らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

今年はすごいことに・・・・。

2007年08月15日 00時22分53秒 | 大江町
 昨年から卵からかえったカブト虫の幼虫が23匹も越冬して、もぞもぞと土の中から出てきた。どうしても自然ではないと奇形の成虫になってしまうが、2~3匹を除いて無事だった。ブ~ンブン夜中に水槽の中で飛ぶので23匹だとうるさい。世話が大変なので、今年は忙しくて(旅も多い)ほとんど全部逃がしてしまった。奇形であまり元気でなかった成虫は逃がさないで看取ってあげた。

 山形にいてあらためて思うことは、山や川や海があって、木や雑草があって虫がいて、野生動物や野鳥など人間も含めて共存していること。空気も水もおいしい。東京はコンクリートで連鎖はほとんどなくて人間だけが環境を壊している感じ。

 山形に移住したばかりの時、月山近くの町に「こんな所に人が住んでいるんだ~たくましいなぁ~」と思ったものだが、先月東京に行って「こんな所によく住めるな。根性有るな」と思った。もはや東京は住む場所ではなく、用事を済ませに行くところである。何にも無いようでも豊かな自然が有る場所の方が、人間らしく生きられると思うけど。暑いところが苦手な私はヒートアイランドには住めない。冷房も苦手なので逃げ場が無い所は無理!!

 さすがに今年の猛暑続きにはまいっている。しかし夜はだんだん冷えるようになってきているので、秋も少しは近づいてくれているのかな?逃がしたカブト虫君達は、今頃大自然の中でのびのびしていることだろう。



 写真は、東京からもどってきたら大変な事になっていた水槽。

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うれしい便り

2007年08月14日 00時40分10秒 | 指導
 私が、山形響に入団してもった一番最初の教え子のE.I.さんから久しぶりにお便りをもらった。

 彼女は山形大学でヴァイオリンを専攻していたが、ヴィオラを本格的に始めたいということで私の所に習いに来始めた。最初はプロの演奏家になりたい感じでは無く、ただヴァイオリンの先生しかいない大学の授業の補講的に来ていた感じだった。だんだん演奏の幅が広がるのを自分でも実感したのだろう。急にやる気が満ち始めて3年生くらいから上達して、4年生の時は、PMFのメンバーにも選ばれ、そこから顔色が変わってさらに練習して、メキメキ上達していった。

 卒業後の進路相談にのったが、日本の音楽大学に進学ではなく留学を進めた。

 彼女にはそれが合っていたのだろう。 今やプラハフィルハーモニーの楽団員さんである。

 自分の弟子が頑張っていると聞くと、自分も負けられないと思うのが先生である。 彼女ほど華やかな生活ではないが、地道に努力を重ねていく事を再確認。 自分を見失わないように・・・・・。

 たまにブログを覗いてくれているみたいなので、無断で写真も載せてしまおう。ごめんなさい。左がE.I.さん。写真は、友人が遊びに来ていたときにハンガリーに遊びに行った時らしい。

  ---------------------------------------

     
 この写真は、E.I.さんが所属しているプラハフィルハーモニーが、「プラハの春」出演時のものである。日本から訪ねてきてくれた友人が写してくれたものらしい。 ドヴォルジャークホールだろうか?私も一回だけヤングプラハ音楽祭に参加したとき演奏したことがあるが、こんな所でしょっちゅう演奏できるなんて羨ましい。

  ------------------話は少し変わって---------------------

 山形市にも本格的なクラシック専用ホールが出来ることを切に願う。新県民会館建設の話はどうなってしまったのだろうか?最初の話なら既に完成していて、山形響が定期演奏会をしているはずだったのに。ホールはオーケストラにとって楽器の一部であり、山形響の更なる発展には必要なものである。凍結だけは本当に勘弁して欲しい。

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木造校舎

2007年08月13日 21時43分27秒 | 山形県
 7月9日月曜日に音楽教室に行った酒田市の小学校の校舎が木造建築だった。校舎に入るとちょうど掃除の時間帯だったらしく、たくさんの児童が廊下を一生懸命競争しながら雑巾がけをしていた。外部から来た私達一人一人に挨拶がきちんと出来る子供達ばかりで感心してしまう。

 私が小学校に入学した当初は東京でも木造校舎があちこちでみることが出来たが、今は非常に珍しい。先生と児童、近所の人達が「おらが学校」の想いで大切にしてきたのだろう。

 校舎内は懐かしい匂いがして、昭和にタイムトリップできた。歩くたびにギュッギュッと音が鳴る長い廊下や狭くて急な階段、天井の低い水飲み場、干してある雑巾掛けさえ趣がある。

