先日観た「ザ・フォーリナー復讐者」について。
※【注意喚起】内容を知りたくないという方は記事を閲覧しないでください。
それではスタート。
本記事は以下、章構成になっています。
先にここ数年のジャッキー主演の劇場公開映画を振り返ってみたいと思う。(声の出演を除く)
2015年 2月 「ドラゴンブレイド」
2017年 6月 「レイルロード・タイガー」
2017年 9月 「スキップ・トレース」
2017年12月 「カンフー・ヨガ」
2018年11月 「ポリス・ストーリー REBORN」
そして・・・。2019年5月(令和元年)、「ザ・フォーリナー 復讐者」が公開。日本における新時代が始まった。
(1)はじめに
今回の映画は、ジャッキー・チェンと007シリーズのピアース・ブロスナンが対決するという初めての試みである。この対決は、言ってみれば、キング・オブ・カンフーVSキング・オブ・スパイ(諜報員)という事になるだろうか。こんな夢のようなタッグは出来るならもっとやって欲しいのだが。
歴代007俳優の中で、ジャッキーに最も年齢が近いブロスナンが今回好敵手を演じたわけだが、劇中、悪徳政治家ブロスナンを追い詰め、爆弾を身に纏ったジャッキーが、ボンド俳優ブロスナンの頭に銃を突きつける姿を誰が想像できたであろうか。この異種混合、広義のバーリトゥード的対決が勿論目玉であるのだが、この突拍子もない映画はそもそもどのようなジャンルになるのだろうか。
これには原作があり、イギリス人作家Stephen Leather(日本名:スティーヴン・レザー)による92年の犯罪小説”The Chinaman”(新潮社刊「チャイナマン」)がそれである。2015年、映画化が決定。翌2016年、早々に撮影開始された。ジャンルとしては、アクション・スリラー映画に分類される。
スパイ映画のファンであれば、007シリーズ全作を制覇するぐらいのことは何てことはないだろう。監督が「ゴールデン・アイ」、「カジノ・ロワイヤル」のマーティン・キャンベルと来れば期待してしまうはずだ。ちなみにファンでない私は全24作中まだ半分も見ていない。そういえば、これは余談だがブロスナンは「トゥモロー・ネバー・ダイ」(97)でミシェール・ヨーとも共演している。すっかり忘れていたが、彼女はこの映画でボンド・ガールだったのだ。
(2)レザー氏の小説と映画化の可能性について
レザー氏は雑誌、新聞社などのマスコミ経験を活かし、執筆活動を開始したヒットメーカー。今回の「チャイナマン」はレザー氏の4番目の小説に当たる。
レザー氏の原作小説は、細かい綿密なまでのディテールな描写が至極印象に残る小説である。但し、映画と比較して遥かに残酷な内容であり、結末もまったく異なっている。すべてを映画化するのは不可能だろう。映画ではそういった部分は改良し、著名人によるアレンジされた脚本がベースとなっている。これは権利を取得してノベライズという形式で出してもらいたいところ。
ただ、ブロスナンとの共演はこれが最初で最後と思われるが、レザー氏は香港を舞台にした小説をいくつも書いており、他の小説も将来映画化される可能性も否定はできない。
(3)ハードボイルドとは?
レザー氏の小説は邦訳がまだ少なく、どの様な小説家であるかはまだあまり知られていない。
実際の映画は、ハード・ボイルドタッチである。とは言っても、トレンチコートを着たハンフリー・ボガードが出て来る訳ではないが・・。
主人公には熱き心、精神があって、それを貫く堅い意思があれば私個人の定義にも当てはまり、これがハードボイルドとなる。これに冷酷という言葉が加わればなお都合がよい。
主人公のクワンはどうか?
