツゼツと呼んでます。ケータイだと1文字目が出ません。あしからず)を取り上げてみます。

倉田さんが陳星、上官霊鳳と共演した作品になりますが上官霊鳳とはこのブログであまり出てこなかったお名前。彼女との共演はこれが最初で倉田さん自身、共演を楽しみにしていたとか。

オープニングはネガ反転した絵をバックにしたありがちなもの。
コメディー作品ならアニメーションにもなるが、功夫片武侠片ではあまり動かない静止画が多用される。



普通に本編が始まってその映像にクレジットが入るものとか、大抵はその時ストップモーションになるがたまに停まらず見にくいヤツがあったりする。
なので現代劇など実写よりは絵をバックにしたものや変わったデザインのものが好きですね。書体はもちろん赤字で。

例えば壮大な音楽とともにはじまる「風、雨、雙流星」なんてかなり好きなオープニングでしたね。(まぁこれはオープニングが強烈過ぎましたかねぇ)
だから本編とマッチするのかどうか重要になってくるケースもあるかも知れないがこの映画の場合は結構地味である。全体に悪い影響を与えそうな地味さである。

片頭を本編にくっ付けて映画は完成となる。この部分を作る作業を片頭設計といい、これを仕事にする人もいた。台湾作品や邵氏旧作なんかを注意深く見ていると稀に記載されていることがある。いろんな映画からこれだけを集めたら立派な片頭集が出来上がりそうなものである。この映画の場合は個人だが専門の会社に委託して出来上がっているものなんかもあるようだ。

絵を見ているとちょっと映画はやっぱり芸術的なものだなと感じ、まるで学校の美術の授業のときのような気にさえなっていた。

今ならPCがあれば簡単に絵を描いたり、毛筆で書道まで出来てしまう。
私は絵がニガテで成績も悪かったが自画像を描かされたとき、周りはみんな上手に描いていたのに私のは最悪だった。絵より字体の方が上手いのか下手なのか分からないようなところがあるので(かと言って字がうまい訳でもないが(爆))字をさらっと書いてみようかな。それでひとつ書いてみたのがコレです。



過客。つまり旅人。広くは放浪人とか流れ者の意味もあるかな(?)。江湖放浪人でもOKか。単に旅人だとちょっと物足りない感じ。今風にはバガボンドでも通じるのだろうか。

何でもいいのですが、映画のタイトルを習字で書いてみる。うーん、きっと誰もやらないね。。。

さてさて(笑)、こんな感じで書道の練習をすると頭の中がクリアーされスッキリした気分になる。(おまけに失敗して何枚書いても紙クズは出ない)
”漢字”が好きでたまらない事も再認識させられる。題字は人気俳優が描いて話題になることもあるけど自分で書くのもいいもんですね。

そして本題へ。

この映画は南京が舞台ではなかろうか。タイトルからそんな気にさせられるのだが、邵氏から抜けたベテラン岳楓監督と作家のコンビで作った映画では倉田さんはどんな様子だったんでしょう。(岳楓はジミーさんの「英雄本色」にも関与していた模様だが…。)

その前に、何と台湾では『盡殺絶』というタイトルは使用出来なかったので全く意味不明の『強人』に変更されていたことが台湾の書籍などを調べていて分かった。(公開は香港より2ヶ月程遅い。)また視聴したのは残念ながらタイトルカットが無い物で北京語オンリー字幕なしという敷居の高いものだったのです。。


革命軍の楊傑(陳星)は軍閥が10万枚の金貨を護送することを知りその列車に飛び乗って奪おうとする。軍人に見つかって数人を倒した後、ある客室に入るとそこは目に小さな刀を刺された軍人の死体が隠された部屋だった。しかし不思議な事に金貨は見つからず楊傑は列車から飛び降りた。その後楊傑は仲間(高雄。林森名義)と再会する。

盗賊の施天風(馬驥)とその娘・丹鳳(上官霊鳳)は牛車を引いてある物を運んでいた。途中、軍の検問があったが弟子の張六(岑潜波)を病気に見せかけて牛車に寝かせ何とか通過した。日が暮れて寝る場所を見つけた一行はそこに木箱を隠した。彼等が運んでいたのは金貨が詰まった木箱だった。

翌日、張六は1枚だけこっそり金貨を盗んでポケットに入れるがポケットの底に穴が・・。町で将校(山茅)に見つかって叩きのめされるが楊傑が現れて助けられる。張六を助けた楊傑は張六に小刀を見せ問い詰めた。

盗賊から足を洗おうと天風らは金貨を普通に使える貨幣に両替する為、町の両替商と会う。
ここの主人・鄭勇(倉田保昭)は何と破門された男だったのだ。偶然の出来事だったが鄭勇は天風を怒らせ乱闘に。不運にも天風は殺されてしまい、丹鳳は一人逃げ延びる・・。