 大変暑い日だったが、木陰に入ったようなヒンヤリした空気。冷房が入った鉄筋コンクリートの校舎より快適な感じさえする。

 そこで学んでいる児童達の音楽教室最中での反応の良さ、感性の豊かさには本当に感心してしまった。鉄筋コンクリートより子供達の成長には良いのだろうな~。ああいう環境は。何時までも大切にしていて欲しい。私が山形に来てから知っているだけでも葉山中や戸沢中など木造校舎の学校が統廃合されてしまっているし。今や大変貴重な文化財産だと思うが。

写真はその校舎内。
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人口と自然

2007年08月13日 00時26分05秒 | 山形県
 山形県全体の人口が、120万人を下まわった。丙午(ひのえうま)の年は出生率が下がるとかそういう一時的なものではなくて、もの凄い勢いで高齢化の問題も進んでいる。一番の原因は、都市に魅力がなく移住する人が多いという社会動態ではなく、これからは出生数を死亡数が上回るという自然動態が原因になろうとしている。いや実際、私が住んでいる大江町では自然動態の方が原因になっていると思われる。私が移住してから5年くらいでとうとう人口1万人をきってしまった。

 120万人というと東京の練馬区と板橋区を足した位の人口だ。いかに人がいないということが認識できる。政府やマスコミは、人口が減少することに問題があるとしているが、経済的な観点や女性の出産環境など抜本的な解決に至っていない。しかし税収などの問題はあるものの、小さい政府を進めているのであれば、人口減少は一方的に悪いことばかりではない。地球全体では人口爆発の危機(食糧不足・環境汚染)が迫っていると言われているので、狭い日本は本来の人口規模になろうとしているとも考えられる。

 ここからは私だけの馬鹿げた発想を記す。

 人口の減った分は、(地球温暖化対策が叫ばれているおりなので)大自然にその土地を返す。これ以上無駄な環境開発の名のもとでの環境破壊を禁止する。廃村は家屋等撤去して国が買い上げて木を植え、原生林に戻す。一度失った自然はなかなかもどらないが努力する価値は有ると思う。

 *その一方で何十年、何百年も続いた小学校などを統廃合するのは、少々寂しい現象だと思っている。自分の母校が無くなる卒業生達は寂しいだろう。そんな事を廃校した学校の校庭に昔の子供達の残像を感じながら考えた。

写真は岩手県安代町の平成15年3月に廃校した小学校。
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アマデウスの旅

2007年08月12日 01時24分48秒 | 山形交響楽団
 一昨日と昨日から遂に山形響のモーツァルトシンフォニーサイクルが始まった。この企画は、8年間かけて(全24回)、モーツァルトの交響曲全曲を演奏するというものだ。一昨日は、米沢の伝国の杜にて、昨日は山形テルサにて第一回の演奏会が行われた。両日ともほぼ満席の状態で、私が山形響に入団してから初めて大入り袋が配られた。

記念すべき第1回のプログラムは、

・交響曲 ヘ長調 K.Anh.223
・ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219(独奏:高木 和広)
・交響曲第39番 変ホ長調 K.543

というものであった。

 オーケストラプレイヤーとしてモーツァルトの交響曲全曲を演奏できる機会を頂けた事に感謝する気持ちでいっぱいである。その上、お客さんも満員!!実行委員の方々を含め多くの人に感謝。

 この演奏会を迎えるにあたって3日間の練習は、新しい奏法(ピリオドアプローチ風?)を理解するのに苦労させられた。指揮者の飯森氏のしつこい?!(失礼!)細かい師事や各々トッププレイヤーによる多くの知識を自分の中で整理するのに悪戦苦闘。本番は演奏しなくてはいけないのだからと妙に開き直り、「少しずつでもわかるようになれば良いや」の気持ちで自分なりの演奏をするしかなかった(正直)。これから後23回のうちに理解することが出来るのかかなり不安である。

 やり甲斐はあるはずである。と信じているけれど。
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大胆な発言

2007年08月11日 00時33分10秒 | 音楽
 勇気を出してカミングアウトしようと思う。

   私は・・・


Σ( ̄□ ̄ノ)ノ




 バルトークとショスタコーヴィチが苦手・・・。


 ハッ!(`ロ´;)



 いや両名の作品ほとんど大嫌いである!!

         ・・へ( ̄◇ ̄||)ノ しぇ-っ!?