テロに巻き込まれた自分の娘の復讐に燃える男だ。また、犯人が誰であるか最後まで諦めずに貫き通す堅い意思があった。スパイのような目を持ち、そして爆弾をいとも簡単に作り出す巧みなワザをやってのける冷酷な人物だ。やはりこれは、ハードボイルドだと自分なりに解釈している。
(4)蘇える金狼の主人公とクワン
昔観た映画に大藪春彦原作、松田優作主演『蘇る金狼』(79)があった(以下、金狼)。御存知の通り、大藪先生は昭和33年にハードボイルド小説"野獣死すべし"でデビューした日本のベストセラー作家だ。
私は優作のドラマ、探偵物語のファンであったのだが、映画の金狼を観た時は平気で殺人を犯し、欲望剥き出しの野性的な姿に愕然とした記憶がある。この主人公朝倉は、昼は平凡なサラリーマンであるが、夜は会社組織に牙を剥く狼へと変貌する。
原作から変わった部分も多々あるが、既に村川監督作品には何本も出演経験のあった当時29歳の優作が、ノリに乗っている時期の彼らしさが全面に出た映画に仕上がった。あれはもしかしたら一部は好きなようにアドリブで演じさせたのではなかったか。終盤の異様とも言える展開からラストのスカンジナビア航空で旅立とうとする機内でのシーンまでがオリジナルの部分になる。この解釈は様々な解釈が存在する。後述するがここがポイントだ。解釈の困難な場面こそ議論の余地があり、映画の神秘性を継続させ後世まで語り継がれるような映画にも成り得るのだ。
この松田優作が演じた一匹狼・朝倉と、『英倫対決』(以下、英倫)の主人公クワン(關玉明)、どちらも天才的頭脳を持つ主人公だが、今回この2人を照らし合わせてみたい。
朝倉は前述の通り明確な2つの顔を持ち、巨大企業の乗っ取りという野望に向かって猛進していく。対するクワンは、ロンドンで飲食店を経営していたごく普通の人間であったが、復讐を果たすため、裏の顔、知られざる過去を持ったスーパー工作員へと変貌を遂げる。
クワンは、あのツイ・ハークと同じベトナム系中国人という設定で、ベトナム戦争を経験した米の工作員だったのだ。復讐の鬼へ変貌以降、スパイ的行動を開始するのも朝倉とまったく同じだ。(但し途中で元の顔には戻らない)
朝倉はボクシングで鍛えた強靱な肉体と、相手を叩き潰すほどの拳を持つ無敵の男に成長していた。真面目な社員のフリをする傍らスパイ活動を開始、会社の幹部にその素性をバラして内部へ潜入する作戦に出るのだ。
一方、クワンも年老いてはいるが、特殊部隊で培った豊富な知識と技術、強靭な肉体を持つ人物だった。もちろん武術も達人レベルだ。この変貌はあくまでテロリストへ復讐するためだ。
この全く素性の異なる2人だが、私はいくつもの類似性を感じずにはいられなかった。どちらも一匹狼であるが、例えば1つ目の点として、目的達成ため自分の体を鍛えることを忘れない点が挙げられる。また2つ目はスパイ的な行動が得意である事。そして3つ目の特徴として、自分に不利益となる人物も必要でない場合は必ず生かしておくのだ。これがこの2人の主人公の共通点だ。
金狼においては公安警察に当たる組織が登場しなかったように思う。主人公は全く法の裁きを受けることなく結末へ突き進む。英倫では北アイルランドの政治家は正体が判明すると成敗されていた。クワンもまた裁きを受けることになるはずなのだが・・。
そして、最後にこの2人を待っているのは生か死か。顛末はどうなったのか?
結果はそれぞれの映画の通りである。映画というのはどういった結論であったか、見る側の個々の解釈に任されている。どちらの映画も原作はない結末を迎えることになるのだが、ここがポイントと前に書いた通り、映画にしかない場面がどのような意味があったのかを考えさせる余地があるのだ。
尚、お断りしておくが、これは英倫が金狼の影響を受けていて一部が酷似しているという意味ではない。ここで言いたかったのは、どちらもハードボイルドとして楽しませてもらったという意味だ。一応お断りしておく。
(5)題名の意味、テーマについて
ところで、中文題の『英倫対決』とは、どういった意味であろうか。映画の舞台はロンドンや北アイルランド郊外となっている。珍しくイギリス・ロケを敢行し、アクション映画ということで、市街地での派手な爆破シーンも取り入れられている。本編にはロンドンの象徴とも言えるあの赤い2階建てバスも登場しているが、このロンドンとは漢字では"倫敦"と書くため、ロンドンを舞台に2人の人物が対峙するという単純な意味と思われる。
宗教問題、或いは北アイルランド問題など現在も騒動が絶えない政治的なテーマを絡めた今回の映画であるが、ブロスナンは偶然にもアイルランド出身俳優であり、役柄を地でいっている。そういった面では実にリアリティがあり、原作者であるレザー氏のメッセージを訴える作品となってはいないだろうか。つまりイギリスからの独立を主人公や登場人物に語らせている、代弁であると。
ちなみにこの映画は英国においては劇場では公開されていない(2019年5月現在)。この理由は不明だが、現地ではリアル過ぎるのかも知れない。ただ半年もすれば、我々日本人には理解し難いこれらの事情のあるテーマもさっと忘れ去ってしまうことだろう。
(6)新しい演技派ジャッキーの登場する映画について
過去、ジャッキーの新境地を開いたと言われ、一部の国で上映禁止となったイー・トンシン監督の『新宿インシデント』(09)。確かにシナリオは良かったと思うのだが、実際に完成された映画は正直甘い部分が見えてきてしまい、私の好みではなかった。
一方、「ザ・フォーリナー」こそ、ガチの大人映画、そのタッチは前述の通り大藪先生のハードボイルドそのものだ。こんな映画をシレっと作ってみせてしまう制作側、もちろん007シリーズを手掛けたマーティン・キャンベルのノリ、作風である。当然ながらアジア映画とはかけ離れたものであることはすぐに分かるだろう。ジャッキーも絶賛するキャンベル監督とのコラボは、今後のジャッキー作品にも多大な影響を与えることだろう。
(c)Cable News Network.