丹鳳は軍閥のスパイ(劉大偉。顔を見ると分かるがこれは劉大川の別名義だと思う。)と合流。金貨を差し出し楊傑に革命の資金に使って欲しいと言う。軍人に扮装した楊傑らは再度鄭勇の居場所へ向かい復讐を果たす。(このシーンで陳星に猛烈な蹴りをするのは画像では分かりづらいがB・リャンではないかと思う。)



一方、楊傑は捕まってしまい拷問に掛けられる。その後、丹鳳は金貨を渡す代わりに楊傑釈放を迫るが、裏切る人物がいた・・。



倉田さんは両替商役で金持ちの様相で登場。凄腕の両替商!ウォー、カッコイイ!!!


もちろんVS陳星もあります。陳星が帽子をブン投げ、クッソーと怒り爆発、本気で向かって来るところとかグッっと来てしまいます。いつもの様に倉田さんの蹴りにはシビれました。ここが勿論見せ場です。(陳星VS倉田では最初に『餓虎狂龍』があるが、これはいつ見れるのかなぁ。)


上官霊鳳とのアクション場面は楽しみにしていた割には残念なことに気合いが感じられなくなってしまいますが、気のせいかな。どこにその要因が隠されていたのかなと考えてみると上官という女優を前にした結果だったからに他ならない気がする。(倉田さん、そんなに怖い存在だったんですか?)

彼女についてこんな話がありました。この映画でのクレジットの記名順序が陳星より下だった事に腹を立て、もう陳星とは共演しないと癇癪を起こしたというエピソードがありました。(実際『黒豹』では燕南希と交代したそうです)やっぱり彼女は気が強かったんですね。(おー怖い怖い)
確かに陳星は当時ファーストフィルムと2年契約してましたがその後共演はなかった模様でした。これでは多少やりづらかった面もあったのではないかと思いました。

「もう何するのよ~」ってカンジ。


また、この映画では”入城”という言葉が使われています。入城ってあまり使わないのですが、何のことでしょうね?テーマが重苦しいのですが、第一影業の作品として純粋に楽しむことを重点に置いていますのでこれ以上の解説は省いておきます。

ちなみに陳星が演じた楊傑は実在の人物(日本に留学したこともあるらしい。)で、ブラックリスト(=黒名単)に載ったことがあるとかないとか・・・。終
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大除害

2009-10-05 23:54:04 | 七十年代作品【1973】


過激な暴力シーンにより香港で上映禁止となったという問題作『満州人』(73年度作品では他に『死對頭』『小霸王』『必殺ドラゴン鉄の爪』などがある。数年後に公開されたケースもある。)を見て以来、キム・ジンパルさんが私の中ではお気に入り俳優になっていました。これはそのジンパルさんが最初に出た作品です。

『大除害』('73香港)は、知る人ぞ知るKAI FA FILM(カイファ・フィルム)の製作。つまりは開發電影の事。

ここで脱線させてもらうと、やはりどこの会社が作ったのかは重要と思うのです。
どこが作ったのか分からない…。なんて本編の展開、進行には無関係なんですけどね。例えば関連作品を流して見たいとか同じ会社だからこっちにも同じ人が出ているかも知れない等々、製作会社や各関連会社のような参考程度で終わってしまう情報も割と重要視しちゃってます。
たまに監督すら分からない映画なんてのもありますが、最近は未発売だった各作品のリリースが影響して、また海外データベースも充実して来ているのであまりそういったものは無くなりつつありますね。私も以前はデータベースサイトの構築に躍起になっていた時期がありましたがそんな傾向もあり現在は活動を休止しています。(またすぐに再開するかも知れませんけど。今度不明作品をピックアップしてみようかな?)
ところで製片公司には非常に似た名前が多く、英字にすると区別出来なかったり、發行と出品の違いなど正確な情報を割り出すのは至難の業。ロゴに関してはSBのオープニングロゴは飽きるほど見てますが(しかもリマスターされて(笑))独立プロのロゴはまるまるカットされることが多くてなかなかお目にかかれない。見つけた時は狂喜します。こういった発掘作業が好きです。



あれ?何だろう。映画なのに発掘なんて…。

そうだ、そうだ。思い出した!
私は小さい頃、畑で土器の破片を見つけては喜んでまた掘っては探す発掘みたいなことをやってましたっけ。本物の発掘作業に参加したことは当然ながらありませんけど考古学が好きな子供でした。なので今私が没頭しているのは“電影考古学”とでもなりますか。