 大学時代にこんな思い出がある。
オケサークル仲間達とクラシック音楽について熱く語り合っていた時、どの作曲家が好きという話題になった。 その頃、クラシック音楽にようやくはまり始めていた私は「ベートーヴェンやチャイコフスキーは好きだけどモーツァルトは聴いていて退屈!」と発言してしまったのだ。

 モーツァルティアンだった友人(仮にKさんとしておく)は急に怒り出し、「モーツァルトの何も知らないくせにカッコつけるんじゃないわよ!」と私の発言をバッサリ切った。 その夜、Kさんの悪口をさかなに友人と朝まで飲んだ。

 次の日になってもKさんに罵倒された事が悔しくて、理論的に見返してやろうと思った。

 そして私が、とった行動は・・・・・。

 アルバイト代をつぎ込み、ベーム&ベルリンフィルの交響曲全集(当時30000円以上した)とアマデウスSQの弦楽四重奏曲全集(これもまた高価だった!)さらにVn協奏曲全集やピアノ協奏曲の有名な演奏のCDを大量に買って、毎日聴き続けた。 「ここがこうだから私は、彼の音楽が嫌いだ」とかっこよくKさんを見返すはずだった・・・・・・・・。

      ((((○(|||∇ ̄ ̄ ̄メ)ぷるぷるぷる、、

 ところがである。

 身体の中にモーツァルトの音楽が、土足で入ってきてしまった。 それから20年は経つが、今はいっぱしのプチモーツァルティアンだ。

 話はだいぶそれた・・・・・。

 バルトークとショスタコーヴィチは20世紀を代表する2人の作曲家だ。誰もが彼らを褒め称える。そして作品についてもあれこれと語りたがる。ちなみに私は、現代音楽はかなり好きな方だ。しかし彼らの音楽は、私の中に入ってこない。 学生時代にモーツァルトを好きになった様に、本やCDを大量に買い込んで、身体になじませてみた。

 しかしいっこうに入ってこない・・・・・。
誰か良い方法を知らないだろうか? 今までに相当彼らの作品を演奏したり聴いたのだが・・・。

 音大時代の先生にどんな作品でも演奏するときは、その作品を好きだと思え!出来なければ暗示をかけるか、演奏するなと言われた事がある。でもね・・・・。

        
            ヽ( ̄ー ̄ ;)ノおてあげ

この日記は、2006年5月6日に書いたもの・・・・。

    ----------------その後-----------------

 1年くらい前の日記のその後・・・・。


  ( ̄(エ) ̄)y-・・・・そんなこと知りたかねぇよ・・・・・。



 ・::.゜・.┻┻・::・.:゜。┣\(`Д´\#)うがっ!聞きなはれ~


     バルトークは、克服したのだ。

 バンザーイ!! ★\( ̄▽ ̄ )/クル\(   )/クル\(  ̄▽ ̄)/★

 何がきっかけになるかわからない。弦楽四重奏のDVDを見たのが、きっかけ。スコアと映像の力は凄い!!だいぶ引き込まれて何回も見た後、他の作品もあら不思議、聴けるじゃないの!!
かっこいいじゃないの!!

克服したのだから山形Qでやるしかないね。さっそく今後の定期の予定に入れよう。

     グッ!!( ̄ε ̄〃)b
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やらなければならないこと。

2007年08月10日 00時34分45秒 | 雑記
 食事処「和民」の社長さんだったか会長さんが書いた本の内容を人から聞いた。

人の生活の行動は、
 1.早急にやらなくてはならない重要なこと。
 2.急いでやる必要はないが重要なこと。
 3.早急にやらなくてはならない重要ではないこと。
 4.急いでやる必要はなく、重要ではないこと。
                  に分類されるという。

 普通の人は、1番を当然先にかたづけようと一日の行動が始まる。しかし、和民の社長さんは、2番からかたづけるという。

 例えば、1番は「食中毒が出たからその対処をしなくてはならない」しかし2番の「徹底した衛生管理、社員教育」をすれば、1番は起こらないのだという・・・・・・・。

 なるほど目から鱗!!