(7)ジャッキーの演技力と原作の設定
この映画でのジャッキーの演技は大きく変わったとする向きもあるが、脚本・シナリオ通りに忠実に映画作りに挑んだ結果ではないかと思う。これは結果的に監督、共演者を信頼し、途中で破綻することなく最後まで演じ切った職人的なジャッキー渾身の作品となっていたと言えよう。
ところで、原作ではクワン姓ではなくニューエン・ニョクミンとなっている。これは、姓・苗字はユアンまたはユエンであったものが変化したものと思われる。それにしてもベトナムでの経歴を持つ東洋人のロンドン移住という話を思いついたものである。作者は香港在住経験でもあったのだろうか。
今回の撮影でジャッキーはイギリス英語のセリフには相当に苦労したようだ。インタビューでこの事ばかりを話していることからも分かる。方言のような発音の難しいセリフが多かっためかと思われる。北アイルランドなんて縁がないから、発音の違いもよく分からないが、今回こういった国際的映画では避けられない言語の問題も露呈している。
移住後、平静な生活をしていた人間が事件に巻き込まれ、警察に代わり、まるで刑事が事件を追っていくかのような行動をし、映画では復讐を果たした後、さっと元の居場所に戻ることになってゆく。
(8)類似しているスパイ映画
英米中合作映画だが、劇場でのセリフは英語なので、アジア映画ではなく洋画で自然に通ってしまう。劇場版がこの英語のプリントを使用した選択が本当に正しかったのか。この選択は、あとあとなってシワ寄せが来ることに・・。
海外で他のスパイ映画に復讐を加味した旨のレビュー記事を見かけるが、確かに「ザ・フォーリナー」に酷似している洋画も「アメリカン・アサシン」や「アトミック・ブロンド」などのような対テロリストを描いた映画だったり、スパイ映画も同時期にいくつも存在しているが、いずれも後発だったのではないだろうか。ジャッキーが形式上、純なイギリス主体の映画に主演することは珍しい。エンドロールにNGシーンが無いのも頷ける。こういったケースも今後もっと増えてくるかも知れない。
(9)ブロスナンの感触
まるでジョブズのような風貌で現れたブロスナンがかなりシブかったが、これはあえてヒゲ面にしてボンド俳優であることをひた隠しにしたとも取れる。また、アクションも完全に封印されている。対決といっても相手は政治家でジャッキーの対応は、相手に物理的な攻撃もせず実に冷戦期的だ。完全な頭脳戦。今後もあるのだろうか。
ブロスナンが以前ミシェール・ヨーとも共演していることは前に述べた通りだが、そんな会話が撮影中2人の間であったかどうかは分からない。ブロスナンはケネス・ツァンとも共演したことがある(*)。そういった意味では香港俳優と共演する機会が不思議と多く回ってくるボンド俳優、注目すべき俳優ではないだろうか。
そのブロスナンのインタビューでは、素顔に戻ったブロスナンがジャッキー好きを公言しており、ジャッキーとの共演についてもコメントしていた。ジャッキーの数々の映画を観ていた1人のファンだったのである。そんな意外な話もあったりしてスパイ映画のプロ、ブロスナンとの相性はかなり良かったのだ。奇跡的とも言えるが、うまくキャスティングできたものである。シナリオが絶好の形を取っていたおかげもあり、西洋、東洋の相対する人間の対決を実に自然な形の映画を表現、結果として非常に内容の良い物に仕上がったのは言うまでもないだろう。
(10)レザー氏の小説と映画化の可能性について
レザー氏は雑誌、新聞社などのマスコミ経験を活かし、執筆活動を開始したヒットメーカー。今回の「チャイナマン」は4番目に出版した小説に当たる。
レザー氏の原作小説は、細かい綿密なまでのディテールな描写が至極印象に残る小説である。但し、映画と比較して遥かに残酷な内容であり、結末もまったく異なっている。すべてを映画化するのは不可能だろう。映画ではそういった部分はすべて改良し、著名人によるアレンジされた脚本がベースとなっている。これは権利を取得してノベライズという形式で出してもらいたいところ。
ただ、ブロスナンとの共演はこれが最初で最後と思われるが、レザー氏は香港を舞台にした小説をいくつも書いており、他の小説も将来映画化される可能性も否定はできないが。
(11)今回の役に関する解釈
ところで、今回ジャッキーが演じたクワンは悪党か?
