らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

偉くなったらおしまいだ・・・・。(音楽家)

2007年08月05日 19時33分02秒 | 音楽

 最近、音楽家以外の人とお話しさせていただく機会が多い。

 その中で「すごいなぁ~プロフェッショナルな技は、小さい頃から鍛錬されてきて、一般人から見ると超人的ですよ!本当に感動的な演奏でした。」なんて会話の中に出てくる。

 相手側もこちらに気を使っているのか、本当にそう思ってくださっているのかは、定かではない。

 持ち上げてくださっている人達に何時も同じように返答していることに気づいた。

 例えば、「ありがとうございます。しかし私達は一応音楽演奏のプロですが、そういうあなたも車修理のプロでしょう?私は車の修理の”く”の字もわかりません。あなたはどんな車でも修理して、私達よりお客様を満足させる打率が高いでしょう?」

 苦笑いしながら「それはそうですが・・・」との返事。

 この会話のやりとりでわかると思うが、人は自分の出来ない分野のプロの仕事に 接すると凄いと思うのである。

 特に音楽家は凄いと思われることが多いが、それだけ身近にない特殊な技能なのかもしれない。

 本当は周りに色々なプロの仕事が溢れているのに、普段私達はあまり気づかない。

 例え一見普通のお年寄りでさえ、 漬け物が美味しくできたり、自家製味噌を造ったり、毎日、家族にプロの家事を提供している訳だ。

 違うのは音楽家は、その仕事を他人に誉めてもらう事が多い。

 だからそこに音楽家の悲劇が生まれる可能性がある。

 誉めてもらううちに謙虚さを忘れ、偉くなってしまう人がいるのである。一度偉くなると偶に何かを批判されても、聞く耳を持ってない人もいる。

 少し違う話だが、音楽家の中には、お金の亡者になる人もいる。そうなると音楽家ではない!芸術家ではなく、ただの強欲な労働者である。いやまっとうな労働もしていないかもしれない。自分の体調や機嫌だけで生徒に怒鳴ってしまう先生などだ。「はい気分悪いから、今日は終わり!レッスン代間違いなくおいていってね」なんて昔学生時代によく聞いた話だ。極端な例だが・・・・。

 謙虚な心、常に緊張する心無くして音楽的向上はありえないと私は思うのであるが。

 自分を客観的に見ることが出来る能力は大切。
 私自身まだまだ自分に甘いみたいだ・・・・・。

 写真は我が家のもきち(後列)&ぴの子(前列)


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