 ------------------自分に置き換えてみる。-----------------------

 2番は当然しない。3番もしない。1番もせっぱ詰まらないとしない。4番からしてしまう。

 例えば高校時代の中間テストで明日日本史のテストがあったとする。先生は江戸幕府が試験範囲だという。私は、なぜか普段しない部屋の清掃からする。コーヒーの準備、コンビニへお菓子を買いに行く。本屋に立ち寄り、雑誌を買ってきてしまう。やっと机に向かったら、明日の朝までの予定表をつくって満足してしまう。その後休憩と自分に偽り、テレビを見てしまう。

 親に怒られ、やっと試験勉強するが、試験範囲ではなく、なぜか教科書の最初から読み出し「縄文時代」にやたら詳しくなる。夜中になっても江戸幕府の「え」の字も勉強していない。

 オールナイトニッポンのパーソナリティーの話に夢中になる。朝になる。「なんとかなるさ」と学校へ向かい、友達に傾向と対策を聞き、山勘を働かせる。試験中は、秘技「鉛筆をころがし」を使う。

 などなど書いたらキリがない生活をしてきた。(苦笑)

 少しでも改善したいのだが、なかなか・・・。雑用借金生活者の道から抜け出せない・・・・。せっぱ詰まらないと行動を起こせないのが、目下の悩みだ・・・。笑。

「ただのなまけものじゃん!」とつっこまないで欲しい。
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夏休み中。

2007年08月09日 00時22分23秒 | 指導
 実はこの4月から某高校音楽科の非常勤講師になった。
オーケストラ奏者、弦楽四重奏団メンバー、そして先生である。

 所謂、街の先生から学校の先生になってしまった。
楽器を教えるだけの街の先生から、人間教育を含めた学校の先生である。違う言い方すると楽器を上達させるだけで良い前者から将来の事も考えてあげなくてはならない後者になってしまった訳だ。

 授業はヴィオラのレッスンが中心なんだが・・。春から身の引き締まる思いだ。

・・・・大人になろう・・・・。
(;´Д`)いやはや・・・・。

4月に就任そうそう新一年生の演奏38人聴いた。
子供達を見ていると自分の学生時代を思い出してしまう。どの子にも無限の可能性があり、卒業する頃にはどう成長しているか楽しみである。

 こんな私がどれだけ役に立つか不安だらけだが、一生懸命やろうと思う。

 春先のオーケストラ合宿~演奏会。そして初めての実技試験官。

 二学期も頑張りたいと思う。

 ---------------話は変わって-------------

 ~ヴィオラのレッスン~

 子供の時、先生が自分の楽器をチューニングしてくれて、私が演奏して、1分もたたないうちに・・・・。「練習してこなかったでしょう?」と先生によく言われた。別にミスをしていたのではなく・・・・。何故わかるのか不思議だった。

 でも今自分が先生になってみてわかる。楽器をチューニングしてあげただけでわかる。楽器が「今週はこれくらい練習してきたよ」と小声で教えてくれるのだ。

 写真は、高校の校舎前。あまりにもきれいなので写してきた。(ゴールデンウィーク中)

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らびおがゆくの原点

2007年08月08日 00時58分18秒 | 音楽
 私は、子供の時からヴァイオリンを習っていたが好きではなかった。当時嫌々習っていた。レッスンに行きたくなくて公園にヴァイオリンを捨ててきたこともあった。小学校の時に友達が「あそぼぉ~」と来ても「今日はヴァイオリンのおけいこだからだめ」というのも猛烈に恥ずかしかった。当然クラシック音楽も嫌い!大嫌いだった!

 そんな私が今何故ヴィオラを演奏して飯を食べているのか?全ては、武蔵大学の経済学部に入学したあの日から始まる。入学式が終了後、管弦楽サークルの先輩達の勧誘に捕まったのだ。勧誘机の前に行くと、当時4年生の美人のK先輩が説明をしてくれた。しかしクラシック音楽が嫌いな私は、オーケストラサークルなんぞ入りたくもなかった。新歓の時期におごりで飲まされたお酒のせいである。酩酊している間に入団届を出していた。

 2年生の夏休み以後、ヴィオラに転向して頑張っていた。ヴィオラには、美人の先輩Hさんがいた。少ない人数のパート練習が楽しかった。そのHさんと2人きりの事が多いからだ。ヴィオラに転向するにあたって、自分からヴィオラのレッスンに通い始めた。最初は、早く楽器に慣れるためとか、美人先生に会うためとか、色々な理由があったのだが、そのうち楽器を真剣にやってみたいという欲求に気持ちが変わっていった。その頃、たぶん色々苦労もあったのだろうが、正直あまり覚えていない。気づいたら音楽大学に入学していた。

 そのサークル関係者には先輩の群響でObを吹いているTさんや、後輩の東響でVcを弾いているBさんなどがいる。

 写真は2006年10月に武蔵大学管弦楽団の部室を訪ねてきた時のもの。この思い出の部室がある学館は惜しまれながら取り壊しらしい。当時は、授業にはほとんど出ないで練習やお酒や宿泊に使っていた。奥に黄色く変色した写真が掲げてあるが、私が現役時代のものであった。時の過ぎたのをあらためて実感した。
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男って・・・・。