これについて個人的な意見になるが、元軍事のプロフェッショナルとして、危険な爆薬を扱って爆弾を仕掛け続け、犯人捜しに執念を燃やす人物だが、原作にはなかったモリソンを助けたりする部分があり、無駄な争いをしない。女子供や動物にしても犠牲にしない。そして最終的な対処を見ても、悪党という事はない性格の持ち主だったのではないだろうか。
クワンは殺人を犯しただろうか?答えは勿論ノーとは言えないかも知れない。
何度警察に頼み込んでも却下され続けたクワンはついに決心し、自らテロリストへの復讐を果たした。
そしてラスト・シーン。犯人捜しで店を出た以降、一度も戻ることのなかったクワン。店に戻ったクワンをロンドン警視庁の指揮官は、借りがあるからそのまま監視を続けるよう指令を出す。
これは襲撃現場から逃亡し、射殺されても仕方がないという面と、正義のため命を顧みず危険を冒しての一連の復讐劇が事件解決の協力者になりうるかという2つの選択だった。生きるか死ぬか、どちらの審判が下るか最後の最後のまで分からない。結局はテロ集団の壊滅に協力したことが功を奏して、指揮官が射殺を指示することはなかったのだった。
私はラストの部分をこう解釈している。この部分がインターナショナル版ではカットされ、銃で狙われる部分も無くなってしまったので評価も変わってくる可能性もあるだろう。
(12)ジャッキーの今回のアクションについて
今回ジャッキーがアクションするは姿は、既存の常勝ジャッキーではない。
ほぼ互角か、勝利とは言え、僅差なのである。この微妙なバランスのアクションを構築したのは流石ジャッキーである。
実際の映画は少なくとも3つのバージョン(①国際②日文③中文)が存在している様だ。
劇場で見ることのできる物(②)は、中文版(③)と同じ編集で基本的にセリフなどは英語になっている。インターナショナル版(①)は編集の違う部分が随所に見られる。①にしかない部分もある。
ただ、ラッキーだったのは劇場版の、中盤の森でのバトルである。木々に囲まれた昔のファースト・ミッションのシーンを思い出すが、このバトル・シーンが国際版より長い。相手は元特殊部隊のショーン・モリソン役を演じたロリー・フレック・バーンズで、この緊張感のあるバトルがより長く見られるのはうれしい。これが無ければあっという間に決着がついてしまうのだから。
この森でのシーンは原作にもない見せ場になる部分と思われるが、相手はどちらかと言えば普通の俳優であり評価すべき点が然程ある訳ではない。派手なものにしないとジャッキーが語っていた通りである。この辺りの対決を観客は期待していたと思われるが、私はそんな対決ではなく、今回のような復讐の鬼に徹した元工作員に1票・・というか、見事に演じ切ったジャッキーに拍手を送りたい。
(13)映画の主題歌とソフト事情
劇場ではジャッキー主唱のテーマ曲"普通人"が流れることでも分かるのだが、この劇場公開版は日本独自の編集が施されたバージョンであると言える。クレジットやセリフもほぼ英語であるのに、エンドロールで中国語の歌が流れるのには少々違和感を覚えたが、ここで平凡なBGMが流れてしまっては日本のファンの怒りは収まらないだろう。ブルーレイソフトが発売される際には劇場と同じバージョンの収録を期待してしまうが、それはまた摩訶不思議な事情で、いつものように期待を裏切る結果となるかも知れない。独自の仕様もいいのだが、先のことはあまり考えない体質は変わっていないようなので、いつも同じ事の繰り返しになるのだ。
(14)最後に
これからも永久に続いてゆくであろう成龍的電影。『英倫対決』は通過点であるかも知れない。次回作は、ひょっとしたら人気シリーズの続きものになるのか、これはフタを開けてみるまで分からない。今後の映画でどんな演技を見せてくれるのか楽しみなところである。
注:今回記事はいつもと違う論調で記述しました。
(*)「ダイ・アナザー・デイ」(2002)