今回は郭南宏が監督した「広東好漢」(73)を取り上げてみます。
日本ではその昔「怒れドラゴン」というタイトルが付けられていたがブームの真っ只中とはいえたまたまというかきっかけとか何か明確な理由がある訳ではないような形でオンエアされた。それがそのまま忘れ去られた状態になっていたように思う。
ところで郭南宏は好きな監督の一人であるが、何と言っても私の好きな郭南宏作品はコレです。
カラフルなので載せちゃいましょうかね(笑。
経歴等は公式HP”郭南宏的電影世界”(台湾のサイト。最新インタビューでは「少林寺十八銅人」の映像を交えながら元気な姿を見せています。)を御覧頂くとして同監督は傑出した多くの作品を世に示した。
私が興味を持っていることは郭南宏をはじめ台湾の映画監督が作品の中に潜ませている伝統的な精神についてである。
それを知ることは日本人にとっても心の中のどこかにきっとあるなつかしい故郷に近づけるような気がするのだ。日本人が香港や台湾映画を愛するのはそのためなのではないだろうか。
郭南宏作品を好む日本人ファンも私を含め相当多い。その郭南宏(お名前の通り台湾の人です)が「少林寺十八銅人」以前に撮った作品に「広東好漢」がありました(郭氏影業作品)。
きれいに整理された某リストより
旧作はなかなか見る事は出来ないのだが、その中でも武侠片なんてかなり興味のある部分である。(例えばまだその詳細が明らかになっていない『剣女幽魂』など。)私はこれらの鑑賞が出来る日を楽しみにしています。
さて、「怒れドラゴン」はどんな映画だったのでしょうか。主人公が道を歩く場面からスタート。(音楽から醸し出す雰囲気は例えば「少林寺木人拳」を思い浮かべて下さい。そんなイメージです。)
主人公・陸浩然(聞江龍)は旅の途中、敵に襲われた。陸は襲われる理由が全く分からない。敵を倒すと、また次の敵(蘇真平)が襲って来た。何とか打ち倒すが強敵ばかりで負傷して体力も限界に近い。誰の仕業なのか?敵の死に際、口を割らせると萬大哥と呼ばれる男が送り込んで来たらしい。一体、萬とは何者なのか?
身体をボロボロにしながら歩く陸。意識が遠のくが直前に起きた惨事が脳裏に浮かんできた。
外出していた陸が家に帰ってみると妹(揚珊珊)がさらわれ母親が何者かに殺されており、近隣の者たちが陸の家に集まっていた。弟の阿忠(若き日の何宗道)は未明に襲ってきた黒マスクの集団から一人では家族を守りきることは出来なかった…。
母親の死を思い出すと陸は意識を失って道に倒れた。すると、村の子供・小明が倒れている陸を見つける。父親に頼んで陸を助けることに。小明の父・曹海(魯平。奇峰名義)は陸を助け、しばらく面倒をみることにした。曹海の家には妻の雲娘と娘の秀琴(谷音)、そして小明がいた。
その頃、村に趙(劉立祖)と名乗る男が現れ、土地を売れと無理な注文を村人に押しつけていた。逆らうものなら酷い仕打ちをする有様だった。
曹海の家で療養して歩けるまでに回復した陸浩然は小明に川で魚を取ったり、木に綯っている蜜柑を取り小明を喜ばせるのだった。
萬という人物は陸の妹を誘拐した張本人、萬大哥こと萬金虎(苗天)の事だった。萬は牢屋で妹を拷問に掛けていた。
体の傷も完治して陸が旅立とうとした日、再び趙が現れた。村長(胡秋萍)家に行き土地を奪うのではない、萬が大金を払っていると言う。村長は断固として譲らない。言葉では解決しないと暴力を振るう趙。様子をうかがっていた曹海は黙っていられず大勢の敵の前に出て大暴れし趙たちは退散する。陸は見守るだけだった。
趙は腕の立つ男(黄飛龍)を連れ、曹海の家に大勢でやって来た。曹海は留守だったがすぐに駆けつける。話し合いなどでは到底解決するはずなどない。ケンカとなり男は腕を振り上げ曹海を殴り続けた。しかし、その腕を横からつかむ男がいた。陸だ。趙達の横暴に陸の怒りがついに爆発したのだ。
「お前は誰だ。」
「お前がマン・カムフーか?」
「俺は山東のヤウ・チーファイだ。」陸は名を名乗らずに男を叩きのめした。
萬は大金を積んで関東大侠と恐れられた強敵チョウを呼ぶ作戦を立てる。
一方、黒マスクの集団に小明もさらわれてしまっていた。小明の誘拐に村人たちは一致団結して萬に立ち向かう姿勢を見せるが曹海は村人を宥め、陸は一人小明救出に向かった。萬は陸の探していた人物だった。
陸が敵を薙倒し牢屋まで辿り着くとチョウが現れた。チョウの必殺ワザ鉄沙掌と陸の鷹爪功の力と力がぶつかり合う。
激闘の末、陸は強敵チョウを倒し牢屋に囚われていた小明と妹を救出。ここに英雄・陸浩然すなわち”広東好漢”が誕生した。村人達は勝利を称え行進するのだった。
うーん、自然体ですね。功夫片というか、ごく普通の毎日畑仕事しているような親父が、土地買収を企む悪者を退治しようと大活躍するというお話で、大勢を相手にケガはするしそこに魯平に助けられたなかなか怒らないドラゴン(苦笑)が満を持して登場!ってな展開であった。身をボロボロにして泥だらけになって闘う主人公。主人公が強すぎないのも良かったかも知れない。
こんな単純なストーリーだが郭南宏は何かを付け加えるべくなかば強引に奇想天外なアイデアつまり郭南宏テイストを盛り込むのだからたまらない。そして後半の展開はガラリと変わるのだ。少々の不満は弱すぎる苗天だが突然現れる強敵易原の存在がその独特なテイストだ。どこかで見たような石の壁に囲まれた廊下、部屋がラストの舞台となるがここで易原と聞江龍が対決。(このセットがのちの映画のヒントに繋がったとしたら面白いですね。)易原は言うまでもなく郭南宏の映画には無くてはならない存在である。絶招なる(つまり奥の手)人物を登場させて観客を圧倒させたという事だ。
74年初頭完成した本作品が日本に輸入され劇場公開まではされなかったものの同年秋にはテレビでオンエアされた。この時期に郭南宏の旧作が放送されたのは驚異である。オンエアについては当時の映画雑誌にも掲載されていたが(74年のキネ旬など)内容については不明だったのでどんな映画なのだろうかと気になっていました。
下から巨大な存在をアピール
主演の聞江龍は子供に人気のあるスターだったと思う。そう言えばこの映画では魯平の事を“小明の父”と頻りに呼んでいた。要は子供の視点で描かれていたりする訳である。郭南宏作品の中でこの映画が当時のテレビ映画劇場で最も適していたということか。聞江龍は劇中で小明を喜ばせたように当時「怒れドラゴン」を見たお茶の間の子供たちを喜ばせたことでしょう。終
次回は陳星VS倉田保昭『餓虎狂龍』を予定しています。