2007年08月07日 00時21分13秒 | 雑記
 藤子不二雄の漫画の中だったと思うが、妻帯者の男が妻に内緒で 独身時代に通ったラーメン屋に行き、ビールとレバニラ定食を 注文して、「これこれだよ~~」と感激しながら食べるシーン が、あったように記憶している。

 私も妻帯者になり、妻の料理には大変感謝している。 毎日、同じ仕事をしてなおかつ朝早く起きて朝食を、そして 仕事後も夕食を用意してくれる。
 何しろ美味しい。東京人の私には違和感のある山形料理だったが、慣れるとこの方が美味しいし健康に良い。
健康を気遣う季節の料理が並ぶ。別にのろけている訳ではない。

 食べているのを見つかると逆鱗にふれる食べ物があるのだ。 不健康な食べ物ほどおいしく感じるときもあるのだ。 やめられない。

 それも
「ベヤングライス!!」

 ベヤングソースやきそばに朝の残りの冷や飯を入れるだけ。
炭水化物 und 炭水化物 なのだ。 身体に良いわけがない。しかし旨いのだ。 妻が留守の時、隠れて食べる。

 その後が大変、ゴミをコンビニに捨てに行ったり、 部屋の空気を入れ換えたり、帰ってきてからの言い訳に 冷蔵庫の納豆や豆腐をメインに食べたように味噌汁にして
少し残しておいたり・・・・・・。

 男っていつまで経ってもバァ~カだ。妻の心知らず、メタボリにけり・・・。
 
                健康診断ひっかかる訳だ・・・・・・・・。
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人間の耳と音楽

2007年08月06日 00時24分59秒 | 音楽
 例えばの話である。

 山形響の定期演奏会に車で行くとしよう。
その人は、クラシック音楽の他にもハードロックが好きだとする。
カーステレオでそのハードロックをガンガンならして会場に来るとする。
果たしてその人は、山形響の演奏に満足して帰ることが出来るだろうか?

 人の耳は、大きい音の方にレベルをあげてしまう傾向にある。
オーケストラが、そのハードロックより大音量でその人の耳に刺激を与える必要があるのだ。
とくにPAを通した音に慣れると、生の音には鈍感になってしまうのだ。
常にまわりに音が有り、うるさい現代の社会の中でクラシック音楽が衰退していく理由はこの辺にもありそうだ。PAが無かった中世の人に比べて、現代人の耳は微妙な音の色合いを聴き取れなくなっている可能性もある。

 実際、セックスピストルズ、クラッシュ、ヴァンヘーレンなどを聴いていた高校時代、私の耳ではクラシック音楽を魅力的に感じることは無かった。

 もう一つたとえ話。
 絶叫アナで名をはせた報道ス*ー*ョンの古*アナが、弦楽四重奏団演奏会の司会をしたとしよう。マイクの音量全開に!
「人類最高の音楽の贈り物~~!!ベートーヴェンが残した最高傑作~~!弦楽四重奏曲第13番~~!!そして演奏するのは、室内楽史上最高との呼び声高いアルバン・ベルク四重奏団の皆さんです~~~!はりきってどうぞ~~~!」
と盛り上げようとしたとする。

 その後、ABQの演奏に満足出来るお客さんは、いるのだろうか?いるわけない。
古*アナのボリュームのレンジに耳が、アップされたからだ。
繊細なクラシック音楽を聴く事が出来ない耳になってしまったのだ。

 このPAとクラシック音楽の問題は、いつも起こり得る。
山形響の仕事である音楽教室には、司会者がついている。
マイクの調子が悪くて、大音量でハウってしまったら、その後の私達が奏でる音楽は刺激半減になってしまうのだ。

 以前たまにやった演歌歌手とのジョイントコンサート。
PAを通しているバンドに音量でかなうわけもなく、自分の出している音も聞こえず、耳にはめたドンカマのクリック音に合わせて弾くだけである。
アンサンブルなんて、聞こえないのだから出来るわけない。

 結局、本当にクラシック音楽を楽しみたいのであれば、耳にやさしい自然の近くで生活するべきなのである。

 写真は朝日町の蕎麦屋「亀次郎」さんの店内
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偉くなったらおしまいだ・・・・。(音楽家)

