12月8日。
この日は、去る1941年(昭和16年) ハワイ島の真珠湾にあるアメリカ海軍基地を日本海軍の空母機動部隊が攻撃した日であります。
この奇襲攻撃により アメリカ太平洋艦隊は戦艦等が大打撃を受け、一見では 日本の奇襲作戦は成功しました。
しかし、外交の不備により宣戦布告が予定より遅れ 真珠湾攻撃が宣戦布告より前に行なわれたことから、アメリカ国民は「Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」を合言葉に日本への反感を高めることとなり、その後の太平洋戦争へと突入→兵力・物資に勝るアメリカの戦勝へと推移してゆくこととなったのは ご案内のとおりであります。
この「真珠湾攻撃」の背景や その後の経緯については後日に譲ることといたしますが、ここでは 私は戦争という最悪の経過を辿ることとなってしまった顛末を踏まえ、ときの政治(家)の判断の重要性と危うさ、さらに世論の動きの ある意味での恐ろしさを実感し、そのうえで 私たち日本人こそが「リメンバー パールハーバー」を自覚しなければならないのでは、と思うところです。
当時の日本政府は、大陸への侵攻という いわば自国の国益のみを優先した偏った志向(思考)に基づく国策に走り、その経過の中でアメリカとの関係悪化が極まったことの解決を「力づく」で収めるためにアメリカを戦争によって打ち負かそうという暴挙を国策として進め、あげく300万人もの国民を犠牲にする愚かな戦争の道を突き進んだのでありました。
そのうえ この政府の愚挙に対し、当時のマスコミ自身が「戦意発揚」として戦争を肯定する記事を列挙、本来公正であるべき立場のものが 逆に国民を欺く片棒担ぎに走り、結果として多くの国民の犠牲を強いる一因を成してしまったのでありました。
戦後76年…あれから歳月は流れましたが、私たちは 当時の政治・世論が喚起してしまった戦争への間違った判断を胸に留め、それを大いなる反省として これからの社会運営に臨むべきと改めて強く思うところです。
ときの時勢に伴う政治判断。一部の政治家の決めごとが、多くの国民生活に重大な影響を与えてしまう危うさと、マスコミ等が 一度(ひとたび)それに迎合した瞬間に、それを正しきものとして国民の意識の中に刷り込んでしまう怖さ…さきの太平洋戦争は、それら偏った考え方が 暴力(戦争)という最悪の形でかみ合ってしまったものと言えるのではないか。
こんなことは 二度とあってはならない。
被害を被(こうむ)ったアメリカ側の「Remember Pearl Harbor」の意識…その要因をつくってしまったに日本人として、私たちの立場においても あの真珠湾奇襲攻撃を忘れてはならないと思いをいたすところです。