さて話を戻すと、ジンパルさんが香港映画に出るまでの経緯については興味のある部分でありますが、どうも専属俳優になっていたようですね。(一説には八本ぐらいに出演したとか。)
独立といっても開發公司は大きな会社になりつつあったり、関連する会社もあったりして結構複雑であり整理するのは困難です。現在、開發公司の研究も進めているところですが、香港、台湾、そしてアメリカにも会社があったようです。この辺りもう少し調べてみようと思います。

ところでジンパル氏の魅力は何とも表現しづらいのですが、気の優しそうな表情とは裏腹にそこから繰り出される華麗な足技が魅力です。ダブル・フロント・キックまたはフライング・シザース・キックと呼ばれる豪快なキックが売りですが、このキックの写真が当時の新聞に載るぐらいインパクトのあるもので既存の香港作品には無いものでした。(こちらがそのカット)



ただ実際には最初ということで不慣れな感じがして役どころも結構地味目でまだ光る部分は残念ながら見えませんでした。。(とにかくケリが派手でしたけど)それに比べ『満州人』が100%ではありませんが、自信も付いてなかなか貫禄のあるものでこれは良かったです。

監督は羅馬。開発と羅馬といえば『黒名単』(72)があります。開發公司設立は71年になるので創業作品はちょっと分からず?ですが、香港では『黒名単』が最初に公開されていたように思います。
羅馬はあっちこっちで監督業やってて安定してない監督サンでしたけど(『黒名単』以前の監督作品は見てないんでアレですが)キャスティングや出演交渉なんかは巧くて、それで陳星も1作だけですが『蕩寇灘』後に引っ張って来れたんでしょうか。

眠くなってきたので今日はこの辺で。(続きはまたいつか・・・。)


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死對頭

2009-08-31 23:11:14 | 七十年代作品【1973】
看倉田PART2です。ということで『死對頭』(One By One)だぁ~。



子供の頃からずっと動かないモノクロ写真を眺めていたので実際に動く映像が見れようになるととっても嬉しくなりますね。魂を吹き込まれたように憧れのスターたちが動き出すのは感動の一言です。

共演はカムコン(金剛)です。(マズい。いや、ヤバい。完全に森川公也の声で洗脳されている(笑)。)

そういえば、過去に倉田さんがカムコンの事を語ったりしてるインタビューとか聞いたことないなぁ。(ご存知の方はお知らせください)


監督は、早撮りの剣龍!!!(なぜかバンザイ!)


「帰って来たドラゴン」と同じテーマ曲が流れます。(ブルース・リャンも武術指導助理で参加!おお、スゲー。)





「手錠のままの脱獄」なんて知らないけどきっと撮影も大変だったんだろうねぇー。



ジーンズ姿のカッコいい倉田先生。




こんなところにリーカーデン。



私たち脱いだらすごいんです。




そうそう。これだ、これだ!見覚えがあるぞ。倉田さんが指さしてるヤツ。(別アングルだけど・・)





The End




<おまけ>これはカム・・・、ブライキングボス。(違うって)

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黒豹

2009-08-30 22:13:33 | 七十年代作品【1973】
倉田保昭さんの出演作品をアップする七十年代總覽”看倉田”のシリーズ。

今回はファーストフィルムの『黒豹』(Black Panther)です。
空港で麻薬所持で逮捕されてしまった范漢平(陳星)は、釈放の前日に刑務所から脱出。警察とクラブを経営するボスの朱名威(倉田)両方に追われる身となり・・という展開。

脚本が倪匡ということで筋はしっかりしていて無駄な部分があまり無いように感じられた。意外に良くできているという感想です。

キャストはおなじみ龍飛と山茅、他に陳星の恋人・金秀剣役の燕南希やベテラン馬驥(胡警部役)などが顔を揃えてます。

アクションでは陳星VS大男の建築現場での乱闘などもスピード感あって楽しいですが、やっぱりラストの白の倉田VS黒の陳星の対決はいいですね。走ってます!

尚、刑務所から逃げる陳星に殴られる警官役には龍方が扮しているようでした。
あと黒人の鄭富雄というのがちょっと笑えましたね。

又、オープニングはドイツのがワイド画面ですが残念ながらタイトルカットは独語に置き換えられてしまっている・・・。

ところで倉田氏の関連本って現在までにいくつか出てますが、中でも“激突!ドラゴン武術”は充実した内容で実にすばらしい本でした。巻末のオリジナルポスター集もよかったと思います。
上の本にあるフィルモグラフィーによれば73年は出演本数が多く『黒豹』は73年の8番目に載っている作品。そこには陳星とのコンビ作品でハードなカラテアクションが評判をよび、侯錚監督は若手アクション監督の鬼才と書いてありました。同監督作品はいくつかあるようなんですがどれも凄そうですね。










コメント (9)
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