2007年08月05日 19時33分02秒 | 音楽

 最近、音楽家以外の人とお話しさせていただく機会が多い。

 その中で「すごいなぁ~プロフェッショナルな技は、小さい頃から鍛錬されてきて、一般人から見ると超人的ですよ!本当に感動的な演奏でした。」なんて会話の中に出てくる。

 相手側もこちらに気を使っているのか、本当にそう思ってくださっているのかは、定かではない。

 持ち上げてくださっている人達に何時も同じように返答していることに気づいた。

 例えば、「ありがとうございます。しかし私達は一応音楽演奏のプロですが、そういうあなたも車修理のプロでしょう?私は車の修理の”く”の字もわかりません。あなたはどんな車でも修理して、私達よりお客様を満足させる打率が高いでしょう?」

 苦笑いしながら「それはそうですが・・・」との返事。

 この会話のやりとりでわかると思うが、人は自分の出来ない分野のプロの仕事に 接すると凄いと思うのである。

 特に音楽家は凄いと思われることが多いが、それだけ身近にない特殊な技能なのかもしれない。

 本当は周りに色々なプロの仕事が溢れているのに、普段私達はあまり気づかない。

 例え一見普通のお年寄りでさえ、 漬け物が美味しくできたり、自家製味噌を造ったり、毎日、家族にプロの家事を提供している訳だ。

 違うのは音楽家は、その仕事を他人に誉めてもらう事が多い。

 だからそこに音楽家の悲劇が生まれる可能性がある。

 誉めてもらううちに謙虚さを忘れ、偉くなってしまう人がいるのである。一度偉くなると偶に何かを批判されても、聞く耳を持ってない人もいる。

 少し違う話だが、音楽家の中には、お金の亡者になる人もいる。そうなると音楽家ではない!芸術家ではなく、ただの強欲な労働者である。いやまっとうな労働もしていないかもしれない。自分の体調や機嫌だけで生徒に怒鳴ってしまう先生などだ。「はい気分悪いから、今日は終わり!レッスン代間違いなくおいていってね」なんて昔学生時代によく聞いた話だ。極端な例だが・・・・。

 謙虚な心、常に緊張する心無くして音楽的向上はありえないと私は思うのであるが。

 自分を客観的に見ることが出来る能力は大切。
 私自身まだまだ自分に甘いみたいだ・・・・・。

 写真は我が家のもきち(後列)&ぴの子(前列)

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ヴィオラ Vol.3

2007年08月02日 00時28分58秒 | ヴィオラ
 「何かヴィオラの曲演奏してもらえますか?みんなが知っているやつお願いします。」
ごくたまにそんなお仕事をもらうときがある。

 しかしほぼ100パーセントその仕事は断ってしまう。

(ノ`△´)ノ ~ *~●ポイッ

 なぜなら一般の人が知っている(多少クラシックに詳しい人でも)ヴィオラのオリジナルの曲はないからだ。

 もちろんバロック~古典派~ロマン派~近代~現代にかけて、無伴奏から協奏曲、ピアノとのソナタ、小品など沢山の作品があるのだが、その作品群は、ヴィオラを弾く人やヴィオラを特に好きな人以外には全然知られていないのである。

 これはヴィオラを勉強しはじめた人にも影響があって、CDや楽譜なども捜す「こつ」を知らないと見つからない。
捜すこつを知らなかった学生時代は相当苦労した。

( ̄(エ) ̄”) ピクピク

 そんな仕事の時、他のヴィオラ奏者の人は、何を演奏するのだろう?

バッハ?
それならヴァイオリン奏者かチェロ奏者に仕事頼んで・・・。

ブラームス?
ピアノ奏者から苦情がきそう・・・・。

思い切ってヒンデミット?
クライアントがどんびき!!間違いない。

可能な限り、他の楽器のレパートリーの編曲ものはしたくない。
さてはて?どうしたものか。


ヴィオラ奏者に一番恩恵を与えている作曲家は誰であろう?

 「20世紀最高の作曲家は誰?」みたいな記事がよく「音楽の友」「レコード芸術」などに載っていた。大抵上位にくるのは、B.バルトーク・D.ショスタコーヴィチ・I.ストラヴィンスキー・R.シュトラウス・C.ドビュッシー・武満徹など。少しマニアックな方はA.シュニトケなんてあげるかも知れない。
しかしヴィオラ奏者の私には、

  ヒンデミットPaul.Hindemith(1895.11.16-1963.12.28)

              しか考えられない。

 驚異的な多作家だった彼は、交響曲(番号が無いが実は8曲!!)、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、声楽曲、オペラ、映画音楽などさまざまなジャンルに曲を残した。オーケストラの楽器は大抵演奏出来たようで、弦楽器や木管、金管楽器などのために貴重な協奏曲やソナタを書いた。中でも自身名手と言われたヴィオラの曲は多い。
・無伴奏ヴィオラソナタOp.11-5
・無伴奏ヴィオラソナタOp.25-1
・無伴奏ヴィオラソナタOp.31-4
・無伴奏ヴィオラソナタ1937
・ヴィオラとピアノのためのソナタOp.11-4
・ヴィオラとピアノのためのソナタOp.25-4
・ヴィオラとピアノのためのソナタ1939
・ヴィオラとチェロのための二重奏曲1934
・ピアノ、ヴィオラとヘッケルホーン(Sax)のための三重奏曲Op.47
・弦楽三重奏曲や弦楽四重奏曲多数。など

~協奏曲的なものとして~
・室内音楽第5番Op.36-4
・ヴィオラと大室内管弦楽のための協奏音楽Op.48
・白鳥を焼く男1935
*漏れているものがあるかも・・。

 ヴィオラ奏者はヒンデミットに足を向けて寝られない。
私の師匠U.Koch氏からは、彼の逸話をレッスン中によく聞かされた。より親しみをおぼえる作曲家である。

写真は今井信子氏のCDジャケット
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ヴィオラ Vol.2

2007年08月01日 23時39分35秒 | ヴィオラ
 その昔、ヴァイオリンを弾けない人や身体が大きい人が、先生から強制されてヴィオラに持ち替えさせられた事が多々あった。
R.Wagnerは「ヴィオラは、ヴァイオリンを弾けない人が弾けばいい。」と言ったとか??しかしその彼の曲は他の作曲家よりヴィオラパートが難しいのは、どうしてだろう?

 そんなことから未だにヴァイオリン>ヴィオラとの考え方を持った先生も多いのは、悲しいことだ。 ヴァイオリンよりヴィオラは、劣っているなんて誰が言い出したのだ?例えばフルート奏者よりピッコロ奏者は劣っているのか?前の方に座っている奏者より後ろの方に座っている奏者は下手くそなのか?未だに残っているその考えを私は、強く否定したい!!!
 私の生徒達の中にはヴィオラに替えさせられた事にコンプレックスを抱えてくる子もいる。そのコンプレックスをとってあげることからレッスンを始めて、ヴィオラを好きになってもらわなくては上達もない。その親御さんも他のヴァイオリンを続けている子供に対して引け目を感じている。その必要は全くないのに。音楽を好きになってもらって、その中でのヴィオラの役割を楽しめるようになれば、と願っている。
 学生の頃、磯良男先生が面白いことを言っていた。「弦楽四重奏は饅頭に例える事が出来る。1stVnとVcは皮。2ndVnとVaはあんこ」「見た目が良くないと食べる気になれない。しかし食べたら支配しているのはあんこなんだよ」私はその例えに納得させられた。

 ヨーロッパのヴィオラ奏者をみると、とても不器用そうに演奏しているのをよく見る。日本人のヴィオラ奏者の方が、器用なのだろうか?

 それ関して私は、まったく違う考えを持っている。
 
日本人のヴィオラ奏者は、ヴァイオリン奏法のままただハ音記号を弾いている人が多いのだ。 上記の考え方のヴァイオリンの先生は、(その先生がヴィオラを演奏出来ると主張したところで)ハ音記号が読めて、弓により圧力をかければいいと思っている人が多い。そもそもヴィオラは、ヴァイオリンとチェロとは、倍音構成などがかなり違うのだ。ヴァイオリンの奏法のまま通用する楽器ではない。

 似ているだけにその本当の違いは、ヴィオラ奏者にしかわからないのだ。


 ヴィオラの大きさは楽器の個体差が大きい。小さいもので37cm(ヴァイオリンとほぼ同じ)から47cm位のものまで。メーカー品では、39.5cmか40.5cmのものが多くある。我々プロのヴィオリストが使用しているのは、40~42cm位の楽器が多い。ヴィオリスト達にも好みがあって、ヴァイオリンに近いメズソプラノのような音色を求める人(楽器は小さい)、チェロに近いコントラアルトのような音色を求める人(楽器は大きい)、そしてヴィオラ独自の渋い音色を求める人など多様化している。私の好みはというとコントラアルトの音色である。しかし180~190cmの大男ではない私にとって大きい楽器に身体の負担はつきもの。ウィーンフィルのヴィオラ奏者の就業規則に「何cm以上の楽器は弾かせないこと」というのがあるとかないとか。それだけ身体に負担になる。北ドイツ放送響のDVDを見るとヴィオラのでかいこと・・・・・。だからあんな深い音色になるんだな。妙に納得。ちなみに私は、弦楽四重奏団では42cmの楽器。山形響では約44cmの楽器を無理から弾いている。身体の負担は大きいが、はまった時は本当にパワー全開なんだなコレガ。

写真はそのでかい楽器。奥にほさっているのが、普通(40.9cm)の楽器。
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ヴィオラ Vol.1

2007年08月01日 20時34分06秒 | ヴィオラ
 昨年あたりからヴィオラについての本が相次いで出版された。
写真右側の本は、私の師事したU.Koch先生の先生のW.Primrose氏の本。ヴィオラの演奏法など世界第一線で活躍した彼の考えをまとめた本である。ヴィオラを弾く人で中級以上向きの本。左が日本人ヴィオラ奏者の第一人者今井信子氏の本。こちらの方が、ヴィオラに興味を持つ人(例え演奏できなくても)のための本。読みやすい本である。その他Y.Bashmet氏の本(未読)などもある。
 それぞれ考え方が違うにせよ世界で活躍した人達のヴィオラの話を興味深く読むことが出来る。


 雲の上のヴィオラ奏者の話ではなく、おらが田舎のヴィオラ奏者である私が、ヴィオラの話を少しづつ書こうと思う。 それは、ヴィオラという楽器のイメージが各プレーヤーや愛好家達の中でも確信を持ってこれが正しいという奏法や音の好みが、多様化しているせいもある。
しかし私だけのヴィオラ論(堅苦しいか・・・?)を書くことなら出来ると思い、暇があれば現時点での思いを書こうと思う。
 
 少しでもヴィオラという楽器の認知が広まれば幸いである。

 ヴィオラという楽器は、ヴァイオリンとチェロの間のサイズの楽器である。よく全然知らない人に説明する時は「ジャイアント馬場のヴァイオリンです。」なんて答える時もある。
何故、ヴァイオリンやチェロとは違い多様化したのかは、その楽器のサイズにある。
だいたいいっしょ(失礼!)のヴァイオリン、チェロに比べ、ヴィオラはボディサイズが約37~46cmと幅がある。
 小さいものは、ヴァイオリンに近く、大きいものはチェロに近い音色を持つ。
20世紀初頭、ターティスというヴィオラのソリストが活躍しだしたが、彼はモンターニャという大きい楽器を使用していたらしいし、そのすぐ後に活躍したプリムローズは、ガルネリという幾分小振りな楽器を使用していたらしい。
どちらもCD等で演奏を聴くことが出来るが、同じ楽器とは思えないほど音色の違いが顕著である。

 現在、ヴィオラのソリストというのは珍しくもなく世界的に増えているが、その各奏者での弾き方、音色はさまざまだ。

 音楽教室などで楽器紹介などをすると、大抵人気がないのもこの楽器「ヴィオラ」だ。
なぜなら子供達にとっては地味で、オーケストラの中で何をやっているか聴き取れないからであろう。


( `▽´)ノ”

こういうふうに表現していいものか・・・??

「ヴィオラは寄生虫楽器」である。

 ヴィオラのソリストという人達はいることはいるが、オーケストラをバックに本当に伸びやかに楽器を響かせることが出来る人は、世界中に何人もいない。ヴァイオリンやチェロのように張った音は出ないのである。もし張った音が出るよという人がいるならば、大抵のそれは力強いが、割れた魅力に乏しい音だ。
ヴィオラは他の弦楽器と違い、それ単体で楽器をならすことは何倍も難しい。ヴァイオリン奏者はイザイやパガニーニの曲で技術をひけらかすことも出来るが、ヴィオラは楽器をならすこと、すなわちきれいな音を出すこと自体を目指すべきである。
 ヴィオラ特有のあの「鼻がつまった様な音」は、ボディーサイズが足らないからである。ヴァイオリンやチェロの様なパンと張ったような音を出すためには、ヴィオラの音域でボディーサイズを約53Cmにしなくてはならないという。そうなったら今のように担いでは演奏することが出来ない。その「鼻のつまったよ様な音」が、ヴィオラ特有の、他の楽器にない音色なのだ。

 そうヴィオラは、友達好きなアンサンブルのためにある楽器なのである。単体では響きが乏しいため(独特なしぶい響きはまた魅力的ではあるが)他の楽器との共鳴で、その魅力は倍増する。
もちろんそのヴィオラ奏者の上手下手はあるが、ヴィオラ奏者を生かすも殺すもまわりのヴァイオリンだったり、チェロだったりすることが多い。良い奏者や良い楽器の人と一緒に演奏すると、同じ楽器が何倍もなってくれるし、反対ならどんどん楽器はならなくなってしまう。

「ヴィオラは寄生虫楽器」というのはそういう意味である。けっして他の影に隠れてごそごそしているという意味ではない!!(笑)
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